第七章:11
店の前で、省吾と舞が彰を待っていた。
省吾は、舞が手に入れた刀を手にしている。なぜか憮然として。
舞の方はというと、省吾の顔色を伺いながら不安げな顔をしていた。
2人とも、無言であった。重苦しい空気が、流れている。
「いやー悪い悪い」
その空気を破るような気の抜けた声を出し、彰が店から出てきた。
「ちょっと他にもいろいろ手続きがあってさ。じゃあ、行こうか」 ふと、彰は省吾の様子に気がついた。
「省吾、なにをそんなにむすっとしているんだ?」
「別に……」
しかめっ面で省吾は返した。口を真一文字にして眉間に皺をよせて――不機嫌を絵に描いたような表情だ。
「しているじゃんか。そんなに負けたのが悔しい?」
「そうじゃねえよ」
「いやあ……でもねえ。いいじゃん? ちゃんと刀は手にはいったんだし」
彰が、省吾の手の中の刀を顎で指し示した。
「しっかし、舞には驚いたなあ。象棋の心得が無いからといって、全部口先だけでやりこめるなんてね。話術で相手の心を乱し、予想外の動きで惑わす。凄いよね」
「何が……」
省吾は立ち上がった。そして
「何が凄いものかっ」
右手を、振りかぶった。
乾いた音が、高らかに鳴った。省吾の右平手が、舞の頬を叩いたのだ。
打たれた頬が、赤く色づいた。
「ちょ、ちょっと!?」 慌てふためく彰とは対象的に、舞は抵抗のそぶりすら見せなかった。省吾の平手を、甘んじて受けたように見えた。
「勝手な真似をっ……!」
舞の肩を掴み、血走った目を近づけた。血管が浮き出るほどに激昂している。
「人の、人の命運を……自分の命で左右するだと? ふざけんなよ、何様のつもりだ!」
「ちょっと省吾、やめ……」
「黙ってろ!」
制止しようとする彰の腕を払いのけ、省吾は問い詰めた。
「別に、てめえが自分で自分の命をどうしようとかまわねえ。だがな、そんなのは自分だけでやってろ。人の生き死に、自分の命でどうこうしようなんて……迷惑なんだよ、そういうの!」
舞は殴られた格好のまま、顔を背けている。省吾は指に力を入れた。薄い肩が軋み、かすかな声が洩れた。
「なんとかいったら……」
「やめろ、省吾」
彰が省吾の腕を掴んだ。
「いいだろう、もう。舞だって、仲間のために何かしたかったんだよ。舞だって『OROCHI』の……」
「俺は、違う」
舞の肩から手を離し、彰の手を振りほどいていった。
「俺は、お前たちの仲間でもなんでもない。妙な小細工で俺を引き入れようとしていたようだが……」
今度は彰の方を睨んでいった。刺すような視線に気圧されて、言葉を詰らせた。
「いつ、分かったの」
「こいつが『自分の身を賭ける』といったとき。お前止めなかったよな? 必死こいて青豹から取り戻したお仲間を、わざわざ死地に赴かせるか普通?」
もっとも、それに気がついたのは大分後である。勝負中は、それどころではなかったのだから。
「ま、まあ……でもほらっ、刀は手に入ったんだしさ。結果オーライってことで」
「いらん、こんなもの」
省吾は、手に入れたばかりの刀を押し付けた。
「なんでだよ。折角……」
「情けを掛けられてまで欲しいとは思わねえよ。それはそいつがとったもので、俺じゃない」
彰に投げ渡して、自分はさっさと立ち去っていった。
「省吾!」
彰が後を追う。
舞は無言のまま、打たれた格好のまま立ちつくしていた。
顔を背け、目を伏せたまま。省吾の背中を、空ろな目で追いかけるばかり。
早足で通りに抜ける省吾を、彰が追う。
「待てったら!」
舞も、とことこと彰の後ろから歩いて行く。
「刀は? 本当にいらないのかよ」
省吾答えない。完全無視。足取りが徐々に早くなってゆく。
彰の方はというと、やや小走りになった。ついて行くのがやっとである。
「なあ、騙したのは悪かったよ。でもだからといって舞を責めることは……」
省吾の足が速まった。ついて行く方は、小走りにならざるを得ない。
「速いって、ちょっと」
ビルの林を抜けて、土壁ばかりの廃屋が立ち並ぶ集落に足を踏み入れた。粘土と漆喰で塗り固めた家屋の廃墟、前時代の名残が、入り組んだ迷路を作り出している。その合間を、縫うように省吾は駆けぬけた。
ひとつ、角を曲がる。彰、舞もまた後を追う。
突然、省吾が建物の影から手を伸ばした。
「隠れろ!」
強引に2人の腕をとり、影に引き入れた。急に引きこまれたので、つんのめるような形になった。
「な、なに?」
狼狽える彰の口を塞ぎ、声を潜めた。
「……つけられている」
「はぇ?」
「白人の男だ。さっきからずっと、ストーキングしてやがるんだよ」
「それって……」
彰が何かをいい掛けた、直後。
壁の向こうから、影が飛び出した。
省吾が動いた。彰の体を押しのけ、影に向かって一直線に、当て身を打つ。
男がのけぞった。その瞬間、腕を取り、肘の逆関節を極めて足を掛けた。
「ギャウッ!」
猫が尻尾を踏まれたときのような悲鳴を上げ、投げ飛ばされた。
「……なんだ、こいつ」
「追ってきやがった、俺たちの後を」
「いつから?」
結構前だ。省吾はそういうと腕を固め、仰向けに倒れた男に止めを刺した。咽頭に手刀を叩きこむと、男は簡単に気絶ちた。
「あの店を出たあたりからな。気がつかなかったか?」
「ぜ、全然」
「だろうな」
後ろをついてくるこの2人に、いちいち説明している暇などなかった。だから、歩を早めて身を隠せそうな場所を探していたのだ。
「なんだ、怒っていたわけじゃないんだ。よかったよ。びっくりさせやが……」
「何を呑気なことを」
省吾は件の追跡者を見た。
派手な格好の男である。体には合わぬだぼついたシャツを着込み、10本の指全てに銀の指輪をつけている。首も同様に、シルバーアクセサリーをじゃらじゃらと鳴らして身悶えしている。
白人の男だった。頭には、黄色いバンダナ。
「い、一体」
舞が狼狽しながら訊く。
「さあな。その辺の知り合いは、お前たちのほうが多いだろう? 彰」
「……心当たりが多すぎるくらいだが、だが……」
腕組みしながら、顎に手を置いて気絶している男の顔を眺めた。
「……なんで」
「あ?」
「なんで……こいつらが……《南辺》に?」
向かいの廃墟の影から、拳銃の銃身が伸びた。省吾の方を狙っている。
省吾はそれに、気づいていない。
「危ない!」
舞が叫んだ。同時だった。
銃声が、轟いた。
舞は省吾に飛びついた。
「な……」
省吾がよろめいた。直後、舞の肩を火線がかすめる。
「……っ」
肩から血が滲む。銃弾が舞の皮膚を削ったのだ。
「野郎!」
二発目の銃弾。今度は省吾の耳朶を傷つけた。
「こっちへ!」
彰が手招きする。銃弾を逃れるために廃ビルの中に入った。
別方向から銃声が聞こえた。続いてもう1つ別の、やや低い号砲。
「どうやら、敵は複数いるな……皆して俺たちを狙っている」
首筋に違和感を感じ、手の甲で拭った。汗かと思ったら自分の血だった。
「省吾、耳が」
「このぐらい平気だ。それより……」
ちらりと舞のほうを見た。
肩の先を撃たれたようである。白い服に血が滲み、顔が青ざめている。
「とりあえず止血を……」
服を縦に切り裂き、傷を外気に晒す。舞のか細い肩とくっきりと浮き出た鎖骨が、露になった。
「それほど深くはない、か」
ただ、「撃たれた」というショックが大きいのか、肩を抱えて震えている。
布を当てると案外簡単に止まった。
「舞は、大丈夫なのか」
「ああ、大したことはない。それよりも」
外をうかがう。白人の男が5人いた。それぞれ拳銃やSMGを持って――
取り囲んでいる。
「参ったな、こりゃ……迎撃しようにも分が悪い」
お手上げとばかりに肩をすくめた。
「彰、お前の銃で蹴散らせ」
「それはできない相談だな」
「何故?」
彰が銃を取り出した。スライドを引くと、スライドが引いた状態で止まった。
「弾、入っていないんだ」
にこやかに笑った。
「例の青豹との一件でね、銃弾は全て使い果たしたんだ。銃と同様、弾薬も我々色のついた人間には手に入らないんだよね」
つまり先ほどの喧嘩、空の拳銃で脅して諌めたということになる。
「姑息な奴」
「お褒めに預かり、どうも」
褒めてねえと喉の奥まで出かけた言葉を飲みこんだ。
「それなら、武器はないということか。せいぜい、ナイフが2、3本」
先ほどの武器屋で買った安物のナイフを見比べながら、嘆息した。
「武器ならあるじゃないか」
そういって、彰が刀を手にとって見せた。
「いや、それは……」
「そんな贅沢はいっていられないよ。奴ら、どうも引き金が引ければ満足という類の人間じゃあない。さっきも見ただろう?」
確かに、そうだ。射撃は、少なくとも正確であった。もし、舞が突き飛ばさなければ省吾は確実に撃たれていただろう。
加えて、無駄な弾を撃ってこない。確実に仕留めるために、狙いをつけてきている。
「仕様がない……」
刀を受け取り、立ち上がった。
「なら、少しだけ借りる」
「借りる?」
「ああ」
刀を手にしたときにはもう
「借りる、だけだ」
静かな闘気を、身に纏っていた。
次回は、少し飛んで4月10日(木)になります。作者多忙のため、間を開けてしまいますが気長にお付き合いいただければ幸いです。