第八章:2
作戦本部室とはいっても、特別な部屋ではない。
10平方メートルの狭い部屋には長テーブルとパイプ椅子が備え付けられているのみ。簡素さを絵に描いたつくりだ。商用の、一般のオフィスと変わらない一室。そこがそのまま『OROCHI』の作戦会議室となっている。
その部屋に4人の男女が集ったのは、夜も深い午後11時のことだった。
「急に呼び出すなんて、何かあったのか?」
テーブルの右端に座る赤髪の少年は、自称「切り込み隊長」の燕である。細い目をさらに細めて、しきりに目をこすっている。
「寝不足か? 燕」
斜め向かいに座る彰が、燕の顔を覗き込みながら訊いた。
「ああ……例の一件以来、この街の連中まともに寝かしてくれないんだ。深夜にもかかわらずラブコールを送ってきてさ……はじめは石を、次にはナイフを。家の中に、投げ込んでくる」
薄く開いた瞼からのぞく両眼は、真っ赤に充血していた。淡い緑の瞳は涙で濡れている。
「ま、無理もねえさ」
雪久が口を開いた。だるそうに机に伏せる燕を見て、にやついている。
「『BLUE PANTHER』を倒した俺らのこと、この界隈で俺たちの顔を知らねえ田舎者はいねえさ。その分、狙ってくる奴も多い。俺なんか、しょっちゅう刺されそうになったぜ」
この間も、街中でいきなり刃物で襲われたという。もっとも、つつがなく迎撃しおまけに首の骨を折ってやった――雪久が自慢げに話すのに、燕は段々と不機嫌な顔つきになった。
「あのさ、俺寝てないんだよ。そんな無駄話するために集ったわけじゃないでしょうが」
「そうとも」
仰々しく手を広げて雪久がいった。
「この部屋に俺らが、『OROCHI』幹部が一堂に会する。それがどれだけの意味を持つか――分からないわけではないだろう」
雪久は集まった面々を見渡した。右隣に控えるのは九路彰、正面には燕が、それぞれいる。 そして、雪久の左には
「ユジン。どした?」
この『OROCHI』では、雪久の次座についている少女――朴留陣が座っていた。
ユジンは先ほどから下を向き、黙りこくっている。目を伏せ、生気が抜けたような瞳で、じっと己の手元を見つめていた。
長い睫毛が、瞬きにあわせて時折揺れる。それ以外は静止画のように動かない。
「おい」
雪久が呼ぶのにも、応えない。もう一度、呼ぶ。
「え? な、なに雪久」
ようやく、呼ばれていることに気がつき、ユジンは我に返った。
「何、じゃねえよ。お前、ぼけーっとしてんじゃねえよ」
こんなときに。そういった雪久の口調は、ユジンを責めるかのようである。
「あ、うん。ごめん……」
ユジンは申し訳なさそうに、うわずった声で応じた。
様子がいつもと違う。平素の彼女はもっと余裕を持っている。なのに、上のの空になるなんて。
らしくない。
「どしたの? 顔色がすぐれないみたいだけど……」
彰が訊いた。
うつむき加減のユジンの表情に翳りが見える。彰がユジンの顔を覗き込むのに、ユジンは慌て顔を上げて繕った笑みを浮かべた。
「大丈夫よ、彰。私はなんともない」
「そうか、なんか元気がないような――」
「放っとけ、彰」
しびれを切らした雪久が苛立ちを露に遮った。
「本人が大丈夫っていってるんだ、それ以上突っ込むことはない。そんなことよりも……」
目を伏せているユジンと、無表情の彰。そして未だに夢から覚めきらぬよいな燕を順繰りに眺めていった。
「本題だ」
「先日、彰と舞が何者かに襲われた」
「舞、ってあの……『牙』の妹か」
雪久がいうと、燕が口を差し挟んだ。
『牙』とは元『突撃隊』隊長、宮元梁の渾名である。『BLUE PANTHER』との一件後、妹の宮元舞を雪久と彰に託し、消息を断った。宮元舞は現在、『OROCHI』の保護下にある。
「そう、その舞ね。襲ってきた連中は、まあたまたま居合わせたキズヤローが撃退――」
「たまたまじゃないよ」
雪久の言葉を、彰が訂正した。
「俺たちは、省吾と行動を伴にしていたんだ。その辺で鉢合わせたんじゃあない」
「え、省吾? いたんだ」
雪久と全く同じ感想を、燕が洩らした。『BLUE PANTHER』のNo.2、“クライシス・ジョー”を下し、雪久とともに『鉄腕』ビリー・R・レインを倒したその男ことを、知らないものはチーム内には存在しない。
「ああ、あいつと刀を」
「どうでもいい、そんなこと」
今度は雪久が、彰の言葉を遮った。
「そんなことは、大筋とは関係ない。“誰に”襲われたのかが問題なんだよ」
「はあ? 誰っていっても、最近じゃだれかれ構わず俺らの首を狙ってくるじゃあないか」
燕が面倒くさそうにいった。今すぐにでも帰りたい、といった様子である。
「『OROCHI』潰して名を上げよう、とか不毛なこと考えている脳足りん共。大方、その辺だろう?」
「そう、ことは単純じゃあないんだよ」
いつも口元に笑みを絶やさない彰が、今日は能面を被っているような無表情である。抑揚のない、事務的な口調。マニュアルを読みあげる機械のような無機質さ。
「襲ってきた連中は一様に黄色いものを身につけていた。その意味が分かるか」
「黄色……」
はたと燕の動きが止まった。視線を泳がせ思考を巡らせ、やがて
「まさか、『黄龍』?」
1つの解を導き出す。
「そういうことになる」
雪久は、薄ら笑いを張り付けた顔をしていった。ただし、目は笑っていない。
「南じゃ黄色い服着てはしゃぐ馬鹿ギャングはいねえ。となると、《西辺》の……」
「待て待て待て」
掌を突き出し、制止のポーズで燕が口を挟んだ。
「そんなこといっても、確証はあるのかよ。ガキ共がいきがって、ラッパーの真似しているだけじゃないのか?」
「銃を持った白人、だったんだ」
彰が割り込み、雪久の代わりに答えた。
「いくらなんでも、火遊びにしちゃ装備が整いすぎている。あんな銃は、バックにそれなりの組織がついてないと手に入らない」
確かに。そういわれると、もはや疑問を差し挟む余地はない。
「そういうことだ。そこで、俺は決めた――」
もったいをつけるかのように黙り、見下ろす視線を浴びせる。ユジンと燕は緊張とも不安ともつかない表情で、雪久の顔を凝視している。彰だけは無表情を崩すことなく、じっと空を見つめている。
まるで死刑判決でも待っているような、重苦しい沈黙が流れる。
やがて、口を開いた。 「これから“西”へ、乗り込む」
「は?」
燕は雪久のいったことが、一回では理解できなかったようだ。
「……なあ、俺の聞き間違いかな。“西”がどうとか聞こえたんだが」
目をこすっていた手が、招き猫のような間抜けな格好で空中で固まり、殆ど閉じていた目が見開かれた。エメラルドグリーンの瞳の中には、ふてぶてしく笑う雪久の顔が映りこんでいる。
「目が覚めたか、燕」
「おかげさまで。どっかの馬鹿が、春でもないのに阿呆なこといってくれたもんだからね。冗談としては最低最悪の部類だよ」
「冗談なんかじゃねえさ」
ばん、と机を叩き今度は高らかに宣言した。
「うちの奴がやられて、黙ってられるか。奴らがその気なら俺たち『OROCHI』も《西辺》に乗り込み、『黄龍』と構える」
ユジンが息を飲んだ。燕の目が、ますます見開かれる。彰は無表情のまま、腕を組んでいる。
雪久以外の三者三様、それぞれ硬直したような姿勢をとった。一時の空白が、場を支配した。
「ちょ……」
やがて燕の手が、思い出したように動いた。
「ちょっと待て、それじゃあ戦争するってのか? 西の龍を相手に?」
「だからそういってんだろ」
「馬鹿げている!」
燕は椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がった。 「ありえない、『黄龍』相手に戦争を仕掛けるだって? 何を考えているんだそんな!」
「なんだ、燕? 怖いのか?」
「当たり前だろう!」
悲鳴のような声で怒鳴り、燕は雪久に詰め寄った。机に手を突き、雪久を見下ろすような格好になる。
「だってあの『黄龍』だよ? そんなの相手にして、死ににいくようなもんだろうが!」
鼻面つき合わせて怒鳴る燕に、慄くことも狼狽することも無く。雪久はただ平坦な薄笑いを浮かべている。それどころか、激昂する燕を、軽蔑するように鼻先で笑い飛ばした。
「はっ、あんな年増女の組織、青豹に毛が生えたようなもんだろう」
「なめるなよ、雪久」
今度は声のトーンを落として、燕は凄むように唸った。
「俺もユジンも、この街は短いがな……奴らのことはさすがに知っている。2年前、あいつらが成海が出来る前から巣食っていたギャング共を蹴散らし西の長に収まったこと。東の『マフィア』がもっとも敵対視しているってことを。青豹とは、わけが違う」
「よく知っているじゃん」
ひゅうっと口笛を吹く、それが燕の神経を逆撫でした。
「ひ、人が真面目にいってんのをお前はっ……」
「まあ、落ち着けよ」
揉め事を諌めるのは、いつも彰の役である。二人の間に割って入った。
「乗り込むといってもいきなり仕掛けるわけじゃあない。とりあえず『黄龍』の上の奴らと話をつけにいくってことになった」
「いや、でもな……これは危険が大きいすぎる」
いくらか落ち着いたのか、燕は適当な椅子を引っ張ってくるとその上に腰掛けた。
「考えてもみろ。『黄龍』の末端の組員が彰たちを襲ったとして、それに関して上の奴らがいちいち面倒をみるか? 『黄龍』の黒服どもの、何らかの意図があったとしてもだ。襲撃に失敗したとあれば下の奴らを切り捨てて終わりだろう。彰を襲った事実はもみ消され、俺たちが『黄龍』に牙を剥いた事実だけが残る」
「こっちだって、幹部がやられたんだぜ?」
「やられたといっても、命に別状あるわけじゃないだろう。龍が何を考えているか分からんが、今動くのは危険だ」
さらにこう付け加えた。
「大体、あの娘はうちの組員でも何でもないだろう。なのに、何でそんな」
いいながら燕は、横目でユジンの方を伺った。下を向くユジンのの顔は、見て取ることが出来ない。長い、真っ直ぐな髪が影をつくり、その表情を覆い隠している。ただ膝の上に置かれた手を、固く握り締めているのが見て取れた。
「とにかく、俺は反対だ」
「そうかい……まあ、それならそれで構わない」
雪久が睥睨する。うつむいたままのユジンと腕を組んだままの彰を見渡していった。
「幹部は4人。うち、いつもどおり彰は棄権して残りは3人だ。賛成1の、反対1」
幹部は偶数人のため、決議はいつも彰を抜いた数で行う。彰には、チームの決定権が与えられていないがそれを希望したのは彰自身だった。
「あともう1人――ユジン、お前の票で全てが決まる。是か、否か。聞かせて貰おう」
3人の視線が、一斉にユジンの方に注がれた。
「どうだ?」
雪久が聞くのにも、返事はない。唇を噛みしめて、顔をこわばらせている。巣穴でうずくまり、天敵が過ぎ去るのを待つ小動物のように――身を固くして、黙している。
何度目かの沈黙は、長いものとなった。重苦しい空気の中、皆が1人の少女の答えを待った。
その目は期待であったり、疑念であったり。あるいは……苛立ち。各人の、さまざまな思惑が交錯する。
「私は……」
何かをいいかけ、しかしまた口をつぐんでしまう。唇がひとつ言葉を紡ごうにも、ためらいが口を閉ざしてしまう。
「ユジン、そう深く考える必要はないよ」
彰が助け舟をだした。
「思う通りに、すればいい。まあ誰かの勝手な――」
「おい」
「……失礼、急な言動に迷う気持ちも分からないでもないけど」
雪久がじろりと彰を睨んだ。彰は悪びれた様子もなく、手を払うように振って視線をかわす。
「いいから、自分の思うようにいってみろ」
ユジンは小さく頷き、口を開いた。
ためらいがちな震える声で、自分の意を伝えたのだ。
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