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監獄街  作者: 俊衛門
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第二十章:14

 座敷を出て、廊下を歩いていた。工藤が先頭に立ち、梁がその後ろを歩く。三歩ほど遅れて省吾、扈蝶、連がついて行く。

「同門だったのですね」

 扈蝶が、前の二人に聞こえないよう小声でそう話しかけてきた。

「同門なものか。一心無蓋流は俺の先生が名乗ったのが最初だ。弟子は俺の他にはいない」

「でも、同じような技、遣いますよね?」

「似た技なんて、他にいくらでもある」

 通路を歩いていると、やがて屋根が途切れ、渡り廊下に出た。そこで、この屋敷全体の構図が見て取れた。

 母屋の先に建物がある。それが件の道場とやらなのだろう、やけにそこだけ年期が入った古めかしい外観をしている。母屋の屋根が瓦葺きなのに対して、道場はトタン屋根。すきま風が吹き抜けそうな、朽ちた木造の壁で囲まれた粗末な造りをしている。建物全体を石造りの塀が囲んでいる。人一人が越えるには少しばかり難儀する高さだ。

「まあ、入れ」

 工藤がまず入り、次に梁が入り口をくぐった。梁は、ここに入るのは初めてではないらしい。

 省吾は一瞬ためらったが、しかしそれも一瞬のことだった。一歩中に入り、扈蝶もそれに続く。連は少しだけためらっていたようだが、しかし結局は中に入った。 

 省吾にとって道場、という場はこれが初めてである。かつて先生から武術を教わっていたときは、教場は必ず屋外でのことだった。焼け跡を転々としていた身であったがゆえ、一カ所に腰を落ち着けるということがなかったからでもある。それゆえ道場というものにあこがれを抱いていたときもあった。

 入ってみれば、イメージしていた通りの道場がそこにあった。全面板の間の簡素な造り。壁には木剣やら棒やらが架かっている。柱の所々には防具が吊されており、柱と柱の間を渡すようにして小上がりがありそこだけ畳張りだった。

 やはりというか、隙間風がひどく、足下が冷える。

「屋敷の方は何度か改築しているんだが」

 工藤は扈蝶と連に、適当に座るようにと促した。

「この道場だけは手つかずでな。じつに二十年は経っている。資金があれば、建て直したいとこだがな」

「そんなに、前から建っていたのですか、ここ」

 扈蝶が聞くと、工藤はああ、と声を上げた。

「そういや、お前さんには話していなかったな。ずっと昔、もう三十年くらいは前か。日本から、ある一団がこの地に渡ってきた。当時、祖国で行っていた武芸武術を教えつつ、大陸中から集まったその道の連中と、時に立ち会い、時に教え合ったり、そういうことをしながらこの地に根付いていった連中がな」

 ちらりと工藤は壁を見た。ずいぶんと古びた名札の列が並んでいるが、それがその連中、とやらなのだろう。漢字三文字の名や、ハングル表記まで存在する。

「彼らはやがて、一つの流派を名乗るようになった。一心無蓋流柔拳法。剣と柔術をベースに、拳法、格闘技、武器術。そういう全てを吸収し、そしてそれは今でも続いている」

 工藤はつと、省吾を睨んだ。

「お前さんに武を教えたのはどんな奴だ?」

「どんなって、まあその」

 省吾は記憶の中にある先生の面影を求めた。

「戦争中は、どこぞの軍にいたようなことは聞いたが」

「そいつの名は? 男か? 女か? 年はいくつだ」

 まるで尋問である。何故か省吾は、先生を侮辱されたかのような感じを覚えた。

「女だ。あのときは、多分……三十手前か前半というとこだったと思うが」

 名は知らん。そう言うと、工藤は渋面を濃くさせた。

「この道場から旅立った奴に女はいなかったが、まあどこかで誰かがお前の師匠になった奴に教えたことも、可能性としてはなくはない、が……」

「俺は、一心無蓋流は先生のオリジナルだと聞いた」

 これ以上黙っていれば何を言われるか分からない。だから省吾は、言うべきことは言わなければならない。

「先生が自ら学んだ武術、格闘術、そういうものを組み上げて造ったんだと。誰かに教わったなんてことはないはずだ。大陸に渡ったなんてことも聞いてないし」

「お前の師が何を言ったかなんて知らんよ。一心無蓋流は昔から一心無蓋流だ。それに、お前の師が全てのことを語ったか、なんてこと分かるのか?」

 そう言われれば、省吾は言葉に詰まってしまう。考えてみれば省吾は、先生の素性を知っているわけではないのだ。あの人は結局名前すら教えてくれなかった--

「しかしまあ、考えられるとすりゃ、どこぞの誰かが勝手に名乗っているってことも無くもない。正直、由緒正しいわけでもなく、流派の名に権威なんて求めようもないのだが」

「だから先生は」

「別にいいさ、俺の知らないところで名乗るんならば。けど、一度出くわしちまったからにはそうはいかない」

 工藤は道場の中央に歩み出る。心なし、腰を落とした。

「お前さんが、本当に一心無蓋流を名乗るに値するかどうか、確かめてやらにゃあ」

 目の前の男が構えを取るに、省吾もまた腰を落とした。武術家の本能のようなものだ。

「立ち合おうってのか。今、ここで」

「いち流派を預かる身としては、紛い物が出回っていると知っちまったらな。こちらとしても迷惑だ」

「紛い物だと」

 体の底で、血が沸くような心地を覚える。省吾が生きてきた証をまるごと否定されたような気がした。一心無蓋流柔拳法、師が教えてくれた生きるための術。それを、紛い物呼ばわりなどと。

「さっきのようにはいかないぞ」

 省吾は声を押し殺す。工藤は鼻先で笑った。

「ほう、そうかい。じゃあどうするっていう――」

 工藤が言い終わらぬうちに省吾が飛び込んだ。間合いに踏み込み、左拳で工藤の水月を打ち抜く。

 その拳は空を切る。

「は?」

 工藤の姿が消えていた。構え直す、間もなく、省吾はいきなり首根っこを引っ張られる。予期せぬ方向からの力、省吾は仰向けに転がされた。

 すぐさま起きあがろうとしたが、省吾の首もとに工藤の足が乗せられる。そのまま床に押しつけられた。

「まあ確かに当て身から入るんだけどな、いきなり突っ殺すつもりで来てんじゃあな。投げてくれって言ってるようなもんだ」

 省吾は起きあがろうとする。が、工藤の足が邪魔で動けない。それほど強い力で抑えられているわけではないのに、省吾はまるでピンで押さえられた標本の虫だ。

「こいつは足先への集中力でな、宮元」

 と工藤はなにやら講釈を始める。

「力というものは、筋力に頼ると分散しがちになる。力を一点に集めるってことは」

「勝手に終わらせるな!」

 省吾は無理矢理工藤の足を掴み、アキレス腱をひねり上げた。しかし完全に極まるより先に工藤が足を引っ込める。

「ほう、威勢がいいのは結構だ。それだけじゃ困るがな」

「黙れ、この!」

 省吾はまた踏み込む。矢継ぎ早に拳を突き出した。工藤が体を開いてかわすに、工藤の袖を掴み引き寄せた。

 背負い投げる。工藤の軽い体が宙を舞う。が、何と工藤は空中で一回転しそのまま着地した。呆気にとられる、間もなく工藤が省吾の足を払う。省吾は転倒を余儀なくされる。

 立ち上がった。工藤がすぐ眼前に迫っている。

 肘。工藤の顎をカチ上げるが、空振り。またもや工藤の姿が消える。

「こっちこっち」

 背後。振り返った省吾の顔面に拳が刺さる。倒れそうになるのをこらえたところ、工藤の手が省吾の手首を取った。

「痛いぜ」

 工藤が言った、直後。小手返しを極められる。省吾の体が回り、床に叩きつけられた。

 すぐに立ち上がる。工藤は無構えのまま待ちかまえていた。

「お前さん、確かに基礎は出来ているようだが。ただ体力任せに突っ込めばいいってもんじゃない」

 工藤に息の乱れはない。対して省吾は、肩で息をしている。

「若いうちはな、それでどうにかなることもあるものだ。だが武というものはいつ如何なる時でも対応しきらんといかんから、体力に依存しているんならそいつは武とはいえん」

「講釈垂れてんじゃ……」

 一度、省吾は息を吐き出した。口の端から徐々に空気を漏らしてゆく。拙速に行う呼吸は、吸い込むばかりで苦しさが増す。吐ききったところから、呼吸は始まる。

「ふむ、しかしお前さんに一心無蓋流を教えたという人物。技術を教えても、その他の深いところまでは踏み込んでいなかったと見える。これを、一心無蓋流などと言われると迷惑だな」

「だから黙れと!」

 省吾が飛びかかった。

 間合い。近づき。突き。省吾の右拳、工藤は左に捌くと同時に省吾の胸に肩を合わせる。小柄な老人の体が省吾の胸を圧しつぶし、息を詰まらせた。

 たまらず、下がる。今度は工藤が前に出る。腰の上下動のない滑るような歩みで。

 工藤が手を突き出す。

 省吾、工藤の手を払いのけ工藤の襟を掴んだ。そのまま引き寄せようとする。

 瞬間、省吾の体が回った。

 一体何をされたのか分からない。足を払われたわけでもなく、手首を極められたわけでもない。空中で回り、省吾は再び床に転がされる。

 立ち上がるとき、扈蝶と目があった。見ていたはずの扈蝶にも何があったのかよく分かっていないらしく、首を振った。

「受け身の稽古にはなるわな」

 工藤は呵々と笑う。それがまた癪に障る。立ち上がるや否や、間を詰め義足の方の足で前蹴りを放つ。蹴りがかわされると、右足を戻すことなく今度は回し蹴りを打つ。

 工藤の顔面に樫の木の足が激突する、よりも先。工藤が前に詰める。省吾の蹴り足を容易く掴み、膝裏に肘をあてがうとそのまま体当たり。左足一本で立っている省吾は、当然踏みとどまれるはずもなく。後方に吹っ飛ばされた。

 起きあがる省吾に、工藤はさらに挑発じみた口調で言う。

「別に徒手でなくとも、ホレ。壁に木剣やら棒やらあるだろ、そういうんでもいいんだぞ? 素手じゃきつそうだからな」

 そういえば省吾が、武器の使用をためらうとでも思っているのだろうか。

 だが。

「そうかよ」

 省吾は手近にあった木剣を手にした。正眼に構える。別に体術にこだわる必要などないのだ。省吾の真価は剣にこそある。

「それじゃあ遠慮なくいかせてもらう」

 踏み込む。

 刺突。

 工藤がかわしたところ、横薙に斬る。切っ先が工藤の横面を捉える。

 しかし、空振り。工藤は剣の間合いを踏み越え、省吾の眼前まで間を詰めた。狼狽する省吾の顔面に当て身、鼻をくじかれる。省吾が身を反らしたのと同時、省吾の手首を掴み、拉ぐ。またもや床に引き倒される。

「そりゃ木剣使って良いとは言ったが、そこまで素直にならんでも、なあ? お前さん、さっきから起こりが見え見えだ」

「うるせ、この」

 上から組み伏せてくる工藤を省吾は払いのけた。工藤は省吾に払われるのではなく、自ら退いた。

「そうは言ってもな。今からはい行きますよ、と言ってるようなもんだ。それを、はいそうですか、って返してるだけだから、お前の相手なんてさほど苦にはならんよ」

 さっきから余計なことばかり工藤は喋っている。余計な口を聞いていても、省吾を抑えることなど何てことないのだろう。それがますます、苛立ちを募らせる。

 省吾、脇構え。そこから踏み込んだ。

 だが、踏み込んだ右の義足がわずかに床を滑った。バランスを崩し、その分挙動が遅れた。

 工藤が詰める。一足、省吾の目の前まで。省吾が退こうとした。

 貫手。工藤の指先が、吾の喉元に刺さる。痛みは感じず、ただ衝撃のみが喉に叩き込まれた感触。一瞬の浮遊の後、省吾は背中から地面に落ちた。

「お前さん徒手より剣の方が得意な類か。確かに、柔術拳法を謳ってはいるが一心無蓋流の本質は戦場技術、とりわけ剣法だからな、まあその姿勢は間違ってはいないが」

 なおも立ち上がろうとする省吾の足の甲に、工藤が右足の親指を食い込ませた。たったそれだけで省吾は足を動かせなくなる。

「しかし、剣ばかりで身体がついてこれていないな。この程度ばっかしでもう動けないか」

 もちろん省吾は逃げようともがいたが、あがけばあがくほど工藤の足指が食い込んでくるような気がする。体格はさほどでもない工藤の体を、しかも親指一本でしか押さえられていないというのに。今は、全くふりほどけない。甲の骨に直接杭が打ち込まれているようだ。

「本当ならこんな技はつなぎでしかないんだが、まあお前さんの残り足壊すのも哀れだからやめとこうか」

 工藤はそう言って足を離す。すぐに省吾は立ち上がったが、まだ左足が痛んだ。

(くそったれ)

 こんな奴に、情けをかけられなければ技の一つも返せない――そう思うと余計に腹立だしい。省吾がいくら攻撃しても、柳に風とばかりに手応えがなく、この男の前では省吾はまるで子供だ。

(足さえ――)

 思っても仕方がないことだが、右足がこんな樫の棒でなければ、まだ戦えたかもしれない。感覚の通わない重い義足は文字通り足枷にしかならず、踏み込むときも足場の確保が出来にくい。足が地を捉えるときの、わずかなズレ。これが致命的だ。

 工藤が向かってくる。まるで散歩でもするような気軽さで、ただ歩いてくる。

 省吾がしかけた。

 上段から切り下ろす。打ち下ろす太刀を、工藤は身を翻して避ける。

 それはしかし囮。

 木剣を返し、横薙に変化させた。工藤の首を打つ――よりも先、工藤の手が省吾の手元を押さえた。より正確には、木剣の柄を握られる。

 次には省吾の手がねじり上げられる。剣を握ったまま両の手首を重ね合わされるようにひねられ、省吾の腕が完全に極まる。

「ほれ」

 工藤、そのまま腕を返す。関節が極まったまま省吾は道場の端まで投げ飛ばされた。

「くそっ」

 今度は声に出した。起き上がったときには、工藤は省吾から奪った木剣を突きつけていた。

「どうした、こんな程度じゃあうちの流派は名乗らせらんねえな」

「うるさいっ」

 省吾はすぐさま壁に架かっていた棒を取る。六尺棒を槍のように突き出すが、工藤はそれを払いのけた。軽く払っただけでも省吾は体のバランスを大きく崩す。

 そこに工藤が踏み込む。刺突。木剣の先が省吾の水月を捉える。鋭い衝撃が体の中まで浸透した。たまらず身を折る。その場にしゃがみ込みたくなるのをこらえて、省吾は後ずさる。

「お前さん、体力はあるようだけどもな」

 工藤は木剣を肩に担いだ。

「技はまあ、それなりに出来ている。けども、何というか……そんな上の空じゃ、いくらかかっていっても無駄なことだ」

「上の空だ?」

 何を言っているのか。上の空で戦いに臨むものがどこにいるというのか。現に省吾は、最大限の力で工藤に掛かっているというのに。

「お前さんの心が、今ここにはない。どこか別のところにあるような気がしてならないな。打ち込むにしても、捌くにしても、集注を欠いている」

「どこにそんな証拠が」

「さあ、察するにあんた、その足」

 と工藤は省吾の足下に目線をやる。その視線の先に、省吾の義足があった。

「何だよ」

「さっきからその足、気にしながら立ち回ってないか? 踏み込むときとか、特に」 

 一瞬、背筋に冷たいものが走る。見透かされているのだという思いがした。

「どうした、顔色が悪いぞ。ひょっとして図星か?」

「何をバカなことを」

 省吾は努めて冷静に返したが、工藤は面白がるように口元をゆがめた。

「生きていれば、手足の一本や二本無くすなんてざらにあるのに、たった一本いかれただけでそいつを気にするようじゃ、俺には勝てんよ。まるであさっての方向を気にして、目の前のことは見えていない。だいたいが――」

 工藤の言を遮って、省吾は六尺棒を叩きつけた。天頂から一気に、工藤の面を割る。が、工藤が一歩動いたかと思うと打ち込みは外れ、逆に工藤の打ち込みが省吾の肩を叩いた。鎖骨が砕けそうな衝撃に、省吾はよろめく。

「人の話は聞くもんだ。そんな心ここにあらずって心意気で場に臨むってんなら、命がいくつあっても足りない。そいつは足があろうと無かろうと、だ。今まで生き残っているのが不思議なくらい」

 余計なことを。だが省吾が動けば、工藤も即座に動き、あっという間に間合いに入られてしまう。まるで挙動の起こりというものがない。起こりがないから、出鼻を押さえることもくじくことも出来ない。

 それに大してこちらは重たい義足。初動が遅れる。いくら気配を消そうと努めても、どうしても引きずる動作が出てきてしまう。

(どうすれば……)

「ほら、また足のこと考えただろ。そんなんじゃ、いくらやってもな」

 工藤に言い当てられ、ぎくりとした。ただ、何故分かったのかと聞くわけにもゆかず黙っていたが。

「お前さんの力量ってものがよく分かったよ。同門を名乗る以上は少しはやるんだとは思っていたが、そうでもないな。お前に武を教えたとかいう奴、どこで一心無蓋流の名を知ったか知らんが、お前がこれではその師匠とやらも大したことはないようだ」

 工藤は木剣を刀架けに戻すと、踵を返した。

「まあ、今日は遅いから泊めてやってもいいが、明日には荷物をまとめて……」

「待てよ」

 省吾が吠えるのに、工藤は面倒くさそうに振り向く。

「無駄だと思うが?」

「うるさい、戻れ」

 正直言って、この男と自分とでは力の差がありすぎる。それは仕方がない。だがそれでも、工藤の発言は看過できなかった。

「先生を侮辱するな」

 省吾は六尺棒を突きつけたまま唸った。

「撤回しろ、今の言葉」

「撤回って、事実を述べたまでだろうに」

「撤回しろと言っている!」

 今し方、工藤は木剣を置いた。今、工藤は丸腰である。それでも省吾は先ほど、木剣で打ち掛かっても無手の工藤に翻弄されたわけだが。今手にしているのは間合いの広い棒だ。

 工藤はため息を一つついた。

「撤回させたければ、俺から一本でも取ることだな。その棒でもいいし、そうさな……何なら本身でもいい」

 工藤は再び刀架けに手を伸ばした。木剣や杖に混じって、拵えのある刀が何振か架かっている。その一つを手に取ると、省吾に投げてよこした。反射的に、受け取る。

「ここにある刀は、基本刃を挽いてあるんだが。そいつにはまだ刃が残っている」

 省吾は少しだけ鞘を引いてみる。抜き身が異様な光を放った。完全に抜き払うと、乱れた刃紋が露わとなる。

「……取り消せないぞ」

 省吾は刀を正眼に構える。剣先をぴたりと工藤の喉に向けた。

「こいつでお前を斬ることになっても――」

「いいからさっさと来やれ。いい加減疲れてきた」

 工藤はいかにも面倒くさそうに言う。

「ちょ、ちょっと待って下さい」

 そのとき、扈蝶が立ち上がった。

「何もそこまで。真田さんの力量を計れればいいんだって、そう言っていたじゃないですか工藤さん」

「計ったよ。計って、判断を下した。けどこの兄さんは納得いかないってんなら」

「洒落にならないですよ!」

 扈蝶は今にも二人の間に割って入りそうだった。そうならなかったのは、隣にいる梁が扈蝶の肩を掴んで制止していたから。前に出れない分、扈蝶はさらに声を張り上げる。

「真田さん、刀を下ろして。もう少し冷静に」

「黙ってろ、扈蝶」

 もはや扈蝶の方に注視はしていられない。

「こいつは俺に刀を寄越した。ってことは、自分が斬られることは覚悟の上ってことだ。なら何も問題はない」

「覚悟なんてありゃしねえよ」

 工藤が鼻先で笑った。

「お前に斬られるはずが無いんだから」

 本気でそう思っているという表情。そのムカつく顔の面を削ぎ落としてやる――省吾は間を詰め、そして一気に飛び込んだ。

 工藤が身を低くした。

 扈蝶が息を飲んだ。

 刃の先が工藤の肩に沈む――肉に埋まり、そのまま臍下まで一気に切り下ろす――はずだった。

 だが手応えは皆無。 

(――え?)

 刀が空を切る。目の前にいたはずの工藤の姿がない。

 背が粟立つ。

「学ばん奴」

 工藤の声。それよりも少し早かった。横から工藤の手が伸びてきたのは。手が刀の柄を握り、下に大きく沈み込んだ、と思った時に省吾の体が浮き上がった。

 受け身をとる間もなかった。空中で一回転したかと思うと、そのまま頭から落ちる。衝撃で目の前が一瞬白く光った。

 慌てて立ち上がる。刀を構えようとしたが、すでにその手に刀はない。落としたか、と下を見たとき首筋に刃の感触を得た。

 工藤が省吾から奪った刀を頸動脈にあてがっている。そのまま一気に刃を引く。

 その瞬間、省吾は息を止めた。全身の意が断ち切られ、がっくりと膝を落とす。

 しかし、痛みはなく。肉を裂かれたという感触もない。不審に思って首に手をやるが、血は一滴も流れていなかった。

「峰だ、峰」

 と工藤は、刃の反対側を向けて見せた。省吾は自身の首筋を何度も触る。やはり傷一つついていない。

「何だ斬られたと思ったか? そんな面食らった顔してよ」

 呵々と笑い、工藤は刀の柄を手中で回して刃と峰を交互に返して見せた。どうやら刃を当て、斬る瞬間に峰に返したらしい。だから斬られたと錯覚したのだ。

「……おちょくってんのか、貴様」

「おいおい、何を言っている。峰だろうと何だろうと、お前さん今斬られたんだ。死人がそういう態度に出られるって道理は無いだろう」

「そ、それは」

 省吾が言いよどんでいると、工藤は鞘を拾い上げた。

「まあこれで分かったろ。お前さんの命を奪おうなんて容易いこと。お前が今まで生きてこれた実績なんて、まるで意味のない」

 工藤は刃を見て「油を差さなければ」とかなんとか言って、納刀した。

「待、て。この野郎……」

 省吾は工藤に食ってかかろうとしたが、脳天に受けた衝撃が足にきている。一歩前に出ると、膝から下がなくなってしまったかのように倒れ込んだ。すぐに扈蝶が駆け寄り、体を支えた。

「無理をするな。頭を打っているんだからな……慌てんでも、お前さんの命はもう俺のもんだ」

 なにやら意味深なことを言う。省吾は抗議の声を上げようとしたが、しかし徐々に目の前が暗くなってくるのが分かった。

「扈蝶、そいつは寝所に運んでおけ。まあ無事に目を覚まさせられればいいがな」

 工藤が最後に発した声を最後に、省吾は意識を手放した。

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