第五章:19
「……あー、痛え」
車を壁にして、燕が悪態をついた。頭の左側から血が溢れている。血止めを塗るが止まる気配は無い。
「畜生、俺の耳を持っていきやがって……」
布を、耳朶がかけた左即頭部に当てた。シャツを細く裂き、包帯のように頭に巻きつける。
どうやら、あの銃は引き金が相当に重いらしい。構えてから撃つまで、わずかな間が合った。その間を利用して、首をひねって顔面粉砕を避けた。しかし、避け切れず耳を打ち抜かれた。
あと数ミリ、違えば。もしくはあとコンマ何秒か、相手が早ければ……
そう考えると、寒気がしてくる。
「う〜頭がガンガンする……」
頭を抱え込む。何しろ、銃声がすぐ耳元で鳴ったのだ。耳鳴りが酷い。
金属音が頭の中で、延々反響している。後遺症が残らなければいいのだが。
「今度はかくれんぼか、ボーイ」
車の向こうから、デニスの声がした。燕を探し回っているのか、無秩序な靴音が響いてくる。
「なかなか頑張ったな、ボーイ。褒めてやってもいい。だが、俺たちは本職でお前たちは所詮、アマチュアだ。銃での戦いなら、俺たちの方に一日の長がある。諦めて……」
「うるさい、デカブツ! そういうこといえば、俺が出てくるとでも思ったのか!」
「ああなんだ、そこにいたのか……」
デニスが、燕が隠れている車の方に向き直った。あわてて口を塞ぐが、時すでに遅し。
「全く、手間の掛かる……もう俺は若くないんだから、あまり体力を削ることはしたくないんだよな」
「その図体じゃあな。“錠前”なんていわれてるくらいだし」
「“岩”だ」
燕は立ち膝になり、飛び出せる状態を作った。
1発だ。デニスの銃は6連発リヴォルバー。さっき、5発撃った。再装填した風ではないから、残る弾はあと1発である。その1発を、撃った瞬間が好機である。再装填するより先にこちらが攻撃すれば、チェックメイトだ。
槍を短く持ち、影から様子を伺う。デニスに最後の1発を撃たせるには、自らが囮にならなければならない。
(一瞬だけ、身を晒せば――)
「まあ、別に隠れていたければそのままでもいい」
デニスの言葉で、飛び出すタイミングを失った。
「はあ? 何で」
「特に困らんからな、俺は。お前がいまそこにいる、それだけでもう俺の勝ちは決定しているようなものだ」
「意味が分からな……」
ふと、地面に視線を落した。
(何だ?)
黒いアスファルトに、さらに黒い液体が溜まっている。水、ではないようだ。触って見るとどろりとした感触が指に絡みついた。
「いいことを教えてやろう……本職というのは、自分の身を隠す場所にも気を使うんだ。少なくとも、火種のあるところに身を置かない」
その纏わりついた液体は……ガソリンだった。燕が背をつけている、車から漏れ出したものだ。
――まずい!
「No smoke without fire(火のないところに煙は立たぬ)」
デニスが発砲、銃弾がガソリンタンクに突き刺さった。
刹那、衝撃と轟音が天地を揺るがした。新たな火炎が昇った。
まるで、天蓋が崩れ落ちたかのような爆音。爆風が鉄片を撒き散らした。
炎上する車を見つめ、デニスは黙って踵を返した。立ち去ろうとするが
「火のないところに、か」
不意に止まった。銃のシリンダーを開け、中のカスール弾の空薬莢を排出する。
「敵なきところに、気配はしない……」
空のシリンダーに、慣れた手つきで新たな銃弾を詰め込む。そしてシリンダーを戻した。
「気配がする、ということは!」
振り返り、炎に向かって銃を向けた。オレンジ色の中に、影が揺らいだ。
直後、ばっと炎が割れた。
影は燃え盛る炎を縦に切り裂き、飛び出した。突風が生まれ、火の粉が舞った。
「ご名答!」
体に炎を纏ったかのような、赤い装束と赤い髪――燕が槍を振りかぶった。
発砲。銃弾が燕の肩を掠めたが、燕は止まらない。
デニスの頭上に、槍を振り下ろした。デニスは銃身でそれを受けとめた。燕、槍をしごき、デニスの首を狙う。デニスは体を反らしてこれを避けた。燕は外れたと見ると、体を左に転換させた。
遅れて、スーパーレッドホークが火を噴く。弾はつい先ほどまで燕の体があった箇所を飛び、車の残骸を撃った。逃げる燕をまた撃ったが、これも外す。
あと3発。燕はデニスの背後に回りこんだ。槍を天頂に翳し、上からの軌道で突いた。槍頭が、デニスの背中に突き刺さった。
「く、この!」
振り向きざま、デニスは撃った。燕は槍を使い、棒高跳びの選手のように跳んだ。銃弾が、足先を掠めた。
「はあ!」
空中で、燕は槍を引き絞り、放った。今度は肩に突き刺さる。
燕が着地した、と同時にデニスが撃った。カスール弾が唸りを上げ、燕の右腕を掠めた。少し触れただけで超剛性繊維が裂け、肉が切られた。撃たれた箇所から、血が噴き出た。
「……この野郎!」
使い物にならなくなった右手を庇うように、左半身になる。腰を低くし、左手一本でデニスの右腿を突いた。
噛み殺すような声が、デニスの口から漏れた。槍を引き抜くと、デニスは膝をついた。
あと1発。
槍を逆手に持ち、力の抜けたデニスに向かって燕は切っ先を打ち下ろした。
デニスは振り下ろされる槍頭を見据え、銃を向けた。
銃口と槍頭が、交差した。
燕はぴたりと切っ先を、デニスの首筋につける。デニスの方は、銃口で燕の眉間に狙いを定めていた。
「刺してみろ。その瞬間、お前の頭がぶっ飛ぶことになるがな」
「なんだい? 自分の命と引き換えに俺を殺ろうとしているのか? セックスのことしか頭にない米国人が」
「お前こそ、金勘定と食い意地だけのチャイニーズが俺と刺し違えると?」
銃と槍を互いに向けあったまま、制止している。
「試してみるか?」
「望むところだ」
燕は手に、デニスは指に力を込めた。己の魂を込めた刃と弾が、いまにも放たれんとした。
「デーニーースッッ!!」
突如として第三者の声が響き、両者タイミングを失った。
「なんだよ、今大事なところなんだ。邪魔するな」
デニスは燕を見据えたまま、声の主である本隊の男に怒鳴った。
「何を遊んでいるんだよ! こんなとこでガキ相手に」
「遊んで無い。真剣勝負だ」
「馬鹿か。そんなことやってる間にクラブに押し入った奴ら、女連れて逃げちまったんだよ!」
それを聞き、緊迫した燕の顔に、若干安堵の色が浮かんだ。
(そうか、彰たちうまくやったんだな)
ほっとするものの、デニスからは目を離さない。
「今からビリーのところに行く! お前も早く切り上げろ!」
それだけいうと、男は走り去った。
「そうか、“パープル・アイ”が陥落したか……」
そう呟いたデニスは、銃を下ろした。
「ということは、ここでお前とやりあう必要も無くなったわけだな」
「え? 何いってんだよ」
戸惑いながらも、燕もまた槍を下ろした。
「女とは『牙』の妹、と聞いた。そいつを連れ去られたということは、もう『突撃隊』は機能しない……あとの部隊も散り散りだからな、俺たちが行く意味もないだろう」
「はあ……」
頭をふるデニスに、燕は複雑な視線を送った。先ほどまでの気の高ぶりが、潮が引くように消えていくのが分かった。
「今回は、俺たちの負けだ。認めるよ。俺はこのまま消えるから」
「え……なんでそうなる? お前『BLUE PANTHER』なら『鉄腕』の所に駆けつけなくてもいいのか? もしくは俺を殺して『OROCHI』の戦力を削ぐとか……敵である俺がいうのも変な話だけど」
「そうだな。でもまあ、俺はそこまで旦那に思い入れがあるわけじゃないし……部隊も散り散りになっちまったしな」
乱れた襟を正し、デニスは銃をしまった。そして燕に背を向け、歩き出した。
「どうせ、『BLUE PANTHER』には未来は無い。そもそも俺、組織とかは性に合わないんでな」
「あ、そう……」
燕も槍頭の血を拭い、服装を直した。なんとも、あっけない幕切れである。
「……お前とは」
デニスは足を止めて、いった。
「また会う気が、するな」
「……なんでそう思うんだよ」
「いや、なんとなくだ……いずれにせよ、この街で生き残ったら、の話だ。まあせいぜい、頑張るんだな坊や。それまでに、その酷い発音をなんとかしてくれよ」
ひらひらと手を振りながら、デニスは闇の中に消えた。
「なんだかなあ……」
デニスの背中を見送りながら、燕は溜息をついた。気がつけば銃声も消え、静寂が街に戻っていた。