第八章:1
第八章スタートです。
旧中華人民軍、物資輸送用地下経路。
かつて欧米各国との戦争で使われた、民間とは別に造られた軍事用の地下鉄である。現在の成海市は戦中、軍事の拠点であった。その軍事用施設が、今も残されている。
成海の地下に、蜘蛛の巣のように張り巡らされた輸送経路。その上に点在する、補給中継基地の1つが、『OROCHI』の根城である。
「今思えば、青豹共が1つの治安をつくっていたんだよな」
地下20メートル地点にある基地、でぼやくのは『OROCHI』の頭、和馬雪久である。ひと月前には短く揃えられていた銀色の髪、今は耳を隠すほどの長さまで伸びている。
「『BLUE PANTHER』が元締めとなって、薬をさばいていた。その結果、変な売人共がうろつくことはなかったんだが……最近この界隈でヤクの売人どもがうろつきはじめてな。うちの連中とも、いざこざが絶えない」
面倒なことだと洩らした。『BLUE PANTER』が《南辺》を押さえつけられたのは、圧倒的な力と資金あってのもの。このチームには、その両方ともが圧倒的に不足している。
支配するに足りない、故に不逞の輩を排除することが出来ない――《南辺》の治安は以前よりも悪化していた。
「で、舞の容態は」
「問題ないよ。今は孫が看ていてくれてる」
連れ立って歩くのは彰である。軍靴をコンクリートに反響させながら、雪久より半歩退いた距離で受け答えをしている。
「省吾が応急処置をしてくれたからね、大したことはない」
「なに、アイツいたの?」
彰が省吾の名を出すと、雪久は露骨に嫌な顔をした。
「そもそも、あいつの刀を求めるために出かけたんだから」
「刀、刀ねえ……俺には必要のないものだな」
「銃も必要ないからね、お前は」
彰が控えめに笑った。「その身が1つの武器みたいなものだし」
コンクリート剥き出しの長い廊下は、寒々とした薄暗闇がおりている。灯りは、天井に5メートル間隔で並べられた裸電球のみ。足元に光が及ばない。
「お前って、本当にアイツのこと好きだよな……ソッチの趣味でもあるのか?」
「心外だな」
穏やかな目に、波が立った。ようにも見えた。
「俺は、ホモセクシャルじゃあないんだけど」
彰の声に、わずかに怒気が滲んだ。
「でもお前って女っぽいし、ゲイじゃなくてもバイ……なんとかってやつなんかと」
「お前にいわれたくはない」
ちらりと雪久の体つきを見ながらいった。
端正な顔つきとはいえ彰の体は成人男性のそれである。手足は細いが、身長は175センチと高い。声も、若干高いとはいえ少し聞けば男性のものと分かる。
一方の雪久は、身長は165センチ、体重は45キロしかない。甲高い声は少年か、あるいは女性のようなソプラノで、一見しただけでは男であるのか女であるのかも分からない。
「貧相だよな、随分」
「うるさい、カマ野郎」
軽い悪態も、長年の付き合いがあってこそ。これが他の者であったら、例え冗談でも冗談で済まされぬ目に遭わされるだろう。
「で、なんでそんなに省吾にご執心なんだ? ユジンといい、お前といい」
「ご執心というかね、戦力は多いに越したことはないだろう? チームの総合力を上げる意味でも」
「別に、いらねえよ」
ふくれっ面で雪久が応じた。その様子も、まるで子供のようである。
「あんな奴、いらん。このチームは、俺と俺の“眼”がありゃやっていける。そうだろ? いまさら刀使いなんぞ」
「そういう考えは、嫌いじゃないけど……」
何かを、言おうとしたが喉からでかかった言葉を飲みこんだ。
「やっぱいいや」
「何だよ、気になるな」
そんなやりとりをしながら歩いて、やがて2人は1つの部屋にたどり着いた。
簡素な木の扉に閉ざされたその部屋は、かつては兵士達の遊戯室のようなところだったようである。雪久達がこの補給基地を使いだしたときは、埃を被ったビリヤード台が備え付けられていた。
その台も運び出され、今は――
「さて、っと。どんな感じかな」
雪久が扉を開ける。
途端、生ぬるい空気が血の臭いを運んだ。
省吾を襲った男の一人――レザージャケットの男が天井から逆さに吊るされている。上半身を裸に剥かれ、放心状態になってぶら下がっていた。薄く開いた唇からうめき声が聞こえた。
男の下に、赤い溜まりがあった。傍らには、血に濡れた大型のナイフがある。
素肌には、無数の傷跡。皮膚を抉られた、生々しい傷を晒していた。
背中、肩、そして二の腕から伝う、赤い線。
四方に飛び散った血液は、すでに乾いて黒く固まっている。
足元に転がるナイフと見比べながら、彰は盛大な溜息をついた。
「あのさ、雪久……」
呆れたように、半ば諦めも滲ませつついう。
「これはさ、“尋問”なわけ。殺しちゃったら、吐かせるものも吐かせられないでしょうが……」
「死んじゃいねえよ、皮を削いだくらいじゃ人はなかなか死なない」
喉を鳴らすような笑い声を上げ、ナイフを拾いあげた。「インディアンは頭の皮剥いだんだぜ?」
刃を、下腹の肌に当て下に引く。ナイフの切っ先は下腹部に沈み、また新たな傷痕を刻みつける。斬れた皮膚がめくれ上がり、黄色い脂肪が見えた。
生臭い匂いに、彰は顔をしかめた。
「だからって、これじゃあ口を割る前に逝っちゃうよ」
男は意識を失っているようだった。白目を剥き、泡を吹いている。相当の痛みと恐怖を伴ったのだろうか、失禁していた。小便が股間から、重力に従って男の皮膚を這い、筋を作る。それが頭の先まで伸び、血溜まりのなかに垂れ落ちていた。
そう、この部屋は今も遊戯室である。ただし、雪久のための拷問部屋、雪久だけの遊戯室だ。捕虜や裏切り者といったものは、ここに連れてこられてありとあらゆる責め苦を与えられる。
壁には拷問用の道具が、ずらりと並んでいた。『鉄腕』の血を吸った鉄の杭もある。全て、雪久が揃えた。
「口を割る、までもねえだろう。お前を襲った奴、なんとなく当たりはついている」
右掌を開閉して、関節を鳴らした。手を痛めないよう、五指を丁寧に折り畳み拳をつくる。そのままボクシングのようなファイティングポーズをとった。
「お前だって、もう分かっているだろう?」
男をサンドバックに見立て、右ストレートを腹に見舞った。腹に刺さる拳骨、唾をまき散らして男の体が跳ね上がった。痛みが脳を駆け、混濁状態だった男の意識が引き戻される。
「お目覚めかい?」
雪久が顔を近づけ、不敵な笑みを浮かべた。男の顔が、みるみるうちに恐怖で引きつっていった。
「だが、信じられない」
彰がいうのに、雪久が背を向けたまま応じた。
「何が」
「だって、ありえないだろう? うちは別に龍の逆鱗に触れるようなことしたわけでもないのに。理由も無しに奴らがわざわざ“西”から出張ってくるなんて思えない」
「理由ならあるじゃねえか。俺たちがうっとおしくなってきたから排除しに来たんだ。そうだろう?」
ナイフを、男の耳に当て刃を引き
削ぎ落とした。
醜い悲鳴が、狭い部屋にこだました。乾き始めた血溜まりに、新たな血の雫が滴り落ちる。
「でも龍が、“あの人”がそんなことするとは思えない。だって、あの人は……」
「誰だろうと関係ない」
もう一方の耳も削ぎ落す。
「奴らは舞に、俺の女に手を出した。その事実が問題なんだよ、彰」
ナイフを逆手に持ち、男の腹に突きたてる。そのまま縦に腹を裂いた。どす黒い血が溢れ、中から腸が飛び出した。血が滝となって、地面を叩く。血が霧となって飛び散り、彰の頬にかかる。悪臭が鼻をつく。目の前の光景とたち込める腐臭に、彰は顔をしかめた。
男の悲鳴が、ピークに達した。狂ったように叫び、身をよじって全身で痛みを表している。
「うるさい」
雪久一喝、ナイフを男の喉に突きたてた。一瞬だけ、悲鳴が大きくなり次には永遠に途絶えた。
「皆を集めろ」
返り血に汚れた顔を拭い、雪久は部屋を出た。使用済みのナイフを、興味が失せた玩具のように投げ捨てた。
「集める? 何をするんだ」
困惑している彰を、雪久が見た。
冷めた目。戦いに赴く時は馬鹿みたいに輝くというのに――彰は身震いした。今まで見たこともない、絶対零度の凍えた瞳は切り裂くような気を纏う。精巧な人形のような顔が、異様な迫力を醸し出している。
「何を、するんだ」
同じ言葉を、今度はゆっくりと、言葉を選ぶように発した。冷えた目線に射抜かれる。彰の喉仏が勝手に上下した。
息が、つまる。背中が粟立つ。
そのまま奇妙な沈黙が流れる。雪久が、ようやく口を開いた。
「今後のことを話し合う。幹部全員集めろ」
短くいうと、視線を逸らした。内心、彰は胸を撫で下ろした。もう少し長く、あの目で睨まれていたら窒息していたかもしれない。
「例の部屋で待ってるからな、早いとこ集めろ」
雪久はそれだけいうと、部屋を後にした。
「まったく……」
部屋の中央で揺れている、血まみれの死体。彰は嘆息しつつ呟いた。
「誰が片付けると思ってんだよ」
次回更新は4月22日(火)です。