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監獄街  作者: 俊衛門
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第二十章:23

 扈蝶は手にした盆の行き場をどうするか決めあぐねていた。盆には粥が一人前あり、格子越しに座り込んでいる男にくれてやるものであったのだが。その男、バオはといえば牢の隅に膝を抱えて小さくなっている。

「お前ら、ボスに会ったんだろう」

 バオは恨めしそうに言う。機械の腕があれば、木で出来たこんな格子などはあっというまに壊してしまうことだろうが、今のバオは機械の腕を取り外されている。そうなればこの男自身には大した力はないらしく、割と抵抗もしないまま屋敷の地下にある牢に閉じこめられている。

「ええ、まあ。昨日……」

 扈蝶が答えるのに、バオが長々と嘆息する。

「そうかい、それじゃあ俺も長くないってことか」

「何でですか」

「ボスに会った、けど助けが来ない。もしくは何の取引も持ちかけてこない。ってことは俺は見捨てられたんだろ」

「いや、それは……」

 取引ならば持ちかけられたのだが――主に自分が。そのことを話していいのかどうか迷った。扈蝶が黙っていると、バオはそれを肯定の意ととらえたらしくまたもや切なげに嘆息する。

「はあ、まあ覚悟はしてたんけどな……そりゃまあ俺だって、こういう世界だ。出来ねえ奴が生かされるわけないって」

「いや、まだ見捨てられたというわけでは」

「お前らも暇だな。俺をこんなとこに閉じこめて、飯出すくらいならさっさと殺ればいいのによ。それともあれか? その粥に毒でも入ってんのか? だったら話は分からんでもないけど、そんなまどろっこしいことしないでも」

「別に毒なんて」

 今朝、扈蝶や連、梁も食べたものと同じであるので、毒など入りようもない。

「ああ、大体俺はよ、兄貴なんかと違って敵に突っ込んでいくってタイプじゃねえんだ。ボスが何考えてっか知らねえけど、左手に機械をやるから殺してこいってさ。そりゃ機械の腕は凄えけど人には性分ってもんが――」

「ま、まあでもあれですよ。中々出来るものじゃないですよ、敵陣に切り込むなんて。失敗はしたけれども、それなりに効果は」

 敵を慰めるというのも我ながらおかしいことだと思いながら、そう言った。扈蝶の言葉にバオの口調が刺々しくなる。

「ほーう、生身の拳でのされておいて何の効果が? お前に傷一つもつかんかって、それで人質になってどういう効果があったってんだよ?」

「え、ええまあその効果というか、何というか……」

 言いよどんでいると更に追求をしてくる。

「小娘がいい加減なこと言うなや。あれか、腕なくして抵抗も出来ないで牢にぶちこまれた惨めな男を上から目線で嘲るのが《西辺》の流儀か? んん?」

「そんなつもりじゃないですって」

 恨み辛みを吐くこの男が、本当にあのスヨンの手の者なのかと疑いたくなる。もしくはあの女の手下は、実はこんなもので心理的ダメージを受けるような者が大多数なのか。そうであれば、スヨン自身も以外と大したことがないのか。

「とにかく、食事。置いときますから」

「いらねえよ、くそったれが」

「いらなくても置いときます。昼には器回収しに来ますから」

 と、押しつけるように格子の間から盆を入れた。バオはまだ隅の方でうずくまっているが、これ以上面倒は見切れないので扈蝶はさっさとその場を立ち去った。

 地下を出たところで工藤に出くわした。

「揉めていたようだな?」

「ええまあ、何というか。あの人が本当に真田さんと互角に渡り合ったというのですか?」

「何だ、納得いかないって面してんな」

 工藤はなにやらにやにやと笑いながら言う。

「ああいう手合いには多いはな。機械を装備すりゃ、力が出せる。それで力の多くを機械頼っちまう。それが崩れちまえば、あんなもんだろう」

「真田さんが手こずるくらいだからどんなかと思えば……」

 外に出ると冷気が肌を刺した。灰色の空が広がり、白い雪がちらついている。屋敷の真下に広がる地下空間は外気から遮断されていたので、寒さは感じなかったのだが。

「ま、あまり邪険にするな。スヨンの返事次第じゃ、あいつも仲間になるんだ」

「仲間になってもあの人、正直いって足手まといになりそうですが」

「お前も言うな、可愛い顔してよ」

 何がそんなに愉快なのか分からないが、工藤はからからと笑った。ひとしきり笑ってから、ああと何かを思い出したように声を出す。

「ところで、お前さん。少し時間あるか?」

「この後、訓練場で近接戦闘の訓練をすると……」

「本当に少しだ。ちょっと道場に寄ってけ」

「道場ですか?」

「ああ、面白いもんが見られるぜ」

 工藤がついてこいとばかりに先導し、扈蝶は不審に思いながらもついていった。道場につくと、工藤は窓から中を見て言った。

「見てみ」

 扈蝶は工藤に促されるまま窓から中を覗き見る。暗い室内の真ん中で、省吾が立っているのが見えた。ただ立っているだけでなく、背丈ほどの振り棒を頭上で回し、振り上げ、振り下ろす。その繰り返し。大振りな鍛錬棒が上下にせわしなく動き、道場の中央ではためいている。

「気づいたか?」

「何がですか」

「初日に比べて身体が安定している」

 工藤が言うのに、扈蝶は最初の方――省吾が初めて振り棒を手にしたときのことを思い出す。確かに、最初の頃省吾は身体が安定していなかった。重く長大な振り棒を振ると省吾はかならず身体をよろめかせていた気がする。

 ところが今はそれがない。また最初は一度振る度に両腕に力を込めていたのが、今はそれほど力感がなく振れている。棒そのものが振り子のように振れていて、あまり省吾自身が力を加えているようには見えない。

「これは一体……」

「まあまあ、あれぐらいのペースで振れれば、まずはスタートラインというところだな。あれでもう三十分はとぎれることなく振っている」

「はあ……」

 妙な話ではあるが、省吾の動きには重みが感じられない。重たいものを降り続けていれば動き二も鈍重さが増してくるのだが、所作は限りなく軽やかだ。たった数日でここまでになるものなのか。

「真田さんに、何かアドバイスでも?」

「別に、ヒントを言ったまで。それに何か気づくところがあったのかもな」

「でも、あんなものを少しの助言だけで振れるようになるものですか。具体的なやり方も示さず」

「あいつは元々、あの程度のものを振れる身体はあったんだよ」

 工藤は心なし声を抑え気味にしていた。中にいる省吾に気づかれないようにしているかのようだった。

「早い内に形の修練をやっていたのか、もしくは実戦こなすうちに身体が錬れたのか。あの程度のものを振り回せなきゃ、剣なんかそもそも振れない」

「ですが、最初は……」

「出来なかった理由は、自分で自分の力を抑えてしまっていたってところか」

「おっしゃる意味が」

「お前、あの振り棒振れそうか?」

 いきなり話を振られたので、一瞬扈蝶は言葉を詰まらせた。

「え、私が、ですか?」

「あんな風にな、ぶん回せるかと」

「いや……それは、無理じゃないかと」

「何故?」

「何故って、私はそんなに腕力あるわけじゃないですから」

「ほう? でもお前さん、サーベルを二本ぶん回しているじゃないか。あれだって腕力がなければ無理だろう?」

「あれは、別に腕の力で振っているわけではないので」

「なら、どうやってだ」

「どう、と言われましても」

 そうまで追求されると、答えに窮してしまう。正直に言えば、あのスタイルは自己流であるが何故自分でもうまく扱えているのか説明は出来ない。必要に迫られてああなったまでで、出来るから出来るという説明しかできない。

 扈蝶が困っていると、工藤はやたら満足そうに笑みをつくった。

「ま、つまりそういうことだ。技なんてものは、頭で考えて出来ているわけじゃない。身体が勝手にそうなるように動いてくれる。だけども、ちょっと勝手が違うものが出てくると、身体でなく頭が先に働く。これを持てるか、出来るのか。この重たいものをを振るためにはどうすればいいか、力の配分は、足のスタンスは――」

「それが普通の人じゃないのですか」

「普通だろうな、人間は考える動物だから。けど、その思考がくせものだ。よけいな思考が邪魔をして、それを出来る身体があっても躊躇してしまう。身体にストップをかけてしまうんだな」

「で、ですが」

 少し扈蝶は声が大きくなってしまった。口を閉ざして、中にいる省吾の方を見、ややあって声を抑えてしゃべり出す。

「ですが、考えなしに動かせば身体に無理な負担がかかるのでは」

「身体に負担がかかれば、まさしくその身体の方からストップをかけてくれる。身体にとって主となるのは己の身体、出来る出来ないは身体の側で選び取ってくれる。そういう風に出来ている。ところがだ、考えが先行して思考の下に身体を動かそうとしていると、出来るはずのものも出来ないと思いこんでしまう」

 分かるか?と工藤が訊くが、なにやら漠然としている気がした。そんな扈蝶の反応が可笑しいのか、工藤はしまりのない顔をますますにやつかせている。

「それで、その……真田さんはそれに気づいたということですか。あなたの言葉で」

「あいつ、足を無くしている分よりその傾向が大きい。足がないからそれをどうしようかと凝り固まっていて。でもまあ、そんなことは関係がないってことをだな、ちょっとばかし身体に教え込んでやっただけだよ」

 身体に教え込むという言い回しが妙に引っかかる。が、特に知りたいとは思わなかった。何かろくでもないことのような気がして。

「観念的ですね、ずいぶん。根拠が薄い気がしてなりませんが」

「まあ、事実出来ている。もっとも、こいつが出来たからってすぐにどうこうってわけじゃない。あの振り棒は入り口に過ぎないからな」

「まだ何かさせるというのですか」

 二人して道場から少し離れた。

「機械が、《北辺》に乗り込んでくるかもしれないというのに」

「間に合うか間に合わないかは、あいつ次第だ。出来なきゃ死ぬまで。そこまで俺は責任を持たん」

 工藤はそういうと、懐中時計を引っ張り出した。

「それよりお前、チャムのとこに行くんだろう。早うした方がいいんでないか」

 扈蝶はまだ言い足りない気がした。それを口に出すにはまだまだ時間がかかりそうで、しかし今口にしても得心がいかないということしか伝えることが出来そうにない。

「……また後ほど」

 言うべきことも、言いたいことも見つからないまま、扈蝶は工藤に軽く会釈してから訓練場へと急いだ。


 長大な振り棒を両手で抱え持つと、やはりずしりとした重みが加わる。先端にいくほど重さが増すこの振り棒を、さらに頭上で旋回させれば身体が持って行かれそうになる。

 両足がそろっていれば、それでも踏ん張りが効く。だが今の省吾は右足がないため、踏ん張る力も半減する。残った左足に負荷がかかり、そうすると膝に負担がかかる。

(踏ん張れば、負担が大きい)

 力を込めて立つと身体がこわばり、筋肉の疲労が尋常ではない。そうなるとすぐに疲れてしまう。嫌になって振るのをやめてしまう。

(踏ん張らなければどうなる?)

 考えてみれば人は普通に立つとき、歩くとき、さほど両足に力はかかっていないはず。ところが少しでも重いものを持つと、とたんに踏ん張ろうとする。

(いや違う。踏ん張らなければいけないと思っている)

 つい三時間前。工藤の殺気を感じ、飛び跳ねたときはどうか。義足のことなど何も気にせず、ただ身体が勝手に動いた。そのときはどうか、踏ん張ってなどいなかった。

(あのときの感じ――)

 もっとも同じようには出来ない。とりあえず最初の一振り。右回し。頭上で返して、前に落とす。

「一」

 左回し。頭上で返し、前。

「二」

 身体が振れそうになる。遠心力で身体が揺さぶられる。しかしそこで足で踏みとどまることはしない。身体が振れれば、腰を落として重心で体を安定させる。

 もう一度回し、振る。

「三」

 工藤が言ったこと。頭で考えた通りにはいかない。身体が求めるまま――その意味を、すぐには体得は出来ないだろうが。

「四」

 だが動きは、考えた結果の動きであるよりも、身体が反応する方が早いということは分かる。

「五」

 動けばそれが技となる。予め用意された技が今まで通用した試しがあったか? 技は常に、場面場面によって違う。

「六、七」

 足に疲労が蓄積する。足が痛めばそこで休んで疲労を回復しようとする。そうすると次にまた振ろうとするのに多大な労力を使う。

(もっと下――)

 腰を落とし、重心をより安定に近づける。重心を引くすれば足への負担も軽減されてゆく気がした。足が地面を押している状態ならば、振り棒の重みは足に直接かかってくるが。重心を低くすることで足ではなく腰の方に重みがかかってくる。

「十、十一」

 そうすると腕の方もまた、おぼろげながら見えてくる。重みが二の腕にかかり、それが動きを阻害してくる。

「二十――」

 痛みは感じる。だがその痛む箇所に意識を集中しても仕方がない。この痛みをどうするか。

「二十五、二十六、二十七」

 あのときはどうだっただろうか。刃物の気配を感じ取ったとき。どこかに痛みはあっただろうか。あったとしても、意識などしていなかったはず。

「四十……三」

 筋肉への疲労がたまってくる。一度手を止めて休みたい衝動に駆られるが、そうしているうちにも振り棒は振り上がり、身体は止まろうとはしない。なおかつ、一度でも手を止めれば次に振るのに大変な労力を要する。

 ならば体の痛みが少ないところに心を置くしかない。

 意識は、身体の一部分にかかるのではない。身体全体を見てゆく。身体は腕だけ、足だけ動くということはありえない。だがどこかが主張すれば――腕だけ、足だけに意識をおいてしまえば他の部分がおろそかになる。だが危機に際しては、身体のどこかだけが動くことはない。それを、振り棒を前にすると腕や足といった枝葉の部分にしか意識がいかなくなる。それはおそらく正しくはない。

(どこかではなく、どこも動かす。動かすよりも、身体に委ねる――)

 意識は遠ざかる。

 体は活力を増す。

 ただひたすら身体に注目する。

 振る。上げる。振る。上げる。

 今はどうか、ここにある身体はどうか――


「そこまで」

 唐突に声がした。と同時に、目の前が明るくなった。道場の扉が開かれ、その先に日の光を背にした男。その男が発した声で、省吾はふと顔を上げた。

「工藤……」

「もう昼だぜ。飯も食わずに、っていうんは嫌いじゃないけど、ぶっ倒れられても困るんでな」

 昼。そう聞いた瞬間にはっとなり、省吾は柱の時計に目をやる。十二時半、始めたのは九時頃だったから――

(しまった)

 数を、数えていない。五十過ぎたくらいまでは数えていたのだが。途中から面倒になり、あとはそのまま振っていたのだった。

 省吾の表情に何かを感じたか、工藤は愉快そうに笑った。

「そんな慌てんでも良い。とっくに千以上は振っている」

「とっくに、とは」

「ああ、こいつを千振るのには大体一時間くらいかかる。途中で休憩を挟まず、淀みなくやり続けて、な。大体三時間くらい振っていたから、お前はもう三千くらいは振ったということになる」

「……いや、そんな馬鹿な」

「俺が嘘ついても始まらん」

「だって、そんなに振った感じは」

 実感がない。千も振れば疲労で動けなくなると思っていたが、今は全くそのようなことがない。むしろ、身体が軽いくらいだ。

「達成感はないだろう、それが自然にできればできるほど」

 工藤が手ぬぐいを投げてよこした。省吾はそれを首筋に当てると、大量の汗が手ぬぐいにしみこむ。少し拭うと絞れるくらいにまでなる。

「腕の痛み、足のスタンス。そういう些事にとらわれていたら、振れるものも振れない。だがどうだ? そういうの意識しなくなりゃ、数えることすら忘れて没頭していただろう」

「そりゃ、まあ……しかし」

 省吾は振り棒を壁に立てかけた。最初の頃よりは重さに持て余すことなく動かせる。

「ま、これで終わりじゃあない。この先もこいつを振ってもらうし、後にもやるべきことは残っている。だが」

 にやりと工藤は意味ありげな笑いをこぼす。

「第一段階はクリアだな」


第二十一章:完

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