第五章:13
省吾は、2人の会話を聞いていた。
「本気じゃない……ってやつは刀術使いじゃなっていうのか?」
隣のユジンに訊くが、ユジンは黙って頭を振った。
「私の目には、手を抜いているようには見えなかったけど」
「そうか……しかしまあ、つまり俺は本気じゃ無い奴に負けたということか」
がっくりとうなだれる省吾に、ユジンが慌てて声をかける。
「あ、いや省吾も凄かったって! 最後の技とか、あんなの私見たことないし!」
「そりゃあ、今まで見せたことねえし……」
「それに私を……あ、そう言えば省吾」
ユジンが思い出したように訊いた。
「……なんだよ」
「その……さっきの……」
「ああ、それね」
省吾は視線を逸らし、雪久と梁の方を向いた。
「妄言だ。気にすんな」
刀を捨て、無手になった梁は左足を踏み出した。
腰を落とし、両足を肩幅に開き前の膝を曲げる。拳は腰につけている。
大きく息を吸い込み、腹に溜めた空気を吐き出す。金属を切り裂くような劈く息吹が、雪久の耳をついた。
――これだ。
雪久は唾を飲んだ。緊張が、掌に汗を分泌させる。興奮、高揚。自然、呼吸が速くなる。
これこそ宮元梁のあるべき姿。『牙』の本領発揮である。拳一つでギャングにカチ込み、銃弾を掻い潜り多くの白人を沈めてきた、男の実力。
梁とは一度も手合わせしたことは無い。その機会がなかったのだ。故に梁の実力はどういうものか知らない。だからこそ、楽しくてしょうがない。遊園地に行く子供のように、雪久は興奮していた。
「見せてくれよ、『牙』――その全てを!」
雪久が踏み込み、蹴りを繰り出した。左目の『千里眼』は臨戦態勢、作動は申し分ない。高速の右足が、梁の顔面に伸びた。
瞬間、目の前が暗くなった。
「えっ……」
顔面に、梁の右正拳が突き刺さっていた。雪久の頭がぐらりと揺れ、腰が砕けた。
なんの!
踏みとどまって、もう一度浴びせる。今度は前蹴り。それを梁、左の背腕で外に払いのけた。
(来るか――!)
紅の目をフル作動させる。『千里眼』に備わる全ての機能、X線で筋肉の動きを赤外線で空気の流れを俯瞰する。
赤い画面に、黄色い表示が出た。
『UNKNOWN』
解析不能。予測、不可。
「な、なぜっ!」
梁の前蹴りが顎に決まり、顔が弾かれた。両足が地面から離れ、吹き飛ばされた。
2秒あけて、雪久の体が倒れる。脳震盪を起こし、意識が一瞬だけ飛んだ。
「おい、白髪野郎」
省吾が後ろから喚いた。
「何やってんだ、てめえの『眼』なら楽々見切れんだろう」
「っせえ、外野は口出すな」
いいながらも、内心焦っていた。
そう――『千里眼』を以ってすれば見えないものは無い。弾丸であろうと、迫る刃も、拳も全部。なのに、梁と対峙すると『千里眼』が解析不能を打ち出す。
(なぜ?)
笑みが消え、逆に梁の顔に薄い笑みが浮かんでいた。
「雪久、お前は俺が無意味に刀を振るっていたと、そう思っていたか?」
梁は、右半面の牙を撫でていった。
「お前の『千里眼』の性能は良く分かった……もうそいつは通用しない」
「んだよ、どういう……」
「お前は俺が斬る瞬間、先ず右手を見て、その後避けていた。その『眼』は確かX線を搭載していたはず……つまり、お前は対人戦闘の時は相手の筋肉の脈動を見て対処している。敵の予備動作から攻撃の軌道を読んでいるのだろう?」
背筋が凍った。『千里眼』の特性は、たとえ仲間となったものにも教えたことは無かった。 『千里眼』は特殊な兵器であり、戦中も少数しか出回ることは無かった。特性を知っているのは戦勝国の技術者か一部の軍事関係者である。だから、その機能を知らない多くのギャングたちにとっては脅威となりえたのだ。
それをこの男……先ほどの手あわせで全てを解したというのか。
「は……それがどうしたんだよ。お前のいうとおりだったとして、たかが人間ごときに避けられるわけねえ」
震える心を強気な態度で化粧をし、すこし上ずった声で虚勢を張った。が、もうそれも通用しない。
「昔からいろいろと武をたしなんでいたが、俺が一番しっくり来たのは父の故郷の武術、空手だった。空手といってもいろいろあってな……俺の習ったものは『起こりを消す』というシロモノだった」
起こり、とは技の起こり。つまり技を打ち出す瞬間、どうしても生じてしまう気配である。
突きを放とう、と心のうちに思えばそれが予備動作として体に現れる。肩の筋肉が動いたり、目線が上下したり……と。
対人格闘ではこの起こり、予備動作を悟られぬようにすることが鍵となる。フェイントをいれて相手を惑わしたり、余計な力を入れぬように気をつける、など。
「ただ、どうしても予備動作は出てしまうものだ。そのかすかな起こりを、その『眼』は拾っているのだろう。お前は俺の右腕の動きを俯瞰し、刀を避けた。おそらく、筋肉の動きで拳や蹴りの軌道を読んでいたんだろう……だが、その起こりを完全に消すことが出来たとしたら、どうする?」
梁が軽く微笑した。
およそ近代格闘技などは、肉体を「パーツ」として扱う。突きを放つにはまず地面を蹴り、腰をひねり、背中の筋肉を動かし、次に肩、最後に腕、という順番で打つ。体の部位を、順繰りに動かすのだ。その過程を観察すれば、予備動作は如実に現れる。肩が動いたから次は突きに来る、というように相手に悟られてしまう。
「腕なら腕だけ、足なら足だけ……そんな風に人体を『部位』としてみるから余計な動きが消えない。その辺を、計算して『千里眼』というのは造られているんだろうな」
ここで普段なら「うるさい」とばかりに飛びかかるのだが、雪久は梁が喋るのを止めようとはせず、むしろ聞き入っていた。
「だが、全身を連動させて打つなら話は別だ。突きを放つのに、いちいち部分部分の筋肉の動きを考えない。一つの動作をするのに、全身の筋肉を同時に動かす。そうすれば、余計な予備動作は生まれないというわけだ」
「……出来るのか、そんなこと」
「出来るさ。頭の先から指先、つま先に至るまでの筋繊維の一本までを適度に緊張させ、一斉に動かせばな。全身を協調させる、これが俺の空手の極意だ」
そういって、また前屈立ちになった。
「は、だから何だよ!」
雪久は突っ込んだ。右拳を顔面に打つ、が梁は上段揚げ受けでそれを凌いだ。
無防備の雪久に、無拍子の横蹴り。体を折った、その後頭部に肘を落とした。雪久は白眼を剥き、うつぶせに崩れ落ちた。
決まった――誰もが思った。省吾も、ユジンも、ビリーも。梁ですら。
「くっくっく……」
くぐもった声がした。その声の主が雪久であると気がついた瞬間、雪久が飛び起きた。慌てず、梁は距離を取る。
「くくく……っはははは、あっはっははは!」
起きあがるなり、雪久は笑った。狂ったように声を上げ、身をよじり、全身を使って笑っていた。
「何が可笑しい」
梁は憮然としていった。
「いやいや、ねえ? こんなに面白くなるとは思わなかった。まさかこれほどとはね……ぶちのめし甲斐があるってもんだよ」
雪久は愉快そうにいった。新しい玩具を与えられた子供のように、その目は輝いている。死人のような目ではない、生き生きとした表情を見せる。
そんな雪久に梁はあからさまに不快な視線を送った。
「お前は昔からそうだったな……自分の嫌いな物にはとことん嫌な態度を見せ、楽しめそうなものには子供みたいに喜びやがる」
「だってよお、マジで面白えよお前。そのために、わざわざ不慣れな刀使っていたのか? 今まで『眼』が通用しなかった奴は、まあいねえでもないけど機能を見破ったのはお前だけだぜ」
雪久はファイティングポーズを取った。
「なあ、『牙』? もっと俺を楽しませてくれよ。もっともっと、俺を悦ばせてくれ。クールでゴキゲンな喧嘩がありゃ、ファックなんてメじゃねえ……そう思わねえか?」
猫なで声で、雪久は誘った。再び左手で、手招きした。
「思わないね。戦争に愉悦を求めるような、そんな下衆ではないんでね俺は」
梁は飽くまで冷静に、また前屈立ちで構えた。