第三章:12
抉られた傷が生々しい。だが、思ったよりも深くなかった。超剛性繊維が、少なからず刃の勢いを殺してくれたようだ。
省吾は左手にターボライターを持った。
折れた長脇差の残り部分を、青い炎で十分に熱し傷口に押し付ける。それはジリジリと肉を焼き、傷口をふさいだ。異臭と苦痛に顔を歪める。
「散々踏みつけてくれたな。俺にそっちの気はないんだが」
脂汗を流しながら、わき腹の傷も焼いた。
「虫野郎が。しぶとさは褒めてやるよ」
ジョーも立ち上がった。
「叩き潰すだけで勘弁してやろうと思ったが。ゴミ溜めの油虫は、どうやら念入りに磨り潰す必要があるな」
「さっきから虫、虫ってうるせえよ。なら、お前にいい言葉を送ってやる」
震える手をそのままに、左腰の長脇差に手をかけた。
「俺の故郷のことわざさ――『一寸の虫にも五分の魂』ってね」
そういって五本目の――最後の刀を抜き放った。
「お前、一心無涯流の女に会った、っていったな」
下段に構えて、省吾がいった。
「それがどうした」
「どんな奴だった?」
ふん、とジョーは鼻を鳴らした。
「東洋の女だ。俺を投げ飛ばして地面にキスさせやがった。手首を外してくれたもんだから、半月は禁欲生活を強いられた」
「そうかい……なら今回も気をつけたほうがいいぜ」
「はあ?」
「一心無涯流の遣い手と立ち会ってただで済むと思うな、ってことさ」
省吾は下段から、正眼に構えた。
「くだらねえ」
ジョーもまた、構える。右のナイフを逆手、左を順手にとった。
痛みが今頃になって、襲ってきた。
神経を通して全身に伝わり、手足の感覚を麻痺させる。体中の汗腺という汗腺が開き、脂汗と冷や汗を分泌する。
手傷を負った今、長期戦は不利になるばかり。狙うなら
(一撃で……か)
ふと、省吾の脳裏にかつての師の言葉がよみがえった。
「恐怖というものは、誰の心にもある」
省吾13歳のころ。初めて剣を取ったときだ。
「恐れの淵。大抵の者はそこに足を踏み入れようとは思わない。いまのお前のように、恐怖の前にただ立ちすくみ、やがて逃げる。それは、間違ってはいない」
木剣を構え、省吾は「先生」に相対するも、しり込みするばかりであった。なにしろ、剣など一度も手にしたことは無い。わずか13の子供が、剣の経験者を相手にして尋常な心持であろうわけが無い。恐怖で、身がすくむ。
「だけどな、省吾。それを踏み越えなければ、得られないものもある。身を捨て、勇気を持って一歩を踏み出すことから剣の道は始まる」
「いや、でも……」
「こういう歌がある。『切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ』」
(『踏み込み見ればあとは極楽』……ってか)
おもむろに左半身になり、刀を右肩に担ぐように立てた。腰は、あくまで正対したままだ。
八相。頭を捨て、ただ一太刀にかけるための構えだ。
恐怖は、ある。
また打ち込めば、同じように受け止められてもう一方で刺されるかもしれない。だが、今の省吾にはもはやこれしかない。長引けば不利になる。ならば。
――この一撃にかける他、ない。
(これで死んだら恨むぜ、先生)
息をため、駆け出した。
省吾の奇声が、コンクリートの壁に反響した。
まず左足を踏み込む。
そして右足を歩みだすと共に、渾身の力を以って真っ向から斬りつけた。
「馬鹿め!」
ジョーは嘲笑った。愚か者、と。
右手のナイフで、省吾の斬撃を止める。
一瞬だけ、交わった。
次に刃は、止まることなく振り切られた。
「……え?」
空中を、金属片と腕が舞う。ジョーの、肘の辺りから白い骨と筋繊維が見えた。
瞬間、ジョーはナイフ諸共腕を切り落とされた事を、理解した。
半分になった腕から、盛大に血を吹き上げなげるのを見、ジョーが苦悶の声を上げた。
省吾の剣はナイフを砕き、腕を切り、ついでにジョーの顔面も切り裂いていた。しばし、自分のした事に呆然としていたが、我に返る。
(二の太刀!)
横に薙ぎ払うが、ジョーはそれを後ろに下がって避けた。
「くぅ……」
呻いて、口元のバンダナを剥ぎ取り傷口を縛る。苦痛にゆがんだ口が、露になった。
「まさか……まだ力を残していたなんて」
「残していたんじゃない、振り絞ったんだ」
汗に濡れた顔を、そっと拭いながら省吾がいった。これがだめなら死ぬ、と感じた。だから、必死の覚悟で打ち下ろした。
省吾は息を切らしている。体温が上昇し、心臓が、高鳴っていた。
「言っただろう、五分の魂と。ただの虫だって、生きるためには鬼にも修羅にもなれる」
汗を拭い、再び正眼に構えた。
「なめんなよ、創造主様よ。歴史は神を殺すことで、紡がれてきたんだぜ?」
ユジンが駆け寄る。だがそれを
「まだだ!」
省吾は制した。
「まだ終わってない……」
ジョーが左半身に構えた。もはや左手しかないというのに、先ほどよりも強い重圧を放っていた。
プライド。自分よりも劣る者に傷つけられた、その屈辱に燃えているようだ。
ふと、自分の武器を見やる。
今の一撃で、刃がこぼれてしまった。刀身が鋸のように欠け、もう刃としての役目を果たせそうに無い。
(突き、しかないか)
ふーっと、静かに息を吐く。
これで勝負は五分五分。まだ予断は、許されない。
ジョーが動いた。ナイフを順手に、飛び出した。
省吾も動いた。長脇差を諸手に、刺突した。
長脇差の切っ先を、ジョーは身を翻して避ける。
背後に回りこみ、斬りつける。省吾は振り返り、それを受けた。そのまま足をかけ、ジョーを押し倒す。
仰向けに倒れ込んだジョーに、追い討ち。だがジョーはそれより早く、省吾のわき腹を蹴りこんだ。傷口を蹴られ、うっと呻いてよろめく。
ジョーは立ち上がった。逆手に持ち換え、切りつける。省吾の首に、赤い線が薄く刻まれた。
ジョーはナイフを振りかぶった。そして、省吾の左肩に突きたてた。深く、それは刺さった。
それでもひるまない。柄尻を思い切り、ジョーの額に叩きつけた。
ジョーが前屈みに、よろめく。省吾は上段に構え、切れ味の無い刀で殴る。頭蓋骨が砕ける音とともに、ジョーは倒れた。
起き上がろうとするジョーを、さらに蹴りつけて転がす。
残り腕を踏みつけ、
腰を沈めて、
切っ先を、喉に向けた。
「チェック・メイトだ、“クライシス・ジョー”。今度は、あの世で死神にキスしな」
完全なる勝利宣言。ジョーはついに、省吾の手中に墜ちた。
「省吾……真田省吾」
ジョーは薄ら笑いを浮かべた。
「いいぜ、殺せよ。だけどな、俺を殺ったならもう後には引けねえ。この街で、闘って、殺して、そしていずれ殺される。それが“成海”という掟さ。その覚悟があるなら、さあ、刺せ」
しばし、両者の間で沈黙が流れた。視線が、空で絡み合い、離れ、そしてまた絡み合う。そんな時間も、長くは続かなかった。
「もとより、そのつもりだ」
そういって、刀を持つ手に力を込めた。
全てを終えた省吾は、立ちすくむ。そしてゆっくりと膝から崩れ落ちるが……。
「省吾!」
駆け寄ったユジンに、支えられた。
「助かったぜユジン。お前の言葉で、立ち上がる事ができた。それがなけりゃ、そこに転がっているのは俺のほうだった……」
「いいから、もう喋らないで」
左肩に刺さったままのナイフを、ゆっくりと、慎重に抜いた。すぐさま血止め薬を塗り、布をあてる。
「は、なんかもう、やたら寒い。しかも幻覚も見え出した……なんでよりによって人生最後に目にするのが一番、気に食わない顔なんだよ」
「省吾、落ち着いて。それは……幻覚じゃないわよ」
「は?」
一瞬、ユジンの顔を見て、次に。
闇の中から現れた、雪久を見た。
「その程度で死ぬようじゃ、この先つらいぜ?」
雪久は笑っている。なぜか、ジャケットがところどころ汚れていた。
「……貴様の顔見たら頭がはっきりしたぜ、確かにお前の顔を拝んでくたばるのは気にいらねえ。あの世で永久に、後悔しそうで」
燕の肩を借りて、省吾は立ち上がった。
「彰たちは無事、新アジトにたどり着いたようだ。李や他の連中は俺が連れて行くからお前は燕と一緒に、先に彰と合流しろ」
雪久はそれだけ告げ、背を向けた。
「ちょい待て」
省吾がその背中を呼びとめた。
「あ? なんだよまだあるのか?」
「いや……その長脇差だがな……そいつを取ってくれないか」
「これか?」
ジョーの首に刺さったままのそれを抜く。刃はいまやただの鉄塊と化し、血と脂に汚れ錆びついている。
「こんなゴミ、持っていってどうする? 使い物にならんだろ」
「まあな……だが最後の一本は、鞘に収めて持っていく約束だからな」
「誰と」
「彰だ。別に大した約束じゃないが、刀を抜き身でもって行くわけにゃいかねえだろう」
刀身が歪んだ長脇差を、半ば押し込めるように鞘に収めた。
「律儀なこって……」
雪久は、腕を組みつつ呆れたような声を発した。
止血を施し、サイドカーに乗り込んだ省吾に雪久が声をかける。
「これで、お前もただの難民じゃねえ。本当の意味で、この街の住人になった、ってわけだ」
燕がエンジンをかける。その爆音に紛れて、雪久が呟いた。
「ようこそ、成海市へ」
第三章:完