第四章:6
襲われた少女は鈴と名乗った。梁は上着をかけてやり、鈴の家まで送り届けてやった。
途中、何度も何度も礼をいわれたが梁はただ憮然と「気にするな」というばかりであった。
市より少し離れた、倉庫の壁にもたれかかった。
「さっきはありがとう」
先ほどの女が、梁にコークの瓶を渡す。お礼、というわけだろうか。梁は素直にそれを受け取った。
「私はユジン。貴方は?」
「……梁だ」
ユジンと名乗ったその女は、すこし小首を傾げて微笑んだ。
「凄い技だったね、あの蹴り。なんていうの?」
「……あ、ああストンプキックのことか?」
踏みつけ蹴り、ともいわれる。大陸式拳法体系に良く見られる足技である。最小の動きで、敵の膝を踵で穿つ。
「……と、まあそういう技だけど」
「まさか、一から説明を聞くとは思わなかったわ」
ユジンは苦笑している。
「しかし、何でまた白人なんかに喧嘩なんか?」
「だって、許せないじゃない。あんな小さい女の子に……あの子14歳っていってたもん」
「それで自分が殺られちゃ世話ないだろう」
梁が、コークの瓶を投げ捨てながらいった。
「お前、この街は長いのか?」
「いや、まだ1年だけど」
「なら教えといてやろう。あそこであの娘がどうかなったとしても、それは奴が『弱かった』だけだ。弱い奴は食われる、それがこの街のルールだ」
茜色に染まりつつある西の空を見上げながら、梁がいった。
「お前とて、なにか心得はあるようだがそれより強いものが現れたらどうしようもないだろう。力なきものが、下手に抗ったところで……」
そこで、ユジンの顔つきが険しくなっているのに気がついた。
「……何か」
「やめてよ、そういういい方」
「は?」
「そういう、自分の意思や価値基準を他に委ねるようないいかた。『この街では』とか『しかたない』とか」
ユジンがそういうのへ、梁は怪訝な顔をした。
「委ねる、って?」
「私の考えが100%正しいとはいわないけどさ。でも、街のルールとか白人の力関係とか、そんなことで自分の考えや価値観が左右されるなんておかしいよ。だって、私は私、なんだよ」
澄んだ瞳から、光明が伸びる。その光に、両眼を射抜かれた。
「街がどうとか、力関係がどうとか、じゃない。私自身、だよ大切なのは」
ユジンがいうと、梁は少し驚いた顔をした。
「夢物語だ、そんなもの。ここに住んでいる限り、個人の意思なんか……」
「ならあなたはそれでいいの?」
ユジンは、また微笑んでいった。
「本当は、あなたも自分の意思を捨てられないんじゃないの?」
ズキリと、胸にナイフを突きたてられた気がした。
会ったばかりで、一言二言交わしただけの女。自分のことなど、何一つ話していないというのに……なぜ、この女は。
ふっと、梁は口元を緩めて微笑した。
「お前、似ているな」
「誰に?」
「かつて、お前のような奴がいたんだよ。街の掟に徹底的に逆らって、結局自らの身を滅ぼした。愚かな女、さ」
「だからそういういい方……」
「俺の、妹だ」
梁がいった、その言葉にユジンは黙った。
「そ、そうなんだ。悪いこと……聞いちゃったね」
ユジンはばつの悪い顔をする。梁は気にするなと声をかける。
「別にいいさ。ただ、この街に抗うってのは簡単じゃない。妹のように力及ばなければすなわち死だ。その覚悟があるというなら構わないさ」
最後に梁は
「お前のそういう考え、嫌いじゃない」
そう付け加えた。
気がつけば日も落ちかけ、黄昏時の長い影が二人の頭上に指しかかっていた。
ユジンは立ち上がっていった。
「もし、南辺に留まるならまた会うかもしれないね。私は第2ブロックに住んでいるから」
「その時まで生きていれば、な」
じゃあ。そういってユジンは去っていった。
「おかしな女だ……」
梁もまた、その場を去ろうとする。その時、梁の携帯電話が鳴った。
ディスプレイに表示された、電子メールの送り主の名をみて顔をしかめる。
「召集、か」
電話を右ポケットにしまう。そして左ポケットから、青いバンダナを取り出した。それを、鉢巻状に頭に巻く。
「嫌いじゃない。嫌いじゃないが……この街じゃ長生きできそうもないな、ああいう手合いは」
青を纏ったその男――宮元梁は最後にそう呟いた。
「てめえの顔を見るたびに、吐き気と怖気を一斉に催すんだが何でだろうな?」
暗い遊技場に、わずかなランプの光が灯る。『BLUE PANTHER』のアジトに、宮元梁が呼び出されたのは夕暮れになってからであった。
「さあ? 本能的な恐れじゃないのか『こいつはヤバイ』という。野生の獣が、自分より強い相手には近づかないように」
ビリー・R・レインは、まるで路傍の石を見るかのように梁を見下ろす。眼差しは冷たく、しかし声は荒く。全身から不快さを表すサインを、発していた。
「それは当てはまらんな、俺が貴様に劣るなんて絶対にない。そして貴様も俺より勝っているなんて、絶対に思っていない。だろう?」
「ああそうですよ、偉大なる『鉄腕』様には敵いませんどうせ俺は非力なアジア人であんたはそんな哀れな俺を拾ってくれた大恩人だ逆らうわけないですよ、で用件はなんだ?」
抑揚のない、投げやりな調子でいった。それが癇に障ったのか、ビリーは歩み寄り梁の胸倉を掴んだ。
「調子に乗ってんじゃねえぞ……貴様の肝は俺が握っていることを忘れんな。俺の機嫌一つで、貴様のすべてを奪うことが出来る」
鼻息を荒くし、一言一言に力を込めていった。
「利は俺にある。だから、せいぜい俺の機嫌を損ねるな」
「だから」
梁は特に怖気づいた様子もなく、当初と変わらず涼しげな顔をしている。
「用件をいえよ用件を。自分の力の誇示をするなら、もっと別の所でやれ」
「用件もなにも、貴様を呼び出したってことは一つしかないだろう」
ビリーは梁を開放しながら、告げた。
「命令だ。『突撃隊』を出せ」
そういうのに、肩を竦めて
「半年振り、かな」
梁がシャツの襟を整えながらいった。
「なんだっけ、『マーダー・ローズ』とかいうギャングの掃討作戦だったか。俺たち突撃隊にすべて押し付け、あんたらうしろでポップコーン片手にスポーツ観戦、だったからな。で、奴ら潰したら潰したで『遅い』とかなんとか文句ばかりいってたな」
「黙れ」
「しかし、あんたが俺たちを使うと決めるとはな。相当強力な敵か、それとも大負けしたか」
「うるせえ!」
右腕の包帯を引きちぎり、鋼鉄の拳を梁の顔面に叩きこむ。が、鼻先ギリギリのところでそれを止めた。拳圧が、梁の顔の周りで空気の対流を引き起こした。
「口答えするな、っつったろうが! 貴様は俺になんかいわれる度に『了解』っていってりゃいいんだよ! いちいちいちいち突っかかりやがって、ただの兵隊の分際で!」
顔を紅潮させながら、怒鳴り散らした。梁はその様子を、冷ややかな目線で睥睨する。
(だれが貴様を主君だと認めるものか)
内心こみ上げる怒りを、どうにか押し込めてポーカーフェイスを保った。
「まあ、いい。で、相手は」
「相手か」
拳をそのままに、ビリーは口元を歪めた。
「標的は『OROCHI』、獲物は和馬雪久だ」
それを聞いた時。
初めて、梁の表情が揺らいだ
「『OROCHI』……だと?」
「ああそうだ」
動揺する梁に対し、余裕の笑みを浮かべるビリー。立場が変わった。
「『OROCHI』、まさか知らんてことはないだろう?」
ビリーが粘着質な声を出し、梁の顔を覗き込む。その声に、四肢を絡めとられたような心地がした。じゃあ、『BLUE PANTHER』に喧嘩を売ったチームってのは……まさか。
「気が引けるか? 昔の仲間を殺るってのは」
ビリーがせせら笑う。先ほどまでの激高ぶりが嘘のようだ。
「そんなこと……」
「いっとくが、手心を加えんじゃねえぞ」
梁が言い返すのを遮って、ビリーが釘を刺した。
「いいか、徹底的だ。昔の仲間ごときに情けをかけて自分の肉親を失う、なんてことがないようにな」
「な……」
言葉に詰る梁の肩を、ビリーはケラケラ笑いながら叩いた。そして
「楽しみだなあ、今夜の“狩り”が」
含むように、耳元でいったのだった。