第六章:10
100メートルほど歩いた頃
「いいのかい? あれで」
背後から声がした。
「……あんたか」
声の主のほうに振り向くことなく、省吾が溜息をついた。
ビルの影に、アイスクリーム売りが鎮座していた。粗末な木造の屋台を構え、紺色のエプロンを掛けている。
その売り子が、本職のアイスクリーム屋ではないことは――声で分かった。忘れようにも忘れられない。
「あの娘放っといて。本当はお前も心残りなんだろう? じゃなきゃ命かけてあんなところに駆けつけたりはしないはずだ」
「そんな無駄話をするために現れたのかよ」
向き直り、バニラアイスを注文する。その中年の男は慣れた手つきで注文の品を作り始めた。
「今日は、あの黒づくめじゃないんだな」
「あんな目立つ格好は、最初の一回だけだ」
コーンにミルク色のアイスを乗っけて、人のよさそうな愛想笑いを浮かべてそれを渡す。いかにも、「自分は善良な一市民ですよ」と周りにアピールしているかのようだった。
顔の造形が不自然だ。どうせこれも変装だろう。
「例のものは、回収したのか」
急に声のトーンを落し、顔を近づけた。
「ここに」
省吾は丸めたドル札を渡した。傍から見ればアイスクリームの代金を支払っているようにしか見えないのだが……
男は一瞬だけ紙幣を広げ、中身を確認した。
紙幣に包まっていたのは、ICタグだった。親指の先ほどの大きさである。『鉄腕』に埋め込まれていた部品の一つだ。
確認すると、男は素早くポケットに仕舞った。受け取って確認するまで2秒余り。
「いわれた部分をくすねてきたが……なんだそれは」
省吾はアイスクリームを一口頬張った。
甘ったるい。ろくな材料を使っていないのを、砂糖で覆い隠そうとしている、その魂胆が見え見えだ。
「答える義務は無い」
省吾の問いには何も答えず、男は屋台を片付けた。立ち去ろうとするその男の肩を、省吾は後ろから掴んだ。
「教えろよ……でないとストライキ起こすぞ」
左の掌に隠したナイフをちらつかせる。
「あの機械のために相当のリスクを張ったんだ――それなりのリターンは欲しいところだな」
「ひとつ、忠告しておく……」
男は「やれやれ」とばかりに右手を振り上げた。
「そのような行動があったとき、我々が爪の垢をほじくって見ているだけと思ったら大間違いだぞ。隣のハンバーガーショップの屋上を見てみろ。ゆっくりとな」
いわれたとおりに、目の端を動かして確認する。
「下手な真似はしない方が良い……エージェントの替えはいくらでもいるんだ」
ライフルの銃口と陽光に反射するスコープが確認できた。狙撃主が伏せている。
「ちっ」
舌打ちして省吾は手を離した。
「それでいい」
男が満足そうに、頷いた。
――クソ、腹立つな畜生……
だが、ここは引き下がるより他なさそうだ。沸々と沸き上がる感情を、理性の水で鎮火した。冷静さを欠いては、ならない。
すると男は意外なことをいってきた。
「教えることは出来ないが、ヒントはくれてやる……お前には、この街はどう映る?」
「はあ? どうって……クソの掃き溜めだろ、こんなの。清く正しい街にゃ見えない」
「それだけか?」
薄ら笑いを浮かべている。その顔を殴り飛ばしてやりたい衝動を押さえながら、省吾は訊いた。
「なんだよ」
「そう、確かにここは掃き溜めでしかない。しかし、ある種の秩序のもとに動いているのも確かだ」
「秩序……?」
「何故、銃器は白人だけが持ち、黄色人種が持て無いと思う? これだけ無秩序がはびこって入れば、銃を手に入れることなぞ簡単なはずだろう? それができない。何故?」
「いや、それは……」
「銃器も問題だ。第3世界の銃だけじゃない、先進国の警察すら持っていない最新の銃が出回っている。チンピラ風情が。銃だけじゃ無い。『鉄腕』、『千里眼』……軍が秘匿している技術が、この街にはある。何故だ?」
さっきまで一言二言しか喋れなかった奴が急に饒舌になった……かと思ったらさらに謎かけのようなことをいった。
訝しみつつも、しばらく省吾はその言葉の意味するところを考えた。
いわれてみれば、おかしい。雪久の『千里眼』は、戦時中は試験投入されたに過ぎなかったと聞き及んでいる。それが何故、街のチンピラの目に? それも雪久は旧日本出身の、いわば機械側からみたら「敵」である。
「一体、どういう……」
「誰かが、糸を引いている。それを探るのが、お前の仕事だ」
男は驚いている省吾を尻目に、屋台を押して立ち去った。
「気をつけろ、この街には何かがある」
去り際に、そう残して。
宮元梁は『OROCHI』のアジトを振り向いた。
最後に、一度だけ土壁でできた廃屋を見やる。地上部分のこの建物は、地下へと続く陸標だ。
時間は、深夜の2時を回っている。湿った冷気がアスファルトから立ちこめ、梁の体から熱を奪う。
両腿を、さする。もう傷は、大分癒えた。そして右手も……
「……」
掌を斜めに、刀傷が抉っていた。
「甘いな、俺も」
自嘲気味に嘆息した。
真田省吾――あの男は、正直それほど信用していたわけでは無い。
(だが、これから先――あいつなら)
しかし、それを梁が見届けることはないだろう。
「行くか」
背後の、5人の男たちに声をかけた。
5人は黙って頷いた。5人とも、紺色のパーカーに身を包みフードを目深に被っている。かつて『突撃隊』として身を馳せた戦闘のスペシャリストたち。いまは母体を失った、唯のはぐれ者だ。
順繰りに、男たちの顔を見る。皆、決意の色を浮かべていた。
梁は踵を返したその時
「梁」
後ろから、呼ぶ声がした。懐かしい声。それは彼の、もう一つの母国語で呼びかけられた。
「彰、か」
振り返った先に、九路彰の姿があった。
「梁……行くつもりか?」
彰は、平素より若干昂ぶった声だった。興奮、している。
「折角、会えたのに……行っちゃうのかい?」
早足で歩み寄り、梁の肩を掴む。
「仲間じゃないのかよ、俺ら!」
「お前と雪久とは、な」
珍しく感情を露にする彰と対照的に、飽くまで冷静にいった。
「だけど、お前たちの……『OROCHI』とかいったっけ、彼らとは仲間じゃない」
「そんなの、ここにいれば自然と」
「駄目なんだ、彰」
肩にかけられた彰の手をそのままに、梁は淡々として告げる。
「俺たちは、お前たちの仲間を殺した――その事実は揺るがない。彼らにとって、俺たちは仇だ。仲間には、なれない」
「そ、それは……」
「これでいいんだ。これが、互いのためには一番いい。お前も、組織を動かしていくなら割り切るんだ。過去の仲間より、今ある者達のためにあるべきだろう」
梁は、大げさで無い程度に彰の肩を叩いた。軽く、2回。
「ありがとうな、いろいろと」
「……舞はどうするんだよ」
肩に手を置いた状態で、彰が訊く。
「連れて行かないのか?」
「ああ、考えたんだが連れて行くことは出来ない。俺は所詮、はぐれ者。あいつを、またき危険な目に遭わせないとも限らない」
彰の目には、薄く涙が滲んでいた。悟られぬよう、そっと指で拭った。
「お前が、護ればいいだろう。折角会えたんだから、また兄妹2人で……」
「俺は」
梁は少しだけ、腕に力を込めた。より強く、引き寄せる。
「俺は、お前に護って欲しい……舞を助け出してくれた、お前に」
考えた。舞を連れていきたいと、また昔のように2人で生きたい、とも……。かつて、朝鮮から流れ着いたときのように、梁が護りながら。
だけど、この街はあまりに強大で、深くて――
結局、梁1人では護ることが出来なかった。成海と言う街に対し、個人の力はあまりに無力だったのだ。
「情け無いことに、な。また、同じ徹を踏まないとも限らない。でもお前なら――お前と雪久が造った『OROCHI』という確たる組織ならば、舞を護ることができる」
「梁……」
「頼む、彰」
悲痛な、搾り出すような声で、最後に梁が発した。
「俺の妹を、護ってくれ……お前に、護って欲しい。お前に、託したいんだ」
男たちは、黙って梁と彰を見守っていた。誰も何もいわない、沈うつな時間が流れる。その沈んだ気を払拭するように
「分かった」
彰がいった。
「分かったよ、梁。俺がうまくやる。だから、心配するな。相棒」
軽く抱擁、そして――
梁を、送り出した。
「じゃあな」
軽く応答。背中を向け、宮元梁は宵闇に消えた。背後に青の男を従えて。