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監獄街  作者: 俊衛門
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第二十一章:2

  見つけたか、という声。まだだ、という応える声もする。血の跡を辿れという声もあれば、油断するなよと声を掛け合うのも聞こえる。

 そんなすべてを、雪久は建物の陰から聞く。

 肩が痛む。銃弾はただ肌をかすめただけなのに、体は執拗に痛みを訴えてくる。撃たれたり、斬られたりなど一度や二度ではないはずなのに、これほどの痛みを、こういつまでも引きずることなどなかったはずなのに。

 痛みを感じることなど、慣れていたはずなのに。

 重い腰を上げた。いずれにしても、ここに留まっていれば見つかる。建物の奥に向かって歩いていると、階段があった。

 その階段を上ったところに、扉。何の気も無しに、扉を押した。

 中に入った瞬間、人影を見つける。女が一人、部屋の隅に座っていた。

 てっきり廃墟かと思いきや、人が住んでいたらしい。女は目を丸くし、突然の来訪者に驚いている。

 女の隣には男児がおり、やはり驚いていた。この女の子供か。

「声を、出すなよ」

 雪久は剣を抜き、親子に突きつける。親子は固まったままだ。

「そのままだ。ここに俺が来たことも忘れろ。いいな、人には、ぜった、い……」

 急に目がかすんできた。力も抜けてくる。指先から感覚が失われ、寒気すらする。剣も握っていられず、取り落とす。こんなところで死ぬのかと、思ったときには意識を手放した。


 陽の光を感じる。

 瞼の裏側に白い光が差していた。清浄な空気が、鼻孔をついた。何かがざわつく音、何かがふれあう音ーー人の話し声と、陶器か金属めいたものがかちゃかちゃいいあっているのだと知る。

 目を開いた。

 いきなり目の前に、子供の顔が写った。自分の顔をのぞき込んでいて、こちらが目を覚ましたのを受けて子供は立ち上がった。

「気づいたよ」

 甲高い子供特有の声は、英語だった。ただ、あまり綺麗な発音とは言えない。難民の訛りだ。

 感覚が、元に戻った。ほぼ反射的に身構えた。が、肩口の痛みにうめき声をあげてしまう。

「まだ寝てた方がいいよ。意外に傷、深いみたいだし」

 女の声。声の主が近づき、雪久の傷の具合を診ている。浅黒い肌と彫りの深い顔つき、典型的なインド系である。

「戦争中はね、これでも看護兵だったのよ。まあそうは言っても当時はただの看護学生で、人手不足でかり出されただけだったけど」

「あんたらは……」

「どこって。いきなり入ってきて、勝手に倒れちまったのはあんたじゃない。何を言ってんだい」

 そういわれて思い出す。雪久は傷を負ったままここに逃げ込み、そこでこの親子に遭遇し、

(しまった)

 雪久は手元をまさぐるが、剣はない。この女が隠したのだろうか。雪久は女の襟首を掴み、引き寄せた。

「俺の剣はどこだ」

「なに、いきなり。命の恩人に向かって」

「うるせえ、俺の剣をどこにやったって訊いてんだよ」

 もうこの女、仲間を呼んでいるかもしれない。あるいは軍の奴か、東辺の「マフィア」か。いずれにしてもここに長居していられない。

「どこにやった、答えろ!」

「これのこと?」

 だが、女は拍子抜けするほどすんなり剣を渡してきた。雪久はそれをひったくって、剣を半ばまで抜く。刃の方が破壊されていたり傷つけられていたり、そんな様子も一切ない。

「別に私はそんなものいらないよ。ただここで抜くのは勘弁してもらいたいね」

「そうは行かない。お前が誰かを呼んだのならば」

「誰も呼んでないよ。いいからその物騒なものと棘っぽい空気を納めてよ。あの子がおびえるだろ」

 女が言うのに、雪久は男児の方をみた。ちょうど器を二つ持って雪久の後ろに立っている。刃を見て、固まっていた。

 雪久は剣を納めた。

「何で追われているか知らないし、興味もないからね。怪我人を放っておくわけにもいかないから手当までしてあげて、飯まで食わせてやろうってのに。そういう態度取るなら放り出すよ」

「それは―-」

 男児が雪久の脇に器を置いた。野菜の切れ端が浮いたスープ。粗末な食事だが、途端に腹が鳴りだした。

「よろしい」

 女は初めて笑みを見せた。匙を手渡し、冷めないうちにと言う。雪久はおそるおそる口をつけた。塩味を舌先に感じるが、何かの香辛料を使っているのか、鼻孔を刺激する香りが抜ける。一口、二口とすすると、細く詰まったようになった喉を温いものが駆け抜け、収縮しきった体がほぐれてゆくようだった。

「あんたを追っていた連中、まだ外にいるみたいだね」

「俺が追われている理由、本当に知らないのか」

「男共の争いなんて、女子供には迷惑な話だもの。迷惑きわまりないことに積極的に関わろうなんて気はしないよ。刃物、銃器の類ひっさげてる連中、知りたいとも思わない。でも」

 そこまで言って、女は手元の剣に目を落とした。

「でも、こいつにはちょっと見覚えがある」

「この剣か」

「そう。さっき、自分のものだって言ってたけど。これ、本当はあんたのものじゃないでしょ?」

「はあ? 何を言ってる。俺のものだよ」

「うん、今はそうかもしれないけど。元の持ち主は別にいただろう? あんたがそれをとったか拾ったか」

 ぎくりとした。この女、何故そんなことを知っているのか。しかし女はそれ以上、剣について何も言わなかった。

「私はヤナ。こっちのこの子はシン」

 そう言って雪久の向かいに座っている男児を指さす。シンはこちらの話などどうでも良いのか、夢中でスープをかっこんでいる。

「私らここで、二人で暮らしている。あんたの名は?」

 名を訊いてくるあたり、本当に知らないらしい。雪久はややあってから名乗る。

「和馬雪久」

「へえ、名前の感じからしてあんた日本人? 珍しいね、チャイニーズならこの界隈でよく見るけど」

「本当に知らないのか、俺のこと。『OROCHI』のことは?」

「聞いたことはある、なんかこの辺うろついていたギャング」

「そこで頭張っていたんだが」

「そうなんだ」

 やはり興味がないのか、ヤナは立ち上がった。

「食べ終わったらそこに置いといて」

 ヤナは襤褸布を羽織り、頭巾をかぶると、入り口に置いてあった皮袋を背負う。シンも食事を終えると、母親と同じように襤褸をかぶり小ぶりの袋を背負った。

「どこに?」

「行商というか、まあそんなところ。何かでもしないと食べていけないし」

 ヤナがそう言うのに、雪久はあることに気づく。食事は雪久とシン、二人分しか用意されてない。ヤナは全く、何も口にしていないではないか。

「ちょっと待て、あんたの分ーー」

「じゃあ、出るからね。出て行っても、居残ってもどっちでもいいよ」 

 それだけ言い残し、二人は出て行った。


 物陰から通りを見ると、得物を持った難民たちがうろついている。ただの鉄棒だったり、ナイフだったりと基本的には粗末な武器ばかり。だが中には山刀や槍、そして銃を持っているものもいる。

(厄介だ)

 いくら銃が禁制でも、難民が全く手に入れられないということはない。ないが、それには誰かが横流ししなければならないはず。そうでなければギャングどもから奪ってくるしかないが、難民にそこまでの力があるとは思えない。

 最初、軍服連中が銃を与えているのかと思った。だが軍服が難民なんかに銃を渡すとは思えない。難民を使うくらいならば、奴ら自ら乗り出すだろう。誰かが渡しているのは明白だが、心当たりはない。

 もっとも、銃の出所などどうでも良い。雪久を探している連中が通りにはうようよいるという事実、その奴らが銃を持っているという事実。そのことは動かしようがないことなのだから。

(これならあそこにいた方が良かったか)

 レイチェルに何を言われようが、隠れ家を飛び出すことなどしなければ良かった――そう思ったとき、脳裏にレイチェルの姿が目に浮かぶ。今の雪久の状況を見れば、やれ思慮が浅いだの未熟だのと言うだろう。

 だがいくら何を言おうとも、レイチェルは雪久を迎え入れるだろう。

(あの女はそういう奴だ)

 それが有りがたいと思うこともあるし、そうでないこともある。

立ち去ろうとしたとき、背後に気配を覚えた。

 振り向きざま、剣を抜く。気配の方向に刃を突き出す。剣先を向けた先で、ヤナが固まっている。

「何してんの?」

「あんたか」

 雪久は安堵の息を殺しつつ、剣を納めた。少なくともこいつは危害を加えてくることはない。

「私は別にあんたをどうこうするつもりはないよ。なのにいきなり刃物向けるなんてひどいんじゃない?」

「ああ、ああ。悪かったよ。ただ何というか、今はその……時期が悪い」

「何言ってんだか」

 ヤナは籠を背負い直した。昼間に見たときと、中身はあまり変わっていないように見えた。

「それより、今までずっとそこにいたっていうの?」

「表がこんな状況では」

 ヤナはため息をつき、

「いいよ、じゃあ上がりな。ただし、その剣ははずしてよね」

「い、いやそれは」

 今の雪久にとって、唯一の武器だ。身から離したくはないのだが、ヤナはまたため息をつく。

「シンが嫌がるから」

 その言葉に、ヤナの足下を見る。シンは母親の上着の端を握りしめ、雪久を睨み上げていた。

「それを預けるなら、かくまってあげる」

「別にお前の助けなど」

「もちろん、是非にとか言うつもりはないよ。でもまずいんじゃないの? 今出て行くのは」

 ふと通りを見れば、人が集まってくるのが分かる。一人二人、こちらの方を見ている。今来られたならば確実に見つかる。

 雪久は黙って剣を渡した。

 その二分後には、再び穴蔵のような共同住宅の一室に舞い戻っていた。壁に寄りかかって申し訳程度の窓から外の様子をのぞくと、雪久を探している連中がうろついているのがよく見える。

「街の連中から、あんたのこと聞いたよ」

 ヤナは鍋の中のものをかき混ぜて言った。

「あんたの首に賞金かかってるんだってね。ここらで頭張ってたんだったら結構な有名人だろうけど。そんな賞金かかるほどのものなのかい?」

「知るかよ、そんなの」

 とはいいつつも、その賞金の出所も、賞金をかける理由も分かっている。単なるギャングの残党狩りに金などかけない。《東辺》の連中は、雪久の『千里眼』を回収しなければならないのだろう。レイチェルも同様にだ。レイチェルが生きていて、『千里眼』が野に放たれた状態を放置したくはない--そうなっていては困る連中が、『マフィア』の背後にいるということだ。

「確かね、三千ドルだっけかあんたの首。米ドルだってから剛毅なものね。確かに私らにとっちゃ、大変なものだ」

「あんたは」

 雪久はヤナの背中に声をかける。

「あんたは、その懸賞金を手に入れようとか思わないのか」

 一瞬、ヤナが手を止める。が、すぐに作業を再開する。鍋に香辛料をひとつまみ入れた。

「どういう意味?」

「俺を捕らえようとかは」

「私なんかがあんたにどうにかしようとなんて出きるわけないじゃないか」

「その粥に一服盛るとか、やり方はいろいろあるだろう」

「じゃあいらない? これ。今日は割と具は多い方だよ」

 ヤナはそう言って、鍋をかき混ぜる手を止めた。粥を椀にそそぎ入れると、シンに運ぶようにと言う。

 その粥を、恐る恐るといった足取りで卓まで運ぶ。今度はちゃんと三人分あった。野菜の屑とわずかばかりの米、中身は相変わらずであるが。

「あんたはギャングだから、発想がそっち寄りなんだろうけどね。毒だとか薬だとかが私ら手に入るわけないでしょう? 表の連中は銃とか持ってるけど、本当ならあんなの出回ることないんだから」

 早くすましなよ、と言われ、雪久は椀に手を伸ばした。野菜の屑と申し訳程度の塩味を喉に流し込む。

「俺をかくまう理由はなんだ」

「もっとゆっくり食べればいいのに」

 ものの数十秒ほどで飲み込んだ雪久に対して、ヤナは嘆息しつつ言った。

「理由は、そうだね。あんたが転がり込んできたから」

「はあ?」

「怪我した状態でほっぽりだせないでしょ」

「懸賞金目当てでもなければ、俺を置いておく意味もないだろう。自分たちの食い扶持減らしてまで、かくまっていることなんてないはず。なのにまた家に上げて」

「通りに出たら、あんた殺されるんだろう?」

 ヤナは椀を置いた。

「じゃあしょうがないじゃない」

「しょうがないってなんだよ」

 つい声を張り上げてしまうのは、何故かいらついていたから。何にいらついているのか、自分でもよく分からないが。

「俺をかくまう以上は自分に得がなきゃ、やってもしょうがないだろうがよ。何で自分に得がない、いや損してまで俺を」

「通りに出たら、あんた殺される」

 ヤナは何か、呆れたような顔になっている。

「助けが必要なんでしょう? あんたは今、困っている。だからだよ」

「だからって」

 ずいぶんな理論展開だと思ったが、困惑する雪久に対してヤナは何がそんなにおかしいのかという風である。

「あんたら、人のこと気にする余裕なんてないだろうによ」

「そういうあんたも、私らのこと気にしているけど。なんだかあんた、言うことがギャングらしくないね」

 ヤナの言う意味が一瞬理解しかねた。

「でもまあ、そんなに気になるのなら、明日から私の仕事手伝う?」

 ヤナは部屋の隅でなにやらごそごそとあさっていた。そうして取り出したのは、鼠色のぼろ布一枚。雪久に投げてよこす。

「その髪色じゃ目立つから、明日からこれかぶって」

「かぶるって」

 この襤褸をか? と口にするとヤナは目を鋭くさせた。

「あと、服。あんたのその格好じゃ小綺麗すぎるから」

 続いてヤナが取り出したのは、もう一回り大きい布切れだった。焦げ茶色の、所々が焼け焦げたようなあとがある。

「それだけ着込めば、まあ外見は誤魔化せるでしょう。それで外に出ても問題がなければ」

「いや待て」

「服の好みについて文句は受け付けないからね」

「じゃなくて。俺がお前を手伝う? 何を勝手に決めているんだ」

 どうにもこの女は人の話を聞かない、この街の女どもは勝手に話を進めたがるものなのか。

「いやならここでじっとしててもいいけど、さすがに自分の食い扶持くらいは稼いでもらいたいし。普通の人間は働かなきゃ食えないんだけど、そういうことは知っている?」

 何を当たり前のことを言わせるのかという風にヤナは言う。呆れているような口調だが、呆れられる筋合いはない。とはいえ、正論すぎて返す言葉もない。

 雪久が何も言わないのを同意と取ったのか、ヤナはさっさと部屋の片隅に移動すると灯りを消して、

「じゃ、明日からね。おやすみ」

 そのまま毛布をかぶってしまった。雪久はといえば、渡された布にくるまるより他なく、やはり部屋の隅に座り込み丸くなる。

 ふと、視線を感じた。薄暗闇の中に、雪久を見据える眼が二つ。シンがやたらと殺気だった視線をくれる。

「何だよ」

「お前、もし母ちゃんに手、出したら」

 子供ながらになかなかどすの利いた声である。

「殺すからな」

「はあ?」

 反論する暇も与えず、シンは母親の方に走ってゆく。

(何なんだ……)

 もはや何かを考える気力もなく、雪久は壁に寄りかかった。

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