第二十一章:3
周りにとけ込むのは、存外に苦労する。
髪の色と肌の色を隠すために布をかぶり、泥を顔にこすりつけて汚す。そうして数馬雪久の存在を隠し通そうとしても、ヤナ曰く「目立つ」とのことだった。
「しょうがないよね。ギャングって、目立つためにやっているようなものでしょ。それを急に目立つな、ってのは」
「好きでこんな髪色になったんじゃねえよ」
鏡があればチェックしたかったが、あいにくとここにはない。雪久は顔が出ないように目深に布をかぶり直した。
ヤナに付き従って通りに出た。背中には香草が積まれた籠を背負っている。商売道具らしい。
「お前たち難民は」
雪久は、自身の高めの声も押し殺さなければならない。
「どういうところから、こんなものを仕入れるんだ」
「なに、今更そこに疑問がいくの?」
ヤナは若干あきれたように言う。確かに今更のことだ。難民たちが路上で商いをしているところなど、今まで何度目にしたか分からないというのに。
「自立支援ってね、ただ金をばらまくだけじゃなくて商いを通じて自活できるようにってことで支援する団体があるわけ」
「非政府組織か?」
「他にも色々。そういうところが、いろんな商材を提供してくるわけだけど。まあこれだけで自立したって人は私は知らないけどね。今のところ」
それでも、ヤナは一応は自活出来ている。そうなればこの支援は一応は成功しているのだろう。素朴な驚きだった。難民は飢えるか死ぬかしかないとばかり思いこんでいたのだが。
思えば、難民たちの生活について一度も考えたことなどなかった。
雪久たちのいる場所はビルの中だが、そこから一歩足を踏み入れれば路上に出る。外の様子をうかがえば、難民たちの中に得物を持った男たちが行き来していた。見れば、ギャングらしい格好のものもいる。動くことはためらわれるのだが、ヤナは有無を言わさず雪久の手を取り、先導する。
路上に出た。誰かが気づくかと思ったが、そうはならなかった。男たちも、ヤナたちの方に特に注目することはない。難民には目もくれないということだろう。
(やりやすいといえばやりやすい、か)
ヤナはすでに敷布を広げて商いに入っている。雪久もその場に座り込んだ。時間が経つにつれて徐々に買う人間も出てくる。ヤナはなれた手つきで菜をくくり、金を受け取っては袋に詰めて渡している。雪久もそれに倣い、見よう見まねで同じ事をする。いくらの稼ぎにもならないものを、ヤナは丁寧に受け取り、釣り銭を渡す。
菜を選んでいた男が、急にヤナに話しかけた。
「聞いたかよ、あの話」
「あの話って?」
「機械どもの噂だよ」
思わず反応しそうになったのをこらえた。釣り銭を数えるふりをしながら雪久は聞き耳を立てる。
「機械ども? ああ、あの蛇をつぶした。知らないけど何かあったのかい?」
「この界隈じゃ噂になってんぞ。マフィアの飼い犬が蛇を蹴散らして、南と西を掌握するだの、蛇と龍の残党を探しているだの。そうそう、蛇の頭、あいつの首には賞金がかけられているんだと」
「賞金、へえそう」
「のんきに構えてんな、ヤナ。米ドルで一万、龍の女には三万だというのに。捕まえりゃこんな場所から抜け出せるぜ」
「私がそんなの捕まえられるわけないじゃない、普通に考えて」
そりゃあな、と男は言うが、その賞金首が傍らにいることに気づいたらどんな顔をするか。と考えても、当然明らかにするつもりはない。
「っても別に生きてとらえることもないみてえだな。生きたまま突き出せば賞金割り増しだってけど、死体で差し出してもいいってんで」
「それで、ここ最近の物々しさはそういうこと? その賞金首を探しているってことかい」
「つい最近、蛇の頭を見かけたっていうからな。もう少しで殺せたところをこの辺に逃げ込んだっていうから」
そんな話を当の本人が近くで聞いているなど知るはずもない。本当はすぐにこの場を離れたいが、そうすれば怪しまれる。背中を向けながら男の方に警戒を高める。
「大変だね。蛇の頭ったって、あんたらだけでどうにか出来るもの? 一応、ギャングだろ」
「まあな。しかもあの厄介な目があるから」
難民どもには千里眼の不調のことは知られていないらしい。
「けど、あいつはほぼ丸腰。だけど俺らにはこれがあるからな」
と男は衣服をめくった。脇につり下げられたリボルバーの拳銃が光る。これにはヤナも目を見張った。
「どうしたんだい、それ。マフィア連中、あんたらにそんなもの持たしたっての」
「いやいや、マフィアなんて俺らがお目にかかることなんざねえ。こいつは青豹の奴らがよ」
「青豹?」
ヤナが聞き返す。雪久も身を乗り出しそうになるが、こらえた。
「青豹って、蛇の前の」
「あいつらにつぶされた、そん中の一人だってよ。銃とかはそいつが持ってて、まだあるところにはあるって言うから借りたんだ」
青豹、と言えば一つしかない。残党は残らず始末したと思っていたが、まだ南辺界隈に居座っていたということか。しかも、難民に配るほど銃を隠し持っている。
「青豹がしとめたら、賞金は貢献度にあわせて払われる」
「それで銃持っているってわけ。てっきりあの軍服の連中からくすねてきたのかと思ったけど」
「馬鹿言え、そんなこと出来るか。まああの軍服どもも、あいつらを探しているって噂だが」
陳列してある作物を眺めていた男が、ふと雪久の方に目を付けた。
「おう、ところでそいつは?」
「ん、ああ彼ね。別に、たた手伝ってもらっているだけだよ」
「助手みてえなもんか。お前らしくもない。というかどっから来た奴だ?」
男が身を乗り出す。雪久はうつむき、フードで顔を隠す。あまり露骨に顔を背けては怪しまれるので、あくまでもさり気なくだが。
「放棄地区から」
ヤナが言うのに、男は声を漏らした。
「放棄地区?」
「あの辺りで毒ガス吸って、動けなくなってたところを拾ったの。ガスで声をやられて、皮膚も焼かれていたけど、身体は動くから一応使ってやってるのね」
男はなにやら微妙な表情になったが、金だけ払って後を立ち去った。それを受け、雪久は服の下で握りしめた拳を開いた。
この日の客はその男一人だった。
「案外ばれないもんでしょ」
ヤナは荷をほどき、雪久は壁にもたれ掛かる。外にでているだけでも疲れるものだ、ましてや今の状況ならば。
「こっちは肝が冷えたんだが」
「大丈夫よ、意外とここの連中は他人に関心がないんだ。ちょっと怪しまれたってごまかしは効く」
「そうかよ」
雪久が一息ついていると、シンがじっと雪久を見ているのに気づく。その視線には少々、あざけりめいたものが混じっているようにも見えた。
「何だよ、言いたいことでも」
「あいつらとしては想像もつかないものよ」
ヤナはシンに、どっかに行けとばかりに手で払った。シンは雪久に一瞥くれて、部屋の隅に行くと野菜のかごの前に座り、ナイフでジャガイモの皮をむき始める。
「路上で威張ってた蛇の頭が、難民の暮らしなんかに溶け込んでいる、なんんてことは」
「何だよよ、嫌みのつもりか」
別にこの女にかみついたところで何があるわけでもないのだが、つい喧嘩腰になってしまうのは
どうしようもない癖のようなものか。
「嫌みでも皮肉でもないよ。あんたは難民を見下しているんだろう? あんただけじゃなくて、ギャングってみんなそうだし」
ヤナは淡々として言う。
「あんたの仲間は知らないけど、あんたはそういう目しているよ。難民ごとき、ってはなから見下している目。そういう人間が、まさか難民に混じっているなんて誰も思わないでしょ、って意味」
「その通りだろうが。難民なんて、弱者ぶって自ら何か変えようともしないんだから、見下されてもしょうがない」
口に出してから、シンがすさまじい顔でにらみつけているのに気づいた。子供にそんな顔されたところで何も堪えないし、何か手を出してきたとしてもシン一人など敵ではないが。
反して、ヤナは怒るそぶりは一切見せなかった。
「強者か、弱者かの違いって何だろうね」
野菜くずと米を鍋で煮込みながら、ヤナは独り言のようにつぶやく。
「私が思うにね、選択肢の多い人が強い者になれるんだろうね。生きるための手段とか、目的とか。そう考えると、私らにはほかに道はない。口に糊して、草木や獣みたいにただ生きているだけ。それじゃあ、弱者と言われてもしょうがないけど」
ヤナは粥を椀に注ぎ入れる。
「でもそこから抜け出す方法なんて知らないんだよ。選択肢はないから。他を選べない以上は、こうするしかない。でも、それならあんたは強者なの?」
「お前たちよりはな。俺は自分の力で切り開くことが出来るし、事実そうしていた。南の青豹ども、西の龍、東の機械だって」
「でも、結局は駄目だったんでしょう」
もっともなことをヤナは言う。一瞬声を失って、次には声を張り上げた。
「お前に何がわかる」
「他に選べる道がある人だったら」
ヤナは憎たらしいほどに冷静に、さとすような声音で言った。
「違ったのかもね。一度の敗北で、ここまで落ちぶれることはないのかも。でもあんた、自分が思うほど選べたのかい?」
口調はそれほど強くはないのに、何故かヤナの言葉は刺さってくる。
「ギャングの事情は知らないけど、私あんたみたいな子は、実は初めてじゃないんだよ」
ヤナは粥を卓上に置いた。
「つい最近のことだけどね。あんたと同じくらいの女の子をかくまったことがあって、まああれはかくまったわけじゃないね。なんかあの子から転がり込むような格好になったんだけど」
「俺みたいな、って」
「あんたみたいな剣持っていたから、たぶんそういうことなんでしょ」
剣と聞き、もしやと思い当たる。剣を携えた娘といえば、最近での心当たりは一人しか思い浮かばない。
「その娘って……」
「いい子だったよ。でも、剣を持つと全然違う。あの子がギャングを蹴散らしていたとき、この子と私らは全く別物だって、思い知らされた。でもね、普通に暮らしている分には本当に普通の女の子で。私も娘が出来たみたいでね」
何か思うところがあるのか、ヤナは粥に手をつけず、遠くを見るような眼をする。
「ちょっと似てるかもね、あんたと」
「どこがだよ」
「あの子は結局戦うことしか出来ないって風だった。そういう道しか選べないのだったら、そういう意味じゃあの子もそんなに私らと変わらないのかもしれないって思っただけ。あんたも」
とヤナが、雪久の目を見据えた。視線に射抜かれる心地がした。
「あんたも、他の道があったのかい?」
粥をかきこむ手を止めた。しばらく沈黙があった。
「ごめん、余計なことしゃべっちゃったね」
ヤナは止めていた手を動かした。しかし雪久はそのまま、手を止めたまま考え込んだ。
和馬雪久と、孔飛慈が似ている--そんな風に評されたこともなく、自分でも思ったことはなかった。ただ、そこに何かの違いなどないとしたら。
ならば自分は、何なのか。