第八章:7
破壊された店には野次馬が集り、表通りには人だかりが出来ていた。ただの野次馬だけでなく、中には物々しい空気を纏った、いかにもな風体の男達が。おそらく、この店の元締めたるどこかのギャングだろう。
「可哀想になあ、あそこの店主。今頃、上の連中に生爪生皮剥がされてヒイヒイいってんぜ」
見せしめに、という意味だろうか。当然だろう、それだけの失態を演じてしまったのだから。大なり小なり、ギャングやマフィアはそうした暴力的制裁がある。下の者に「示し」をつけ、失態を犯したらどうなるか。あるいは敵対するギャングに対する警告として拷問に掛けられることも。
『OROCHI』とて例外ではない。『BLUE PANTHER』の頭であった、『鉄腕』ことビリー・R・レインも、戦闘後に捕らえられ、強制的に成海市の新たなモニュメントに加えられたのだ。和馬雪久という男によって。
「それなら、俺も見たぜ」
騒動の現場から離れた、安いバーで紹興酒を傾けながら金がいった。
「あれだろ? 第5ブロックの辺りに串刺しにされて野晒しになってたな」
「……嫌な事思い出させるな」
水で薄めた、不味い酒を煽りながら省吾がぼやいた。
第5ブロックの、『BLUE PANTHER』の経営していた“パープル・アイ”の跡地にビリーの死骸が掲げられたのは、戦い終わった3日後のことだった。体中を、鉄の杭で貫かれていた。さらに巨大な木の杭を跡地に打ち建てて、その杭に体を貫かれて磔にされていた。野鳥の群れが屍肉に集って、辺りには腐臭が立ち込めていた。
「ヴラド・ツェペシュかよ……あの悪趣味野郎め」
これだから『OROCHI』と、雪久と一緒にされたくないのだ。あの100人戦でも垣間見せた、雪久の異常なまでの残虐性。決して、省吾とは相容れないタイプだ。
「まあ、そのビリーの死体も次の日には綺麗そっくり消えてどこにあるか分からないがな」
水で割った焼酎を飲みこんだ。
ビリーの死体は、晒し物にされた次の日にはどこかへ消えてしまったのだ。野鳥に食われたようにも見えない、誰かが片付けたようであった。
「どこかの掃除屋が、片付けたのだろうかね」
目下の所、省吾にとってはそんなことは問題ではない。
「あんた、“いい情報がある”といったが……」
今は、目の前の金なる男から聞きだすことがある。そのために、わざわざ味のしない粗悪な酒を煽っているのだから。
「そう、とびきりいい情報だ。お前が探している女に該当するものに、心当たりがある」
探している女――つまりそれは
「先生のことを、知っているというのか?」
「俺の知る人物がその『先生』とやらか分からんが、まあその前に」
金の次の言葉を、待つ余裕などない。
省吾は金の胸倉を掴み、鼻面をつき合わせて怒鳴った。吐息も荒く、まくし立てる。
「教えろ、その女ってのは! どこにいるんだっ!?」
いきなり立ち上がって怒鳴り散らす省吾に、他の客たちの視線が集中した。酔客の喧嘩かと思ったのか、店主が身構えている。
喧騒が、沈黙に。沈黙が緊迫に、変わった。刃のように――あるいは獣の爪のように研ぎ澄まされた、シンと張り詰めた気が漂う。
まさに、一髪触発。
「……落ち着けってば。ホントにお前は、血の気が多い」
だが金は、平静とした面持ちで逆に省吾の手首を取る。そして思い切り、握った。
骨が軋む。金のがさついた指が、省吾の手に食い込んだ。まるで万力か何かに挟まれているような力だ。苦痛に、顔を歪めた。
「若いってのはいいね。有り余る活力、旺盛な精力。ただ、使い方を間違えちゃいけねえ。どでかい花火は、時に自分を巻き込むこともある」
「うるせえ……とっとと教えやがれ」
本当なら、手が潰れそうなほどの圧迫から早く逃れたい。金の手を振り切ってしまいたいのだが。
こんな男に、弱みを見せたと思われたくない。痛みを必死で噛み殺した。
「ま、とりあえず話を訊け」
金が手を離したことで、痛みから唐突に開放された。
「ギブ・アンド・テイクってのはご存知かな?」
「ああ? それがどうしたよ」
手首を押さえながら省吾が返した。掴まれたところが痣になっている。
「教えてもいいが、1つ条件を飲んでもらわにゃ割りにあわん……今夜、付き合え」
省吾の表情が、急速に変わった。不快感を表に出す。
「断る」
「そっちじゃねえよ」
金がけたけた笑いながら、省吾の肩を叩いた。「俺は正常だ」
「ならなんだよ、その“付き合う”ってのは」
「お前、《南辺》を出た事は?」
質問を質問で返してきた。ますます不信感を募らせつつも、省吾は答えた。
「ない、けど」
「なら話は早い」
そういって笑う金は、二瓶目の酒を注文した後だった。
「今夜、はっきりするさ。あんたの探している女にも、もしかすると会えるかもしれねえ」
笑いながらこう付け加えた。「西の方でな」
「西って……?」
まだ痛む手首を押さえながら、省吾は残りの酒を飲み下した。
「この成海って街は、意外と広いんだ。この《南辺》界隈だけでも、1つの“都市”の様相を呈している。もっとも、「都」というほど上等じゃあないがな」
ふと、雪久との会話を思いだしていた。
あの100人戦、そして“クライシス・ジョー”との攻防の後に聞かされた成海市の仕組み。
「東西南北に分けられたこの街に、それぞれ“長”とも言える組織がいる。《南辺》はお前たち、いや『OROCHI』が潰した『BLUE PANTHER』だった。今はその『OROCHI』がその座に収まりつつあろうとしている」
はっきり断定しなかったのは、おそらく金の目から見ても『OROCHI』という集団にはまだその器はない、と映っているのだろう。
「で、西、つまり《西辺》にいるってのが……」
「『黄龍』……だっけか」
記憶の中に引っかかっていた、単語を口にした。
「ほう、良く知っているな。そう、その『黄龍』だ。2年前、流れ着いた連中でな。行政区が敷かれるより前にこの街に巣食っていた組織を、ことごとく潰して回った」
「2年前か……」
ちょうど雪久達が暴れていたという時期と重なる。
「『黄龍』はその後、勢力を伸ばして《西辺》を治めてしまった。いまや東の『マフィア』に匹敵するといわれ、『黄龍』の頭は今、『皇帝』に最も近いと目されている」
杯で飲むのが面倒になったのか、金は瓶に直接口をつけ喇叭飲みに飲んでいる。いくら薄まっているとはいえ、酔わないのだろうか。
「ま、もし本当に『皇帝』なんてなったら、そうだな。『女帝』とでも言ったほうがいいかもしれん」
「え」
「ここからが本題だ、『疵面』」
酒臭い息を吐きかけ、金が顔を近づけた。聞かれてはいけない話でもしているように、声のトーンを落としている。
「『黄龍』の長は、女なんだよ。しかもアジア系の、な」
その瞬間だけ、店内の喧騒が消えた。
沈黙の間。それがいやに長く続く。息詰るような、静けさが耳に痛い。
グラスの氷が、崩れてからんと鳴った。
「……その女が、そうだっていうのか?」
「さあ。ただ、お前がいってた条件には合うぜ。20代後半で、武の心得があるということ。見たこともない拳法を、使うそうだ」
喧騒が、蘇った。同時に我に帰る。
「ありえないだろう。そいつは2年前に、台湾から来たというのに。先生が消えたのは3年前だ。それが」
「どうかな? いっぺん台湾に渡り、そこから成海に流れてきたのかもしれない」
「何で台湾なんかに行かなきゃならねえんだよ」
沸き上がるもの、興奮気味の感情を冷ますように酒を流し込んだ。これでもう3杯目、そろそろ酔ってきた。
「台湾は、以前は他の行政特区に比べるとまだ治安がよかったらしい。朝鮮からも、列島からも、大陸からも。国連の難民集めを逃れて台湾に渡る奴も少なくなかった。大方、お前の師はその中に混ざっていたのかもしれん」
ただ、その台湾も2年前から一気に治安が悪化したそうである。成海のマフィアに匹敵するような勢力が入境したせいだとのこと。
「それから逃れてきたのかも、しれない」
先生が、まさか……瞼の裏に、1人で“ウサギ狩り”の機械たちに向かう師の姿が浮かんだ。
「しかし、ジョーは確か『1年前』と……」
「ま、いろいろな不安定要素はあるかもしれんが」
金は立ち上がると、100ドル紙幣を卓の上に置いた。
「確かめるに越したことはないだろう。それだけ腕が立つなら、もしかするとあるかもしれん」
省吾が紙幣を出そうとするのを、金が制した。
「いい、俺が出してやる」
「それは、ならねえ」
強引に、自分の分を出した。「お前に出してもらう理由なんか、ない」
「まあいい」
紺色のパーカーを羽織りなおし、金は店を出た。省吾も後に続く。戸を開くと、冷たい風が省吾の顔に吹きつけた。
「冷えるな……」
この街にいると季節感など無くなる。夏は過ぎ、あれほど待ち遠しかった秋をなんの感慨も無く迎えてしまった。
四季はどれほど時が経とうとも、等しく巡ってくる。しかし、それを感じ取ることは出来ない。春の陽気や山野の色づく様を見ることなく、ただ気温の上下によってのみ季節を知る。
「俺は《西辺》に行く」
寒風に身を竦めながら、金がいった。
「『黄龍』が持っているハコに、野暮用があってな。そこへ行く。お前にも、付き合ってもらう。もし、運がよければ龍の頭にも会えるかも知れんぞ」
「確認、てことか」
まだ、半信半疑である。
「なに、お前の師匠は相当腕のたつ奴だったんだろう?」
「そう、だが……」
「なら、ギャングの頭の1つ、張っていてもおかしくない。そうだろう? 優秀な弟子を輩出するような人間だからな」
おだてているのか、本気でそう思っているのか……多分、前者だろう。
「今夜、零時」
金が告げた。
「『招寧路』で待つ」
金はわりとしっかりした足取りで、その場を去っていった。
「あんだけ飲んだのに……」
省吾も帰途についた。途中、酔いが回ってきて何度も外灯にぶつかりそうになったが。
第5ブロックを出るころ、金の携帯電話が鳴った。通話ボタンを押し、電話に出る。
『いよいよですぜ』
受話器の向こうから、切迫したような声が聞こえた。
「やはり、蛇も動くか」
『ええ、今夜西へ。あっしらも、それに合わせて動きます。それで、ボスは? こっちと合流するんですかい?』
「してもいいんだが、ちょいと面白いもの拾ってね。予定を変更して、合流はあっちでする」
鼻歌混じりに、弾む声でいう金にダオは少なからず混乱したようだ。電話の向こうで、ギョロ目をさらに見開いて首を傾げる姿が、目に浮かぶようだ。
『ボス、何を考えているんですかい。あまり勝手な行動は……』
「わーってる、だけどこいつは、意外とでかい拾い物かもしれん」
受話器に当てた唇が綻び、黄色い歯がこぼれた。
「もしかすると、大物が釣れるかもね……」
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