第二十章:3
眩しさに目をすがめた。徐々に光に慣れてゆき、ゆっくりと目を開けた。
それほど広くはない空間だった。5メートル四方のコンクリート壁で囲まれたその部屋の奥に、鉄の棚が二つある。ハンドラーは棚のところまで行き、そこに納まっている一つを手に取った。
拳銃である。燕はそれほど銃には詳しくないのだが、ハンドラーの持つそれが比較的新しいものであることぐらいは分かった。自動拳銃を手に取り、スライドを引いたり弾倉を出し入れしたりとひとしきり動作確認をした後、ハンドラーが銃を差し出した。
「とりあえず、丸腰では困るだろう」
「ここは何なんだ」
「万一のための蓄えと言えばいいのかな。入り口は指紋認証だから私以外の者は入れない。お前や省吾はおろか、仲間の誰にも伝えてはいなかった」
燕は銃を受け取る。“SIG SAUEL”だか何だか刻印されているそれを両手で構えてみた。
「俺、銃の撃ち方分からないけど」
「そのうち慣れる」
ハンドラーはホルスターと予備の弾倉の入ったバッグを放り、自らもまた銃を手に取った。燕のものよりはやや小振りな銃だ。
そしてもう一つの棚からまた違うものを取り出した。手のひらに納まりそうな黒い箱のようなもの。本体からアンテナのようなものが伸びている。
「携帯? にしちゃでかくないか」
「衛星電話。本来ならば仲間とのやりとりは違う回線を使っていたけど、今はもうそちらの回線は押さえられていると考えた方が良いだろうね」
「じゃあ何か? その電話でどっかとやりとり出来るってのか」
「ただ、回線をそのまま使えばこれはこれで傍受される可能性がある。しばらくは様子を見なければ」
ハンドラーは電話をコートの裏ポケットに入れた。コートをめくったとき、刀の柄頭が一瞬見えた。
「もっと火力のある銃はねえんかここには」
小銃とか、と燕が言うのにハンドラーはかぶりを振った。
「あんなものを持ち歩く難民がいると思うかい? 服の下に隠せないのならば、持っていても人目を引くし邪魔になるだけだろう。少しは考えてものを言いなよ」
「だってよ、あいつらライフル持ってんじゃんか。しかも機械どもが襲ってきたとしたら、そんな刀とか役に立つんかい」
「機械には、どのみち銃は効かない」
ハンドラーは棚の上から、二〇センチ四方ほどの大きさの木箱を取り出した。
「奴らを相手にするなら、銃など捨ててしまった方が良いかもしれない」
続き、ハンドラーは腰に提げていた軍刀を取り外した。そして箱の中から、なにやら真鍮の尖った棒を取り出す。
刀の鞘を抜いた。
ハンドラーは真鍮の棒で柄の目釘を抜き、刃を慎重に抜き取った。懐紙で刀の茎を掴み、刃を上向ける。照明の下で、じっくり刃を監察したかと思うと、また箱の中から、今度は砥石を取り出した。
そして刃先を濡らし、砥石に軽く刃をあてがう。最初はゆっくりと、徐々に早く、刃を研ぎ出した。
「剣よりは、銃だろう」
「機械どもはそもそも、その銃に対抗するために生み出されたようなものだよ。あいつらに銃は自殺行為、ならば近接武器の方がまだ扱える」
「ああ、そう。それってあいつらに向かっていく前提なわけね」
燕はあの戦斧の女--リーザという名らしいが--を思い出していた。いとも簡単に銃弾をかいくぐり、あんな細身であるにも関わらず分厚い刃を振り回して迫ってくる姿。あんな奴には銃も剣も利かないような気がした。機械だろうと何だろうと、二度と相手はしたくない。
「襲ってきた連中には、皆雪久みたいな『千里眼』が備わっているのか」
「どうだろう。『千里眼』を全ての個体に装備できるほど、あの眼は大量生産できるとは思えない。ただ、『千里眼』などなくとも銃弾を全て弾き返す程度の芸当は、あのタイプには造作もないだろう」
「あのタイプって言われてもどのタイプかわかんねえよ。何だよ、タイプとかあるのか? つまりあれと全然違うのがあるってことなのかよ」
「そうか、その辺りも話しておかなければならないか」
ハンドラーは一度、刀を研ぐ手を止めた。刃の水分を丁寧に拭き取り、懐紙の上に置く。
「私たち--つまり、国連特務官の役目を前に話したこと。覚えているか?」
「ああ、つまりあれだろ。禁制の機械と人体実験の摘発。それで、省吾みたいな奴をエージェントに仕立てて。どうせ死んでも代わりはいるってことだろうけど」
「そうした禁制の機械を、どこで造るかと言えば」
ハンドラーは、燕の嫌みにはなんの反応も見せなかった。
「特区内部でしかない。国連の直轄地とはなっているが、実質は戦勝各国が管理をしている。奴らにとっては格好の隠れ蓑になる。そこで奴らは、ある実験をした」
「だから、それが機械どもを作り出すことなんだろう。あの機械兄妹みたいな」
「それよりも、もう一段階進んだタイプもね」
もったいぶるようにハンドラーは一呼吸置いた。それは何かと尋ねるより前に、一つの答えが燕の脳裏に浮かぶ。
「それがセルってか」
「そう、それも軍事用の。医療用ナノマシンが発祥だが、軍事用のそれはすっかり体の構造自体を変えてしまうことを目的としている。皮膚に金属分子を導入し、筋繊維を高出力のモーターに変え、身体の伝達物質を高出力のものに作り替える。そしてもう一つ、こちらの方が大事なのだけども--ちょっと訊くけれども」
「何だよ」
「お前の槍の技術はどこで誰に教わった?」
「は? 何て?」
話の方向性が急に自分に向いたので、燕は聞き返してしまった。
「どうして急に俺のことになるんだよ」
「いいから答えな。どこで、誰に」
「答えろったって。まあ何だ、村にいたとき、ちょっと腕に覚えのある奴に基礎を教わって。あとは自己流だよ。ちゃんと習ったってわけでもない」
「自己流だろうと習ったものであろうと、その技術を身につけるにはそれなりに時間がかかったことだろう」
「そりゃ、まあ」
できない奴は一生できない、しかしちょっとコツをつかめば他の者よりも早く上達する。最初に教わった師からはそう言われた。燕の場合はそれなりに使えるようになるまで三年はかかったが、それが人より早いのか遅いのか分からない。
「技術を学ぶには、基礎から習い個人で修練する必要がある。それは武芸だろうと学問だろうと同じ事だけど、そういう必要などなくなる技術が存在する。今日槍を持った者でも、達人と同等に使えるようになる。それがマインドセット・テクノロジーというもの」
「マインド、何?」
「マインドセット、一つの洗脳技術のようなものだね。被験者の脳内にデータをそのまま送り込む。それは知識であったり、運動であったり、格闘技であったりとその種類は選ばない。ともかく必要とされる技術そのものをパッケージングしたデータを脳内にインストールしてしまうというものだよ」
数秒間、ハンドラーは待っていた。燕が完全に理解するまで。
たっぷり十秒かけてから、燕は沈黙を破った。
「ええっと、つまり、その。たとえば槍術を拾得したけりゃ、その、なんつーかデータ? にした槍術の体系を脳にインストール? ってことは……」
「脳がハードなら、それにソフトウェアをインストールするという話。コンピュータにOSをインストールすれば、そのコンピュータはそのOSの通りに作動するだろう。数学者を造りたければ数学の知識を、溶接工を造りたければ溶接の知識を、脳に落とし込む。今まで拾得に時間がかかっていたものが、一瞬で望み通りの技術を手に入れることができるということだ」
「じゃあ、襲ってきた連中は」
「一人一人、何かしらの武術をインストールされているのだろう」
果たして燕は、深くため息をついた。
「あの、何か現実味がないんだけど。最初から何の訓練もなしに達人が出来るってことか」
「そういうことになる。しかし実際に運営してみるとこの技術は、被験者に多大な負荷をかけるということが分かっている。脳に大容量のデータを送り込む、人間ほど複雑な体系を持った生身相手にそれをすれば、肉体の損傷、精神の崩壊を引き起こす危険性があるとして十年前にその研究は禁止されたはずだ」
燕は全く話についていけなかったが、ハンドラーはかまわず続けた。
「だが生身相手ならば無理でも、強化された人間にならばどうか。表向き禁止された技術だが、四年前からこの技術は裏で、特に軍事産業と結びついていった。データをインストールすることで傷つく肉体をセルで修復し、強化する。鍛錬を積むことなくデータをインストールしたとあれば元々の肉体が耐えられなくなるものだが、それもセルを埋め込み補完する。あの連中はまさしくそういう奴らだろう、セルとマインドセット技術を導入されている、人工の兵士だ」
燕にはすぐに飲み込めなかった。全く耳慣れない単語を並び立てられれば、それも無理はない話だ。
「機械っても、雪久とか青豹の大将とは随分違うものだな」
「あれらは本当に初期の形、生身に機械を埋め込むだけのもの。体の一部だけ換えるから、その他は弱いままだ。あれを極端に、全身を機械と入れ替えたのが孔兄妹だが、それでも戦闘技術そのものは本人の技量に依存するより他ない。だが今度の奴らは、身体の構造から何から作り替えてしまう」
「何か、分かるような分からんような」
そういう感覚の時は大抵分かっていない。燕は頭をかいた。
「つうか、そのマインドなんとか? 初耳だよそんなん。脳になんだ、武術の技術をインストールって。そんなことどうやったら出来るんだよ」
「どうやったら、というのは説明するのは難しい。私も結局、専門家ではないからね。ただし、その説明が出来ようと出来まいと、存在していることには変わらないよ」
「そりゃあ、まあ実際に襲ってきたことだし」
ハンドラーは刃を灯りの元にかざした。半分ほど研いだ刀身は、地金が覗いている。その刃を、なんとはなしに見つめ、誰に訊かせるでもないように独りごちる。
「ただ分からないのが、何故今になって動いたのかということだね。国連の縛りが消えたから? 監察官の後ろ盾が消えたから大っぴらに動けるようになったということか……」
「なんでもいいよ。俺たち、どうするんだよこれから」
「待っていても仕方がない」
刃の水分を拭い、ハンドラーは納刀する。
「私たちの任務は、奴らがこの街で非合法な戦闘機械を取引していることを突き止めることだった。その任務を完遂させる」
「や、だってもう任務も何も……」
「動かしようのない証拠を挙げればいい。国際社会に直接訴えかけられるような証拠を」
ハンドラーは覚悟めいたものをその目に浮かべていた。今まで見たことがないような決意に満ちた表情だった。もちろん、それは燕個人にとってはありがたくないことだ。
「あのさ、それってもしかして俺も……」
「降りてもいいよ、表の連中に殺されたいのだったら。お前だって連中にとってみれば、狙うべき標的だからね」
それを聞いてがっくりと肩を落とし、己の不運を呪った。やっぱり俺は女と関わるとろくなことがない。