第五章:18
「ねえちょっと、痛いって! 離してよ!」
ブロンド女が身をよじった。
「手、そんなにきつくしなくても逃げないって!」
「信用できないね」
彰は頑として離さない。
『STAFF ONLY』と書かれたその部屋は、銃火の嵐吹くプレイルームより少しはなれたところにあった。他の部屋より幾分頑丈な、アルミ製の扉。問答無用で銃弾を撃ちこみ、ドアノブを破壊した。
同時にホールドオープン、スライドが弾切れを伝える。
「あんた、イエローでしょ? なんで銃なんて撃てるの?」
「見様見真似」
弾倉を交換しながら、彰は素っ気無く答えた。
地下へと、石造りの階段が螺旋状に伸びていた。先の廊下よりも狭い、人一人分通れる位の通路である。明かりはなく、1メートル先も見えないほどの暗黒の道。足下を探るように、女と彰はゆっくりと下った。
「ここの地下は、たしか新人が入れられてる部屋があるって聞いた」
彰は一歩ずつ階段を下りながら、いった。
「詳しいんだね、随分と」
「まあね。いろいろと調べたから」
「そう、でもあんたの望みの人物がいるかどうか、なんて保障は無いよ」
女は表情を曇らせた。
「ここでは、娼館に上がって実際にお客取れるようになる子なんてそうはいない……大抵は皆、過酷な環境に耐えられなくなって病気で死ぬか、男どもに体をめちゃくちゃにされて廃人になるか……いずれにしろ商売出来ているあたしなんかラッキーなほうだよ。あんた、恋人か肉親が囚われているのか知らないけどあまり期待しない方が」
「恋人や肉親なんかじゃない、それ以上の女性だ」
彰の履いているのは旧軍の軍靴である。石段を踏みしめるたびに空気が乾いた、張り詰めた音を伝える。それが幾重にも反響し、2人の会話をかき消した。
「それに、梁と『突撃隊』を操るにはおいそれと手は出せないはず。生かさず殺さず、それが人質というものだ」
「リョウ……?」
「そんな余計な事、あんたが気に病むことは無いさ。そんなことより、次の食い扶持の心配した方がいいよ」
やがて
階段が、途切れた。
一体、何がどうなっているのだ……“パープル・アイ”の総支配人であるダックは頭を抱えた。
やばい橋は、殆どデニスやコリーといった荒事専門の奴らに任せていた。自分はただ、このクラブと売春宿の金の出入りに気を配っていればよかったはずなのに……だのに何故今夜、いきなり襲われなければいけないのか。しかもアジア人なんかに。
ダックは護身用に購入した拳銃をデスクの引き出しから出そうとした。が、慌てているためなかなか取り出せない。落ち着いて深呼吸をするが、手の震えが止まらない。
「マスター!」
「ひっ!!」
誰かが事務所に入って声を張り上げた。それほど大きな声ではなかったが、ダックは心臓を打ち抜かれたように驚いた。
「マスター?」
「ばかやろう! もももっとそっと喋れ! 何だよ!」
「はあ、いや連中の一人が地下の調教部屋に行きましたぜ。あそこは店のモンしか知らねえはずなのに」
地下の調教部屋……それを聞き、ダックはその小太りの体を転がすように走り出した。
「マスター、どこへ!?」
「地下だ! お前たちはイエローどもを何とかしろ!」
S&Wを片手に、ダックは事務室を出た。
「部屋というか牢獄だな、こりゃ」
彰が感想を洩らす。その表現は、的を得ていた。まさしく牢獄、鉄格子で塞がれた幾つもの小部屋に、まだあどけない少女達が入れられていた。アジア人が多いが、中には白人や黒人もいる。皆、ぐったりと横たわっていた。
「酷いなこれは……」
ふと、奥の方に目がいった。
少女が、横たわっていた。腰まで伸びた、柔らかく波打つ栗色の髪。簡素な、布を巻いたような衣服から細くしなやかな肢体をのぞかせている。
「舞……なのか」
彰は女を放り出し、走った。鉄格子に手をかけ、中の少女に声をかける。
「舞! 分かるか! 俺だよ、彰だよ!」
少女は彰の呼びかけに、わずかに顔を上げた。長い睫毛の向こうからの、茶色の瞳で彰を見ている。
くっきりと整った顔立ち、その肌はきめ細かく、陶器を思わせた。薄暗い檻の中で、その白さは一層際立っていた。
「……彰?」
かぼそく、少女が鳴いた。途端、無表情の顔にわずかな驚きの色が見えた。
「え、彰? 一体……どうしてここに?」
「舞……よかった、俺は」
「そこまでだ、イエローモンキー」
背後から声がした。同時に、銃声。彰の肩を掠めた。
「イエローめが……どうやってここに入ってきた!? 表の奴らは何をしているんだ畜生っ」
ダックが顔を紅潮させ、息を切らしながら銃を向けていた。
「ああ、それなら店の前で眠ってもらったよ。これで」
彰は向き直り、ガバメントをちらつかせた。
「何だその銃は。イエローが生意気なんだよ!」
「何いってんの。あんたらからのプレゼントじゃないか」
飄々としていう彰のこめかみを、さらに銃弾が抉った。
「うるせえ、ともかくそこから離れろ。その女は旦那のお気に入りなんだ、手ェだすんじゃねえ!」
2.5インチのリヴォルバーで、彰の眉間に狙いをつけた。
「まずは銃を捨てろ」
彰はいわれるままに銃を捨てた。
「両手を挙げて、こっちに歩いて来い。掌を向けて」
すべてダックにいわれたとおりにし、彰は手を上げながら歩いた。
「彰……」
「舞、聞いてくれ」
彰は、舞に背中を向けたままいった。
「ここ2年間、ずっと悔いていた。あの時、もう少し俺に力があれば、って」
「え……」
日本語だった。国が滅びて以来、だれも使わなくなった言語で、彰は喋っていた。
「俺だけじゃない。雪久も、梁も……苦しんで来た。俺たちの時間は、ずっとあのときのままだ。あの日の自分を責め続け、自分の無力さをずっと呪い続けていた……」
「さっきから何をごちゃごちゃいってる!」
ダックが怒鳴った。失われた言語など、彼には分かるわけは無い。
「だけど、一番つらいのは舞、君だったんだよな……本当、ごめん。今まで、散々待たせてしまったね」
「そんなこと……」
舞は、目を伏せた。
「いいのです。私は、あなたや、雪久が……兄さんが無事ならば。私が捕まったのは私のせいです。弱いから……悪いのは私です。だから、皆が気にかけることはないのです」
「舞、それは違う。弱いことは悪くない。強い人間がいれば、弱い人間だっている。肌が白い奴もいれば黒い奴、黄色い奴もいる。この街は一つの価値しか認めないけど、本当はいろんな価値があるべきなんだ」
だが、それは時代が許さなかった。力の強いもの以外は生き残れない、白人でなければ生きる価値すらない。そんな価値観が、それにそぐわぬものを排除し、虐げる。それが増殖し、いつか「一つの価値」しか認めぬ街となった。
「舞、君はそんな一方的な価値観の犠牲者なんだ。でも、俺たちは街の価値なんか、認めない」
「だーかーらっ、何をいってんだよ貴様ら!」
ダックが喚き散らすのを無視し、彰は続けた。
「認めないけど……やっぱ無力なままじゃ戦えない。だから、あの日から力を求めた。そして、不十分ながらようやくその力を手に入れた。無力な俺じゃ、なくなったんだ」
「うるせえよ、この!」
ダックが銃口を、彰の額につけた。それが、合図だった。
「舞……ようやくだ。ようやく、君を――」
いうや、彰の行動は素早かった。ダックの右手首を左手で掴んだ。爪が食い込むほどに、深く、強く。
掴む、それだけで十分だった。
「て、てめえ……」
ダックは引き金を引こうとした、がその指に力が入らない。いや、指どころか全身の力が抜け出ていった。手首を掴まれた状態のまま、ダックは白目を剥き泡を吹いて――床にへなへなと崩れていった。
彰は手を離した。掴まれたダックの手首が、紫色に変色している。
「蛇を舐めるなよ。銃が無くても、体に宿した毒は獣をも制する」
彰の左の中指には、飛び出し針を仕込んだ指輪が嵌っていた。掌側から小さな針が、生えている。
「TTX、河豚の毒は強力だよ?」
物言わぬ骸を見下ろし、彰が悪戯小僧のように笑った。指の折り曲げと連動し、針が出たり引っ込んだりしていた。
「彰、無事デスか!?」
地下に、リーシェンや他のメンバーが駆けつけた。
「黄、首尾よくいったみたいだな」
「こいつで後ろから穴開けてやった。白人ぶっ殺すのは気持ちいいぜ」
「冗談じゃないですヨ、あっちこちから撃たれて生きてる心地しなかったです……」
興奮したように話す黄とがっくりと肩を落すリーシェンを見比べ、彰はくすりと笑った。
「さて、と……ついでといってはなんだけど、ここにいる子達を出してあげよう」
ガバメントを拾いあげ、少女達が収容されている檻の鍵を撃ち抜いた。他の少年たちもそれに従う。
そして、最後に舞が入れられていた檻、その鍵を撃ち壊した。
「行こう。皆が待っている」
彰が手を差し伸べ、舞がそれを取った。
「手に入れた力が“毒”というのも、少ししまりに欠ける話ですね、彰」
舞はその潤んだ瞳で彰をみつめ、柔らかく笑う。桜色の唇が、綻んだ。
「はは、それをいわれるとつらい……なんせ腕力じゃ雪久や梁に敵わないしね」
頭を掻きながら、苦笑いした。
「さて、問題はここからどうやって出るかなんだけど……」
彰は、なぜか憮然としているブロンド娼婦の方を見た。
「何よ?」
「ここからの抜け道があったら、教えて貰えるかい?」
「何いってんだよ……人の仕事場荒らしておいて。明日からどうやって食べてきゃいいのさ」
女はふてくされたように煙草の火を点け、煙を吐いた。
「そこは、何とかして貰うということで。俺たち、人のことより自分たちのことで一杯だからね」
「ふうん、まあいいさ。あんた、結構いい男だから見逃してやるわ」
「どうも……で、逃げ道はあるのか?」
女は黙って、奥の方を指差した。
「そこいけば、出口があるよ。そこならうまく逃げられる」
「ありがとう……えっと……」
「あたしはルーシー。ルーシー・マックファーレン。あんたは?」
「九路彰だ。この街で商売するなら、覚えておきな。いつか、『皇帝』の側近になる男だからさ」
「側近、って志低いわね。どうせなら『皇帝』になる、くらいいったらどうなのよ」
「その席はもう予約済みでね、俺は側にいることしかできないんだよ」
いくぞ、と短く号令をかけた。少年達が後に続き、ルーシー一人が、だれもいなくなった地下牢に佇んでいた。
「おい、ルーシー!」
10分後、男が飛び込んできた。
「ここにイエローどもが来ただろう! どこいった!」
「行っちまったよ」
煙草の灰を、ルーシーは地面に落した。
「『皇帝』に喧嘩を売りにね。もう、ここには戻ってこないんだと」