第二十一章:5
難民の生活の質はよくなってきているのだという。
それは特区というシステムによるものだった。産業を持ち込み、あるいは興せば雇用が生まれる。戦後間もない頃は機能しきれなかったその仕組みも、改善はされてきているという。
「それでも、雇う側がギャングとつるんでいたりするからね。稼いでも、奴らに持ってかれる」
ヤナの手元には灰色の紙切れが三枚。治安維持部隊とやらが最近特区内部で流している軍票だという。この一枚でやっと一食分まかなえるというから、つまり今ヤナの手元には三日分の食糧が握られているということになる
「そんなもんで生活の質が上がったって、嘘だろ」
雪久は編み笠を深くかぶり直して声を押し殺す。襤褸布を首もとに巻き付け、背を屈めて、なるべく難民に同化しようと努める。
「聞いた話じゃね、特区じゃない他の地域じゃその日の食べ物にありつけない。その辺の雑草を食むような暮らしだって聞くよ。それに比べればマシな方でしょ」
比較する基準が低すぎはしないか、とヤナの話を聞きながら思った。ギャングが取り仕切る、いわばギャングの支配領域で、ギャングの影におびえながらわずかな稼ぎで暮らすのと、ギャングはいないが稼ぐあてもない場所で口に糊して生きるのと。どちらがいいかと言われればどちらもいいとは言えないだろう。
「ギャング共がいなくなりゃいいのか」
「あんたもそのギャングじゃないの」
違う、と言いかけたがヤナたちから見れば同じようなものだろう。
「あんたたちが来る前からも、ここらじゃギャング共しょっちゅう抗争していてね。例えどこかのギャングが潰れてもまた新しいのが来るから、いなくなるなんてことはない。だけど今後は軍が元締めになりそうだよ」
「あれは軍じゃねえんだろう」
小銃を担いだ迷彩服姿が二つ、通りを歩いている。ギャングも時折通りを歩いているものの、軍服姿が目立つようになってギャングの姿は見なくなった。
「違いなんてあるの?」
「いや、分からねえけど。軍じゃなくて軍の出来損ないみたいなことを」
「私らからしたらおんなじことでしょ」
そうかもな、と首をすくめて応じる。ちなみにこの動作が、今朝路上に座ってから雪久がしたほぼ唯一の所作だった。露店に座り込んでも、足を止めようとするものもいないが故に、暇で仕方がない。
「このうちの何パーセントかは持って行かれるのか」
「仕入れでね。私はどこかNGOから仕事をもらっているわけだけど。けどいつまで続けられるか分からないよ」
「支援受けている奴は多いのか」
「自分たちで商売しているのも結構。アパートの中には店構えているところも多い」
ヤナは、アパートというよりも城塞と呼んだ方が良さそうな密集した集合住宅を指し示す。ところどころおかしな改築がされており、隣の高層住宅の三階と四階部分がつながっていたり、壁に階段が取り付けあったり、あるいは盗電のために引いたであろう電線が人の生活スペースを侵略したりと、色々建物としての用件を満たしていない。ヤナの言うところの「店」、その看板が通りに面した壁面に無数に突き出ているが、それが昔のものなのか最近のものなのか、判別つかない。屋上ははるか頭上、その上層部が未だ建設中のところもあるが、アンテナが無秩序に立ち並びその合間で子供たちが遊んでいたりする。
(この辺をまじまじとみたことはないな)
そういえば中まで入ったことも今までない。難民たちの暮らしぶりなど、今まで興味も覚えなかった。
(見ておく必要があるかもしれないな)
ヤナに断りを入れて露店を離れた。ヤナは危なくないのかと問うたが、引き留めることはしなかった。無論、雪久も最大限警戒はしている。あまり周囲に目を配りすぎると怪しまれる。背中を丸めた難民風の歩きで何の気なしに、本当に何の考えもなしに手近なアパートに入り込んでみる。
いきなり天井の低い通路に頭をぶつける。通路脇に座っていた子どもが雪久を指さして笑うのに、軽く睨みつけてやる。それを見て子どもたちはどこぞへ逃げて行った。舌打ちしてその背中を見送り、奥へと足を踏み入れた。
度重なる増築のせいで、中の通路は入り乱れている。隣の棟の通路がいきなり割り込んできたり、唐突に上階に上がるための階段が現れたり、案内がなければ確実に迷い込みそうな構造である。その上電線がむき出しになって、無造作に張り巡らされているものだから普通に歩くのも危なっかしくて仕方ない。壁には郵便箱が張り付いているが、おそらくはもう誰も使っていないだろう。その中に混じって、引っ越し業者の宣伝チラシが貼ってある。水道管から水が滴り、そこかしこに水たまりをつくり、そこから腐敗した臭いが漂って通路全体にどぶの臭いが充満する。
少し歩けば、居住部屋の他にも様々な個人商店が、この集合住宅の中にも設けられていることが分かる。雑貨を売る店だったり、青果店だったり。だが奥に進めば、歯医者や魚肉の加工場、製麺所までもが居を構えている。工場に隣接して一般の住宅が立てられ、木工場のすぐ目の前で洗濯物が干してあったりするのはさすがに恐れ入る。
(建築計画ってものがなかったから、こうなるのか)
気まぐれに近くの煙草屋に入ってみる。八十近いだろう老婆が雪久気づき、しかし愛想を振りまくでもなく顔を上げて、少し会釈しただけだった。
品ぞろえはどうかと見てみれば、陳列してあるもののほとんどが合成煙草である。こんな街に良質なものなど置いてあるはずもなく、ただ奥の棚に刻み煙草が置いてあるのを見つけた。そばには煙管もある。レイチェルが吸っていたものよりは幾分短い。
そういえばレイチェルの煙管は真鍮で出来ており、いざというときには武器にもなる「喧嘩煙管」だった。常に煙管を手放さなかったが、西を追われてからは吸っていない。煙管をどこかに落としたのか、あるいは煙草をたしなむ暇もないのか。あの狭い隠れ家では煙草など吸ったら匂いで居場所が割れてしまうという懸念もあるのだろうか。
「兄さん、冷やかしならごめんだよ」
雪久の思考を断ち切ったのは店の主たる老婆だった。
「こいつを貰おうか」
紙巻き煙草を一ダース買う。刻み煙草の方にも目がいき、手持ちの金を計算してから、煙管も一本追加する。全部買っても大した金額にはならなかった。
「ばあさん一人か、この店」
「息子がね」
「息子?」
「息子がいるが、最近出ずっぱりだな。何でも、賞金がかかってるゆうて」
賞金、と聞いて少し体をこわばらせた。
「ギャングが募集している、賞金首か」
「ギャング? いやあ、なんか最近入ってきたあの軍服連中がらみみたいだけどね。まあ私らには関係ないけど、息子は一生遊んで暮らせるからって、馬鹿な話だ」
「軍服……」
賞金首とは雪久のことだろうか。雪久と、レイチェル。だが次の瞬間、その考えは打ち砕かれることとなる。
「あんたも追ってたりするのかい? 確か手配書、回ってきてたっけねえ。《南辺》で最近までいたらしいけど、顔に傷こさえた……」
「顔に傷」
といったら、一人しか思い浮かばない。省吾のことを、治安維持部隊が探しているということか。しかし自分やレイチェルならともかく、なぜ省吾がお尋ね者になるのか。
「軍服連中は何で、その男を追ってるんだろうな」
「そこまで知らないよ。ただ軍服が追ってるような奴なら、ただごとじゃなさそうだけどね。話によれば、その傷の男も相当腕が立つって」
「ああ、まあな」
その”腕が立つ”男とつい最近まで行動を共にしていたのだ。省吾ならば、軍服連中の一人や二人は簡単に始末できそうな気もしないでもない。ただ、例え一人二人始末で来たとしても、相手は個人ではなく組織だ。破落戸一人で相手どるのは分が悪い。
「腕が立つっていうなら、あんたの息子も返り討ちにならなきゃいいけどな」
「ああ、そっちがだめならもう一つの方に賭けるって言ってたかね」
「もう一つ?」
ぐいっと身を乗り出しそうになるのを押しとどめて訊いた。あまり食いつきすぎると怪しまれるかと思ったが、目の前の老婆にはそのような考えはないらしい。
「ギャングどもがね、なんだか募集しているって言ってて……なんでも銃を貸し出されたって、その賞金首を撃つために」
「ど、どこのギャングよ、それ」
「何だい、あんたもそれに乗るつもりかい? でもどこっていうのは――ああ、ちょうどいい。息子に聞いた方が早い」
老婆が手を挙げ、雪久の背後を見やる。雪久もそちらを見るに、その人物と目が合う。
見覚えがあった。数日前に襲撃してきた難民たちの中にいた顔だ。老婆の息子とやらも一目見てすぐに雪久とわかったようだった。雪久を指さし、驚愕して目を見開き、口を開きかけた。
「お前――」
それより早く雪久が動く。間を詰め、男の口の中に今しがた買ったばかりの煙草をねじ込んだ。ついでに口をふさいでやると、男は何も発することが出来なくなる。
「こんな狭いところで怒鳴るんじゃない。お前のおふくろがびっくりするだろう?」
「~~~~!!」
雪久の手の下で男はもごもごと何事かしゃべってはいるが、もはや声にはなっていない。男は腰の後ろに手をやるが、それも見逃さず、雪久は男の腕をからめとる。見れば、男のベルトにリボルバー拳銃が挟まっている。
「へえ、本当に銃持ってるんだ。ギャングから借りたのか、これ。どこのギャングだ? ええ?」
銃を奪い取り、男のこめかみに突きつける。両手を挙げさせ、その場にひざまずかせてから口の中のものを吐き出させた。
「て、てめえ。おふくろになにしやがった」
「人聞き悪い。まだ何もしていないよ。まだね」
老婆の方を見ると、あっけにとられたような顔で見ている。息子が目の前で拘束されていても、いや逆に拘束されたからなのか、口を出せないでいる。
「もっとも、どうなるのかお前の態度次第だ。まずは聞くぞ、この銃はどこで手に入れた」
「だ、誰がお前に言うかよっ」
「状況が見えないか? 立場ってものが分かってねえようだな」
銃口を強く押し付ける。男は青い顔で、しかし視線は突き刺さるようだった。いくら睨み付けられようが構わない。憎悪、嫌悪、そんなものは慣れている。
「言えよ」
引き金にかけた指先に力を込めた、とき。男が消え入りそうな声で言う。
「……ってやつは」
「あ? 何だ」
「ギャングってやつは、皆同じだな。ちょっと力がありゃ、付け上がりやがる。俺らがなんもできねえからって」
「何言ってんだてめえ」
「俺らが弱っちい難民だからって、そういう態度取れるんだろうがな。機械どもに蹴散らされて、しっぽ巻いて逃げたお前が、ちょっと自分より弱そうな相手だからでかい顔する。ふざけてるよな」
慄きながらまくしたて、青ざめながら敵意の視線を送ってくる。口では威勢のいいことを言っても、心は怯えている。そういう奴を黙らせるのは簡単だ。ちょっと脅せばすぐに本心に従う。それか殴って黙らせ銃で撃ち抜く、簡単だ。
だというのに。
「この《南辺》にあんな機械だの軍服だのが来たのは、お前らのせいだろうが。お前らのせいであんな連中引き込んでおいて、それで何もできずに尻尾巻いて逃げ回るだけじゃんか」
だというのに、何故黙らせることが出来ないでいるのか、自分は。
「やってみろ、ほらやってみろよ。今までみたいにゃいかねえよ、殺されてもお前の言う通りにはならねえ、さあ撃て。撃ってみろくそったれ」
こんな奴は、力でねじ伏せればいい。力の差を見せつければいいだけだ。この引き金を引けばこんな小物、文字通りすぐに黙る。あるいはそこにいる、この男の母親を撃つか。殺さないまでも手足の一つや二つ撃ち抜けばいい。こんななめた口聞く奴を好き勝手わめかせていいわけがない。黙らせろ、ねじ伏せろ。俺は今までそうやってきたじゃないか。
だというのに、銃を持つ手に力がこもらないのは――
「どうしたやれねえか? 図星過ぎてぐうの音も出ねえか、ああ?」
「うるせえ、このっ」
銃を振りかぶり、雪久。グリップで殴ろうとした。
そのとき、背後に気配を感じる。振り向くと店の老婆が包丁を握り、立っていた。震える手で切先を突き付けている。
「む、息子を離しな……」
言うのがやっとという風に、その一言だけ喉からひねり出す。
「殺すんなら、私をやりなよ。ああ、あんたなんかに殺させてたまるかってんだよ、ええ? あんたが撃ったら、私このまま刺すからね? いや撃たなくてもその銃向けたら刺すよ、あんたら難民だったらなんでも言うこと聞くと思ったら大間違いだよ、私らだってねえ、意地があるんだよ。いつまでも見くびってんじゃないよっ」
震える声でまくしたてる。雪久は銃を老婆に向ける。銃口をぴたりとつけられ、短い悲鳴を上げる。
だがすぐに銃口を外した。回転式銃のリボルバーを開き銃弾をすべて落とすと、銃身からシリンダーを外す。バラバラになった銃を投げ捨てた。
「……もういいや」
親子二人して意外そうな顔で見つめ合い、そんな二人に背を向け、雪久は店を後にした。