第五章:9
省吾は梁を観た。体つき、目つき、足の重心の位置まで。部分ごとではなく、遠くの山を眺めるように全身を見回す。
たっぷり10秒観察した結果、この男は相当できるという結論に達した。
鋭い刃物を体現したような、そんな空気を纏った男である。Tシャツ越しに見える、隆起した三角筋、胸筋、上腕部は鋼を思わせた。それも実戦のみに特化した、戦うためだけの肉体。
その目に、動揺や惑いの色はちらとも見受けられない。驕り、相手を侮る気配も無い。敗北や死に対する恐怖も無い。
無心。ただ忠実に、自分の成すべきことを成さんとする決意。歴戦の勇士を思わせる、目だ。
冷や汗が背中を濡らした。
“クライシス・ジョー”と対したときも、これほどの緊張は感じなかった。あの男からは、ナイフからしか『斬る』というサインは発せられていなかった。だが、この男はどうだろう。一歩動けば、その瞬間に身体を切刻むという獣の威嚇にも似た気迫が、全身から立ち昇っている。
胃の中に、鉛の塊でも詰められたような緊張を味わった。その威圧感に足が竦み、剣を落としそうになりそうになる。
(気圧されるな――)
立ち会ったそのとき、相手に呑まれてしまってはそこで終わりである。剣を合わせるまもなく、勝負は決する。
気圧されたら、負け。
腹に息を溜め込み、スーッと吐いた。それと共に、内に溜まった恐れ、恐怖、迷いの念を排出する。そうして邪心を祓い、平常心を保つ。
戦いは、もう始まっていた。
先に動いたのは、梁であった。
一気に間をつめ、刀を横薙ぎに斬った。
省吾は首をひねってそれを避ける。切っ先が鼻先に触れた。
横に斬った柳葉刀を、手首を返して縦回転させる。地面から天空まで、銀色の半円を描いた。省吾はというと、左足を斜めに踏み出し、入り身となって斬撃を避ける。
このタイプの刀を受けることは、すなわち死を呼ぶということである。諸手で、手の内の妙で斬る日本刀と違い、柳葉刀、ククリナイフなどの片手刀は重量に任せて叩き斬るという使用法である。そのため特別な技術はあまり必要でなく、誰でも一通りは使いこなせる。そんな武器を、強度のない長脇差では受けることは自殺行為に等しい。
それでも、真っ当な刀であれば受けきることも出来ようが、そうで無い以上体の捌きで斬撃を避ける他無い。
「てい!」
左右と足を繰り、梁の脇を摺り足で駆ける。背後に抜け、振り向きざま両断に斬った。
がっ、と鉄が交錯した。後ろ向きのまま、梁はその刀を受け止めた。
「成程、体捌きは良いな」
省吾が飛びながら下がる。その省吾の腹に、後ろ蹴りを食らわした。吹き飛んだ。
「ちぃ……」
中段に構え、踏みとどまる省吾にさらに追い討ち。梁が、振り向き刺突してきた。右の関節を柔らかく使い、刃そのものが伸びたように感じた。
それを省吾は刀の鎬で、軽く突きの軌道を外した。剣先で円く流し、迫る切っ先を逸らす。踏み込み今度は、省吾の方が突いた。
突いた切っ先が、肩口に当たる。鋼の肉が、少し斬れた。
「技も一流……いうだけはある」
距離を取りながら、感心したように梁がいった。
「今のは一刀流系の技だな。刀の鎬で刃を外す……」
「詳しいな」
「見るのははじめて、だが」
梁が不意に、体を低くした。密林に息を潜め、獲物を待ち伏せる虎のように。
(足狙いか)
省吾も、さらに腰を落とした。一瞬の間の後、虎が牙を向いた。
低空の姿勢から、省吾の腰の辺りを斬りつけた。柳葉刀が、コートの端を斬った。
一歩下がる。また、追ってきた。空振りした刀を背中側に回し、右肩側から斬ってきた。遠心力を利用した疾風の撫で斬り。これもまた、下がって避ける。
展開が、一方的になった。梁の方は刀を回しながら、次々と斬撃を繰り出す。頭上で旋回、背中に回し、手首を返して息を持つかせぬ連撃。銀の真円が梁の周りに幾つも現れた。
対する省吾は、只逃げるのみ。踏み込む余地など無く、後ずさった。
逃げは、心の余裕を奪う。
梁が腕を突きだした。扎刀と呼ばれる、腰の横から前方に突きだす刀術の型である。それを受け流す、ことが出来なかった。
切っ先が、省吾の肩に刺さった。超剛性繊維越しに、血が滲んだ。
梁、引き抜きながら前蹴りを放つ。省吾の右手に当たり、刀を弾き飛ばした。
慌てて刀を拾いに行くが、梁の刃に阻まれた。
「ただし、お前の術には致命的欠陥がある。諸手で扱う日本刀は、使用には相当の技術を要する。振れば斬れる、大陸の刀と違ってな。大陸刀術の遣い手が技の修練をして入る間に、日本剣術の遣い手はまず『斬り方』を学ばなければならない。その分、修練に差が出る。それが先ず一点」
腰を低く、力を溜めた。刹那、虎が跳躍した。
左脇に隠した刀を、省吾の顔面に向かって振り抜いた。省吾は身を低くし、これを避けた。ついでに、梁の足下に転がっていた長脇差を拾い上げる。
背中を見せた梁に、袈裟斬りを浴びせる。梁は難なく、この太刀を受けた。
二の太刀を浴びせる。左肩に担ぐように振りかぶり、胴斬り。避けられたなら、足斬り。全て、梁の軽い身のこなしの前に空を掴んだ。
「さらに、そのスタイル……わざわざ剣を諸手で持つその構えは、どうしても間合いが近くなる。その結果、大陸や西洋式の剣術の前には遅れをとる」
右手首で、刀を2回転3回転させ勢いをつけて斬撃。下から上に斬り上げ、横に撫で斬り、両断に斬る。それらの動作が、一息で行われたかのように淀みなく、省吾を襲った。省吾は、刃の暴風の前にただ足踏みするばかり。避けるのが精一杯である。
いや――それすらも危うい。徐々にではあるが、省吾の身体に刀傷が刻まれつつあった。
「両手剣というのは、一撃の威力は凄いのだが速度では片手の剣に敵わない。まあ、それでも良くついて来ていると思うがな」
「ええい、ごちゃごちゃうるせえ!」
省吾は距離を取った。追う梁。
「お前は不完全だ。何もかも、技術も手にした武器も全部。それでは生き残れない」
梁が踏み出した。省吾は中段に構えた。
二歩目を踏み出した。
「せい!」
省吾が突きを繰り出した。が
「それじゃあ、いけないな」
耳元で、梁が囁いた。いつの間に、梁の顔が肉薄している。
重い刃を、拳と共に突きだした。