第四章:9
「思いあがった……?」
「てめえら、自分じゃ好き勝手にやってそれで満足だろうよ。しかしな……それで人の迷惑とか考えたことはあるのか」
「……え?」
「あの青豹が、黙って見ているとでも思ったのかよ。戦力を冷静に分析、だとふざけんな。貴様らのせいで、俺の……」
そう言うと、下を向いてしまった。
「おい、ユジン」
チョウが肩を叩いた。
「こんな奴らに付き合う必要、ねえぞ。とっとと叩きのめして……」
「待って、チョウ」
チョウが置いた手を振り払い、そして訊いた。
「私たちのせいで……なんなの」
男は、歯を食いしばって泣いていた。慟哭の声を上げるのを、必死に押さえ込むように拳を硬く握り締めて。
下を向いていた男が、顔をあげユジンを睨み付けていった。
「貴様らのせいで、俺の娘が殺されたんだ! 今朝、『BLUE PANTHER』に!」
その男は、ポケットから小さな赤い靴を取り出した。子供用の、小さな小さな靴。
「夜通し働いて、やっと買ってやった娘の靴だ」
男が語りだした。
「昨日から姿が見えないと思ったら、今朝、どぶ川に浮かんでいるのを見つけたんだ。首を斬りおとされてな……ずっと汚ねえ水に晒されていた。この靴を履いていたから、的にされちまったんだ」
「待てよ、オッサン」
チョウが、横から割り込んだ。
「なんでその靴履いていたら、オレらのせいになるんだよ」
「娘の首に“Kill THE RED”って書かれた紙がくわえられていたんだよ、“RED”ってのはお前らのことだろうが!」
「俺のダチは、赤いシャツを着ていたら首を切られた。俺の目の前で」
もう一人、男が口を開いた。
「妹は紅をさしていたから殺された。妹は来月、結婚するはずだった……」
男達が次々と口に出す。その言葉の一つ一つが、ユジンの胸に突き刺さった。
「そんなつもりじゃ……」
ユジンがうろたえるのへ、男たちが叫んだ。
「貴様らのせいだ!」
それが止めだった。その一言が、ユジンの自我を打ち崩した。
別に、正義を気取ったわけではない。ただ、そうして戦うことで少しでも理想に近づける気はしていた。
ユジンが想い描く「アジア人たちの平穏」……それを達成するために、戦うことに疑念は無かった。少なくとも、ギャングを叩くことで自分達が虐げられることは無くなると信じていたから。
『BLUE PANTHER』を潰す――それが理想の第一歩だと。それによって、少なくとも《南辺》には平穏が訪れるものと……そう信じていた。
それなのに。平穏など訪れず、また新たに犠牲を出してしまった。自分たちのせいで――。
事実が、突きつけられる。それが、戦う気力を奪ってしまった。
男が、殺意の刃を振り下ろした。それを受けようとも捌こうともせず、ユジンは、立ちすくしていた。
その身に刃を受けることが罰であるかのように。
だが、それを許さぬ者がいた。
「ユジンっ……やっぱ馬鹿はお前のほうだよ」
チョウが、男の前に立ちはだかったのだ。
0.10秒。
打ち出してから敵の顎を砕くまでの、左ジャブの到達時間である。人間の反応速度を超えるスピードであり、打たれたと思ったらもう間に合わない。ボクシングのもっとも基本的な技であり、尚且つもっとも速い拳だ。
速さを重視しているため、左腕の力を抜いて打つ。そのため、威力は高くない。どちらかというと敵の出鼻を挫いたり、繰り返し打つことでダメージを蓄積させるものである。
だが――チョウの194cmの巨躯から繰り出される左は、通常のジャブよりはるかに破壊力は高い。
ごっ、と鈍い音とともに男が吹き飛んだ。遅れて、地面に手斧が突き刺さった。
「チョウ……?」
「頭下げろ」
低くいった、次の瞬間には左に飛んだ。誰かが繰り出した白刃が、空を切った。
男二人が、チョウに飛びかかった。チョウはサイドステップで、鉄パイプとナイフの攻撃を避けた。すかさず向き直り、右ストレートと左フックを立て続けに見舞った。
さらに背後。ナイフを腰だめに構え、突進してきた。その切っ先が触れるか触れないかのタイミングで、チョウは身を翻して男の右脇につけた。
そして、腕をたたんで突き上げるようなアッパーカット。男の顔が、跳ね上がった。
「早く、こっちだ!」
呆然と立っているユジンの手を引き、チョウは駆け出した。
ビルとビルの狭間に逃げ込み、大通りの様子を伺う。武器を持った男達が、うろついていた。いずれもアジア人。
「赤はオレ達のカラー。つまり、赤いものを付けた奴を殺し、オレ達をこの街で孤立するように仕向けるってわけか」
頭に巻いたバンダナをほどき、腕に当てる。先ほど、斬撃を避け損ねて斬られていたのだ。
「やられたな、これでオレらは街一番の嫌われ者だ。赤を狩る、さしずめ“赤狩り”か。ちっとも笑えやしねえ」
チョウは、ユジンがうずくまっているのに気がついた。
「どうした? どっかやられたか?」
心配そうに、顔を覗きこむ。
「チョウ……私たち、間違っていたの?」
ユジンは顔面蒼白であった。唇から血の気が引き、瞳に怯えの色が見える。
「間違ってって……」
「甘かったわ……ここまでしかねない連中だったのに。私が……私たちが彼らを殺した。この街のアジア人が平穏に暮らせる……ようにっていっておきながら」
「おいユジン」
「何が平穏よ! そんな私の驕りが皆を殺したんだわ、すこし力があるからといってその力を振りかざしたせいで!」
ユジンは、泣いた。悔恨、自分の浅はかさに自分を責めて、泣いていた。もし、彼女独りだったらきっと背負いきれない。現実の重さに、潰されていたことだろう。
「ユジン……」
チョウがしゃがみこみ、そっと肩に手を置いた。
「お前は優しすぎる。誰かのため、何かのため……でもな、先ずは自分ありきだ。自分の行動で、誰かが不利益を被ったとしてもそれをいちいち気にしてたらいけねえ」
「でも……」
「オレらはまだまだこの街じゃ卑小で、弱い存在。自分以外のことを考える暇なんて無い。いや、オレらだけじゃない。ここで生きる以上、自分のことだけで精一杯だ」
血のついたバンダナを再び頭にしっかり巻きつけ、そして
「もし、他を救おうとするなら自分が強くなるしかない。今は弱いが、オレらはいま力を手に入れる途中なんだ。罪の意識に苛まれて、ここで立ち止まるわけにはいかない」
チョウは立ち上がり、手を差し伸べた。
「悔いるなら、ずっと後だ。ただ進むことを考えろ。とりあえず、今は無事に家に帰る事だ」
『夜光路』に、喧騒と悲鳴が同時に響き渡った。
はじめ、チョウが飛び出し男の一人を殴り倒した。ユジンがそれに続く。
棍を振るうだけの膂力をもってすれば、わずか60cmの警棒も凶器となる。敵を殺さぬよう、頭部への攻撃を避けて、肩、胴などを打ち無力化を図った。
一方のチョウは容赦は無い。右、左と拳を繰り出し、正確に男たちの顔面を打ち抜いた。
「チョウ! 死なない程度にやってよ」
「そんなこといってる場合か」
次々襲いかかる男たちをいなし、ステップを踏んでかわす。鉄パイプが、刀がチョウの皮膚を削りとり、前髪に触れるが、肉を斬り、穿つにはいたらない。チョウの足はバネ仕掛けであるかのように、軽やかに地を跳ね回った。
やがて――道の脇に止められた一台の車にたどり着いた。
「ユジン、これに乗るぞ」
鍵が掛かったままであることを確認すると、すぐさまそれに飛び乗った。
「ちょっと、勝手に乗って――」
「だから! いってる場合か、行くぞ」
エンジンをふかし、アクセルを思い切り踏んだ。
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