第六章:6
毒づきながら、ビリーは刀を抜き投げ捨てた。その間、省吾は声をひそめて雪久に告げた。
「お前のその眼は……どこまで見える?」
ビリーに聴き取られぬように、日本語で訊く。
「はあ? どこまでって」
「だから! 眼に見える範囲はどの程度だ。体の内部とか、そこまで見えるのか」
「何でてめえにそんなことを……」
ビリーが腕を振りかぶり、間をつめた。一気に。
「があっ!」 空手でいうところの裏拳といったところか。手の甲側で殴りつけてきた。滅茶苦茶に振り回すだけだが、その破壊力は脅威だ。
素早く散開。右と左に別れる。その一方、右に避けた省吾にビリーは腕を伸ばした。
刀は、どこだ。
地面を見る。目を凝らすのではなく、全体的に眺めるように。接近する敵鋭を臨みながら、目標を求める。
あった。視界の端に、銀の刃を捉えた。
鉄槌。『鉄腕』が下される。飛び上がって避け、地面を転がりながら省吾は刀を拾った。右を庇うように受身、左で刀を握る。
そのまま距離をとる。下がってきた雪久と、背中合わせになった。
「いいから教えろ」
「断る。たとえ味方でも、手の内を晒すことは」
「味方じゃねえ」
ビリーが跳んだ。巨体に似合わず、すばしっこい。
着地と共に、鉄槌。地面が砕け、破片を舞い上げた。
「そんな生易しいもんじゃない、今は俺らは“相棒”だろう! どっちかの死は、もう一方の死だ!」
ビリーがストレートを打つ。それを省吾、柄で受け流した。
「今の俺たちは、一蓮托生。そうだろう?」
今度は手刀。『鉄腕』が唸り、雪久の頭を捉える。雪久は体を反らし、その反動でビリーの腹を蹴りあげた。体を折るビリーを尻目に、雪久は省吾の方に走った。
「……手は、あるんだろうな?」
「無けりゃ、こんなことはいわねえよ。もっとも、確率は五分五分といったとこだが」
「五分五分? そいつはすばらしい」
雪久が短く、口笛を吹いた。口の端がかすかに上がった。
「そんな高確率で勝てるギャンブル、そうはねえぜ」
「聞くか?」
「いいぜ。乗った、その話」
雪久がいうのへ、省吾は短く頷いた。
「今刺したところだ」
ビリーから目一杯、距離を取る。顔を近づけ、なるべく聞こえないように声を潜める。
「さっき俺の刀が刺さった時、一瞬だけ『鉄腕』が止まった。何故だと思う?」
「知らねえよそんなこと」
省吾の問いに、雪久は反抗期の子供が親にたて突くような態度で応じた。
「大方、キンタマの位置がずれたとかそんな理由だろ。あれは確かに違和感あるからな、つい作業の手を止めて……」
「阿呆、戦いの最中にそんなこと気にする奴がどこにいる」
「じゃあ、お前は分かるのかよ」
「いや。だがあれは止まったというより“止めた”感じがした。それ以上、動かすと酷い目にあう、といったような」
苦痛に顔を歪ませ、憎憎しげに刃を抜いたビリーの顔が脳裏に浮かんだ。
「多分、あそこには……」
といったと同時に、省吾が横に飛んだ。『鉄腕』の拳が突き出された。
空気を叩く、衝撃波。雪久ものけぞり避ける。
「刺したところに、奴の弱みがあるのかもしれない……見た目には分からんから、おそらく内部にだ」
巨体の向こうの雪久に、声を限りに叫んだ。
「ビリー(やつ)の体と『鉄腕』、その内部構造を観るんだ! そのご立派な目ん玉で! 穴あくぐれえに! おそらく……」
おそらくは、そこに「何か」がある。そう思うのには、根拠があった。
それは、かつて師に教わったことに起因していた。
「女子供の護身に、最も最適な技は何だと思う?」
それは省吾12歳の頃。武術の手ほどきを受けているときだった。
「んーと……平手?」
「ほう、なぜそう思う?」
「えっと、お母さんがね。お父さんとけんかになったとき、必ずビンタするんだ。往復で。お父さん、いつもそれで負けてたんだ。『痛い痛い』って泣きながら……」
それを聞いた『先生』は、腹を抱えて笑った。しかし、当時の省吾には何が面白いのか分からず、首を傾げたものだ。
「それは……まあ、事実平手は結構有効だ。皮膚に与えるダメージは、ね。でもそれじゃ決定打に欠ける。じゃあどうするか」
『先生』はおもむろに省吾の手を掴んだ。きょとんとする省吾に、師は噛んで含めるようにいった。
「省吾、人体には鍛えようがない弱いところがある。それが、頭、金的そして」
『先生』はそういうと、省吾の腕を捻り上げた。体が反り返るほどの痛みを感じ、省吾の足が爪先立ちになった。
「関節。てこの原理で、少ない力でも、大きな相手を倒せる」
『先生』は手を離した。唐突に開放された省吾は、バランスを欠いて地面に転がった。
「どんなものでも、接合部は弱く出来ている。人間も、動物も、そして……」
『先生』は悪戯っぽく、片目をつむっていった。
「機械も、な」
あの時――なぜ『先生』が機械について触れたのか分からなかったし、省吾もそれについて追求はしなかった。その後始まった猛稽古で、そんなことはどうでもよくなっていた。
だが、「接合部」という単語。その言葉が、省吾の記憶の片隅には残っていたようだ。先ほどの攻撃とビリーの不可解な行動が、記憶を蘇らせる呼び水となった。
――機械も、人間と同じように接合部が弱い
『先生』は、そういいたかったのだろうか? 詳しい話は、今となっては分からない。
だが、省吾の刀が刺さった箇所は
(刺さったのは、『鉄腕』と生身の体をつなぐ部分)
つまり、「接合部」なのだ。しかし、それだけでは何の疑問も抱かなかっただろう。
決定的だったのはビリーの反応……自らの勘も相俟って、不確かでおぼろげな疑念の糸が、一つの解を紡ぎだした。
(あそこには何かがある)
「そこ」に何があるのかを探ればもしかしたら――突破の糸口が掴めるかも知れない。
(頼むぜ、雪久)
唸る豪腕を掻い潜りながら自身の相棒、もう1人の機械の方を見た。紅の眼光で、それこそ穴が開きそうなほどにビリーの肩を見ている。
ビリーはというと、顔を紅潮させながら勢いのままに腕を振り回していた。なかなか捕まらない、その苛立ちを腕に乗せているかのようにも見える。
省吾は長脇差の刀身に目を落した。
やはり、というべきか――刃がこぼれていた。切っ先から鍔元まで、尖った山がいくつも生まれている。攻撃に使用できるのは
(せいぜい、あと一回――)
これに賭ける、それしかない。覚悟を決めた。今は雪久に命を預けるより他、無いと。
『千里眼』発動。内臓されたX−RAYをフル稼働させる。
観察。体の内部を凝視。だが。
見えない――雪久の眼、センサーにノイズが走った。
(けっ、こんなときに)
長時間の稼動は限界を迎えつつあったのだ。オーバーヒート。肉体の負荷を減らすため、機械義肢には稼動限界がある。特に眼球のようなデリケートな器官は――それも早い。
(だったら、ビリー(やつ)の腕も……)
雪久は、ビリーの肩から出る煙に気がついた。
やはり。『鉄腕』も悲鳴を上げつつあったのだ。オーバーヒートが近いのは、生身の方の目で見ても明らかだった。
あの状態で、何故動けるんだ……?
「うらぁ!!」
ビリーがラリアートのように腕を水平に振りぬいた。しゃがみ込んで避ける。
ビリーの顔、それは必死の形相であった。苦痛を堪え、歯を食い縛り、それでも気力だけで動いている。
「くそぅ……」
鉄が、燃えていた。サーモグラフィで見る限り、篭った熱が赤く表示される。
(あれは、相当熱いはず)
それなのに。
――何故、そこまで。
「ビリー、お前は……」
お前を奮い立たせているのは、何なんだ――
プライドのため? 金のため? 屈辱を味わったから?
「違うよな、ビリー……」
そうじゃないよな――ふと、自分とビリーの立場を重ね合わせた。
奴も、背負っているのだ。一組織の頭として君臨する以上、その双肩に背負うものは想像以上に重い。
(お前も、背負っているんだな)
敵味方を越えた、ある種のシンパシー。少しだけ、ビリー・R・レインという人間を理解した、気がした。
(敵なのに、な。可笑しなことだ)
だからといって。
「譲る気はねえ……てめえの“腕”か、俺の“眼”か、どっちかが機能停止まるが先か!」
勝負とばかりに飛び出した。
画面が歪んでいる。赤く映る像が、陽炎のように踊った。
「もうちょい……」
鉄の腕、生身の体の内部が映る。回路やボルトといった人工物に混ざって見える骨、血管、筋肉……
ふと、見慣れぬものが飛び込んできた。右の鎖骨の下に映った、黒い円筒状の物体。それが、妙に気になる。
というのも、それがある位置は省吾がつけた傷と一致するのだ。
もしかして、これが――そう思った瞬間。
視界の左半分が暗転した。
『千里眼』が、機能を停止させたのだ。