第四章:2
成海市の各地区――《西辺》《南辺》《北辺》にはそれぞれ「長」ともいうべきギャングの組織が、ある。
「《南辺》は、まあご存知『BLUE PANTHER』が掌握している。最近、新興の気になるチームも出てきたが今のところこいつが有力だろう」
どこからか白墨を取り出し、地面に成海市の勢力図を書きながら雪久は説明した。
「で、次に《西辺》には最近力をつけつつある『黄龍』。つい2,3年前に台湾から流れてきた連中らしいが、あっという間に西のギャング共を食っちまった。いま、《西辺》はこいつらの一極支配にある。ま、そのほうが治安はいいだろうけどな」
「この《北辺》は……?」
「こっちの方はよく分からない。何もないバラック街が広がっているんだが……アジア系の組織が仕切っているらしい」
「はあ、なるほど……」
地面に書きこまれた勢力図と、実際の成海市を見比べつつ嘆息する。ここ数ヶ月で成海の事情は分かっていたつもりではあるが、まだまだ省吾の知らない闇がここにはある。
「それで、この並み居るギャング組織を抑えてこの街の天辺にいるのが『皇帝』。そして、その手足となる奴らが『マフィア』」
「『マフィア』だあ? イタリア帰りの似非ギャングでもいるのかよ」
「よく分からんが俺らはそう呼んでいる。そいつらが棲んでいるのが、あの」
といって「タワー」を指差した。
「《東辺》だ。俺は、あそこに行く」
大言壮語だ、と省吾は思う。
成海の頂点に立つ、ということはすなわちいま闘っている相手以上の者とも闘ってゆかねばならない。こんな、武器もろくにないチームで。
(なのに……)
なぜ、目の前の男はこんな活きた目をしているのだろうか。いや、雪久だけではない。
ユジンもまた、この男と同じ目をしていた。およそ実現不可能と思われる、大仰な夢を語っているとき……枯れきった泉のような目をした難民たちとは違って、希望を湛えた、そんな目をしていた。
「そんなことをしたところでどうするんだ? 別にそんな苦労しなくとも……」
「真田、刑務所の囚人が自由になるにはどうすればいいと思う。それも終身刑が確定して娑婆に戻ることはない、最悪の囚人だ」
「さあ? 脱獄、とか?」
「うまく逃げたところで、それからどうなる? 身よりもない、金も無い囚人が生きていけるか? この街もそうさ。敗戦国から流れた難民を収容する、監獄のような街。そこを逃げ出したところで、外にはやはり地獄が待っている」
現に、外界は紛争状態である。国連軍と、敗戦国民からなるレジスタンスの衝突が絶えない。それは、省吾自身重々承知していた。
「じゃあどうするか……簡単だよ」
ずい、っと顔を近づけて雪久はいった。どうもこの男、話に熱がこもるとパーソナルスペースが狭くなるらしい。
「食っちまえばいい。他の囚人も、看守も……檻そのものも、な。そうして、俺を縛り付ける全てを手中に収めたとき、初めて俺は自由になれる」
「そんなこと、可能なのか」
「できるかどうかじゃねえ。やるかやらないか、だ」
そういって雪久は、また新たに火をつけた。
「明日、ここを出る」
省吾が、いった。
「出てどうするんだ?」
「俺は、先生を探す。この街に、いるみたいだから」
「死んだんじゃなかったのかよ。その先生とやらは」
「“クライシス・ジョー”が教えてくれた。一心無涯流の遣い手の女が、この街に流れてきたと」
「いや、偶々同じ流派だとか……」
「ありえない話だ……一心無涯流柔拳法はそもそも、先生が創始したんだから」
省吾が叩きこまれた技術、それは「先生」が習っていた武術に加えて軍隊式の格闘技、サバイバル技術など、とにかく使える業はとことん、叩きこまれた。ただ、あまりに統一感がないのである灯省吾は訊いたものだ。「これって、なんていう格闘技なの?」と。「先生」は思案していった。
「そういえば名前がないな……じゃあ『一心無涯流』とでも名づけようか。剣、徒手含んだ柔拳法という括りで」
「それで生まれたのが、『一心無涯流柔拳法』だ」
「随分といい加減なネーミングだな」
「うるさい。まあともかく……」
今度は、省吾が街の灯を眺めながらいった。
「生きているのか、死んでいるのか……それを確かめたい。そして、生きているなら」
会いたいな、と省吾はいった。
「会って、どうする」
「俺にとって唯一の肉親代わりだから。会いたいのに、理由はない」
「それが、お前の生きる意味か」
「ああ。俺が生きてゆくための、理由だ」
「それで……」
雪久が、思い出したようにいった。
「俺との決着は?」
「それは」
互いの目的を果たしてからだな。そう、言って後にする。