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監獄街  作者: 俊衛門
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第二十章:18

夕刻までに出来るようになれ、と工藤は言った。扈蝶たちが行ってからまもなく工藤も道場を出て行き、今は省吾一人である。一人残って、一人で振り棒を振っている。

「逃げようとしても無駄だからな」

立ち去るとき、工藤が忠告のように言った。

「分かっているだろうけども。夕方、もう一度来るがそのときまでに千振れるようにしておけよ」

工藤はそう言い残していったが、未だに省吾は千本に達していない。無理をすれば何とか二百か三百は振れるのだが、それだけ振ればすぐに腕に疲労がきてしまう。結局、連続して五百すら振れないでいた。

(いきなり千なんて無理に決まっているだろうに)

振り棒ーー省吾が知っている限りでは直心影流の稽古法である。だが重い鍛錬棒を使うやり方など古来からごまんとあっただろうから、別に直心影流の専売特許というわけでもあるまい。ただ、一心無蓋流の剣術は直心影流の技が多いということだけ、とかつての師から聞かされていた。だから、振り棒鍛錬のことも知識としては知っていた。

だが知っているのとやるのとでは大きく違う。

(こなくそっ)

振り棒を持ち上げる。頭上に掲げ、振り棒を回転、重い先端が振り上がったら前に落とす。そのとき腕と腰を使って止めるのだが、そのとき全身の筋肉がきしむような重量がかかる。振り棒の重さは、持った感じだと十二キロほど。だが長さ六尺で先端に行くほど重量を増すというつくりのため、目方以上の重みが加わることとなる。

もう一度振ろうとしたとき、汗で手元が滑った。すでに振り棒を支えきる握力はなく、省吾は振り棒を取り落としてしまう。道場の床に先端がぶち当たり鈍い音を立てた。拾い上げると、床が小さく窪んでいる。

「傷つけんなよ」

道場の扉が開いたと同時に声がした。工藤が戻ってきたのだ。振り向くと、風呂にでも入っていたのか手ぬぐいを首にかけている。

「修理も出来ないんだから。それで出来たのか?」

「開口一番それか……」

ぐったりしている省吾に対して、工藤は嘲るようにせせら笑う。

「その様子じゃあ出来てなさそうだな、え?」

「殺すんなら殺せよ」

省吾はもはや言い返す気力もない。朝から続けて、その間休むことがなく疲労は極限にまで達している。こんなことで殺されるのは癪だが、かといって今の自分では工藤を倒すことはできないだろう。くそったれ、やるならやれ、と半ば自棄だった。

「どんだけ振ったんだ?」

省吾が言うことに工藤は応えなかった。殺す殺さないという事柄にさして興味もなさそうな素振りにも見える。

「五百がせいぜいだよ、笑いたければ笑え。いいからやるんならさっさとーー」

「ま、初めてにしちゃ上出来だ。だが、お前さん。その状態じゃもう戦えないな。今俺が、お前に襲いかかったとしたら」

工藤は壁にかかっている木剣から適当なものを手に取った。

「お前なんぞ秒殺出来るだろうな」

ならば好都合だろう。口に出さないまでも、目でそう訴えた。こんな重たいものを振り回せば誰だって疲労が溜まるに決まっている。千振ろうものならば筋肉は悲鳴を上げる。そんなものをやらせておいて、終わった後に戦えるかなどと。

「その程度余裕で振れないで、逆に不思議だな、よくここまで生きてこれたかと。お前の師とやら、いい加減な鍛え方してんな」

「なんっーー」

立ち上がろうとした瞬間、目の前に木剣の切っ先が突きつけられた。さっきまで間違いなく、工藤は壁際にいたはず。工藤と省吾との距離は五歩以上はあったのに、それをいとも簡単に縮めるとは。

「どうした。これしきでもう動けんか」 

切っ先が省吾の喉を押さえた。少しでも押し込めば省吾の気道を潰せるという力加減。そのまま突きつけ、省吾の額に冷や汗が浮かんだところで工藤は構えを解いた。

「と、まあこういうことだ。どこでどういう事態になるかも分からんのだから、こんぐらいの棒振った程度でバテてちゃあいかんな」

「こんなクソ重たいもの、振れば消耗するのはしょうがないだろ」

いくら何でも、まるで抵抗出来ないなんて。本当にこの男の言うとおり、ここに来てから俺は何回死んだことかーーそう考えると、悔しいような恥ずかしいような気持ちになる。こいつの手のひらの上で踊らされているんだ、俺は。

「ふん、重いもの振れば疲れるはず、とか思っているのか。その振り棒を、まさか筋力増強の筋トレ器具とでも思っているのか?」

「じゃなきゃ何だよ。腕に負荷をかけるってことは」

「ま、いい。一つだけヒントをやるよ。筋トレってのは、長いこと同じ箇所に負荷をかけるものじゃあない。腕だけ、足だけ、鍛えるなら何百も千もやるものじゃない」

「そんなことは分かる」

馬鹿にしているのか、こいつは。

「分かるんならば、じゃあ何でこの振り棒、千振ることが目標なんだろうな?」

 逆にそう問われ、省吾は言葉に詰まる。工藤はさらに訊いてくる。

「こういうものを振れば疲れるはず、重いものは筋力をつけるためのもののはず、やればやるだけ消耗するはずーーそういう常識みたいなもの、お前はそうだと思いこんでいるんだろう。だが本当にそうなんかな?」

「何を言いたいんだよ」

朝から鍛錬棒をずっと振らされて、正直今は気が立っている。工藤の回りくどい言い回しが火に油を注いでくる。

「今のままじゃダメってことだな」

工藤は木剣を壁に架け直した。

「五百じゃ、まあちょっと辛いが初日にしては上出来な方だ。明日には千、振れるようになれよ。それ出来なきゃ次進めないから」

「いやだからちゃんと説明してけって言う……」

「おう、もう上がって良いぞ。二日連続で風呂に入らせてやる。貴重なんだからな、風呂ってのは。真水は手に入りにくいってのに、ただ垢落とすのに使わせてやるんだからよ」

「待てってば」

省吾が引き留めるのも聞かず工藤はさっさと道場を後にした。省吾は一人取り残される形となる。これ以上ここにいても仕方がないので、とりあえず振り棒を壁に立てかけ、省吾も道場から出ようとする。 

入り口付近で、省吾は立ち止まった。壁に大きな鏡が貼ってある。何気なく鏡をのぞき込むと、喉に痣ーーというほど重傷ではないが、赤くなっているのが分かった。工藤に木剣で押さえられた場所だと知れた。

忌々しく省吾は扉を閉めた。


目の前の茶は、すっかり冷めていた。

屋敷に戻って、客間に通されてから十分経っていた。女中に煎れられた茶には、連は全く茶に手をつけてずただ座っている。あの人の良さそうな女中を疑っているわけではなく、ただ飲む気になれないだけだ。

足のしびれを感じる頃に、障子が開いて工藤が客間に入ってきた。

「待たせちまったな」

そう言って工藤は連の対面に座る。遠慮なしにあぐらをかいて。

「あの男の様子を見に行ってた」

「真田さんですか」

「たっぷり時間やったのに、未だ千本も振れやしないんだと。最近の若い奴は体力がねえな」

あれを千本連続などそもそもが狂気じみている気がしたがーーそんなことを言ったら連など十本も振れない気がしたが、そこは黙っておいた。

「で、お前さん一人で帰ってきたんか? チャムに案内させたろ?」

「あの方ならば、そのまま訓練しておられるようです」

「お前もやってくりゃ良かったじゃんか。何か得るものもあろう? ま、テコンドやハプキドみたいな朝鮮武術とはまた違うだろうが」

工藤は断りもなしに煙管をふかし始めたが、それよりも連は工藤の物言いが気になった。

「どうして私が朝鮮武術の心得があると」

「前に北に来てた、南の朝鮮人ギャング。奴はハプキドだかを使うんだろう。で、お前はその男の部下なんだろう、じゃあお前も似たようなものを使うんだろうと思ったまでだ。重心も高いからな。それで、テコンドーか何かか?」

「一応、テッキョンを」

ただし、連自身は武術家とは言い難い。武はあくまで補助目的に過ぎないのではあるが。

「お前も朝鮮出身か? 宮元は日本人の血と半々だとか言ってたな。でも名前が朝鮮ぽくない」

「別に、血筋などどうでも良いのではありませんか」

「何、もし日本語が分かるんならそれで話せればと思ったまで。北京語やら英語やらってのは案外疲れるでな」

工藤は二、三度煙を吐き出すと煙管の灰を落とした。

「で、訓練場もろくに見ずに戻ってきたってことは、何か他の連中に聞かれたくない話でもあるのか」

工藤が連の顔をのぞき込むように身を乗り出してきた。

「それとも、何か俺に聞きたいことがあるとか」

「どうにも、話が早くて助かります」

何か、隠し事を見透かしてくる金の視線に似ている。こういう目をする者には、取り繕うことは出来ないものだ。

「金大人はここで機械の脚を見つけてきたと言いました」

「ああ、そういやそんなこともあったな」

「私は、今までこの《北辺》にはさしたるものは何もないと思いこんでいました。しかし金大人の脚、そしてここに来たとき機械腕のものに襲撃されて。あれを見るに、その認識も改めざるを得ません」

「だろな。それで?」

「あれはどこで手に入るのですか」

煙をひとかたまり工藤は吐き出した。不定形の紫煙がもやのように広がり霧散してから、工藤はようやく口を開いた。

「手に入れるって、それはあの小僧のためか」

「《南辺》、《西辺》はもはや彼らの支配下です。彼らに対抗するためには、こちらの陣容を整えなければなりません。脚が欠損している今の真田さんでは危うい、けれどもたとえ脚ひとつでも機械にすれば」

とん、と工藤はキセルの灰を落とした。まだ燃えている灰を手のひらで転がしてから灰盆に落とす。

「連、とやら」

次に口を開いたときには、先ほどの軽々しさはどこにもなかった。

「武に関して、お前がどこまで分かっているか分からんが。たかが一個人に機械をくっつけただけで戦況が変わると思っているなら、その考えは改めた方がいいだろう。ここに来るまでに見たかもしれないが、あの軍服の連中」

「それはすでに目にしました。彼らの目をかい潜るのに手間でしたが」

「あれは特区内でのみ行動を許される準軍事組織だ。治安維持部隊というらしい。国連が出す多国籍軍のような、有事の際に介入する軍隊とは違う。特区内部で起きた紛争解決のために新たに組織された警備機関ということだ」

「その情報はどこから」

「独自のツテがあるんだよ。まあそれはともかく」

連としては、その独自のツテも気になったのだが、とりあえず今はそれには触れないでおいた。

「治安維持部隊は、特区に設けられた総督府の要請があれば独自に軍事行動を展開出来る。むろん、特区外での行動は許されてはいない。装備も、その点限られている。かといって、あれらは軍と変わらない。そんな連中が、南や西に来ている。そんなのを相手に、機械の脚一つや二つあったとして状況が有利になるわけじゃない」

「それは……そうでしょうけれども」

工藤がまたキセルに煙草を詰め始めたが、そんなにしょっちゅう葉を入れ替えしなければならないものなのか。

「治安維持部隊というものがどういうもんか分からんが、今までみたいなギャングを相手にするとはわけが違う。機械の有無で戦況が変わると思っているなら、改めることだな」

「そんなことは分かっています」

今更指摘されるほどのことでもない。彼らの力がどれほどのものか、身を持って味わったのだから。どれほど強大で、どれほどすさまじいか。自分ごときが全く手を出せないということも…… 「しかし、放っておけばどのみち殺されるんです。彼らは真田さんを、南と西のギャングを的にかけている。すでに残党狩りに乗り出していることでしょう。だから」

「だから、少しでも力をつけておきたいとな。その発想は、やや安易に過ぎる」

何度目になるか分からない煙を吐き出して工藤は言った。

「お前も見ただろう。機械の腕やら脚をくっつけたからといって、それで劇的に力が付くわけでもない。いや、確かに力は手にするが、たかだか四肢の一つを何かに置き換えただけのもの。本質が変わらなきゃ、付け足しの能力なんてたかが知れているもんだ。脚一本、腕一本、その程度では」

「ではその脚一本を何故あなたは、金大人に付与したのですか。付け足しに過ぎない脚を」

「俺が与えたってわけじゃない」

連が段々険しい顔になるのに、ようやく工藤も気がついたらしい。キセルから灰を落として、その後はもう新たに葉を詰めることはなかった。

「あの脚と、装甲車と。ああいったものは月に一度、北の商人たちが持ってくる。ただし、手に入るのは部品だけ。それらをここで組んで、再び証人たちに売りつける。装甲車両なんかはさすがに、滅多なことでもない限り売ることはないがな。あれらを造っているところに、あの金とかいう男を誘導はしてやった。だが俺が斡旋したわけじゃない。脚と、装甲車両を手に入れたのは、あくまであの男の力量だ」

そういえば金、そもそも《北辺》の支配者には会ってはいないようなことを言っていた。

「ではその手に入る場所にーー」

「さあ、それがまた問題。ちょっと前までは、自由取引が可能だった。だけんども、今じゃちょっと取引がしにくい」

「何かあったのですか」

「お前に絡んできた右手、そして真田を襲った左手」

工藤が少し身を乗り出す。

「あの腕を造った技師が、市街地に住んでいるが。そいつが今は奴らの手中にある」

「奴ら、というと」

「聞いてないか、扈蝶から」

やや声の調子を低くして言う。

「うちと揉めている連中だ」

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