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監獄街  作者: 俊衛門
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第二十章:1

 底冷えする部屋。それはこの空間の広大さがもたらすものだろうかと考えた。

 寒い場所など、これまでいくつ経験したのか分からない。故郷を失った日、荒れ野を漂うだけだった日々、そしてこの街に流れ着いてからも。寒さなど慣れている。

けれども、この場所の寒々しさは質が違うように思えた。今、扈蝶が待たされているのは、全面が畳の部屋だ。余計なものが何もない大広間のど真ん中に座っている。靴を脱いで靴下のままであることも相まって、この場所はすこぶる居心地が悪い。だから、一層冷え冷えとしている。

 扈蝶は足をすりあわせた。慣れない正座のせいで、どうにも足がしびれてたまらない。座布団を敷いてはいるものの、それでしびれが軽減されるということはなかった。この部屋に通してくれた女中は楽な格好でどうぞと言ったのだが、畳の上で楽な格好となるとそれはそれで随分とだらしない格好となりそうで、そうなるとやはり正座して待つより他無い。もちろん、習慣の違いはどこにでもあり、その違いはなるべく尊重するのだが。落ち着かないものは落ち着かない。

 突如、障子が開いた。

「支那の娘が来てるって言うから、どんなんかと思いきや」

 男の声に振り向く。着流し姿の、中年の男だ。濃紺の木綿の着物の下には、襦袢ではなくタートルネックのセーターを着ている。部屋に入ると上座にあぐらをかいて、扈蝶と対峙した。

「随分と若いんだな、え? 俺の娘と同じぐらいか。そういや、西の龍に女の双剣遣いがいるって聞いたことがあったが。ひょっとしてあんたがそうか?」

 男は随分と小さく見えた。身の丈はそれなりだが、肉が足りない印象だ。骨と皮とまでは言わないが、頬がこけ、目が落ちくぼんでいる。歳は、四十半ばであるらしいが、見ようによっては六十の老人にも見える。

 これほど貧相な身体つきで、さらに着流しともなるとその容貌はみすぼらしいとすら思える。せめて洋服でも着れば、まだ見れるかもしれないのだが。

 しかし、見た目がそのまま実力に相当するわけではないこともまた、扈蝶は知っている。

「工藤善弥殿、お初にお目にかかります。私のことは扈蝶と呼んでいただければ結構です」

「そう堅くならんでもいい。足も崩せ」

 工藤の方は灰盆を引き寄せてキセル取り出し、煙草の葉を詰め火をつけた。一口吸い込むと、紫煙が一筋棚引いた。

「この屋敷はな、先に見たと思うがどこの部屋も畳張りだ。洋間も造って良かったんだが、まあこの畳にもそれなりに意味があるんでこうなった。支那人は椅子生活だろうから、ずっとそんなんじゃつらかろうよ」

「ありがとうございます。ですが、このままで結構です」

 扈蝶は丁重にそう断る。工藤はそうかとだけ言って、灰盆に吸い殻を落とした。

「工藤殿は、どうして私を招き入れたのですか」

 もう一服、と工藤が煙草の葉を詰めだしたのに、扈蝶がそう聞いた。

「以前、《南辺》からも私と同じようにここに来たものがいたはずです。そのときは、あなたに会うことも叶わず、結局は戻ってきました」

「ああ、なんだか朝鮮人の男な。《北辺》をうろついていたっけ。しかし土産は渡したんだぜ」

「それについては、私も目の当たりにしました」

 金の、砕かれたはずの右足についていた機械の脚。そんなものが、この《北辺》で手に入ったなどと未だに信じられなかった。ここに来るまでの間に目にした《北辺》は、今まで扈蝶が聞かされていたバラック街そのものだったのだから。粗末な木とトタンの建物が並び、土埃が舞う貧民窟。人々は月に何度か訪れる国連の救援物資のみ頼りにして、あとは無気力なその日暮らしを繰り返す。

 しかし、そのバラック街も《南辺》、《西辺》と境を接する区域に目立つだけで《北辺》の奥の方まで来ればかつての市街地跡がある。もちろん全て廃墟であり、南辺のような集合住宅が密集しているわけではない。同じ廃墟群でも、開発などの手が入っている《南辺》とは違い、本当にただのゴーストタウンである。

 さらに、この場所。工藤たちがいるこの屋敷周辺は、また勝手が違う。

「あんたのこと、町の連中から少しは聞いていた。見覚えのない、西だか南から来てる奴らがいるってことで」

「私は、その町の連中からここの存在を聞かされました。支配者であるあなたのことを」

 金の言う、《北辺》の支配者。まさか来て早々にその支配者に会えるとは思っていなかった。金の時には、捜索隊を出す羽目にもなったぐらいだったのに。

「支配者っていうわけでもないんだがな。井の中の小せえ一番争いしている蛙の中で、まあまあ上位の中の一匹ってところだ」

 と工藤は、キセルを置いた。そういえばレイチェルもよくキセルを用いていた。

「大変な騒ぎだったらしいな、西と南は」

 工藤のその言葉が、いつ来るかと身構えてはいた。だからその話になるということを、覚悟はしていたのだが、いざそのことを告げられるとやはり心は穏やかではいられない。

「一晩だ、一晩で《西辺》と《南辺》の勢力図が変わってしまった。西と南に張り込ませていた此方の斥候によれば、機械どもを『マフィア』は送り込んできたらしいな。『黄龍』の本部、実働部隊も全て壊滅状態だと」

 レイチェルの顔を思い浮かべた。鉄鬼の顔も。彼らの無事を確かめたかったのだが、この男にそれが分かるのかどうか。

「あなたの元に情報が流れているのですか?」

 代わりに扈蝶はそう訊く。工藤は一瞬視線を宙に漂わせた。

「もう隠していても仕方ないから言うが、西と南に定期的に斥候を送り込んでいる。ただ、今は全て引き揚げさせているから、しばらくは情報は取れないな。何せ『マフィア』の他に、西と南に軍服の連中が流れ込んで来ているらしいから」

「軍服、ですか」

 嫌な響きだ。ついつい顔をしかめてしまう。背広を着た奴にろくなものはいないが、軍服を着た奴はさらにろくでもない。難民たちの共通認識であった。

「奴らがいるってことは、『マフィア』の後ろ盾にはもっと大きな組織があるってことだ。おそらくは、特区内を取り仕切る憲兵とは違う。国連の治安維持部隊かそれに準じる警備部隊だろう」

「しかし、そんなあからさまに支援をするのですか? 国連が、『マフィア』に」

「そうだな、それが気になるか?」

「だって、国連の組織が……」

「あいつらが必ず難民の味方であるなんてことはない。ついこの間国連の事務総長が消されただろう? って知らないか。消されたんだが、それからだよ。露骨に奴らがつるみはじめたのは。特区には、今じゃ中立な機関なんて存在しない。この間の、西と南の騒動、あれと同じようなことが特区のあちらこちらで起こっているのに、どこの国も報道していない。人権やら自由やらに一番敏感であるはずの輩どもが」

「随分とお詳しいのですね。それも斥候とやらですか?」

「街の外のことは、ここに出入りしている商人づてにな。しかし、精度の良い情報とはならないのが痛いところだ」

 工藤がにかっと歯を見せた。

「商人なんかがここに?」

 思い出すのは、アラブ商人だった。海路を使って、レイチェルとやり取りしていた彼ら。その商人とやらは、アラブ商人のことなのだろうか。

 扈蝶が考えていると、工藤は身を乗り出してきた。

「商人ども、近いうちにまた来るだろうからそのとき話してやる。それよりも、お前さん。これからどうする? 西には帰れんだろう」

「私はあなたに協力を請いに来たのです」

「協力と言ってもな。あんたの古巣はもう無くなっているだろうに。何に対して協力をしろと言うんだ?」

「それは……」

 そう言われると、言葉に詰まる。工藤はさらに続けた。

「なに、俺は男には厳しいが女には少しだけ優しくしているつもりだ。こうして屋敷にあげた以上は、荷物まとめて帰れなんてこた言わん。離れにあいている部屋はたくさんあるから、そこに泊まればいい」

 そう言って腰を上げる。もう話は終わりというようであった。

「うちのものに案内させる」

 やがて工藤が立ち去り、先ほどの女中が入ってきた。


 屋敷のあるこの場所は、ちょっとした森の中にある。成海の北には山が連なり、ここもまた木々が生い茂る中にあった。ちょうど森が屋敷を覆い隠してくれる形となり、多少は目くらましになってくれる。

 森の向こうに荒れ野が広がっている。粗末な小屋と、申し訳程度に立ち並ぶビル群、屋敷のある場所からは《北辺》の街並みを見ることが出来た。

 扈蝶が西方を臨むと、はるかには《西辺》のビル群がかすかに見える。そこからさらに先は《東辺》、遠く電波塔の頭が少しだけ見える程度でしかない。街は、遠目から見ればどこも普段と変わらずに見える。

「ああ、こんなところに」

 ふと後ろから声がした。振り向くと、範首央がこちらに駆けてくるところだった。

「姐さん、こんなところに立っていると危ないですよ。俺らまだここの連中に完全に受け入れられたわけじゃないんすから」

「大丈夫よ、自分の身ぐらいは守れる。それよりその姐さんっていうの何とかならないの」

「え、なんかまずいですか?」

「まずいとかそういうのじゃなくて」

「じゃあいいんじゃねえですか」

 何がいけないのか、と範首央は本気で分からないという顔をする。

 扈蝶はため息をついた。

「まあいいわ、それで?」

「《西辺》と《南辺》の状況です。具体的には、えっとその、『黄龍』と」

 範首央は一瞬言葉に詰まった。

「まだ不確かなんですけど、ほぼ全滅みたいで。『黄龍』は本部が急襲されて、鉄鬼大人がやられたって、西に残ってた仲間から」

 ちくりと胸の奥を刺された心地になった。一月前に鉄鬼と別れたときのことを思い出していた。兵を率いて見せる、と意気込んだことを。

「それで、他には」

「さあ、分からんすわ。なんせ西に行ってた俺らの仲間も、第一報があってからは連絡つかないもんで」

 消されたかもね、と範首央はいう。あっけらかんとしているのは、諦めの境地なのか。それともそう装っているだけなのか。

「んで、どうします? 西に行きますか?」

 範首央が言うが、扈蝶はすぐに首を振った。

「ここで舞い戻っても、西に転がる死体が一つ増えるだけよ」

「だけどあの男、工藤とかいったっけ、協力するつもりはなさそうだけんども」

「だからといって、無駄に動いてもしょうがないでしょ」

 確かに、工藤が協力もしてくれないのならばこんなところにいる理由はない。そしてできるならば早く西に行きたいのだ。けれども、現実を見る限りでは、行ったところで何かができるわけでもない。

 己の言葉で、己の気持ちを押し殺すという苦痛。

「じゃあどうすんでさ。ここにいるんで?」

「もう少し、様子を見ましょう。西や南の状況だって、すべて分かっているわけではないし。それに、あの人の気が変わることもあるかもしれない」

「そっすか? なんだかそんな風には見えないけど」

 それには同意見だが、しかし扈蝶はそれには答えなかった。扈蝶は踵を返した。

「あ、待ってよ姐さん」

「姐さん言うなっての」

 範首央が声をかけてくるのにも、扈蝶は適当にあしらいながら立ち去る。範首央はあわてて後を追った。


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