第四章:3
翌日、南辺第5ブロックに省吾の姿があった。
華やかな大通りから、路地裏に一歩、足を踏み入れる。途端、じっとりとした湿気が陰鬱な空気と共に肌を撫ぜた。
垂れ流された汚物や生ゴミの悪臭が、鼻腔から体内に入りそれが内臓をかきまわす。泥と黒い水溜まりで道はぬかるみ、そのお世辞にも良好とは言えない地面の上に、これまた人生良好とはいえないであろう者たちが座り込んでいる。
商売女が、省吾に話しかける。「寄っていきなよ」と袖を引くその腕は、注射の痕が幾つもあった。
アジア人の男が、酒瓶を抱えながら何かを叫んでいる。その目は焦点が合っておらず、唇がだらしなく垂れて涎がとめどなく溢れ出ていた。
(なんだって、こんなところを指定するかな)
頭を振って、省吾は目的地まで歩く。歩いた先にあったもの。
「ここか」
一軒の酒場の前で、足を止めた。バー“クレイジー・キャット”、とある。
「猫科の動物にゃ、関わりたくないんだが」
などとぼやきながら、扉を押した。
薄暗い店内には客が2,3人、いた。省吾はカウンターに座る。
「注文は?」
バーテンダーが無愛想に、訊いた。
「そうだな……清酒はあるか? 純米の」
「ここにそんなものは、ない」
後ろから、第三者の声が降ってくる。省吾は振り返った。
その男は、黒かった。幅広の黒い帽子を目深に被り、黒の皮手袋で両手を包んでいる。コート、ズボン、靴、ソックス、はては時計に至るまで黒尽くめ。もしかしたら、下着や肌着まで黒いのではと疑ってしまう。
「故郷を思い出したい気持ちは分かるが、いま手には入るのは密造酒だけだ。諦めな」
「……混ぜ物入りの酒なんぞ、酒じゃない」
男は省吾の隣に座った。席一つ分、開けたのはそれなりの配慮だろうか。
「随分、派手にやっているようじゃないか」
ブランデーを頼んだその男が、省吾の方を見ることなくいった。
「“クロッキー・カンパニー”の襲撃から『BLUE PANTHER』との衝突、抗争……ただの難民の貴様が、その最中にいるとはな」
「この街での、俺の行動はなんら制限されていないはずだ。違うか?」
省吾もまた、何かを頼んだ。出されたバーボンを、不味そうに口に含む。
「やっぱ、密造酒は飲めたもんじゃないな」
「私が言いたいのは」
男が、少し声を荒げた。
「あまり目立った行動をするな、ということだ。貴様の行動如何によって、私たちの命運が決まる。『向こう』に一度尻尾を掴まれれば、あとはそれを手繰り寄せるだけ。本体が潰されれば元も子もない。分かるか、だから貴様は慎重に……」
「笑わすな」
たん、とグラスをテーブルに叩きつけながら、はじめて省吾は男の方を見た。
「掴まれたら切るつもりだろう、どうせ……その『本体』とやらがどんなものか知らんが手繰り寄せるその糸を切っちまえばたどり着けまい」
帽子のひさしの奥で、男は笑ったように見えた。
「そう、思うか」
「互いの行動に干渉しない、というのもいつ切り捨ててもいいようにそう設定しているんだろうが。いざとなれば無関係と言い張れる。要は蜥蜴の尻尾きりだろう」
そういって、再び正面に向き直った。
「だから、好きにさせてもらう。切り捨てられるのは、慣れているしな」
「それで、何か分かったか?」
グラスを傾けながら男がいった。からん、と氷が触れ合った。
「これを見ろ」
省吾は、懐から写真を数枚取り出し男の目の前に広げた。
写っているのは――銃器である。拳銃、SMG,小銃、ショットガン、等。
「奴らから奪い取った物だ。『OROCHI』の連中からしたら、戦利品か」
「これがなにか」
「苦戦した」
飲む気がうせたバーボンのグラスを脇に寄せ、カクテルを注文する。
「苦戦して、それがどうした? 褒めてもらいたいならママにいってもらえ『たいへんよくがんばりました』とな」
「阿呆が、これを良く見てみろ」
省吾が写真の一枚を指差した。
「こんなものがあったから苦戦した、といっているんだ」
写っていたのは独特のフォルムの、ベルギーFN社製P90である。少し前に最新モデルが出たものの、いまだに軍、警察等で活躍しているサブマシンガンである。
「あと確認されたのが、H&KやらM4カービン……どう思う?」
「一ついえるのが」
写真を見下ろしながら、ゆっくりと腕を組んで男がいった。
「ギャングの持つ銃じゃないな」
「そう」
ビンゴ、とばかりに人差し指を立てた。
「AK小銃やらVz61ならともかく……こんな軍人ぐらいしか持っていない銃が横流しされている」
「だが、銃器の密売なぞ珍しいことではない。まあアジア人にはわからんだろうが小火器の類は結構余っているのだよ。なにせ、大量に製造されたわりに戦争が早く終わったからな」
そういうと男は煙草を取り出し、紫煙をくゆらせた。
「法令110条……武器禁止法も有名無実化している。本来、銃火器の取引は厳罰ものだがそれがなされない。行政特区を管轄する、当の国連がギャングの上層部と癒着を深めているからな。奴ら見てみぬふりだ。この街にも、どんどん余った武器が入って来ている」
「それが、アジア人にも入ってきてくれればいいんだけどな」
無理な話か、と省吾はカクテルに手を伸ばす。妙な色のカクテルだ。透明に近い、ブルーといったところか。
一口飲んで、すぐに吐き出す。工業用アルコールの刺激臭が口中に広がった。
「不味い……」
「いっとくが、自分の分は自分で払えよ」
男はしばらく写真を見ていたが、やがて席を立った。
「ともあれ、これらの出所は調べてみる価値はありそうだ。お前は引き続き、動向を探れ。くれぐれも、はしゃぎ過ぎるなよ」
ドル札をカウンターに投げ出し、男は立ち去ろうとした。が立ち止まって、
「真田、お前はあのチームにこれからも関わるつもりか? 『OROCHI』とかいう」
「わからんが、それがどうした」
「やめておいたほうがいいと思うぞ」
男が振り返る。ちらりと、帽子の奥から碧眼がのぞいた。
「一度や二度、うまく入ったところで所詮蛇が獣に敵うわけがない。もともとの地力が違うからな。下手すると貴様も、巻き込まれる」
「干渉しない、んじゃなかったのか」
すっ、と顔の疵をなぞりながら省吾が口角を歪ませた。
「地力が違ったところで蛇にはそれを補う武器がある……卑小で非力な蛇は茂みに身を隠すために一番適した細長い体を手にし、その身に毒を宿した」
「なにがいいたい?」
「やつらとて同じさ……あそこにはとっておきの“毒”がある。それも、自らも滅ぼしかねない猛毒が、な」
ごちそうさん、といって省吾は10ドル札を放った。
物語が、動きます。