第七章:13
男はグロック拳銃を両手持ちに構え、照準をぴたりと一点につけている。人差し指に神経を集中、動きがあればすぐにでも撃てる。
オーストリア製グロックシリーズは、世界中の警察や軍にも配備されている秀銃だ。その最新モデル“Glock58-C”は、精密射撃にも対応するコンシールド・キャリーガンである。
『懐に収まる狙撃銃』というキャッチコピーのこの銃は、なるほど確かに優れた性能を発揮する。
対して、相手の武器は刀。直ぐにでも決着はつくと思われた。
しかし、敵もさるもの。最初の一撃を避け、うまく身を隠した。この辺は廃棄された家屋が立ち並び、ちょっとした迷路のようになっている。相手にとっても不利だが、こちらとしてもうかつに近づくわけにはいかない。何せ相手は『疵面の剣客』だ。物影から接近戦を挑まれたら、敵わない。
慎重に、歩を詰める。地面を革靴が擦る。
建物の隙間から差し込む、細い一条の光。サングラスに白く反射した。
日差しが、地を舐める。地の底から沸き上がる熱気に当てられ、男の顎から汗が滴り落ちた。
水滴が、地面に落ちて染みをつくる。ねっとりとした汗の不快感をそのままに、男はさらに歩み寄った。
あと10メートル。
「精が出るねぇ」
背後で抜けた声がした。予期せぬ第三者の気配に、ばっと振り返った。
声の主は、壁に寄りかかっていた。紺色のパーカーを着込んだ、大柄な東洋人だ。無精髭だの、長髪の男――金がそこにいた。
「随分といい銃だな。それ、どこで買ったんだ? 今度売っているとこ教えて……」
言い終わらぬうちに、銃声が3連続で轟いた。
金が跳躍、3発の銃弾が全て土壁を穿つ。薬莢が乾いた音を立てて、地面を転がった。
硝煙の向こうに、消えた人影。
「話は最後まで聞くものだぜ」直上から、声がした。
金の姿は宙にあった。身二つ分ほど上空を、泳いでいる。陽光に映える、黒い影。
「ぬあ!?」
跳躍する金を見上げ、男は呆けた声を発した。
天高く駆ける影は、躍動する駿馬のごとく。鮮やかに舞う姿は、蝶のよう。その図体からは想像もつかない、軽やかさだ。
人は、未知のもの、予期せね事態に対しては鈍重になる。
見知らぬものに対する恐怖心。それが勝ると本能的に身を硬くしてしまう。
満ち足りた『実』の心構えから、『虚』の構えに。
まさに今、男は予想しえなかった攻勢に狼狽し、動きを止めてしまった。心が虚に、支配された。
空中で身を捻る。瞬速の回し蹴りが、放たれた。加速した爪先が男の顔に突き刺さり、上等のサングラスが割れて額に刺さる。
もう一度。着地することなく、脚が風車のように回転し再び蹴りを見舞った。今度は左で、側頭部を打った。
「……Shit!」
金の着地を確認、ようやく撃った。金はというと壁に足を掛け、二度目の跳躍に移行。垂直の壁を、一瞬だけ
“走った”
ように見えた。
掛け声と共に宙返り。踵を高く、振り上げた。
「はっ!」
脚が鉄槌となり、世界を真二つに割る。空中踵落としが男の肩を砕いた。
男がよろめいたのをみて、金が合図した。視線を走らせ、次の一手を呼び寄せる。
――今!
「いゃあああああああああ!!」
絹を裂くような、悲鳴のような気合を腹から搾り出し、省吾が飛び出した。刀を左腰につけ、身を低く抜刀姿勢をつくっている。
男が振り返る、とともに銃を向けた。省吾は真っ向から、銃口に対した。
鞘が走る。
「せいっ!」
風を断ち切る、高速の居合い抜き。ほとばしる白銀が、空気を燃やした。
抜刀。
切っ先が男の手首を斬り払った。切断面から、1拍おいて血が噴き出る。温い雫が省吾の頬を叩く。
諸手に握りなおし、刃を返して足首に斬りつける。
紫電一閃、足を薙ぎ払う。残光が放物線を描き、血飛沫が飛び散った。
支えを失った男はゆるりと地に落ち、苦悶の悲鳴を上げた。腕と足を押さえながら、今更襲ってきた痛覚に身悶えする。
勝負は、決した。
まだ収まりきらない鼓動をそのままに、刀を見た。
――斬れる。
バターナイフか何かのように、まるでケーキを切り分けるかのように抵抗無く斬れた。こんなことははじめてである。
刀を翳す。切った箇所は、骨を断ったにも関わらず刃こぼれはない。玉鋼は血をはじき、燦然と輝いている。通常、血糊が付着するとそれだけ切れ味も劣るのだが、この刀は斬ればますます刃が冴え渡る。
「ふぅ、なかなかきわどかったな」
金が横から近づいて口を開いたことで、一気に現実に引き戻された。一仕事終えた人足みたいな伸びをしながら、欠伸混じりの緊張感のない声で話しかける。
「あと一歩、こいつの反応が早ければお前の頭はぶっ飛んでただろうぜ」
「うるさい」
男の喉に、ぴたりと剣先をつける。首の皮膚を撫でると、薄く血が滲んだ。
「そいつはどうするんだい? 放っておけば出血多量、慈悲をかけて一思いに殺ってやるか?」
「それでもいいんだが、ここはあいつらに引き渡した方がいいだろうな」
そこまで言うと、金はそうかといって踵を返した。
「なら、俺もここで」
立ち去ろうと、するが。
「待てよ」
歩みを止めたのは、省吾の刃だった。
「後ろから、なんてひどいじゃねえか?」
「フェアプレーは、性にあわねえんでな」
金の耳の下に、剣先を重ね置いた。金の意識の隙間を縫い、一寸の狂いの無い精緻な剣捌きで剣をつける。
刃のすぐ下に、頚動脈がある。
筋のひとつでも動かせば、呼吸が少しでも変化すれば。あるいは鼓動が早まれば。
すぐにでも斬るという、無言の警告。
「何故俺を」
「助けたか、ってか?」
「違う、何故俺のことを知っていた? さっき報告がどうとかいっていたよな」
ひとつひとつ、言葉を選ぶように訊く。
「貴様、何を考えている? 俺のことを調べるために、加勢したのか?」
「……まあ、その辺にしようじゃないか」
刀をつけられても、金は動揺している様子はない。余裕さえ感じられる含み笑いを、浮かべた。
「ここで、俺のことをいっても仕様がないんじゃねえか? お前は、あのお嬢ちゃんの所に行ってやらにゃならんだろう?」
何気なく投げかけられた言葉が、省吾の胸の内に波紋を広げた。
「なんでそれを……」
「省吾!」
背後から、彰の声がした。そちらの方に、省吾が気を取られた隙をついた。
金が刃の拘束を抜け、間合いの外に逃げた。一瞬の間で、省吾の呼吸を盗んだ。
「てめっ」
追う省吾に、金が静止するように手を差し出した。
「今日はこれまでだ。縁があったらまた会おう」
言葉には拒絶を込めているものの、その表情はどこか楽しげである。遊園地の新しいアトラクションを見つけた子供のような、興奮隠せぬ笑顔。
何がそんなに、面白いのか。
「会うだと?」
「ああ、会えるさ。その時までお楽しみは取っておこうぜ、『疵面』」
彰が駆け寄ってくる。金はその姿を確認すると、素早く影に消えた。
「省吾、無事か!?」
「……なんとかな」
金が消えた方を注視しながら、上の空で返した。
「また、助けられたなあ省吾?」
何も知らぬ彰が、意地の悪い笑みを浮かべていった。省吾は精一杯不機嫌な顔で睨みつけた。
「助けられてなど、いない。あんな野郎になど!」
「野郎……って?」
顔に疑問符を張り付ける彰を見ると、どうやら金の姿は見ていないようだ。
「俺がいいたいのは舞のことなんだけど。さっきのこと」
助けられてなどいない。省吾はもう一度いうと、懐紙で刀を拭った。少しでも血が残ったまま納めると、錆の原因になるとともに、血が固まって刀が抜けなくなってしまう。
「でも、あれは誰がどう見ても舞の手柄だよ。省吾、全く気づいていなかったしね」
おまけに、といって省吾の刀を指し示した。
「その刀が無ければ、俺たちとっくにこの街の新たなオブジェにされていたよ。成海市名物、路上うち捨て屍体にさ」
「……そうかよ」
納刀。鍔と鞘が、かちりと噛みあった。
「助けなど、いるものか……」
舞の顔が、脳裏に浮かんだ。
「助けなど」
危険を顧みずに、自らが傷つくことになっても省吾を銃撃から庇ったとは。
(何故)
危険を、顧みずに。戦う術など知らぬ、少女が。
胸がざわつくようだった。漣のように揺れる、違和感。あまり感じたことのない、けれど決して知らぬ感覚ではない。
かすかに覚えた疼きは、痛みか。胸のうちに棘が引っかかっているような、妙な感覚だ。
(あの娘は)
頭を振って、幻影を振り払った。
すべてはまやかし。他人の行動に振り回されるなんて、らしくない。俺は俺、それだけを考えれば、良い。
「それで、物は相談だけど」
彰が馴れ馴れしく、省吾の肩に手を置いた。
「舞の気概に答える意味で、刀を受け取っちゃくれないかな? 舞だって、お前に受け取ってもらいたくて」
「止めろ」
口を突いたのは、はっきりとした拒絶。手を振り払い、刀を彰に押し付けると共に違和感を跳ね除けた。
「止めろ、そういうの。迷惑だって、いっただろう」
「い、いやあ……でもねえ」
「要らないといっているだろうが!」
彰を一喝すると、省吾は背を向けて立ち去った。聞こえるか聞こえぬかのわからない声で呟いた。
「乱すな、俺を」
「あーいっちゃったよ」
省吾の背中を見送りながら、彰が大げさに肩をすくめた。完全に見えなくなるまで眺めてから
「さて、と。君らの待遇だけど」
しゃがみ込み、未だ傷を抑えてのた打ち回る男の顔を覗いていった。
「感謝しな。お仲間ともども、蛇の巣穴に招待してあげよう。リーダー直々のおもてなし――あのとき斬られていればよかったって思うほど、豪華絢爛な茶会にね」
薄く、笑みを浮かべた。
第七章:完
次回、第八章は4月19日よりスタートです。