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監獄街  作者: 俊衛門
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第二十章:2

 喧噪。この街では幾度と無く耳にする。その日暮らしの難民たちがそれでもなんとかやっていかなければならない、そのためにどうにか生きているという証のようなものだった。絶望してしまえば声すらも沸かない。

 そして雑踏。人間が行き交う場所には、必ず存在するものである。当たり前のこと、当たり前の光景。ただいつもと違うことはその雑踏の中に、規則正しい軍靴の響きと装甲車の駆動音が混じっているということだけで。

 省吾は薄く、目を開けた。 

 眼下を異様な風体の一団が通り過ぎてゆくのを省吾はただ見送る。世界中の軍隊事情に照らし合わせれば青と灰色が折り混ざった迷彩服や、ドイツ製自動小銃や、あるいはイタリアの四輪駆動軽装甲車の列はさほど異様ではないのかもしれない。異様さの正体は、それが《南辺》で繰り広げられているという一点につきる。

「入り込んできましたね」

 顔を出しすぎないように、と隣で連が言う。省吾が虚ろな目を向けた先、フードを目深にかぶった少女が、こわばった表情で隊列を見据えていた。

 省吾は隊列に目を向ける。兵士たちがかぶっている濃緑のベレー帽のその側面に「UN」と記されている。

 国連(UN)ということは、あれは国連軍なのか。そう訊いたところ、連は力なく首を振った。あれがどういった素性のものなのか、連にも分からないのだろう。

 難民たちは遠巻きに見ている。久々に目にした軍事力そのものに反発する手段も気力もあるわけがなく、ただおびえた視線を向けるぐらいしか出来ずにいる。難民などその程度だ。いくら現状を嘆いても、いざ暴力を突きつけられると何も出来ない。昨日までそれらに向かっていったものたちがいたとしても、彼らはそれを知ることもないだろう。

 だが難民が、突きつけられた力に向かわないのは圧倒的な力の差故のこと。立ち向かえば殺される、立ち向かったからといって打ち克てる可能性などない。打ち砕かれるのは常に弱い方でしかない。昨夜のことは、まさしくその象徴のような出来事だった。

 昨日の出来事から八時間経っていた。あの後はほとんど覚えていない。一人ふらふらと路上を歩いていたときに連に声をかけられ、そのままこの廃ビルに立てこもったのだ。そこで一晩過ごし、夜が明けた。そして今、どこからともなく現れたこの隊列を目にしたのだ。

「奴らが通り過ぎたら逃げましょう、真田さん--真田さん?」

 連が省吾の顔をのぞき込んでくる。フードの奥の瞳が、省吾の顔を捉えた。

 瞳に人の顔が写り込んでいる。ひどい顔だ、まるで生気のない表情。これは一体誰のものか、と一瞬思ったがそれは省吾自身に他ならない。

「あの、大丈夫ですか?」

「あ、いや」

 省吾は顔を背けた。何か一つの動作をするのもひどく億劫であった。

 連はため息をついた。

「あの、真田さん。落ち込むとか、悲嘆にくれるとか、そういうことは後にして下さい。連中はきっと残党狩りに乗り出すはずです。いつまでもこんなところにいては危険ですよ、見つかればその場で殺される」

 連が言うことも、半分以上耳に入っていなかった。見つかる、というリスクも理解していたが、しかしそれだからどうしようという気にもなれない。

 一晩あけても、感覚は消えてくれない。ユジンの血を受けた手は、まだぬめっているかのようであり、ユジンの細い肩を抱きその体から力が抜けてゆく過程を、まだリアルに感じている。熱が冷め、消えてゆくのを、止めることも出来ずただ眺めるしかなく、その最後の一瞬を感じ取ったままーーその感触をまだ、腕の中に抱いているようである。

 それが一層生々しく、それが喪失をよりリアルなものにしている。

「真田さん、あの」

「行きたきゃ一人で行けよ」

 連に向けて、というよりも誰に向けたでもない言葉だった。

「勝手に逃げりゃいい」

「どうしてそういうーー」

 連が目を向ける先では、迷彩服の連中がまだ闊歩していた。当分隊列はとぎれることはなさそうだ。

「もういいです。とりあえずはここに身を隠して、機を見て脱出しましょう。それまでおとなしくしていて下さい」

 連はそういって離れた。

 省吾はまだ、外を見ていた。迷彩服の連中は、確かに残党狩りのためにかり出されたのだろうが、その残党とはギャングどもではなく、監察官の方だろう。一ギャングに軍隊を出すほど、連中だって暇ではないはずだ。

 そうすると。自分のこと――省吾や燕、そして生きているかどうか分からないがあのハンドラーも探しているだろう。

 まあいいだろう。あの連中に殺されようが何しようが、たぶんもうハンドラーが思うようなことにはならない。そして自分にも生き延びる理由がない。

 理由がない以上、生きていてもどうしろというのか。

 省吾は窓から目を離した。どうなってもかまわないという心境だった。


 車両が通り過ぎるたびに息を止めていた。

 自身の明るすぎる髪を隠すためにボロ布をかぶっている。軍靴の群がすぐ脇を通り過ぎるに、燕はまとった襤褸をより強く引き寄せ、背中を丸める。

「過剰な反応をするな、怪しまれる」

 同じように襤褸をまとったハンドラーが小声でそう話しかける。

「こういう時は堂々としているものだ。それでは、自分がそうだと公言しているようなもの。変装も意味がない」

「そう言っても」

 何か昔同じようなことを言われた気がしたな、と思いながら燕は顔を上げた。ちらちらと周りを見れば、装甲車両を中心にした迷彩服たちが隊列を組み、それらを不安げに見守る難民たちという図式が見て取れる。燕やハンドラーのように、そこから立ち去るもの、というのはなかなか見られない。

「こっちを見るなよ。ここからなるべく離れろ」

 ハンドラーが先行していた。群衆をかき分け、ビルの合間合間を縫うように歩いてゆく。何とか大通りから外れたところまで歩いてきたが、しかし兵士たちはそこかしこに立っている。都市迷彩に身を包み、小銃を抱えては、行き交う人々に鋭い視線を浴びせている。

 兵士たちがまた通り過ぎた。二人組の迷彩服が、こちらを見た気がした。自分の髪が見えていないか、とフードを引っ張りたくなる衝動を抑えた。そんなことをすれば、やましいことを隠していると思われかねない。

 路地を抜け、大分大通りから離れたところでハンドラーがふいに、ビルの一つを指し示した。

 それはよくある古びた廃墟であったが、わざわざそれを選ぶということは何か意味があるようだった。ハンドラーに続いて燕はビルに入る。

 しばらく歩くと、ハンドラーはしゃがみ込み、床に散乱する瓦礫の一つ一つを片づけ始めた。手伝え、とハンドラーが目で言ってくるのに、燕は仕方なしに瓦礫の撤去に加わる。こんなことをして何の意味があるのか、といぶかしんでいると、瓦礫の下からなにやら取っ手のついた引き戸が見つかった。

 ハンドラーが鎖を引っ張り、引き戸を開けた。入れ、と目で促してくるのに燕は、ぽっかりと口を広げた穴の中に入る。中にはタラップがあり、それを下ってゆく。ハンドラーもまた中に入る。タラップを降りる前に、引き戸を閉めた。

 十メートルほども下ったところに空間があった。タラップはそこで終わっている。燕が降り立つと、ハンドラーが懐中電灯で照らし出した。

 地下の空間は、広くもなく狭くもない。人為的に作られたものであることには間違いないが、しかしそれにしても殺風景過ぎる気がする。。その奥には、さらに通路が伸びていて、暗闇がまだまだ続いている。

「行くぞ」

 ハンドラーが先頭を切って歩いた。燕が慌てて後を追う。

「なあ、ここは何だよ」

 通路は、やはり何の変哲もないコンクリートだけで構成されていた。ハンドラーが早足で歩くのについて行きながら、燕は訊く。

「これ、地下補給路じゃないよな。こんなのがどうして」

「地下を使うのは、お前たちの専売特許じゃないということだ」

 ハンドラーは振り向くことがない。

「我々の連絡用と、あとは逃亡用として使っていたものだ。この地下連絡路の存在も、地元ギャングでさえも知っているものは少数だった。監察官にも、ここの存在は教えていない」

 どうやら成海の地下は、燕が思っている以上に色々なものがあるらしい。しかし、連絡路の存在を監察官に隠しておいたということはどういうことか。自分たちはいざとなればここに逃げ込むつもりだったのか。そんな考えが頭に浮かんだ。

「監察官に伝えなかったのは、情報の漏洩を危ぶんでのこと」

 燕の考えていることを言い当てるかのようなことを女は口にする。顔に出ていたのか、と思ったがそもそもこんな暗闇では分かるはずもない。

「伝えていないことなどごまんとあるけど、任務の全てを伝えればそれだけ情報が漏れる危険がある」

「でも、もはや隠す必要もないってか。何せあんたの仲間、全員死んじまったもんな」

 ハンドラーは何も応えなかった。仲間の死について、何かを思う、ということがないのかもしれない。そのような情をどこかに落としてきたような女の横顔を見ながら、燕は問いかけた。

「それじゃあ隠し事のないあんたに訊くけどよ。表の連中のことは、分かっているのか」

「治安維持部隊だ」

 ハンドラーの声は、地下の空間にはよく響く。

「そんなものが国連にあるなんて知らなかったな。国連軍とは違うのか」

「国連軍というのは多国籍の軍隊が召集されるものだ。治安維持部隊は最近作られたばかりのものだが、特区開設とともに特区内部での紛争、抗争の制圧のために新たに設置された軍事機構。新設の部隊だから、その実体は分からない。特区内部と限定されてはいるが、実質的には軍隊。憲兵どもとは、数も装備も違う」

 ハンドラーが歩く先には、未だ何もない。段々と不安になりながらも、しかし今の燕はこの女について行くしかないのだ。

「ただ、私に分かるのはそこまで。どういう意図をもって、この成海に送り込まれてきたのか。あれがどういう規模で展開されているのか全く分からない。何せ情報源が潰されてしまったからね」

「そうだよ、そこだよ」

 燕がふと立ち止まった。

「あんたの後ろ盾なくなっちまったんだろ? その、監察官のネットワークだかってのも」

 ハンドラーもまた立ち止まるが、しかし振り向くことはない。

「またこんな街に足止めされてよ、しかも機械どもや、何だ治安部隊? とかいうのとか。で俺ら、お尋ね者だろ?」

「そういうことになる」

「何をそんな冷静に言ってられんだよ!」

 地下では声が響く。だからあまり大声を発するべきではないのだが、燕はしかし叫ばざるを得ない。

「俺はな、今頃は海の上で、それでこんなクソみたいな街とはおさらば出来ると思っていたんだよ! 行くところがないから、ここで暮らすよりはいいと思ってな。だのになんでまた俺は、穴蔵に戻っているんだ?」

「船が潰されたのだから仕方がないだろう」

「だからどうしてそう冷静なんだよ。こんな事になったの、半分はお前らのせいじゃないのかよ! あんなあっけなく潰されやがって!」

 こう言えばハンドラーは何か反応するかと思ったが、やはり振り向かない。じっとライトの当たる先を見つめている。

「おまけに何? 治安維持部隊って、軍隊まで出張って来てんじゃねえか。そんなんとやり合って、生きてられるわけがない。お前らのせいで、俺はまたこんなろくでもない目に遭ってよ。勘弁してくれよ、こんなんじゃよ」

 自分でも無茶苦茶なことを言っている自覚はあった。こうなったのも、ハンドラーのせいではないし、機械とやり合って無事で済むはずもないからハンドラーの仲間も悪いわけではない。

 だが、何かのせいにしたくもなるというものだ。ここまでツキがないと。

「奴らの動きが早かった。それは我々の見通しが甘かったせい。それは認める」

 ハンドラーが再び歩き出した。奥へと進む女の後を、燕は追いかけた。

「アブドゥルが殺られたときから、すぐに行動を起こすべきだった。機械どもの動きも、予測が出来なかった。お前の言うとおり、半分は私らのせいだ」

「あ、いや」

 何か反論してくるわけでもなく、ハンドラーはやけに素直にそう言ってくる。まさか燕自身も、ここまですんなりと受け入れられるとは思わなかった。

「しかし、見くびってもらっては困る。我々も座して死を待つばかりではないよ。こういう事態に陥った場合の策も考えている」

 つと、立ち止まった。

 ハンドラーの目の前には壁がある。通路はまだ、左の方に伸びているのだが、しかしハンドラーはその曲がり角のところで止まった。

「何だよ、こんなところで」

 燕が抗議しかけたとき、ハンドラーが壁に手をやる。その壁を両手で押した。すると壁が窪んだ。さらに押し込むと、壁は後退してゆき、やがて人一人分ほどのスペースが現れた。

「入れ」

 ハンドラーがそう促す。入れと言われても得体の知れない場所に入るなどなかなか出来るものではない。躊躇していると、ハンドラーが次には少し強めの口調で命じてきた。

「いいから入りな」

 仕方なく燕は足を踏み入れる。ハンドラーもまた中に入り、入り口の扉を閉めた。

 唐突に灯りがついた。

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