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監獄街  作者: 俊衛門
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第二十章:10

 足音から、すでに誰かが迫っていることは分かっていた

「お前が南から来たって奴か」

 座り込む省吾の前に、一人の男が立つ。ボロ布をマントのように纏い、手には鉄鞭を携えていた。鞭と呼ばれながらも、硬鞭の一種であるそれは無骨な鉄の棒そのものである。

 省吾がちらりと視線を上向けると、左右から山刀の刃が突き出、省吾の顔の前にちらついた。鉄鞭の男、左右を固める男、その他にも三人、鉄鞭男の後ろに控えている。

「そりゃ確かに歓迎されているとは思っていないが」

 わずかに省吾、腰を浮かせた。あくまでもさりげなく、左足を折りたたみ、腰の後ろに重心を置き、地面に左拳をつく。

「北の奴らは南には特に厳しいのか」

「別に。どっから来ようと同じことだ。ここに来るってことは、大体似たような事情抱えていて、そんなんどうなろうと勝手。けど、あんたの場合はそればっかじゃない」

「何がだ」

 省吾は男の手を見た。鉄鞭を握る左手、明らかに人の肌ではない鉄の地肌。機械の駆動音すら聞こえる。

「その手、機械だよな、それ。そんなものがどうしてお前みたいのが」

 言い終わらぬうちに男が鉄鞭を振り下ろした。

 すぐさま省吾は飛び出す。前転しながら打ち込みを避けた。省吾が座っていた箇所に鉄鞭がめり込む。アスファルトの地面が一撃で砕けた。

「答えると思うか、あ?」

 鉄鞭を構え直して男が向き直る。

「答えないとしても、俺を襲う理由ぐらいは知りたいものだな。誰かに頼まれたのか?」

 言いながら省吾は、手近にある石を掴んだ。ナイフぐらいは身につけておくべきだったが、《南辺》を出るときにどこかへ落としてしまったようだ。

「頼まれるとか頼まれないとかじゃねえよ。あんた南から来たんだろ? 理由はそれだよ」

「よく分からない、が」

 これ以上論議を重ねることは無意味だ。省吾は一歩近づいた。

 男が鉄鞭を振り下ろす。その顔面めがけてコンクリートの石を投げつけた。石は男の鼻っ柱に命中、男が一瞬足を止める。

 すかさず省吾、懐に入る。男の、生身の右手を掴み小手に極めた。男の身体が崩れるに、省吾はそのまま男を地面に組伏せる。

 背後から襲いかかる。一人が山刀で切りかかった。 

 省吾飛び退き、刃を避ける。最大限下がり壁際まで来たとき、鉄鞭男がのっそりと立ち上がった。

「少しゃやるみてえだな」

 そうして鉄鞭を肩に担ぐような構えを取る。

 そのまま突進、再び鉄鞭を振り落とす。

 かわす、省吾の身体の側面ぎりぎりを鉄鞭が通る。かわすと同時に踏み込み男の胴に当て身を食らわす。男が身体を折った、所に渾身の手刀。男の首を狙う。

 がっ、と鈍い衝撃。省吾の手刀が男の鉄の腕によって阻まれた。男はそのまま振り切る、省吾は身体ごと吹っ飛ばされる。

 今度は左右から、山刀の男どもが襲いかかる。

 転身、刀の打ち込みを省吾かわす。かわすとともに一人に当て身を食らわせ、もう一人の手を取りねじり上げた。手首が砕ける音がしたがそんなことにはかまわず、山刀を奪い取る。最初の男が落とした刀も拾い上げ、両手に刀を取り対峙した。

 鉄鞭が振り下ろされる、斜め方向。省吾は咄嗟に下がって距離を取る。

「せい!」

 山刀の横一文字。男の首を狙う。男は難なく鉄鞭で刃を受け止める。二度、三度、左右の刀で切りつけるも男は鉄鞭、あるいは鉄の腕そのもので刃を受け止める。当然のことだが、刃は鉄の塊には全く意味をなさない。

 男が踏み込み、鉄鞭を突き出す。

 鉄の先端が省吾の首もとを過ぎる。皮の一枚を抉られ、一瞬だけ自らの皮膚が宙を舞うのを見た。

 さらに追撃。鉄鞭をすくい上げるように打ち込む。

 省吾、かわす。鼻先三寸。かわした直後、踏み込む。男の懐、無防備な右側めがけて切りつけた。刃の先が男の肩を傷つける。血の筋が空に曳く。

 前に出る。

 突如身体を崩した。正確には身体の右側、踏み込んだ右足からバランスを失う。義足の重みに引きずられるように省吾はよろめいた。 

 そこに鉄鞭。頭上に降りかかる。  

 咄嗟に受け止めるーー刀で弾き返す。刃と鉄がぶつかる。刃が派手に砕け、欠片が省吾の頬をしたたか傷つける。

(くそっ) 

 一旦退く。が、退く瞬間も右足の挙動が一瞬遅れた。鉄が振り落とされるに、避けきれず、頬骨をかすめた。皮膚をそぎ、骨に衝撃が走る。打たれたと感じたときには、すでに二撃目が飛んでくる。

 かわす--かわしきれず、鉄鞭は肩口をかすめる。鈍い痛み、その直後。神経が焼き付く感触に襲われる。

 思わず、しゃがみ込む。顔をあげると、男が振りかぶるのが見える。鉄の腕、鉄の棒、その巨大な塊がまさに今落とされようとしている。

 飛び込んだ。低い体勢のまま省吾は男の懐、左脇に潜り込むように踏み込む。男の腕を取り--男はいきなり接近されて何も出来ないでいる--さらに男の顎をかち上げた。

 男の体が舞った。倒れ込んだところ、省吾は男の喉を締め落として組み伏せる。すかさず手直にあった石で男の顔面を殴りつけた。

 めきり。男の鼻を潰す音。もう一度石をたたきつける。

 男が何事か叫んだ、と思ったと同時、男の左腕が躍った。省吾の首根っこを掴み、左腕一本で省吾を投げ飛ばした。

 果たして省吾は壁に叩きつけられる。立ち上がった時、男が突進。身体ごと鉄鞭を叩きつけた。省吾は反撃することも出来ず、横に飛んで逃げるしか出来ない。

 省吾は一度距離を取り、足下の石を拾い上げた。両の手に一つずつ、いずれも拳大の大きさだ。ここにはそんなものしか武器となるものはない。

 男は鉄を手中で回した。二、三度回して、正眼につける。しばらくの対峙があった後、またどちらからともなく動き出した。


 喧嘩があるらしい、と聞いたときはそれほど気を引かれることはなかった。

 扈蝶にとっては、そんなことは重要なことではない。喧嘩など《南辺》でも《西辺》でも、どこでも起きていたことであるし、この北辺でもそんなことはしょっちゅうだ。そんなことよりも扈蝶にとっては、目の前に陳列してある鳥の肉が本物であるかどうかということの方が重要だった。

 工藤は扈蝶を追い返そうとはしなかった。南での騒動もあり、しばらくは逗留することを許されたのだが、そのかわり屋敷の厨房に立つようにといわれてしまった。身よりを失って帰る場所がない身となってしまった故、扈蝶はその要求を呑んで料理番として、屋敷に留まっている。 

 料理ぐらいならばこなすことは出来るが、この《北辺》に立つ市とはどこからどういうルートで入ってきたか分からない食材ばかり並んでいる。そういう場所であるから、食材を選ぶことには慎重にならざるを得ない。

「喧嘩だってよ、姐さん」

「そう」

 だから範首央が話しかけてきてもほとんど関心がなく、曖昧な返事をした。

「いやさ、のんびり構えてていいんかい?」

「私たちがあの屋敷にいられるのは、私があの人の夕餉の支度をしていられるからよ範首央。面倒でもちゃんと食材を選ぶことを怠れば彼らの協力も得られることも出来なくなるかもしれない。喧嘩見物よりもこっちの方が遙かに重要な仕事よ」

「そんな慎重に選んでどうすんだよ」

「得体の知れないものが紛れている可能性もあるからね」

 陳列台を挟んで店の店主が渋い顔をしたが、扈蝶はかまうことなく陳列物を眺めた。

「得体の知れないものって何だよ。どれも同じだろ」

「戦争中にね、ばらまかれた化学兵器のせいで奇形が生まれることがあるらしいよ。そういうのは大体特区内で消費されちゃうんだって」

「じゃあ何かい、それで四本足の鶏だとかいるかもってのかい」

「この間目玉四つの鶏なら見たわよ」

 まじかよ、と範首央は聞くのを後悔したような顔になった。

「んだけども、何か暴れてるのもただごとじゃない感じだけんども」

「放っておけばいいよ、どうせその辺の破落戸が」

「あ、何かさっき小耳に挟んだんだが。どうも南から来た奴だって話を」

 思わず鶏肉の束を落としてしまった。店の主が抗議しようと口を開きかけた。

 しかしそうするより早く扈蝶は範首央の両肩を引っ掴んだ。

「南? 《南辺》の誰かってこと?」

「ん? だからさ、さっき道でそういうことを」

「どこの、誰とかってのは?」

「そんなこと知るかい。だからさっきそこで小耳に挟んだだけだから。それに」

「もういいわ」

 扈蝶は選んでいた食材を陳列棚に投げ捨てた。店主が怒鳴りかけたが、すぐに扈蝶に睨まれて黙った。

「範首央、その喧嘩の場所ってどこ?」

「え、いやだからあっち」

 範首央が指差した方向に扈蝶は走り出していた。範首央が引き留める間もなく人混みの中に消えてゆく。範首央はただそれを黙って見送るより他なかった。

「……どうしたもんか」

 とはいえ、南から来た者と言えば範首央にも縁がある。扈蝶の後を追うべきか、と思っていたときに、後ろから声をかけられた。

「こんなとこで何してんだ?」

 声に振り向くと、バラックを背景に随分場違いな着流し姿の男が立っている。この界隈でそんな格好の者と言えば一人しかいない。

「工藤の旦那、今し方……」

「喧嘩だってな、どこのどいつか分かるか?」

 工藤善哉はいかにも面倒くさそうに頭をかいた。

「ここらでもめ事があると俺が出てかにゃいかん」

「どこって、まあその。どこって聞いたわけじゃないんだけんども。けどどいつかって言われりゃ、どうもあの兄弟みたいで」

「ああ、といういことはあっちで暴れているのは右手の方か? 刀がどうって言ってたからな」

 工藤は暑くもないのに扇子を取り出した。首筋を二、三度、ポンポンと叩いてぼやくように言う。

「範首央、車を回してこい」

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