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監獄街  作者: 俊衛門
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第二十章:15

 身体の奥底が痛む。最初は何となくだったその痛みが、やがて腕とか腰とか具体的な場所を示すようになり、痛みの質が輪郭を持ち始めてくる。痛みが増してくるにともなって意識も取戻し、そこでようやく省吾は目を覚ますことが出来た。

「ああ、気がつきましたか」

 真っ先に見えたのは扈蝶の顔だった。心配そうな表情で、省吾の顔をのぞき込んでいる。

「……どこだここ」

 今、自分は寝かされているのだろうとは思ったが、問題はその場所である。

「母屋の寝所です。あのあと、連と宮元さんに手を貸してもらって、運び込んで」

「母屋? 母屋っていうと」

 省吾は身を起こす。あまり勢いよく起き上がったので、扈蝶の鼻と省吾の額がぶつかってしまった。

「まさかまだあの男の屋敷にいるっていうのか」

「あ、あのまだ起きない方が……」

「そんなこと言ってる場合か」

 鼻を押さえて涙目になっている扈蝶を無視して、省吾は辺りを見回した。

 広さとしては十畳ほどはある。目の詰まった畳が敷き詰められ、先に通された広間のような細かい装飾の欄間が目に入った。が、装飾といえばそれ位。部屋そのものは余計なものは一切なく、殺風景なつくりだ。省吾は起きあがろうとするが、しかしすぐに足下がふらつき布団の上に座り込む羽目になった。

「頭打ったからな」

 ふと後ろで声がする。梁が壁際に寄りかかるように座っていた。

「受け身を取り損ねて、後頭部をやってた。下手に動かず、安静にしろと、工藤さんが言ってたぞ」

「あんな男の言いなりになどなるか」

「だが、動かない方がいいことには変わりはない。あれだけ派手に転がされたのならな」

 梁が少しだけ、鼻先で笑ったような気がした。

「お前のあんな姿、つい五ヶ月前からは想像もつかないな。まるっきり、大人と子供じゃないか、あれでは」

「宮元さん、そういう言い方は。真田さんだって、その……精一杯」

「そういうフォローはいらん」

 省吾が憮然として言うと、扈蝶はすまなそうな顔になった。

「しかし、一心無蓋流か。そういえばお前もそんなことを言っていたな。そして流派詐称していたとは思わなかった」

「だから、詐称なんてしていない」

「工藤さんに心当たりがないのだったら、そういうことになるだろう。お前が、というよりもお前の師匠とやらが一心無蓋流をかたっていたと」

「それ以上言ったら舌を引っこ抜くぞ、宮元」

「まずは足腰立つようになってからな」

 そうは言っても、このことに対して特に関心もないらしく、梁はそのことについてそれ以上言うことはなかった。

 省吾は扈蝶に向き直った。

「あの男はどこにいるんだ?」

「え、ああ工藤さんですか。えっと」

 扈蝶が腰を浮かせたとき、障子が開いた。ほとんど足音を立てることなく、滑るような歩みで工藤が入ってきた。

「お目覚めのようだな、ペテン師」

 いきなりである。省吾は一気に血がわき上がるのを感じた。

「何だと」

「うちの流派をかたっていた、しかしお前は一心無蓋流ではない。ということは、お前はペテンの類ってわけだ」

「もう一度言ってみろ」

「ああ、最近の言葉じゃねえからな、知らんか。ペテンってのはつまりな」

「意味を聞いているんじゃない」

 この男とのやりとりはどうにも疲れる。

「俺を、どうしようというんだ。殺すのか」

「殺すのならば、何度でも殺せたよ。あの場でも、のんきに寝っ転がっていたさっきまでもな」

 しかもいちいち燗に障る言い方をする。もう一度つかみかかってやりたい衝動を抑えた。悔しいが、何度掛かっても結果は同じだろう。

「まあただあれだ、うちの流派を名乗っているからには、一応その経緯ってものをちゃんと聞いとかなければと思ってな。殺すのはそれからでもいいい。お前さん、一新無蓋流を誰に教わったんだ?」

「誰って、だから先生だ」

「だからその先生ってのは誰なんだってことだ。名前とか、国籍とか、あるだろう」

「名前なんて知らん」

「知らない? なぜ」

 工藤が怪訝そうな顔をする。

「教えてもらっていないから。気にしたこともないし。先生は先生だ。国籍は、まあ多分日本人だとは思うから国籍も日本だろうが」

 それも特に気にしたことはない。そう告げると、ますます工藤は不審がって言った。

「お前さん、すると何か。素性が知れない奴と共に行動して、そんな奴から武を習ったと、つまりはこういうことか?」

「素性が知れないとは何だ。何度も言うとおり--」

「いや、お前にとっては偉大な師かもしれんが、第三者が聞く限り得体の知れない難民崩れでしかないぞ、悪いけど」

 そうか? と確認するように省吾は扈蝶の方を見ると、扈蝶はなにやら曖昧な、困惑したような顔をする。次いで、梁の方に目を向けると、梁は然りとばかりにうなずいた。

「工藤さんの言うように、素性が知れない」

「宮元、お前な」

「いや、考えてもみろ真田。名も知れない、どこの出かもわからない。そんなことを気にしたこともないとお前は言うが、そもそも何故気にならない? 終戦直後じゃ、俺同様お前も年端もいかないガキだっただろうが」

「いや、それは」

 そう言われれば閉口してしまう。自分は一体、あの人のなにを知っているのか。

「一心無蓋流、その先生とやらが作ったと言ったな。けど口では何とでも言える。本当に、他で一心無蓋流を名乗っていない、全くのオリジナルであると検証したわけでもあるまい?」

「だ、だが先生がそう言ったから」

「だからよ、素性が知れないだろうが。そいつ、女だって言ったな? 少なくとも俺は、心当たりはないな」

 反論をしようにも、反論の言葉が見つからず、黙っていると工藤がさらに畳みかける。

「流派を偽るにしても、そんなに名があるわけでもなし。お前の師匠が一心無蓋流を名乗る意味が分からん。本当にお前、なにも知らないのか?」

「俺が知っていることは」

 まだ頭が痛んだが、つい声を張り上げた。

「一心無蓋流柔拳法、そいつを先生から教わった。名は知らない、出も知らない。だが先生の技は本物だった。先生に教わったから、俺は生きてこれた。それだけだ」

 省吾が言うのに工藤は肩をすくめた。

「まあ、いい。お前がなにを言おうと、どうせすることは一緒だ」

「何だよ、やっぱり殺すつもりか」

「言っただろ、殺すんならとっくにやってる。ただ一心無蓋流を名乗ったままここから出したんじゃ、うちの沽券に係わるからな……おい」

 工藤の呼びかけに応じて、部屋の反対側の障子が開いた。ちょうど梁の後ろ側、そこに誰かが立っている。

 女だ。先に見た、女中ではない。作務衣のような簡易な和装であるが、袖は切り落とされており、細いが引き締まった二の腕をむき出しにしている。肌は日に焼けたような褐色、顔も彫りの深い顔立ちをしている。

「呼び出したのは、そいつ絡みのこと?」

「お前の稽古相手だ。宮元だけじゃもの足りないと言ってたろ」

 女は目をすがめて省吾を見下ろし、遠慮なく品定めする視線を注いでくる。

「ヤれるの、こいつ」

「そこらの破落戸よりは出来るだろうが、さっきこの俺にボロ負けしたとこだ。お前ならどうだ、チャム」

「どうって」

 チャムとかいう女はさらに遠慮のない視線をくれる。省吾の頭の先からつま先まで、たっぷり2、30秒はかけて見回した。

「まあまあ出来そうだけど、手を合わせてみないことにはね」

「当分は俺が預かるから、俺の番が終わったら好きにしていい」

「また? この間も直々に鍛えてやるとか言ってしごきすぎて、弟子逃がしたじゃん」

「ま、仮にもうちを名乗っているからには少々のことで根はあげんだろう」

「いや、待て」

 そこまで聞いて省吾は腰を浮かせかけた。

「お前ら、俺に何をさせるつもりだ」

「うちの親父の悪い癖だよ」

 と、チャムが口を挟んだ。

「ま、気張ることだね」

 チャムは哀れむような視線をくれた。工藤は悪巧みするような笑みを見せた。扈蝶は工藤とチャムの顔を交互に見、梁はやれやれといった具合に首をすくめる。

 そんな中、ただ一人省吾だけが発する。

「親父?」


 「奥方がフィリピン系だったようです」

 工藤とチャムが去った後、宮元も席を立ったのでこの場には省吾と扈蝶だけである。女中がやってきたが、二人分のお茶だけ置いて去った。省吾はとりあえず布団から出て、扈蝶と同じように畳の上に座る。正座は出来ないので必然あぐらをかくようになった。

「その奥方とやらは?」

 茶碗に口をつけると、煎茶の香りが鼻に抜けた。合成飲料ではなく、本物の茶葉を使っている。これを口にするのは一〇年ぶりぐらいか。

「三年前に亡くなられたそうです。あの人、チャムさんは一人娘で、戦前からここに住んでいるとか」

「歳はいくつだ?」

「今年二〇になるって言ってました」

 ということは省吾とそうそう変わらないということだ。

「あの男が、《北辺》に君臨しているのか。以前、金が言ったように」

「私はここに来て、まだ三週間ぐらいしか経っていませんけれども。段々とこの《北辺》の状況が分かってきました。《北辺》には様々、勢力がありますが、おおむね二つの組織が対立しています」

「二つ。あの男、と」

「工藤さんと、もう一つ。それがあなたたちを襲ってきた連中と」

「あの義手の奴らか」

 そういえばあの鉄鞭の男、工藤のことを知っているようだった。

「金大人が義足をつけて戻ってきましたよね? あの義足は、もともと彼らのお抱え技師が製造したものです。お抱えといっても、彼らに忠誠を誓っているわけではなく、お金を積めば誰にでも義肢を造るようですが。けれども、あの連中が囲っているので、彼らはあの通り簡単に機械をくっつけていられるんです」

「じゃあ何で金は義足を手に入れられたんだ」

「そこは、何とも……工藤さんが裏で手を回したようですけれども」

 扈蝶は言葉に詰まった。たった一月足らずでは、状況も何も分かるわけでもない。だが《北辺》といえど、《南辺》や《西辺》と変わらない。成海の構造そのものだと、それだけ分かれば良い。

「それより、私はあなたのことを訊きたいです。一体《南辺》で何があったのですか」

「噂ぐらいは聞いているだろう」

「噂でしかないです。皆はどうなったんですか。レイチェル大人、鉄鬼大人もさることながら、和馬さん、金大人、九路さんや、あとユジンさんも……」

 どん、と何かが落ちた音がした。続いて足――ある方の足に、なま暖かい液体がかかった。扈蝶があっと声を上げ、省吾は下を見る。畳に茶碗が転がっていて、こぼれた茶が盛大にぶちまけられていた。そこで初めて気づく。茶碗を落として、それを落としたことにも気づかなかった。

「あの、大丈夫ですか?」

「……ああ、悪い」

 扈蝶が畳を拭こうとするのに、自分でやるからと省吾は扈蝶から布巾を取った。ひどくもたついた動きでこぼした茶を布巾にしみこませ、扈蝶は気まずそうに顔を伏せる。

「金のところはどうか分からないが」

 喉元でひっかかったようになった声を、省吾はようやく絞り出した。

「雪久や彰は自爆した」

「自爆……ですか」

 扈蝶は遠慮がちに聞き返す。

「地下を襲った機械がそう言っていたんだ。俺が確認したわけじゃないが、それが本当ならば奴らも生きてはいまい。ユジンも、機械に……」

 核心に触れずとも、扈蝶には分かったのだろう。そうですか、とだけ応えそれ以上は何も言わなかった。

 そのまま二人して押し黙っていた。やがて女中が、風呂の用意が出来ました、と告げに来た。お先にどうぞと促す扈蝶の声に、省吾は席を立った。

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