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監獄街  作者: 俊衛門
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第七章:2

――成海市《南辺》第1ブロック 


 日がな一日中、成海の街に容赦なく熱線を振りまいた太陽がようやく西の空に隠れた。

 黄昏が宵闇に変わろうとする時刻。《南辺》第1ブロックの一角に、アジア人相手の酒場や娼館が立ち並ぶ通りがある。

 『招寧路』と呼ばれる、ここは街の難民たちの数少ない憩いの場だ。金のない難民たちは、白人の店で遊ぶことが出来ない。その点、同じアジア人が経営する酒場などでは少ない金で酒が飲めるのだ。もっとも、その分質は劣るが。

夜になるとなけなしの金をはたいて安酒を煽り、つかの間の情事に溺れるものが少なくない。そんな『招寧路』の酒場の1つに、男が1人入った。


 奇妙な格好をしていた。紺色のパーカーを羽織り、フードを目深に被って顔の半分を隠していた。顔の下半分は無精髭に覆われており、口元には笑みを浮かべそれを絶やすことがない。

 派手なシルバーアクセサリーを首から幾重にもかけ、それが歩くたびにジャラジャラと騒音を奏でる。

 男がその店に入ると、入り口近くにいた酔客の1人が声を上げた。

 「(キム)! 金の旦那じゃねえか!」

 店内に響き渡りそうなその声に、他の客も振り向いた。

 「金だって?」

 「ええ、どこよ?」

 などと口々にいいながら、金と呼ばれた男の周りに集まってきた。

 「金、いつ帰ってきたんだよ! 前に《南辺》出ていったのって、もう半年も前だろう」

 最初に絡んだ男が、大げさに身振り手振りを加え、金の背中を叩いた。

 「なに、いろいろあってな」

 懐をまさぐると、金は札束を取り出した。100ドル紙幣が50枚ほど束ねられている。それを無造作にカウンターに置いた。

 「そいつは土産だ。それで好きなだけ飲んでくれ」

 金が言うと、酒場の衆がわっと沸いた。

 「さっすが旦那!」

 「太っ腹だねえ!」

 ただ酒は何よりも美味い、というのはどこの世界でも同じようだ。遠慮という文字を知らぬ難民たちが、手やテーブルを打ち鳴らして騒いだ。

 金はその様子には関心を示すことなく、カウンター越しに酒屋の主人に耳打ちした。

 「……もう、来ているのか?」

 主人は黙って頷く。金は「そうか」と一言呟き、主人に100ドル札を握らせた。

 「では、いつものように……」

 金はカウンターの中に足を踏み入れた。店の者でもないのに、まるで自分の家であるかのようにずかずかと入っていく。主人はそれを、慣れた目つきで見送った。その行為がもう、日常の物として根付いているかのような。

 金は調理場の奥の、古びた扉の前に立った。木造の、随分と年季を感じさせる焦げ茶色の戸を、軽く押す。たてつけの悪い戸は不愉快な濁音を響かせ、開いた。その奥には、階段がある。地下へと、続いていた。

 金は階段を下った。


 外観からは想像も出来ない、地下の空間がそこに広がっていた。

 コンクリートむき出しの壁と天井に囲まれた、10メートル四方の広さの地下室。中央にある裸電球が、わずかに照らす。四隅には暗い影を落としている。

 その灯りの元に、30人ほどの人間が集っていた。

 皆一様に、揃いの紺色のパーカーを着込んでいる。それぞれが、壁に寄りかかったり座り込んでいたりしたが――金が入ってきたのを見ると全員、直立不動の態勢をとった。

 「ああ、そのままそのまま」

 金は手を振って、過剰に反応する彼らに楽にしろといった。

 「全員揃いました、ボス」

 人垣の中から、一人の男が歩み出た。

 頭の禿げた、みすぼらしい風体である。肉を削ぎ落としたようにこけた頬は骸骨を思わせる。ぎょろついた目、口から飛び出した前歯が異様な空気を出している。

 「今度は随分、お早いお帰りで……折角《西辺》へ行かれたのですから、もっとゆっくりなさってもよかったんですぜ?」

 「ゆっくりもなにもないだろ、ダオ。獣の巣窟では、誰もが逃げ足の速いガゼルかインパラにならなきゃならん。サバンナで亀が暮らしていけるか?」

 ダオは口元を歪ませ、空気が漏れたような笑い声を上げた。この卑しさを絵に描いたような笑いは、未だに慣れない。

 「またまた。工場とスラムくらいしかない南に比べりゃ、あっちは天国でやしょう? 情の深い女が多いって話じゃありやせんか」

 「ああ、ついでにいうと性病も多い」

 フードを取ると、金の顔が露になった。

 まるで手入れというものがなされていないであろう、縮れた長髪がフードから零れ落ちた。自然に髪を伸ばすだけ伸ばし、散髪や整髪の類は一切していない。無精髭だらけの口元同様、こちらもぼさぼさと生やすだけ生やしているといった印象だ。

 脂ぎった顔とくたびれた双眸。垂れ気味の眼を、薄く開けている。どこか覇気がない、しまりのない顔だ。

 「西の方に少し滞在したとはいったがな、本当は《東辺》を見てきたんだ」

 欠伸をしながら、金がいった。

 「《東辺》、ですかい?」

 「いずれは見て回らんといかんだろう」

 それを聞くとダオは顔をしかめた。

 「ボス、東はいけねえ……あすこはあっしらが足踏み入れていい場所じゃねえよ。下手に出歩くとドテッパらと脳天の風通しをよくされちまう」

 顔を近づけ、なにかに怯えるように小声で話した。そんなに声を潜めずとも、ここには聞かれたら困るような人物はいないというのに……

 (小心者め)

 軽い嘲笑と侮蔑、呆れと諦観が混ざり合ったような目でダオを見た。

 仕様がない。こういう男なのだから。この街に生きるアジア系の移民は、皆こんな考えのもとに生きている。

 ダオ個人を責められるわけではない。ただ、やはり部下とするには少しばかり頼りない感じがした。

 「いいじゃないか。東、日いずる方。縁起はいいと思うがね」

 紺色の集団を見渡せる位置に椅子を置き、その上にどかっと腰を下ろした。

 「その日に、焼かれなきゃいいんですがね……」

 嘆息すると、ダオは金の傍らに立った。椅子から、3歩ほど退いた距離が2人の力関係を表している。

 「さて」

 目を細めて、金はパーカーの集団を眺めた。全員が全員、直立不動のまま動かない。しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

 「俺のいない間に何か変わったことは……どうも噂じゃ青豹が斃されたと聞いたがな」

 「『OROCHI』です、ボス」

 一番右端にいた、フードを被ったままの人間が答えた。

 「第6ブロック『百鬼地区』にて、『千里眼クレヤヴォヤンス』率いるチームと『BLUE PANTHER』が衝突。『鉄腕アイアン・アーム』を下し、その3日後に第3ブロックの『BLUE PANTHER』の根城をはじめ、奴らの息のかかった娼館、クラブ、遊技場全てが焼き打ちに遭いました。『鉄腕アイアン・アーム』は晒し物にされ、『BLUE PANTHER』は組織解体しました。それが、1週間前です」

 まるで録音機の再生ボタンでも押したみたいに、機械的に報告する小柄な男。男というよりは少年のような声だ。よく通る、甲高い声で朗々と述べる。地下の空間だけあって、コンクリートの壁に反響して何倍にも増幅されて聞こえた。

 「ほう、『OROCHI』ってあれか。あのチョッパリどもの集団チーム

 「朝鮮人もいますぜ、ボス」

 ダオが横から口を出した。

 「二番手の朴留陣がそれだ。あっしは見たことはねえんですがね……なかなかいい女って噂ですぜ」

 口角を上げてしゃくりあげるように笑う。茶色く変色した歯が見えた。

 「ふん、まあいい。じゃあ、他に。《北辺》と《西辺》、報告しろ」

 金がそういうと、それぞれ歩み出て各々自分が見たことや聞いたことを実体験を交えて離した。

 西はここより治安がいいとか、北は相変わらず寂れているとか……各ギャングたちの動向や噂話まで、全てを事細かに伝える。金は黙って、時々頷きながら聞いていた。

 「当面は、西だな」

 金は一通り、報告を聞き終わるとそういった。

 「北の方はとりあえず置いておこう。あそこはよく分からん。今は西の最大勢力、『黄龍』に注意を払うべきだ。遅かれ早かれ、衝突する運命だ」

 「ボス、龍に噛み付く気ですかい?」

 ダオが目を見開いて問うた。

 「なんだ、怖いのか? ダオ」

 「いや、そういうわけじゃねえんですが……ただ、時期が早い気がしてならねえですよ」

 否定してはいるが、その声は若干震えていた。かすかだが、惑いの色が瞳に映っている。

 (怖いんじゃねえか)

 呆れたような視線に気がついたのか、ダオは慌てて真顔を作った。

 「わかっておりやす、いつかは通る道と。ただ……」

 体裁を繕おうとするダオが滑稽で、思わず笑ってしまった。

 「なら、他にやり方があるだろう」

 「へ?」

 怪訝な顔をするダオに対し、金は悠然と構えている。足を組み、背もたれに体を預けてリラックスした状態でいった。

 「臆病なら、それ相応の働き方があるだろう。羊がいくら頑張っても狼にはなれん。腕っ節が立つ奴を差し置いて、お前を側近に据えたその理由わけを考えるんだな」

 呆けたようにそれを聞いていたが、ダオはやがて「へい」と返事した。

 「『OROCHI』は、いかがしましょう?」

 先ほどの少年が訊いた。

 「同じ“南”にいる以上、ぶつかることも多くなるのでは」

 「蛇はしつこいからな」

 金が苦笑しながら答えた。暗く影を落す、天井の隅に視線を運んで呟いた。


 「後回しにすると厄介かもしれん……」

前回の反省を踏まえ、週3回(火・目・土)の定期更新に切り替えます。お付き合いいただければ幸いです。

次回は3月18日(火)更新予定です。

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