第五章:11
梁の左足が、省吾の右膝に伸びた。まっすぐ、足裏で踏むように。ユジンは、それに見覚えがあった。
ストンプキック。あの第2ブロックでの戦闘の時見せた、踏みつけ蹴り。低空の、モーションの無い、しかして破壊力は抜群のその蹴り。それが正面から、省吾の膝にぶつかった。
みしりと、骨が悲鳴を上げた。完全に破壊する前に、省吾が足を上げたため関節は無事であった。だが勢いまでは殺せず、省吾は足を払われた形になった。
もんどりうって、転倒。顔面から、省吾は地に落ちた。
(くそ、何が起こった? 俺の膝は? 骨は大丈夫か?)
混乱のあまり、状況が把握できない。ただ知覚出来ているのは、足を払われて転倒したことと右膝を襲う、骨に響く痛み。
「て、てめえ」
起き上がろうとするが、右足がまるで他人のものであるかのように動かない。もがく省吾に、梁は重い蹴りを加えた。頭蓋が跳ね上がり、脳髄が揺れた。意識が弾かれ、世界が暗転する。
「惜しいところだったな、『疵面』の。ただ、お前が剣以外にも長けているように俺もいろいろとやっているんでね。刀術だけじゃない、むしろ徒手空拳こそ俺の本領だ」
戦いとは、武器一つ身一つで挑むものではない。メインウェポンがダメならサブウェポン、そして近接戦闘最後は己の肉体、というように幾つもの武器を以って戦うものである。
それを、あろうことか油断してしまった。刀を奪った、それでゲームセットと思ってしまったのだ。
(畜生、なんて俺は――甘いんだ!)
悔やんでも遅い。
思い出したように、疲労が襲ってきた。四肢が、ヘドロにまみれているかのように重い
(ああ、死ぬのかな俺は――死ぬんだろうな……)
体の痛みが増すほどに、冷静になっていく自分がいた。
どうせ、いつ死んでもおかしくない命だった。運よく、命を拾えたに過ぎない。生きていたからといって、すぐに死ぬ運命だ……。
「お前は何故、ここに来た?」
対岸から呼びかけるような、遠い声がした。声の主は、実際はすぐ側にいるのだろう。だが省吾には、ひどく空しく響いた。
梁は剣先を首筋につけた。省吾の頚動脈の辺りを、切っ先で撫でる。
勝者が、敗者を見下ろした。絶対零度の、凍えるような視線。
「お前には関わりの薄いことだろう。チーム『OROCHI』、そのものと関わる必要なんか無かったはずだ。血を分けた兄弟でも、契りを交わした盟友でもない者達と、なぜ率先して関わりたがる?」
何故? それは――。
朦朧とする意識の中、瞼の裏にいくつかの光景が映し出された。
はじめに、工場が見えた。
次に、地下経路のくすんだ壁と錆びたレール。廃棄された、軍用列車。
『夜光路』の風景……刃に消えた李と、崩れるチョウの姿。
最後に、女の顔が映された。
省吾の目が、開かれた。
反射的に手が動いた。右手で、柳葉刀の切っ先を握った。
「な……」
梁が、短く発した。虚をつかれ、軽い驚愕と狼狽が入り混じった声を出した。
何故、ここに来た――?
今一度、梁の言葉を反芻する。その問いに対する解答は、唐突に舞い降りた。
「俺の故郷での話だ。ある女に俺は拾われて、俺は生きるための術を女から叩きこまれた。剣術や柔術といった武術からサバイバル技術まで、それこそ他人の財布の掻っ払い方までな……」
「は、はあ?」
刀を引き抜こうと、梁は腕を上げる。しかし、掌が斬れ指から血が滴ろうとも省吾は刃を離そうとしない。それどころか、より一層、力を加えて握りこんだ。
「その技術のお陰で、何とか生き延びてこれた。だけど所詮、俺が得た力など自分1人生きていく分しかなかった……先生の最後の瞬間、俺は黙って見ていた……俺は、救うことができなかった」
吐息のような、弱弱しい口調である。途切れ途切れに、言葉をつないだ。
「それ以来、人と関わるのはよそうと思ったんだ。でも、関わっちまった。クソお節介な女のせいでな」
その女というのは――。
省吾が身を起こした。梁の見下す視線を受け止め、真っ向から視線を返した。
あの時――梁がユジンを連れ去った瞬間、脳裏にかつての師の死に際の姿が浮かんだ。同時に感じた欠落感、虚無感――なにか体の一部を持って行かれたような、寂莫たる念が込み上げた。
「それほど、深く関わったつもりはねえ。でも忌々しいことに似てやがるんだ、先生を失ったあの日の感じにな。このクソみてえな気分を引きずったまま死ぬのはご免だ……」
梁は無言で省吾の顔面を蹴り飛ばした。靴を噛まされ、省吾は再び地に斃れた。
だがその目――瞳に宿った灯は
「だから取り戻しに来たんだ……ここできっちり返してもらわねえと、死んでも死にきれん」
消えていない。
2人のやり取りを、ユジンは眺めていた。
「省吾」
と一言、呟いた。
――私に、誰かに救ってもらう価値なんか……
目を伏せ、唇を噛みしめた。
そのとき、背後に気配を感じた。
「ひゅー、あっついねえ」
ユジンの頭上から声が振ってきた。不自由な体勢ながらも、ユジンはその声の方を見た。
「雪久……?」
そこには、にやけながら省吾と梁を見る、雪久の姿があった。
「よ、ユジン。元気してたか?」
元気なわけが無いのに、軽口を叩く。
「雪久、だと!?」
ビリーが、怒鳴った。
「てめえ、『千里眼』! いつの間に!」
その声に、省吾と梁が振り向いた。
「雪久?」
「和馬……」
2人一斉に口にした。一人は軽い驚きと共に、もう一人は落胆したかのように。
「雪久……あの、いつからいたの?」
「ん〜、そうだな『ごちゃごちゃうるせえ』ってとこから」
「……それ、どの辺?」
「結構前」
それだけいうと、スタスタと省吾の元に歩み寄った。
「よお、真田。随分とコテンパにされてたじゃんか」
「零時を20分もオーバーしてるぞ、白髪野郎」
「まあそういうな。お前らのド突きあいがあんまり面白くってよ、下手なストリートファイトよりよっぽど見ごたえあるぜ?」
「高みの見物決め込んでいた、ってか。賭け試合かなんかと一緒くたにしやがって」
「固いこというな」
雪久は省吾の腕をとり、丁度肩を貸すような格好になった。その際、省吾の耳に囁いた。
「選手交代だ。こいつは俺の獲物だからな」
ぐったりしている省吾を引きずるように、ユジンのいる戦場から少し離れた場所まで移動させた。
そして、ユジンの隣にどさりと投げ出した。
「……痛え」
「ならよかった」
しばらくそこにいろ、と省吾にいって自分はビリーの元へと歩いていった。
「で、『鉄腕』の旦那よ」
雪久が、玉座のビリーに向き直った。猫なで声で、馬鹿にしたように呼びかける。
「とりあえず、こいつと語らいたいんだが、いいか?」
「いいか? じゃねえよ。貴様、今更出てきやがって」
ビリーが苛つきながらいった。思惑通りなら、ユジンを餌に雪久をおびき寄せ、現れたところを八方から射撃するはずであった。それが、省吾に戦力の殆どを無力化された上に雪久の出現を見逃して……計画が滅茶苦茶である。
「まあまあ。こいつをぶっ潰してから、あんたと踊ってやる」
こいつ、といって梁を指差した。指差された梁は、少し癇に障ったのか苛立っている。
「こ……のっ、クソ野郎! ノコノコ罠にはまりに来て、なに好き勝手やろうとしてるんだ!」
「罠? もしかしてこの転がっている奴らか? こんなのが罠?」
すでに息絶えた、青の骸達を蹴飛ばした。
「罠も何も、これじゃあ田んぼの案山子の方が役に立つぜ」
「ぐ……」
言葉に詰る。
「まあ、焦るこたねえだろう。今来ているのは俺一人だ、殺すんだったらいつでも」
「いつでも、いいな。今、でも」
ビリーが急に立ち上がった。左手に持ったUZIを雪久につきつけた。
「勝手に話進めんじゃねえ、ここじゃ俺が主導権を握っているんだ」
「ははあ……趣味の悪い椅子に座ってるとおもったら、すっかりお山の対象気分かよ? それもいいけど、低い山で満足してちゃ器が知れるというものだ。ちいせえことでオタオタしてよお」
雪久の左目は、すでに臨戦態勢であった。赤々と燃える瞳が、銃口を見つめている。
「お前には、10分時間をやる。その間に、本隊の人間をここまで呼び寄せろや」
雪久はポケットに手を突っ込み、小首を傾げるような仕草をした。
「したら、俺なんかいつでも殺れるだろ? その間に俺は梁と決着つける。それでいいだろう?」
「ふざけんな!」
ビリーが発砲した。銃弾が3発、ダダダっという短い連射音が響いた。弾が雪久の頬を掠め、赤黒い線が3本、白い肌に刻まれた。
小首を傾げたのは、銃弾の飛来する位置を予測した為。もう3センチ、ずれていたら脳髄を撒き散らしていた。
「人おちょくるのも大概にしろ! 貴様なんぞ、いつでも殺せるんだ」
さらに引き金を引こうとするが、その銃口の前に梁が立ちふさがった。
「ビリーよ、こいつは俺が仕留める」
「貴様! 邪魔するのか」
ビリーがいきまくが、梁は静かに、相変わらずの鉄面皮でいった。
「ビリー、忘れんな。あんたはこの俺に、作戦の全てを任せたんだ。こいつは俺が、やる」
そういって、柳葉刀を手に取った。
「久しぶりだな、雪久」
後ろでなにやら喚いているビリーを無視して、梁がいった。
「2年ぶりだな、おい。あんときお前に殴られたのが痛くってなあ。しっかし、まあ驚いたぜ。たかがストリートチルドレン風情が、白人の忠犬に成り下がっていたなんてなあ……」
「……にがわかる」
「はあ? なんだって!?」
「貴様に何が分かるというのだ!」
梁が、声を張り上げた。普段の、無感情な声ではなく怒気を孕んだ強い口調である。
「ははっ、何が分かるか、ってか。分かるわけねえ」
余裕の笑みを浮かべて、雪久がいった。
「俺が一番嫌いなものが世の中に二つある……腐った白人と、その犬。貴様のような、な」
笑ってはいる。が、その目は活きた目ではない。死人のような、荒んだ目。
「そんな奴のことなんざ、分かりたくもねえよ」
雪久は構えた。左半身の、オーソドックスな構えだ。武というものを知らない雪久が、構えるといったら見様見真似のこのファイティングポーズしかない。
「ただ、俺のチームにちょっかい出した礼はしてやんねえとな」
こいよ、とばかりに左手で手招きした。中指だけで、ちょいちょいと軽く。喧嘩相手には、とことん挑発して怒りを煽るのが雪久の流儀である。
が、梁は挑発には乗らず、冷静に刀を構えた。腰を低くした、再びの虎の構え。先ほど少しだけ感情を出したが、やはりお決まりの鉄面皮である。
「お互い、昔を懐かしむような状況じゃなさそうだな」
「そりゃあそうだ。俺、そんなに老けてねえもん」
構えをとったまま、その場でステップを踏んだ。これも大した意図はなく、出鱈目に飛び跳ねている。
「後悔しても、知らないからな」
しばしの間、睨みあい。対峙。
雪久が、跳んだ。