第二十章:9
連はパーカーを脱ぎ捨てた。
『STINGER』の証でもあり、チームが壊滅した今やこいつを着ているのは連ただ一人。捨てることには抵抗があったが、しかしここでは少しでも目立つ格好は避けたい。やむなく、その辺に打ち捨てた。
だがいざ脱ぐと、寒さが身に沁みる。粉雪混じりの風を遮るものがぼろぼろになったトレーナーだけとなれば、肌が直接冷えてくる心地がする。寒気に思わず身震いし、何かないかと辺りを見回せば、道端に落ちているボロ布一枚。落ちているものを身に着けるのは気が引けるが、これもまたやむを得ないこと。拾い上げて、身に纏う。
長くなった髪は一つにまとめた。髪が長くて良いことなど一つもない。動き回れば目に入るし、近づかれたら相手に掴まれる。遊撃隊の男連中は金を除いて皆髪を短く刈っていたが(金はきっと髪を掴まれる心配がなかったのだろう)、玲南もまた髪を短くしていた。連もそれに倣って少しでも髪が伸びてきたらナイフを入れて切り落としていたのだが、ここ最近はそんな暇もなかった。
今、連のブロンドがかった髪は肩口辺りまである。さすがにうっとおしいのでそろそろ切ってしまおう、と心に誓った。少なくともここ、《北辺》で身を落ち着けられる場所を見つけたら。居場所と、当面の食糧の確保。すべきことはいくつもあるが、とりあえずはその二つが肝要。今日中に目処をつけたい。
(とはいっても、あの人は……)
省吾を置き去りにして連はビルを後にしたものの、あの状態の省吾を一人にしておくのも気が引けた。今の省吾の姿は、あまりにも普段からかけ離れているように感じた。普段の省吾など、連自身も知っているわけではないが、しかし連の知る省吾はもっと冷静であったはず。あんな風に八つ当たりするような男ではない。
(やはり、あの人のことか)
ユジンのことを、かなり気にしていたようだった。連が聞いた限りでは、省吾はユジンを助けに駆けつけたようだ。しかしそこで機械に、ユジンを殺された。省吾自身も殺されるところだったが、そこは何故か相手が引いたため無事だったと--ここに来る前に、省吾が途切れ途切れに語ったことだ。
間に合わなかったとはいえ、省吾はユジンを助けようと試みた。だからこそ、目の前で殺されたことがショックなのだろう。あの状態から、果たして立ち直ってくれるのだろうか。
その点において、連はあまり省吾のことを責められない。助けようと試みた省吾に対して、自分は傍観していたのだから。玲南がやられるところを黙って見ていた自分には、省吾にどうこう言う資格はないのかもしれない。
そこまで思考が及んで、連は首を振った。そんなことを今考えても仕方がないことだ。後悔そのものが何かを生み出すというわけではない。目先のことが、それで片づくわけでもないのだから。
改めて連は、通りを見た。
今にも倒れそうな朽ちた構造体が、互いにもたれ掛かるように立ち並んでいた。家屋の密集具合は《南辺》の構造物群と似ているところはあるが、ここは木造や土壁の小屋が目立つ。必然、家屋も背の低い構造ばかりである。《南辺》のように、通りに面して建っているのではなく、無計画に乱雑に建物が配置されているので、少なくとも街並みらしきものが存在した南の方がまだ整然としているように見える。
人通りもまばらだ。《南辺》の往来はそれなりに人の行き来があった。《西辺》には活気があった。《東辺》は比べるまでもない。だが《北辺》一帯は人がいてもあまり動いていない印象がある。どこかにたむろしている、あるいは家にひきこもっている。暗がりから、あるいは道の脇から、複数の視線が刺してきて、連が歩くと視線の群も追いかけてくる。居心地は当然、良くない。
(一体ここの連中はどうやって生きているのやら)
《南辺》にいた難民たちは、欧米のどこぞの工場に勤めさせられているか、あるいはどこからか仕入れてきた豚の肉や魚を薫製にして売りつけていたり、露天を開いて糊口をしのいでいたり、とにかく何かしら生きるために商いや生産活動をしていたのだが、ここの連中ときたらまるでそのようなことをしている風ではない。難民たちには国連から援助が出るものだが、そのわずかばかりの援助でしのいでゆけるものだろうか。
《北辺》と聞けば、負け犬の地、という印象がつく。まさしくその通り、《南辺》や《西辺》から流れてきたものたちがこの地で朽ちてゆく。となれば、何もないこの地で、何も依るべきものがないまま死んでゆく。まさしく敗北者の土地なのだろう。
考えてみれば、省吾も連も、《南辺》で敗れてきたのだ。敗れて、《北辺》まで流れ着いてきた。そして今、依るべきものはない。ここの連中と同じような道筋をたどっている。
いずれはここで朽ちることだって、十分にあり得る。
身震いした。死にゆくことなど、ここでは日常茶飯事。いつ、連自身がそうなるかもしれない。だが何もせずに終わることだけは避けたい。
(この場所を知らないことには、何も動けない)
《南辺》でもそうしたように、まずは《北辺》の状況を把握することを優先させることにした。金から聞いた、《北辺》にも何かしらの勢力があるということ。そして義足と装甲車の出所。それを探ることだけでも、ここに来た意味はある。それを知るために、ここに来たのだ。
視線を避けるよう、ごちゃごちゃした道を通り抜けて連は人通りの少ない裏道へと入った。
「おい、そこの」
唐突に連を呼び止める声がした。
振り向くのとほぼ同時、いきなり肩を掴まれた。連の右手を別な男が掴み、さらにもう一人が連の襟首を掴む。三人がかりで連につかみかかった。
反射的に身体が動く。峨嵋刺を抜き、三人の手に切りつけた。手の甲を傷つけられた男たちが手を引いた。
「何ですか、あなたたち」
連は峨嵋刺を構えて距離をとる。男たちは手を押さえてうずくまっている。
「《南辺》から来たってんがよ、お前か」
また違う声がした。振り向いたら、屈強そうな男どもが三人、こちらを向いている。手には山刀、あるいは鉄パイプを手にしている。
手を斬られた男たちも立ち上がる。ちょうど連は六人の男に囲まれた形となった。
「南から来たら、だったら何ですか」
取り繕う意味などないだろう。ここに来たときから、この界隈の人間すべてから監視されていたのだろう。
男のうちの一人が、ひときわ大型の刀を突きつけた。柳葉刀よりも重厚で、峰の側に九つの鉄環をつけた九環刀。刃を振たびに、九個の環がしゃん、と鳴る。
「一週間前、あんたらの古巣で騒動があったみたいだが、ありゃお前らのせいか?」
「せい、とは」
まるで連や省吾たちが、意図的に引き起こしたかのようではないか。抗議したくなったが、ここでこんな連中相手に議論をしても仕方がない。
「ま、いい。ともかくあんたらを追って、東の奴らがここに来ちまう前に、あんたらを叩き出すか、もしくは奴らに差し出しちまえばいいって話だからな」
男がしゃべる間にも、連を包囲していた他の男たちが間を縮めてきた。
急に動いた。連の背後にいた男が鉄パイプで殴りかかる。連が避けるとさらに別の男が、短刀じみたナイフを突き刺した。
連が身を翻す。刺突を避ける、と同時に身を回して男のわき腹にを峨嵋刺を突き刺した。男は短く悲鳴を上げて倒れる。次いでに鉄パイプの男に峨嵋刺を投げつけてやる。鉄パイプ男の喉に突き立つ。
連は新たにナイフを抜く、左右。それと同時に前後から、各々得物を振りかざして男たちが襲いかかった。
刀。いきなり連の眼前に切り開いた。
身をそらして斬撃を避ける。そらした勢いのまま後方に宙返り距離をとる。背後からさらにまた二人、同時に襲いかかる。マシェットナイフと斧。
跳躍。空中で蹴り。連の鞭のような脚がナイフ斧を叩き落とす。呆気にとられる男たちの鼻先を連のナイフが切り刻んだ。
二人が倒れた。その屍を乗り越えてさらに襲いかかってくる。鉄パイプで殴りつけてくるのを、地に伏せて避け、避けると同時に低空の蹴りを打つ。連の右足裏が男の膝を踏み砕き、男は崩れ落ちた。
銃撃の音。連の頭上を銃弾がかすめた。遙か後方に猟銃を持った男がこちらに狙いをすませている。すぐさま連は、敵の一人が落とした斧を拾い上げ投擲。投げた斧が銃手の顔を割る。
突如九環刀の男が踏み込んだ。真っ向切り下ろしてくる刃を、連はかろうじて避ける。耳元で鉄の環が触れる音がする。
五歩下がる。ナイフを投げつける。男は九環刀でそれをはじく。すぐに連、誰ぞが落とした山刀を拾い上げる。
「せあ!」
男が横薙ぎに振るった。
連の山刀が半ばから折り砕かれた。
呆気にとられる連の頭上にさらに刃。とっさに下がり、打ち込みを避ける。男が振り上げた九環刀が地面をえぐった。
距離を取り、連は鉄パイプを拾い上げる。男は九環刀をつきつけて、こちらを向いている。その刃を握る手に注目した。
袖口だ。手は革の手袋をしているのだが、袖口からのぞく地肌は明らかに人の肌ではない。黒光りする金属が見て取れる。
「機械……」
連は鉄パイプを二本携えた。一つは肩に担ぎ、もう一つは脇に構える。
「ここらじゃ、機械なんてざらにあるもんだぜ。《北辺》を舐めない方がいい」
鳴らす必要もないのに、男は刀を上下に振って鉄の輪を震わせる。しゃん、しゃんと鈴のような音色を立てる。
「ざらにあるというのならば、是非ともその出所を教えてもらいたいですね」
「いいぜ、たっぷり教えてやるよ。お前の身体にな」
いきなり男が突っ込んでくる。九環刀が斜めに切り込まれた。
鉄パイプで刀を弾く。刀身が跳ね上がる。連はもう一方のパイプを叩きつける。男は刀の柄で打ち込みを受ける。
六度、振るった。鉄パイプを交互に、素早く打ち込むのを、男は刃先を柔らかく使い、鉄パイプの軌道をそらす。さらに刀を回し、斜めに切り上げた。
避ける、が避けきれず。連は額を浅く切り開かれる。
思わず立ち止まる。そこに刀。
とっさに鉄パイプで防ぐ、が防ぎきれず、鉄パイプがまっぷたつに切断された。
もう一度男が切りつける。連は飛び退き、打ち込みを避ける。間合いの外で対峙。
「どしたよ、南ってのはこんなもんか、あ?」
周りの男たちが、二人を取り囲むようにしている。故に、逃げられる風でもない。
「この程度じゃ、あんたが連れてきたあの片足の男はすぐに終わっちまうだろうよ」
「終わるとはどういうことですか」
「まあ、言葉通りだ」
九環刀の刃先には、連自身の血がついている。その刃を、すっと前につきだした。
「お前等二人の首を、仲良く並べてやるからよ」