第一章:3
港町の喧騒を離れ、省吾は再び路地裏に舞い戻った。
「危ないところだったわ」
少女は、レンガの壁に背をつけ安堵したように言った。
「ギャング相手にあんな立ち回りする人、はじめて見たわよ。あなた難民?」
「そうだが……君は?」
いきなりの闖入者に、呆然とした面持ちで省吾は聞いた。状況が飲み込めず、彼の頭の中でいくつかの疑問が浮かんだがあまりに多すぎて一つに絞り込めない。
改めて少女を見た。
白磁のような透明な顔。頬に、ほんのりと朱がさしている。人形のように整った目鼻立ち。 しかし、人形のように冷たい印象はなく、ゆるやかな、体温を感じさせる輪郭を描いていた。
瞳は、ブラックダイヤのように艶めき、輝く。それが暗い路地裏ではひときわ目立ち、眩しさのあまり省吾は目を背けた。
「俺を……助けてくれたのか?」
そう言うと、まあね、と少女は笑った。
「ああいう場面で人助けはしちゃいけないんだけどね。でも気まぐれというか、同胞意識っていうか。まあ深い意味はないわ」
「そう……か」
なぜか素直に礼を述べる気になれない。それどころか、少女の言葉を疑っている自分がいた。
(何を考えている。俺のような赤の他人を助けたところで何の得にもならない。それをこの女は――)
「まあまあ、そんな怖い顔しないで」
くすり、と少女は笑う。その笑みは木漏れ日のように柔らかい。裏のある顔には見えないが……。
あいにく省吾は知っていた。人を騙し、裏切る人間は、大抵最初は善人面して近づいてくるのだ。邪気を知らぬ、子供のような笑顔で。
「一応、感謝しておく。助けられたのは事実だから。だが、だからと言ってやすやすと信用できるわけじゃない」
「え〜別に何もないわよぅ」
少しむくれたような顔を作る。その動作ひとつひとつが、薄汚れた街の空気には似つかわしくない。
「あーその何だ。お前の狙いは分からんがとりあえずもう関わる気はない。助けてくれてありがとう。それじゃ」
少女に背を向け、去ろうとする。その時、膝から下が無くなった、気がする。
足の筋肉が徐々に弛緩していくのを感じる。同時に視界がぼやけ、目の前の光景が二重三重になった。
(なんだ?)
もはや全身の力が抜け、立つこともままならない。省吾はその場に崩れ落ちた。
手をついた、その甲に真新しい血が滴り落ちる。それが自分の物であることに気づくのに、そう時間は要らなかった。
(そうか、畜生! さっき顔を切られて……それで)
傷口から、省吾の命の源が流れ落ちる。出血がひどく、省吾の体を支えるのに必要な量が失われてしまったのだ。
くそ、ここまでか――最後に視界が捉えた物は、ビルの狭間のわずかな空だった。




