第六章:7
「……悪い、止まった」
珍しく弱気な声を出し、雪久がいった。
省吾は舌打ちする。
(目、だからな。停止するのも早いか)
だがすぐに振り返り、省吾がいった。
「何か見えたか」
「いやぁ……一瞬だけしか見なかったからな……何がなんだか――」
また舌打ちをした。この男は、ことの重大さが分かっているのか?
掴みかかりたくなる衝動を押し込め、できるだけ平静を保つ。
「何でもいいから。どんな些細な情報でも、いい。何が、見えた」
「何が……ってなあ」
間延びした声が返ってくる。
クソ野郎、ご自慢の眼はガラス玉かよ――という言葉が喉まで出かかったとき、雪久が「そういえば」といって、自らの右肩を指差した。
「この辺に、なんか黒い物があったな。大きさは親指ほど、円筒状のなにか」
「詳細は」
「神のみぞ知る、だ。だが、お前のつけた傷の真下にあった」
ということは。そこは何か特別な部分なのだろうか。それこそ、少し傷がついただけでも命取りになるデリケートな。
「それ以上は、分からな……」
それ以上は雪久、発することが出来なかった。
踏み込んだビリーが、雪久の胴を薙ぎ払ったのだ。いやな音を立て、雪久の軽い体が吹き飛ばされた。ビリーはそれには目もくれず、省吾の方に向き直る。
「上出来だ!」
省吾が吠えると同時に、鉄の指が空を斬った。一寸先の鉄爪、熱気が省吾の額にかかる。
(機械のことはよく分からんが――)
省吾、壁に追いやられた。コンクリートの冷気を背中に感じる。鉄が拳を形作る。
「どうやら、そこがお前の弱み、か」
ビリーが振りかぶる。天井の淡い月を掴むような格好で、『鉄腕』が止まった。
尖った指、太い丸太のような前腕、金属パイプが張り巡らされた上腕が、余すところなく見せつけられる。
その付け根、“接合部”を注視した。肩周りには、金属と生身がつなぎ合わされ溶接されたような痕が残る。そして、腕と鎖骨が出会う場所に先ほどつけた傷が――
「『疵面』」
薄闇のなかで、ビリーが呼んだ。巨大な影の中で、2つの碧眼が爛々と輝いている。
省吾は刀を正眼に構えた。右を庇い、左手一本で刀を中段にする。
(あそこを刺せばいいか)
だが。刺さったとしてもちゃんと「そこ」を破壊してくれるだろうか。さっきは偶々うまくいったかもしれないが、突いたところで角度が違っていれば意味がない。雪久が観たというその部分、そこにちゃんと刃が到達してくれるかどうか――
しかも、その部分が弱点か、という保証はない。もしかすると、もっと違うところにあるのかもしれない。雪久が観たというそれが目指す場所か、それは分からない。
「お祈りはすんだか」
ビリーが右手を振り上げたまま、省吾を追い詰める。
(場所が、場所だけに――)
ミスは出来ない。
でも、やらなければ。
ビリーが拳を作った。省吾は腰を落とす。
「切り結ぶ……」
そう口にした刹那。天頂より、灼熱の鉄槌が振り落とされた。
反射的に、省吾は刀を突きだした。狙うは、一点。
破壊と貫通が交わった。
その瞬間は、永遠にも感じられた。怒号、気勢、作動音、風切る衝撃。音という音が混ざり合い、不協和音を奏で――
次には、静寂が訪れた。
拳が、鼻先につきつけられている。熱が、鼻頭を焦がしている。
切っ先は、ビリーの肩に突き刺さっていた。血の筋が切っ先から鍔元に、幾つも走る。血の川が、掌を汚した。
滑る――赤いぬめりが、指と柄の間に入り込む。どろりとした感触が、摩擦力を上げる。剣を落さぬように、しっかりと握りこんだ。
ビリーは拳を突き出した状態で止まっていた――というよりも、腕を動かせないようだ。
ビンゴだ――やはり、「そこ」は突かれてはいけない場所だったのだ。機械の弱みを、今まさに突き込んでいる状態である。そこを破壊すれば――
「く、そ……」
だが。
(浅い)
刺さったのは、わずか切っ先三寸。刃が、通らない。こぼれた刃では、十分に突き込むことができない。
「この野郎……!」
ビリーは左手で、刀を引き抜こうとした。邪魔な刃を、除こうともがく。
抜かせるものか――省吾はますます力を加える。右足で体を押し、腰の力を腕に乗せる。刃を、より深く。目標を破壊するために、より深く突く。
突如、人差し指の力が緩んだ。
(何――)
次に、中指と親指の筋肉が弛緩する。同時に、腰と足の力も抜けて行くのが感じられた。
(畜生、またか)
また、疲労が肉体を襲った。筋肉の稼動は限界を越えていたのだ。
自分のふがいない体を叱咤する様に、頭は筋肉の緊張を命じていた。だが、その意思に反し体はどんどん緩んでいく。
無理もない。長時間にわたる闘争により、省吾の体は疲労のピークに達していた。断裂した筋繊維を回復させるため、体は運動よりも休息を求めている。筋肉が弛緩したということは、正常な生理現象なのだ。
しかし、ことここに至ってはそれは命を縮める作用でしかない。
(こんなときに……)
先ほどと同様、気力を振り絞る。動けと自らの手足に鞭を打つ。しかし、乳酸が溜まりきった筋肉は言うことを聞かない。徐々に緩む、体。
ついに膝をついた。次に上半身が崩れそうになる。
(こんなときに!)
再び手足に力を――だが、疲れきった体はもう戻らなかった。まるで他人の体の様に、制御が効かない。
薬指が緩む。小指の力も抜けつつあった。剣は、小指で握るもの。これが緩んでしまえば、もう――
「しつけえな、ガキ」
ふと、ビリーは左手を離した。自分の腰に手を回し、刃渡り30センチほどのナイフを取り出した。
「この狸め……」
省吾は忌々しく毒づいた。
左に持っていた銃は、先ほど雪久が叩き落とした。だから、左側にはそれほど注意を払っていなかった。
だからそれ以上は武器はないと思っていたが――認識が甘かった。
「せえええええええ!」
何事か、意味を成さない雄叫びのような声を上げてビリーがナイフを突き出した。
雪久が駆けてくるのが、見える。でもおそらく、間に合わない。
じゃあ自分で防ぐしか無い。落ち着け、こういうときは右手で――あ、折れてるんだっけ。避けようにも、そうしたら刀を手放さなければならない。でもそれは、『鉄腕』を自由にさせることになる。
ならもう、どうしようもないじゃない。
切っ先が眉間に触れ、細胞を削り取り……
血の狼煙が舞った。