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監獄街  作者: 俊衛門
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第二十章:19

 連に倣って早めに帰るべきだった、と扈蝶は後悔した。まさか十分後に、こんな面倒な状況に陥るとは思わなかった。

「兄貴をやってくれたんは、どいつだ」

 左手に機械をぶら下げ、さらにその腕には鈍器を携える。太さが一握りほどもありそうな鉄鞭で地面を突き、苛立ちを露わに怒鳴り散らしているその男が訓練場に現れたのが五分ほど前。取り巻きたちは全員が小銃をひっさげており、訓練場の連中皆に重厚を向けている。当然、訓練など中断され、今は訓練生たちも皆、銃やナイフを向けていた。

 ここに来て日が浅いとは言え、扈蝶も見たことがある。”右手”に対して”左手”と呼ばれ、この界隈ではそこそこの顔である。名は確か――

「バオ、あんたもうちょっと慎みってやつを覚えなきゃ。ひとんちに土足で出入りするのはどうなんよ」

 チャムが前に出た。油断なくナイフは手中に納め、何かあればすぐに動けるような体勢になっている。作った姿勢ではなく、自然そうなるのだろう。腰と膝が落ちて重心の低い構え。

「そんな言葉が世界一似合わないお前に言われることじゃねえ、というかお前と遊んでる場合じゃねえんだよ」

「うちの親父にボコボコにされた、どっかの負け犬が恥の上塗りしに来たっていうからさ。ちょっと珍しいじゃない? どの面下げて来たのかと思ってみたけど、いつもと変わらない間抜け面だった」

 訓練生たちの間で笑いが起こる。バオは忌々しく唇を噛む。

 そしてその目が、扈蝶の方を向いた。

「兄貴をやったのは女で、しかも《西辺》から来たクソアマだって話だったが。おい、お前のこと言ってんだよ」

 バオが詰め寄った。扈蝶は思わず退いた。

 そこに、梁が割ってはいる。ちょうどバオの進行を妨げるような格好になった。

「先に手を出してきたのは、お前の兄貴だったと聞いた。恨まれる筋はないんじゃないのか」

「何だよ、南から逃げてきた負け犬はすっこんでろ」

「お前が退いたらな」

 そう言う互いは退く様子はなく、にらみ合っていた。ただ、バオは得物を持っているのに対して梁は丸腰である。バオは一歩踏み込めば鉄鞭の一撃を食らわせられるが、梁の場合は二歩も三歩も違う。どう考えても梁の方が不利な間合いであった。

「とりあえず、どういう了見で来たわけよ? 雁首そろえてさ」

チャムはバオの右手側に立つ。チャムの得物も、ナイフ一本のみ。間合いの不利は変わらない。

「こんな兵隊連れて来ちゃ、うちと戦争するつもりってことで良いのかい」

「その女、引き渡さなけりゃそれもありだな。引き渡したらこの場は納めてやる。反抗すりゃ、まあ分かると思うが」

「それ、スヨンも知ってのことなの?」

「うちのボスは顔に泥塗られることが一番嫌いだからな」

大した顔でもなし、とチャムがつぶやくのを扈蝶は聞き逃さなかった。当然、バオも。バオが露骨に機嫌を悪くさせ、扈蝶はますます肝を冷やしてゆく。

「この状況でそういう口聞くんは、相当な馬鹿にしか出来んこったな。うちはいつでも戦争出来るって言ったろう? 死にたくなきゃ、その女を引き渡せってんだ」

「うちの客分だからね、そいつは出来ない。梁はどう思うよ?」

チャムが話している間も、梁はバオから目を離さないでいた。

「工藤さんやお前が、是と言えば是、否と言えば否だ。俺に決定権があるものでもなかろう」

「つまんない男だね。もうちょっと気の利いたこと言えないの?」

「俺に何を期待しているんだお前は」

バオのことなど気にも留めない二人のやり取りに、バオは舌打ちする。

「そんなら力づくでそいつ、連れて行くがいいか?」

「好きにすればいい」

梁が足を一歩引いた。

「出来るものならな」

「そうかよ」

バオが鉄鞭を握りこんだ。

扈蝶は半歩下がり身を浮かせた。

いきなり、バオが飛び込んだ。鉄鞭を振りかぶり、一歩踏み込む。

その瞬間に梁の姿が消えた――そう形容するしかなかった。梁が身体ごと飛び込み、三歩の距離を一瞬に縮めバオの懐に入り込む。入ったと思った瞬間には梁の右正拳がバオの喉にめり込んでいた。

「お……ぐっ」

正確には正拳ではなく中高一本拳であるが。中指を折り曲げて第二関節を突き出させ、その曲げた指でバオの喉を押しつぶしている。

梁が手を離した。バオがよろめいた、瞬間に梁が左の正拳を放つ。バオの水月に刺さった。

今度は声を上げることもなかった。バオの身体が前のめりに倒れ込み、完全に地面に伏せる前にチャムがバオの首根っこを掴まえた。

すぐにバオの手下のものが梁に銃を向けた。それより早く、訓練生の誰かがバオに重厚を突きつける。撃てば撃つという意思表示だった。

「お前たちのボスに伝えなよ」

チャムはバオの手下どもに向けて言った。さりげなくバオの右手の関節を極めるのを忘れない。その間に訓練生の一人がベルトを抜き、バオの右手と首を縛り上げる。また別の訓練生は、バオの左腕の前腕の隙間にダガーナイフを刺し入れる。何かがつぶれた音がした。こんな一連の動作が、おそろしくスムーズに行われた。

「あんまりちょっかい出してくるようならば腕だけじゃすまない。こいつの身柄は預かるから、どうするかはあんたらで決めるように、ってね」

手下たちに動揺が広がっている。互いに顔を見合わせたり、ざわついたり。するとチャムが声を張り上げた。

「聞こえない? 行けってんだよ」

手下どもは、訓練生を牽制しながら、しかし結局はめいめい引き上げていった。

梁はバオの身体をおろした。バオは完全に気を失ってはおらず、低くうめき声を漏らしていた。チャムは訓練生に何事かを命じた。おそらくインドネシアの言葉だが、扈蝶には分からない。

「飛んで火に入る、とかって言うんだっけ? あんたの国じゃ」

訓練生が縄をチャムに手渡した。チャムはその縄で手首を縛り、首に幾重にもかけ、締め付ける。なかなかの手際である。

「こんなでかい虫もいないだろうが」

梁は突いた方の手首を回している。拳もいたわるようにさすっていた。

「あ、あの……ありがとうございます」 

「何がだ」

扈蝶が言うのにも、梁は素っ気ない。

「助けていただいて」

「間合いに入り込まれて、打つ気を見せられた。だからこちらから迎え撃ったまで。まあ、助けになったのならばそれはそれで良いけども」

「それより、こいつ連れてかなきゃだけど」

チャムは横たわったバオの身体を軽く足でこづいた。

「とりあえず手伝って」


 表で何か声がした。複数。よく聞いてみると扈蝶や梁の声も混じっている。連はそちらを見ようと立ち上がったとき、工藤が声を発した。

「何だ、やけに早い帰りだな」

カリキュラムはもっと長いはず、とか工藤は言いながら部屋を出た。連が追う。二人して外に出ると、訓練をしていたはずの訓練生たちが数人いた。

「帰ったよ」

集団の中からチャムが歩み出て、その横に梁、扈蝶がいる。彼らの足下には両手足を縛られた男が横たわっており、その男の左手は機械である。連を襲った奴は右手が機械だったが、男は左手が機械化されていた。

「ずいぶんでかい土産を持ってきたが、何故俺がぶっちめたばかりのバオがここに転がっているんか」

バオというらしいその男。そういえば省吾も機械腕に襲われたと聞いた。その下手人を連は直接見ていないが、多分目の前の男がそうだ。

「あ、あのこれはその」

「ちょっかい出してきたからやっちまった。それだけのことだけど」

何故かばつが悪そうな顔をしている扈蝶の言を遮ってチャムが言った。こちらは堂々としたものだ。

「まあ、やったのはこいつなんだけどね」

と梁を指し示す。梁の方は特に何かを言うでもなかった。

「ちょっかい出したか。じゃあしょうがねえな。ちゃんと腕の配線は切ったのか?」

「尺骨下の神経回路潰したから、今のこいつはただの鉄の塊をぶら下げてるようなもんだよ」

「ならば良い」

工藤は高下駄を履くとバオの側に近づいた。バオはうつろな目で工藤を見上げると、唸るような声を発した。

「お前たち、こんなことしてただで済むとは思うな」

「なにがただで済まないって? まあハナから、ただで済むとは思っていないよ、お前んとことはな。おい、こいつを独房に押し込めとけ」

工藤が言うと、チャムが訓練生たちに目線で促す。バオは男たちに引きずられるようにしてどこぞへと連れて行かれた。

その姿を見送りながら、連は扈蝶の元に近づいた。

「何があったんですか」

「あの男に絡まれて、宮元さんがそれを倒した」

「予想した以上のことは無かったようですね。だけど、あの男。あのままでいいんですか」

連が問うと、扈蝶は眉間に手を当てて首を振った。どうにもそれは良くないときにする反応だ。

「何か問題でも?」

「私はこの北辺に遊びに来たわけではないわけですから。支援を取り付けるためにここに来たのに、ここで余計な抗争にでも巻き込まれてしまえば支援どころではなくなっちゃう」

「抗争とは」

「工藤さんはその辺りのこと、まだ話していないのね」

扈蝶はそう言って嘆息した。

「ここも結局は成海だったってこと」


矢文が投げ込まれたのは、翌日になってのことだった。削った木材に研いだ金属片の鏃、羽は野鳩の羽をむしってくっつけただけといういかにも手製という矢が門に刺さっていたのを、最初に発見したのは扈蝶だった。

すぐにそれは工藤の前に持ってゆかれた。

「今時矢文ってのも無えだろうがよ」

「いつも着流し姿のあなたがいうことですか」

梁は若干あきれたように言って文を解いた。扈蝶、そしてチャムも集まり、矢文の周りに五人が集まった。

「真田さんは?」

扈蝶が訊くのへ、連が答える、より先に梁が言った。

「また昨日と同じように道場だ。あいつ一人でよくやる」

「そりゃ出来なきゃ首をとる、って言ってんだからな」

工藤はにたにたと笑い、扈蝶はそんな工藤を軽くにらみつけている。何故扈蝶が、そんなに恨めしそうな目をするのか分からなかったが、ともかく連は矢文の方に目を落とした。

「で、何だって?」

チャムは最初から読む気はないらしく、座敷に足を投げ出して茶菓子など摘んでいる。何故北で菓子が手にはいるのか? と思ったがおそらく工藤の言うところの商人から買ったのだろう。茶色と白のまだら模様の、円形の菓子はどうも地場のものとは思えない。

「内容は想像通りだ。あいつを引き渡せと」

「引き渡すだけでいいっての? あのばあさんがそこまで妥協するとは思えないけどね」

「なんでもあいつの身柄の代わりに、扈蝶、連、あと宮元。お前たち三人と交換だそうだ」

「え?」

「何故ですか」

いきなり名指しされて扈蝶と連二人して声をあげてしまった。

「お前たち三人とも目立っちまったからな。西や南から流れてきたってだけで相当なのに、さらにああまでやらかしちまったらな」

「降りかかった火の粉ですよ。それをとがめられるとは心外です」

「そりゃそうだ。でもそれが成海って街だ、分かるだろう?」

分かりたくもない、とはさすがに言えない。こんな街外れであっても流儀というものは覆せるものでもないということだ。

「それでどうすんの? 大人しく引き渡すん?」

チャムが訊くのに、思わず連は身体をこわばらせてしまう。工藤の方を見ると、工藤と目があった。

「それじゃあ、ちょっとな。おもしろく無かろう」

工藤はキセルでタバコをひと吹かしすると、紫煙を吐き出して言った。

「それよりも、直接交渉してやるか」

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