第二十章:12
鉄鞭が走る。
勢いづいた鉄の先端が省吾の眼前に迫る。身をよじって回避するも、男はさらに鉄鞭を切り返す。左。
飛び下がる。下がった瞬間に省吾、足を滑らせた。右の義足がまた、自分が思うとおりの場所に着地してくれない。
(くそっ)
男が振りかぶる。省吾は足元の石を拾い、投げつけた。
石が男の顔面にめり込む。男が仰け反った、ところ。省吾は懐に入り込む。
鉄槌が下る。
省吾は入り身になって避ける。避けると同時、男の右手を差し押さえ、掌底で男の顔面を打ち、右手首をひねり上げた。男が体のバランスを崩す。
だが。投げられる直前、男が左腕を振り回した。鉄の腕が省吾の肩を打つ。
骨に衝撃が響いた。体ごと吹っ飛ばされ、省吾は壁に叩きつけられる。叩きつけられた衝撃で土壁がぼろぼろと崩れた。
立ち上がる刹那、再び鉄鞭がかかる。
省吾の頭蓋を砕く、よりもコンマ何秒か早く省吾は打ち込みを避ける。鉄鞭の先が地面をえぐり、コンクリートの礫が省吾の顔を叩いた。
踏み込んでくる男に対して省吾は下がりながら避けるより他無い。下がればそれだけ我が身を危険にさらす、避けるだけではいずれは果てる。分かっていても、ならばどうすると考え、考えている間に鉄鞭が降りかかる。
しかもこちらは足枷をはめながら動いているようなものだ。義足をひきずりながらでは思うように動けない。気にするまいとしても、どうしても右足の異物感が拭えない。それが故、瞬間瞬間の挙動がコンマ何秒か遅れてしまう。
その遅れは致命的。
「かあぁっ!」
気勢とともに鉄鞭打ち下ろす。斜めの軌道。
省吾は身を開いてかわす--かわしきれず、肩先を鉄鞭がかすめる。それだけですさまじい衝撃が骨を叩く。痛みを感じる間もなくまた次撃。鉄鞭の横薙。
省吾、飛び下がる。だが間に合わず――また右足が邪魔を――鉄の先が腹をかすめる。鉄鞭が衣服を引きちぎりその下の皮膚、省吾の皮一枚をえぐり取る。
拾っては、石を投げつけた。人の頭よりも少し小降りな塊を両手でオーバーハング気味に投擲する。男はそれを鉄鞭で悠々叩き砕いてゆく。
「さっきからワンパターンになってきたってことは、あれか。万策つきたってことか」
鉄鞭の先を突きつけて男が言う。省吾はまた、壁際に追いやられていた。
「南じゃ通じたかもしれんけど、ここは《北辺》。南の流儀なんて関係ねえ」
流儀も何もあったものか――と反論する余裕などなかったので黙っていたが。
「ここにゃそういうのが多い。西や南から、逃げてきておいて、けどあっちじゃそれなりだったからこっちでやれるだろうとか考えている、甘ったれた奴。そういう奴らを潰してきたんだよな、俺ら」
何ができる、何をすればいい――男がくっちゃべっていることに耳を貸すことなく、省吾は考えていた。この状況を打破する方策。
「最初は脚を潰す。膝を砕いて文字通り、ひざまづかせる。次に両腕。肉も骨も腱も見分けつかないぐらいに叩いて、潰してやってミンチにする。そこで大抵音を上げて命乞いするから、そのうるせえ口にねじ込んで顎を砕いてやる。そうすると大体黙るんだよ、まあまず喋れんからだけど」
男はけたけたと笑うが、こちらはそれどころじゃない。普通ならべらべらと余計な口をきく奴など、隙だらけもいいところ。いつもならばすぐにでも倒せるのだ、こんな奴。それが、思うように出来ないでいる。
「そのまま街の外れによ、捨ててやるんだよ。そうするとカラスが群がって三日も立てば骨だけになる。けどお前は、まあまあ頑張った方だ。ちょっとは敬意こめて、ひと思いで脳天カチ割ってやるからよ!」
男が鉄鞭を振りかぶった。
省吾は身を低く屈め、飛び込む体勢を取った。
そのとき、男の背後――廃墟の入り口が目に入る。それだけならば何てことはないが、その入り口に人影が立っていることに気づいた。
次の瞬間男が悲鳴を上げて飛び上がった。何かと思えば、男の尻に針状の手裏剣が刺さっている。
「お前の趣味に口出すつもりはないが、まさかお前たち、俺の庭ではしゃいでるって自覚はあるんだよな? なあバオ。兄貴の後ろにくっつくしか能のない奴が」
入り口にいた人物が歩み寄ってきた。
着流し姿の、初老の男だった。藍鉄色した木綿の長着に金茶の角帯を締めている。あまりこの街では――否、特区内どこでも目にすることはないだろう格好だと思った。
「いつからあんたの庭になったんだよ。そんなこと認めている奴なんざここにゃいねえ」
この男、バオというらしい。バオは尻に刺さった手裏剣を忌々しそうに引き抜く
「ここで支配者面すんのかよ、工藤よ」
「支配者面はお前だろう。西や南の流儀が通用しない、とか何とか。よくまあそんな歯が浮くような台詞がぽんぽん出てくるもんだ」
バオは男のことを工藤、と呼んだ。ということは日本人なのか。工藤は帯に手挟んでいた扇子を抜き取って、自らの肩を二度、軽く叩いた。
「まあ、お前みたいのを泳がせることは構わないが。揉め事は俺の目の届かないところで処理してくれよ。でないとこうして出張っていかにゃならんくなる」
「だからよ、支配者面するなってよ。俺言ったよな、よそ者が」
バオはもう省吾の方を見ていなかった。鉄鞭をさりげなく持ち替え、体は工藤の方を向いている。そのまま飛び込もうとすれば飛び込めるよう、体を沈めている。対して工藤の方は構える気配などない。薄笑いを浮かべて、ただ突っ立っているだけだ。
「おいおい、じゃあそのよそ者にでかい顔されているお前等は一体何だよ。南から逃げてきた奴相手にしかできないってんじゃ、哀れなもんだなぁ」
工藤が明らかに馬鹿にした口調で言った。
そこまでだった。バオが思い切り地を蹴り、工藤に向かって突進。体の勢いそのままに鉄鞭を振り下ろした。
一瞬、工藤の姿がぶれた、ように見えた。
次にはバオの体が吹っ飛ばされていた。工藤にぶつけるはずだった勢いそのままに、自ら壁に激突しにいったようにも見えた。壁に頭を打ち付けて、脳天を押さえてバオは苦痛にうめいてのたうちまわる。
「どうした、何か転んだか?」
対して工藤は、その場に留まっている。暑くもないのに扇子を開いて、わざとらしくぱたつかせている。
「このっ」
バオは立ち上がり、再び突進。鉄鞭を振り上げた。
工藤が一歩前に出た。
工藤、扇子の要でもってバオの喉を軽く突いた。たったそれだけでバオはバランスを崩して派手にひっくり返る。
立ち上がるや否やバオが打ち込む。鉄鞭を無茶苦茶に叩き付ける。
それより早く工藤が懐に入る。バオの右手を取り、手首をひねり上げた。一瞬バオがつま先立ちになったところ、手首を返し、投げた。バオの体がほぼ一回転し、地面に叩きつけられた。
「あんまり聞き分けないようだと」
工藤はバオをうつ伏せにさせる。そのまま手首と肘を極め、扇子をバオの後頭部に突きつける。
「こんなものじゃすまさない。痛めつけるにしても手心を加えているうちは、まだ五体満足で帰れるものを」
「うるせえっ」
バオは無理矢理身を起こそうとするが、びくともしない。工藤はそれほど強く押さえつけているわけでもない。単なる腕力ならばバオと工藤は比べるまでもない、しかしバオはまるで虫ピンで押さえられた標本の蝶のごとく全く身動きができないでいる。
「まあそうだな、この状態ならばお前の肘は壊せる。生身だもからな、こっちは」
工藤が手に力を込めるのが分かった。
「あと、後頭部晒しているってことはいかにもそこに膝小僧でも落としてくれって言ってるようなもんじゃないか。まあ死ぬかどうかわからんが、脳にダメージはそこそこあるだろうよ」
だんだんとバオが大人しくなってゆく。
「打ち付けるよりも、ここに刃でも落とせばいちころだな。お前さん、まさかこの俺が刃物の一つも持っていないとか思っていないだろうな?」
「お、おい馬鹿やめろ……」
「さて、ではとりあえずこの腕の腱でも」
工藤が懐に手を入れるそぶりをした。その仕草自体はバオからは見えないはずだが、バオは何かを察したのか悲痛な声で叫んだ。
「分かった。分かったから離してくれ!」
それを聞くと工藤は懐から手を出した。
「まずはその鉄鞭」
バオは言われたとおりに鉄鞭を離した。次に工藤は省吾に、鉄鞭を取り上げろというように目配せした。さっきから工藤の技の数々に圧倒されていた省吾であったが、ようやく我に返り、鉄鞭を取り上げた。
工藤がバオの手を離した。バオはよろよろと立ち上がる。少し抵抗するそぶりも見せたが、工藤に睨まれると、さすがにもう懲りたのかそのまま引き下がる。
「力を手に入れたといっても、外側が立派になっただけのことならあの程度しかない」
バオの姿が見えなくなってから、工藤は扇子を帯に挟むと省吾の方に向き直った。
「その点、お前さんはマシな方かもしれんな。ただ南から逃げてきた破落戸連中とは、少しばっかり違うようだから」
遠慮もなしに工藤は日本語で話しかけてくる。省吾もまた、日本語で答えた。
「……一応、礼を言っておく」
「礼なんぞいらんよ。お前さんを助けたということでもないのだからな」
ほんの少し、男の重心が前がかったのを感じた。見た目にはほとんど分からないが、居着かず、素早く前に出るための所作だ。構えもなく、いかにもリラックスした風体であるが、男の着物下の身体が変化したのを感じた。
省吾は鉄鞭を、さりげなく持ち替えた。棒の先端ではなく、中心付近を握る。普通に持つには、今の省吾には重すぎる。
この男がどういうつもりか分からないが。もしこの男が掛かってきたとしたら、慣れない武器ではあるがこの鉄鞭で応じるより他ないだろう。ただ今の立ち回りを見たあとでは、この鉄鞭でも切り抜けられるかどうか、分からない。
そのとき、入り口側が急に騒がしくなった。誰かが廃墟の中に踏み込んでくる足音が聞こえ、
「真田さん、無事ですか」
切迫した声とともに誰かが飛び込んで来る。よくよくその人物を見てみれば、見覚えのある顔。
「真田さん、あの」
「……ああ、扈蝶か」
記憶と目の前の人物が結び付きを見せたものの、かけた言葉は一言だけだった。久しぶりだとか、なぜここにいるのかとか、いろいろ交わせる言葉はありそうなものだったのだが。あまりにも色々ありすぎて何も出てこない。
またすぐに足音。こんな廃墟なのに、なぜか人の出入りが激しい。
「ちょっと、あまり先走ったら危ないですよ」
声とともに連が入ってくる。連は省吾の顔を確認し、しかし同時に工藤の姿も認めた。ただならぬ空気を察したのか、すぐに身構えた。
扈蝶は省吾を前にして、何かを言いたそうに唇を動かしたがなにも言わない。一〇秒ほどかけてから、扈蝶は工藤の方に向き直った。
「工藤さん、彼は私の仲間です。何があったのか分かりませんが見逃していただけませんか?」
「見逃すってお前。別にとって食いやしねえよ。そこのあんたも、何もしないからその剣呑な空気を納めてくれや」
工藤は連に言ったが、連はしかし構えを崩すことはなかった。
「バオの奴が暴れているっていうから、ちょっと様子を見に来ただけだ。この兄ちゃんとは今顔を合わせたばかりなんだが……仲間ってことはあれか、兄ちゃんも『黄龍』なのか?」
も、ということはこの男。扈蝶が『黄龍』であることを知っている。扈蝶の口振りからして、工藤とは敵対しているわけではなさそうだ。
省吾が黙っていると工藤は首を傾げた。
「あんたのその傷……そうか《南辺》の蛇には顔に傷こさえた剣術使いがいると聞いたな。動きを見るに、ひょっとしてあんたか? その剣術使い。確か、真田……ああ、真田省吾とか言ったな」
省吾はまだ鉄鞭から手を離さずそのまま工藤の方を睨んでいたが、工藤の方はにやりとして言った。
「その顔、図星か。ずいぶんとわかりやすく驚いてくれるな」
「な……」
確かに名前を言われたときは驚いたが、顔には出していない。自分が隠すのが下手なだけか、あるいはこの男の観察眼が優れているのか。
扈蝶が一歩前に出て言った。
「工藤さん、この二人はあなたたちと敵対しないこと、私が保証します。ですから」
「別に誰の保証もいらんよ。そんなに脅威というわけでもなしに、な」
「どういうことだよ」
この男、俺を侮っていやがるのか――腹の内が徐々に熱くなってゆくのが分かる。いくらバオに苦戦したからといって、そのバオを軽くあしらったとは言え――こんな爺にひけをとる俺ではない。
「旦那ぁ、来たぜ」
また入り口の方から声がした。扈蝶が振り返り、連は体を半身開いてそちらを見た。省吾は目線だけそちらによこす。誰かが走ってくるのが見えた。
扈蝶がまず声をかけた。
「範首央、どこに行ってたの」
範首央。この男の名前らしい。見覚えのある顔だったが、どこで見たのか分からない。
「車回してきたんですよ。旦那に言われて、ああそうだ輸送用のトラックしかなかったんですがそれでいいですかね?」
「ちょうど良い」
工藤は省吾と連、扈蝶を見回した。
「人数も増えたしな」