第四章:10
「ねえ、チョウ……」
助手席で、ユジンがいった。背後を、見ている。
「あの、彼らの殺されかた……首を斬られたっていってたよね」
「そうだな。それが?」
「おかしくない? 白人ギャングは皆銃を持っているのに、わざわざ首を切る、なんて面倒な方法とるなんて」
「あーそうかもな。それがどうした?」
チョウは上の空で答える。というのも、先刻から追いかけてくるバイクが気になっていたのだ。
「この街に来たばかりの頃、雪久に聞いたことがある……『BLUE PANTHER』には、アジア人だけで構成された別働隊がいる、って」
「なんだそりゃ? じゃあ同人種を殺したってことか? アジア人が白人の手足になって?」
「確か、その別働隊が『Blue Panther Special Attackers』、またの名を『突撃隊』って――」
ユジンが最後まで、いいきらないうちに
車体が揺れた。
「やりやがった!」
後続のバイクが突っ込んできたのだ。
右に曲がり、『夜光路』を外れて細道に入る。アクセルをさらに、踏み込んだ。
「なんなんだ、その『突撃隊』って」
「半年前まで、この界隈の最大勢力は『マーダー・ローズ』ってギャングだった。それがわずか一晩で壊滅した。その後、『BLUE PANTHER』が《南辺》を支配するようになったの。どうも、その時動いたのが『突撃隊』だったらしくて」
いいながら、サイドミラーを確認した。
まくどころか、増えていた。チョウたちの車の後ろを、ぴったりとつけているバイクは5騎。運転手は紺色のパーカーを着込み、各々大型の鉈のような刀を携えている。
「鉄の馬を駆り、刀でもって首を刎ね落とすという……実際に見るは初めてね『突撃隊』」
後方の敵の名を、呼んだ。
1騎飛び出し、車のリアフェンダーに切りつけた。さらにもう1騎、柳葉刀でガラスを突き破る。破片が飛び散り、チョウの頬を切った。
「そんなんで、止まるかよ!」
左右に車体を揺らし、逆に襲いかかる獣達を振り払った。四輪とバイクでは質量に差がある。故に、単車でいくら攻撃を仕掛けようとも、威力はさほどでもない。走り続けさえいれば接近する敵を振り払うことはできた。
このまま、逃げ切れば――。
だが、チョウは刀術には通じてない。「斬る」「突く」以外にも刀の使用法があることを知らなかった。
『突撃隊』の一人が、柳葉刀を振りかぶった。そして、スローイングナイフの要領で投げつけたのだ。投げた刀は回転しながら、ジープのタイヤに突き刺さった。
如何に元軍用とはいえ、一般に卸されているのはノーマルタイヤ。ひとたまりもない。車は制御不能となり、スピンした。
「しまった」
体勢を立て直そうとするものの、手遅れであった。足を失った車は大きく左に流れ、真っ向から壁に激突した。
耳を衝く大音響ともに、ユジンの体が跳ね上がりドアに叩きつけられた。衝撃がユジンを貫き、肺の中の全ての空気が押し出される。瓦礫とガラスの破片が降り注ぎ、本能的に身を縮めた。
「ユジン!」
チョウが叫んだ。隣にいるはずなのに、ユジンにはその声が遥か彼方の岸辺から呼んでいるかのように、遠くに感じた。
「チョウ……何処?」
ユジンが、瓦礫の中から這い出した。かすむ目を凝らして見る。
「なるほど、あっちも本気ってわけね」
10騎の『突撃隊』のバイクが、車を取り囲んでいた。黄金色の光芒が、照らす。
「チョウ!」
「ここだ……」
背後から、よろよろとチョウが立ち上がってきた。額から血を流している。
「大丈夫なの?」
「あまり……事故った瞬間、外に放り出されちまった。背中と腰を打っちまって、よく動けない」
それでもなんとか、ファイティングポーズをとろうとする。だが
「これじゃ、勝負にもならねえよ……」
手負いの上、追い詰められた。もはや逃げ道は、ない。
《南辺》第2ブロックに位置する孫 龍福の鍼灸院に省吾が入ったのは、夜も更けた午後零時頃だった。
「本当に来てくれたんですね」
感激したように目を輝かせ、省吾のむき出しの背中に鍼を打った。
「こんな店、たった二人でやっているのか?」
「ええ。僕が実務を、李が経営のほとんどをやってくれてます」
省吾はちらりと李を見た。襲撃で傷ついたものの、順調に回復しているようである。
「しかし……やはり限界があろう、お前たち二人では。店の経営と平行して、『OROCHI』の診療じゃあ」
省吾が店内を見回しながらいった。
鍼灸院とは名乗っているものの、そこは掘っ立て小屋に診察用ベッドを置いただけの、粗末な構えだ。
「恩に報いるためです」
ぷすりと腰のツボに鍼を刺しながら、孫がいった。
「恩?」
「雪久さんは、僕らの恩人です。村を焼かれて、野垂れ死ぬしかなかった僕らを救ってくれて、生きるための道を示してくれたんです。『お前は戦う力がなくとも、その医術の腕がある。それを、俺が買い取ってやる』って。そうして仕事を与えてくれて、しかもこの鍼灸院を建てるために尽力してくれたんです」
そう、喜々として話した。
「あの人は素晴らしい。あの人のためにも、頑張らなくては」
「馬鹿か、お前」
憮然とした表情で聞いていた省吾が、孫の話を遮った。
「え?」
「そうして、あの人のため、とか恩に報いる、なんていってると食われるぞ。こんな自分のことしか考えていない輩の中で、なんで他人のため思って力を尽くす必要があるんだよ」
「でも雪久さんは」
「結局、いいように利用されてるじゃねえか。怪我やらなんやら、お前ら只で診ているんだろう。見返りが、ただここの警護って割りにあわねえ」
「別に雪久のためばかりじゃないさ、旦那」
今まで黙っていた李が、初めて口を開いた。
「孫の医術の腕を、多くの人に役立てる。それが俺と孫の夢でもあるんだ。鍼灸院も今は小さいが、いずれはもっと大きくしたいと思っている」
「それが、なんであいつに協力することに?」
「雪久が『皇帝』に収まれば、この店に金を回してくれるって約束してくれたんだ。だから……」
「そんな話をまともに信じているのか、お前ら。甘いな」
省吾がそういうと、孫が表情を曇らし、李は顔をしかめた。
「何だと? 旦那、あんたに何が――」
「っと、ちょっと待て」
省吾は立ち上がり、いまにも掴みかかりそうになっている李を手で制した。
「なんか……外に誰かいるみたいだ」
上着を羽織った省吾が窓際に立った。
「どうですか?」
「……柳葉刀の男が3人、ここを囲っている」
男たちの、そのただならぬ雰囲気を省吾は肌で感じ取った。
「孫、李、逃げるぞ」
「え?」
「どうも様子がおかしい。少なくとも客じゃないし、好意を持っているようにも見えない」
「いや、でも鍼灸院は」
「知るか。こんなボロ小屋と自分の命、どっちが大切だよ。いいから裏口から――」
その時だった。
一台のバイクが、壁を突き破って侵入して来たのだ。薄い壁はバリバリと崩れ、木片を撒き散らした。
バイクはイタリアのドゥカティ社製“モンスター”、車体には『B・P・S・A』と書かれたステッカーが貼られていた。
右手には柳葉刀を握っている。乗り手は青いフードを目深に被り、迷彩のバンダナで口元を覆っているため顔は分からない。
乱入したバイクは真っ直ぐに李のもとに走った。
「いけねえ、伏せろ!」
伏せろ――そう発した声は、届かなかっただろう。
その時にはもう、男の刀が、李の首を刎ね飛ばしていたのだから――
「李!!」
孫が、叫んだ。と同時に、李の血が省吾の頬を濡らした。
その血の生温かさが、逆に省吾を醒ました。冷たい汗が全身から噴出し、眼前の光景をやけに冷静に分析している自分を、知覚した。
――青豹か。
瞬時に察した。あれだけの大敗を喫して、彼らが黙っているはずは無い。刺客を送り込んでくるのは、明らかだった。
そしてこの鍼灸院。『OROCHI』の警護がついているなら、当然マークされる。夜を狙ったのは、おそらく警護がもっとも手薄になると踏んだから。
(しくじった……!)
弾かれるように動き、そして
「ついてこい!」
孫を抱え込むように、裏口に走った。背後でエンジン音が轟き、耳元で刃が鳴った。