第七章:12
ナイフの刃を鏡にして、遮蔽物から様子を伺う。
男たちは銃を向けたまま、動かない。屋内に踏み込もうとは、思っていないようだ。
(さっきの店主じゃねえが……)
慎重である。じりじりと歩を詰めつつ、こちらが出てくるのを待っているようだ。
おそらく、彼らは自分たちが殺ろうとする男のことを知っている。下手に踏み込むと斬り伏せられると思っているのだろう。狭い室内でなら、ナイフや刀のほうが有利になることがある。
『疵面の剣客』に、接近戦は挑めない――。
それが、彼らの共通認識なのだろう。
(俺のことが奴らに知られているのか?)
そういえば。さっき、彰たちよりも省吾を狙っていたような気がした。わざわざ省吾のことを調べてきたのだろうか。
(だが、いずれにしろこのままでは)
身動き出来ぬまま、いつかはやられるだろう。先ほどの省吾のように。
この廃屋は、『九宮』である。そして舞や彰は城に縛りつけられ、動けぬ帥だ。狙い撃つ砲門や戦車に、いつ討たれるか分からない。
「俺が馬になるしかない、ってか」
脆く、劣化した壁がボロボロと崩れた。一人が音に気が付き、後ろを振り向いた。
見つかる――。
だが男はそれ以上気にかけることなく、向き直った。安堵に胸を撫で下ろす。崩れた壁を見て、あることを思いついた。
「ちょっと、変則だが……」
うまくやれば、今の状況を打破できる。
崩れた壁の破片を拾いあげた。煉瓦の欠片は、大分脆くなっているが役目を果すには十分だ。
男たちに見えぬよう身を隠しながら、空中に、石を放り投げた
石は放物線を描き、向かいのビルの非常階段に当たった。鉄が仰々しい音を立て、男たちが音の方に振り返った。
隙が、出来た。
影が飛んだ。
まず1人。後ろから襲いかかり、後頭部に打撃を加える。抜刀することなく鞘ごと打つ。
もう1人。体を翻し、柄尻で突き。急所のみを、狙う。
崩れ落ちるその先を、すでに見据えていた。
――次はどいつだ。
鞘を短く持つ。SMGを構える黒人男を、見据えた。
男が、引き金に指を掛ける。それより先に、省吾は間合いに踏み込んだ。
そこから先は、剣の間合い。逆手に持ち、右腰にためた鞘を掬い上げる。相手が「撃とう」と念じるよりも前に、素早く顎をカチ上げた。鞘尻が歯を砕き、骨の折れる感触が手の内に伝わった。
あと1人。
「Son of a bitch!」
最後の1人が、銃を構えた。
ナイフを左手で持ち、打剣。手の内で瞬光閃き、刃が空を裂いた。
煌く白刃は、飛鳥のごとく。
ナイフが男の手首に突き刺さり、銃を落した。
刀を左手に持ち替え、腰を落として突きこむ。省吾が動くとそれにあわせて空気が動く。乾いた風が地を這うように舞い上がり、砂塵が炎のように昇った。
銃が、地に落ちる。
右足を踏み込み、打つ。鞘尻が水月にめり込んだ。
内蔵に直接響く、重い一撃。横隔膜を穿ち胃を圧迫する痛打が刺さった。鞘を離すと、男は吐瀉物を地面にぶちまけ、地面にひれ伏した。
「この刀は借り物でね」
鞘で首を押さえつけてから、男の耳元で広東語で囁いた。
「あまり、血で汚したくはないんだ。ただ、あまり煩いようだと」
刀を半ばまで抜き、刃を首根っこにつけた。男が息を飲むのが、聞こえた。
「ここで1793年の革命広場を再現してやろうか……このまま首を刎ね飛ばすのも悪くないだろう?」
「N,No……」
弱弱しく、男が呻いた。抵抗する気はもうないようで、それどころか助けてくれとばかりに、憐れみを乞う視線を送ってきた。
「……ふん」
馬鹿馬鹿しい。この連中は、殺す気はあっても殺されるときのことは考えてもいないだろう。覚悟が足りない、そんな者を殺っても仕様がない。
省吾は刀を納め、柄尻をの後頭部に打ちこみ気絶させた。
「これで全部か」
転がる男たちを見下ろし、嘆息した。
「また、関わっちまった。あいつらに……」
彰達に、戦果の報告と安全を告げんとビルに向かった。その背後から
「いやーすごいね、兄さん」
乾いた拍手と共に、間の抜けた声が聞こえた。
振り返る。
「まさか銃を撃つ暇も与えないとはねぇ。石で気を逸らし、その隙に接近戦に持ち込む、と」
「……何、あんた」
紺色のパーカーを羽織った男が、そこにいた。
「通りすがり、だ。見せてもらったよ」
アジア系の、年の頃30くらいだろうか。のんびりとした口調で話す男に、省吾は胡散臭い目を向けた。
伸び放題の長髪に、無精髭。垂れ下がった目と口の端が、けだるさを醸し出している。
何の気配も感じなかった――警戒が一気に膨れ上がる。
(こいつ……)
省吾は身構えた。左腰に刀をつけ、抜刀姿勢に入る。
「まあまあ、そういきりたつな。俺ぁ、別にあんたと構える気はないからよ」
「何モンだ、てめえ」
ポケットに手を突っ込み、リラックスした姿勢である。そんな中にも隙を感じることはない。瞬時に悟った。
――こいつは、俺たちと同じだ。
「だから、あんたと構える気はねえってば。頼むからその物騒なものしまってくれよ、『疵面の剣客』」
男がいった、最後の言葉に省吾は少なからず驚いた。
「なぜ、その名を……」
その渾名は、1ヶ月前に白人たちによってつけられたものだ。アジア人が、それを知っているとは思えない。
「あんただろう? この間『招寧路』で大暴れしたのは。あの辺は、俺の縄張りでねぇ。あすこにいりゃ、いやでも耳に入ってくるってものだ。まあもっとも、青豹を潰した刀使いとしても有名人だがな、あんたは」
「潰したのは」
ようやく、省吾は構えを解いた。
「俺じゃない。『OROCHI』だ」
「だからさ、その『OROCHI』の大型新人があんたなんだろ?」
「俺は『OROCHI』じゃない」
それは自分に向けての言葉でもあった。心の内にわだかまるものを払拭すべく、傾きかけた感情を正す意味で、強い口調で断定する。
「あれぇ? なんか報告と違うなぁ……いやでも確かに……」
男は今度は、独り言をいい始めた。顎に手を当てて、ぶつくさ呟いている。
「わけわかんねえ……」
もう用はない、とばかりに省吾は男に背を向けた。
「おおい、ちょっと待ってくれよ『疵面』の」
男が追いかけてくる。もううんざりだ。
「いい加減にしろ! 俺は今気が立ってんだ。今ならお前を斬ることなんぞ、野良犬を斬るより造作もねえ」
振り向き、刀に手を掛けながら目で威嚇した。
「いや、そうじゃなくてだな……そこにいると」
男はちらりと、隣の廃ビルを一瞥していった。
「危ないぞ」
そこに気配を感じ取れなければ――。
わずかな殺気の漏れを感知できなければ。
省吾は頭を打ち抜かれていた。
気づいてから動くまでわずか0.1秒。男が見た方向に、黒光りする銃身を確認した。
反射的に、体が動いた。その場に伏せる、その刹那頭上を弾丸が飛来した。
「!」
ナイフを抜き、打剣。撃たれた方向に放った。
またも銃声。
空中で、鉄琴を弾いたような涼しい音がした。続いて弾かれた、白刃。建物の隙間から差し込む、わずかな陽光に照らされて白い欠片がきらきら舞っている。
それが、ナイフの残骸であることを悟ったときには、省吾の足は勝手に走り出していた。逃げる省吾の足下に、着弾。土煙が上がった。
「なろっ」
身を低くし、近くの廃屋に飛び込む。銃弾が派手な音を立てて、いくつか突き刺さった。
「クソ、まだいやがったのか」
「だーからいっただろう? 危ないって」
いつのまにやら、隣に先ほどの男が身を潜めていた。
「なんだよ、貴様」
「っと、今は争っている場合じゃなかろう」
男が手で制する。
「外を見てみな。さっきの奴らとじゃ、比べ物にならん性能だぜ?」
いわれるままに、省吾は外の様子を伺った。
襲撃者は、黒いレザージャケットを着ていた。ブロンドの髪を短く揃え、サングラスを掛けている。
「なんだあの伊達男は。暗殺者気取りか」
「格好じゃない。銃だよ、奴の銃」
銃? もう一度見る。遠目からではよく分からないが、真四角のフォルムの銃身が見て取れた。
「……なんかよく分からんが、グロックぽいな」
「ただのグロックじゃあねえぞ。ありゃあ、最近出たばかりのモデルだ。まだ市場にも出回っていない超レア銃。集弾率は化け物級で、10メートル先の缶に全弾ぶち込めるってシロモノだ。なんでそんなブツが出回っているのかは、分からんがな」
それよりも、省吾には男がなぜそんなことを知っているのか気がかりだったが……
「とにかく、性能がいいってことはわかった」
ただし、それだけではないだろう。あの正確無比の射撃――省吾が打ったナイフを撃ち砕くほどの腕は並大抵のものではない。
厄介な相手と言える。名刀と腕の立つ剣士が出会った時、相乗効果で互いの威力が高まる。それと同じように、射撃の腕の立つ者と性能の良い銃が出会ったなら。
想像するに難くない。
「まあ、お前1人じゃちときつかろうが……」
ぽん、と男が省吾の肩を叩いた。
「しかし、奴の誤算はこの俺があんたにつくってことだ。さすがに、想像していなかっただろう」
「組め、っていうのか。あんたと、俺で」
「そうでもしないと、あんたの身が危ないんじゃないかね?」
銃弾が窓を突き破り、中に飛び込んできた。背後の壁に着弾、土壁が脆くも穿たれる。
「ほらほら。さっさとしないと、家に帰れねえぜ?」
男がいうのに、省吾は溜息をついた。
「しょうがねえ……」
渋々同意した。たしかに1人より2人の方が良い。
「ようし、そんじゃ俺が策を授けてやる。耳かっぽじってよく聞け『疵面』」
男は体ごとこちらに向き直った。
「あんたが策を出すのか。えっと……」
いい淀む省吾に、男が思い出したようにいった。
「ああ、俺のことは金、とでも呼んでくれ」
次回は4月16日(水)更新です。