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監獄街  作者: 俊衛門
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第十九章:14

 水平に振り抜く、漆黒の棍。骨ごと砕く一撃を発する。韓留賢の横面を捉える。

 消える、手応え。韓留賢は飛び下がり、その打ち込みをやり過ごす。

 ユジンが間を詰める。棍をしごく。四連、突き、四度とも韓留賢はかわす。

 距離をとる、韓留賢。壁を背に。

 好機。

「はあっ!」

 ユジン、打ち付けた。身体ごとぶつける打擲。しかし、手応えはないーー空振り。棍は地面を叩く。

 韓留賢は宙にいた。ユジンの頭上を飛び越える。背後に着地、と同時に切りつけた。ユジンの足下を切る、慌ててユジンは退く。

 間を詰めた。韓留賢の刀が空を切る。ユジンの手元、足下を中心に攻める。棍を旋回し、刀を弾き、防ぎながらユジンは距離を取る。また間合いの外側。

(きりがない――)

 息が上がっていた。いくら打ち込んでも韓留賢はかわしてしまう。そのかわし方も、跳んだり跳ねたりとしている。なのにこの男、まるで息が乱れない。

 分かっていたことだが、ここにいるのはかつてユジンが手を合わせた男ではない。孔翔虎、孔飛慈と同類の機械なのだ。

「何度も言うが」

 韓留賢は体を真半身に切る。刀を後ろに引き、弓を引き絞るかのように。

「抵抗するより、俺と来た方が賢明だと思うが」

「何度でも言うけど」

 ユジンは腰を落とし、

「くどい!」

 走った。勢いをつけ棍を打ち付けた。

 消える、韓留賢の姿。背後に回り込まれる。

 転回。後ろ向きのまま棍を斜めに打つ。

 韓留賢、かい潜る。棍の懐に入り、剣の間に。

 白刃閃く。

 足を斬る。

 咄嗟にユジンは飛び退いて刃をやり過ごす。さらに韓留賢が切りつける。ユジンは棍で防ぎ、韓留賢から遠ざかる。

 そこにさらに迫る。韓留賢の刃がユジンの膝先をわずかに切る。

 韓留賢はさっきから、足ばかり狙っていた。そうでなければ手元か。ユジンの首や胴といった急所を狙うことはしない。言葉通り、手足の腱を切って身動きをとれなくするつもりだ。

 一緒に来てもらう――韓留賢の言葉を思い出す。一体この男は何を考えているのか。ユジンを殺すのではなく、連れてゆくなどと。もしかしなくとも、ユジンだけ外に出るように誘導したのもそのためだろう。 では何が目的なのか?

 剣先が延びる、再び足元。

 受け止める、棍の先で。グラスファイバーと刃では分が悪いと見たか、韓留賢は一度下がった。剣を晴眼に構えて、そのまま対峙する。

 ユジンは棍を引き、様子をうかがう。韓留賢の飛び出すタイミングを伺い、棍を振り出す最適の距離を計った。

 一歩近づく、そのたびに心臓が跳ね上がりそうになる。冷静になれ、と努める度に鼓動が早くなりそうな気がした。平静に、冷徹に。そう思えば思うほど、そこから遠ざかって行く。

 ユジンは一つ息を吐き、身を低く構える。左半身で棍を突き出すような形に。

 韓留賢は下段に取り、何の気負いもなく歩いてくる。それこそ散歩でもしているような足取りでだ。構える必要もないということか。

「このっ!」

 駆ける。

 ユジン、まっすぐ突き込む。棍をしごき、先端が韓留賢の顔面を貫く。

 その姿が消える。

 反射的にユジン、身を引く。一瞬遅れて、刃がユジンの手元をかすめる。

 再び振り回す。棍を斜めの軌道で打ち込む。韓留賢は難なくかいくぐり、ユジンの懐まで詰める。

 足を切った。

 ユジンが跳び下がる。それを受けてまた韓留賢は距離を詰め、手と足、交互に切りつけた。刃を返し、上下に斬撃を繰り出すのに、ユジンは下がり、跳び、あるいは棍で防ぐ。

 だが徐々に防ぎきれなくなった。刃の勢いに押され、ユジンは少しずつ後退する。それほど苛烈な打ち込みではないのに、打ち込まれるたびに衝撃で手がしびれ、力が入らなくなってきた。あんな細い刀身で、韓留賢は力を込めている風でも全くないというのに。

「そろそろ頃合いだと思うが?」

 切りかかり、突き出しながら、韓留賢が言う。動きながらにも関わらず、息の乱れはない。

「痛めつけるのは本望ではない。無駄なことだ、抵抗など」

「うるさい!」

 棍を振り上げた。

 頭上で旋回、叩きつける。頭蓋ごと砕く渾身の打撃は、しかし虚しく地面を叩いた。

 韓留賢、悠然と下がる。軽い足取りだった。剣を振り上げる挙動も、間を詰める歩も、ひとつひとつが洗練された舞踊めいている。

「お前は俺には勝てない」

 肩で息をするユジンに対して、韓留賢は静かに言う。

「俺と来い、そうすれば悪いようにはしない。奴らのことは忘れて……」

「ふざけないでよ、韓留賢。あんたが思うほど安くはないんだからね」

 韓留賢の後ろに地下通路の入り口がある。早くそこから地下に潜って雪久たちのもとに行かなければならない。今こうしている間にも、彼らは命の危機にさらされているというのに。

「安くは見ていない、だから言っているのだ。お前にそれが分からないか」

 韓留賢が言った、直後に飛び込んだ。易々と棍の間合いを踏み越え、刃を閃かせる。

 袈裟切り。

 飛び退く、ユジンの指先に切創が刻まれる。背後に壁。

 刺突。両者とも。

 棍と刀の先が交わる。互いに互いの得物が擦り合う。根本まで押し込むに、刀の鍔元と棍を持つ手元で交差する。

 すかさずユジンは体を入れ替え、ごく近い距離で棍を横に払う。韓留賢はしゃがんでそれを避ける。

 しゃがみながら切り払う。

 臑を切る、よりも先にユジンは防ぐ。防いだ棍をすくい上げて顎に打ち込む。目標にはかすりもせず、韓留賢は後ろに下がり、棍は空を切った。

(やっぱり、ダメだ……)  

 ユジンの打ち込みは必ず避けるか防がれるかする。その隙間を狙って韓留賢が打ち込んでくるが、予告通り韓留賢はユジンの手足ばかり狙い、本気で切り込むつもりはないらしい。こちらの体力ばかりが消耗させられてゆく。

(どうすれば)

 だが、あちらがユジンを殺すつもりがないのと同様、こちらも韓留賢を叩きのめす必要はないのだ。今の目的は韓留賢の背後にある入り口、そこにたどり着くためにとりあえずの脅威から退くことが肝要だ。

 もっとも、先ほどはそれをしようとして邪魔をされたのだが。だから韓留賢という脅威を取り除かなければならない、と思っていたが――しかし取り除くことは出来そうもないし、事実出来なかった。

 ならば、その脅威を減じることはどうか。可能か。

 ユジンは息をつく。糸を吐き出すような、細い呼気だった。気を静め、体内に溜まった空気を絞り出す。

 息を吐きながら、棍を下げた。構えを開き、こちらの身をさらすような位置につける。

 韓留賢は様子を見るように、しばらく中段のまま静観していた。じりじりと近づきながら、飛び込む機をうかがう。ユジンもまた、少しずつ間を詰めて行く。

 互いに飛び込んだ。

 韓留賢、剣を水平に切りつける。

 その瞬間を狙い、ユジンは棍を跳ね上げた。

 刃と接触。

 きん、と刃が鳴った。銀色の鋭角が空に跳ね上がり、韓留賢の後方の地面に突き刺さる。

 韓留賢が慌てて足を止めて後ろに下がる。その韓留賢めがけてユジンが叩きつける。渾身の打擲は、しかし韓留賢の鼻先を通過するに留まる。

 飛び下がった韓留賢の面に、ありありと驚愕が浮かんでいる。その手には刃が中程から折れた刀。そしてその残り半分の刃は、今は韓留賢の足下に突き刺さっている。

 剣の弱みだ。縦方向への衝撃には耐えられても、横からの衝撃には弱い。韓留賢が普段から使っている肉厚な苗刀ならばいくらか耐えるだろうが、仕込み杖の細い刀身が耐えられるはずもない。

「退きなさい、韓留賢」

 もう、仲間などではない。だから命令口調でユジンは言った。

「刀のないあなたは圧倒的に不利。だからそこをどいて、道を開けなさい。でなければ今度こそ殺すよ」

 何度も言ってきたはずのその言葉を、韓留賢に向けること自体が妙な気分だった。数日前には自分の背中を預けていた男と、今は敵として対峙している。それはこの街では珍しいことでも何でもない。なのに。

「見くびるなよ、ユジン」

 韓留賢は折れた刀を放り投げた。

「剣がなければ俺は戦えないとでも思ったか」

 そうして構える。ほとんど構えらしき構えでもないが、左半身になり、腰を少しだけ落とした。

「そう」

 ユジンもまた構えを取る。

「なら、仕方ないね」

 ユジンは棍の先端を向ける。その延長線上に韓留賢の喉がある。突進し、貫き、韓留賢が倒れた瞬間に入り口に走る。そう思い描いていたとき。

「何か、手こずってんな、おい」

 いきなり背後で第三者の声がした。


 ユジンが振り向いた先――廃墟の陰からのそりと長身の人物が出てくるのを見た。

 身の丈は六尺ぐらいはあるだろうか。東洋系の顔立ちの男だ。この寒い中、上半身はタンクトップのみで、肩をむき出しにさせている。痩身だが、むき出しの腕の筋肉の興りは岩石めいている。

「しばらく見てたけどよ、そんなんに手ぇ焼くようじゃ、やっぱハンパもんだな」

王春栄ワン・チュンロン、貴様どうしてここに」

 韓留賢は構えを解くことなく、顔だけその男の方に向けた。王春栄なる男は、ふてぶてしい笑みを浮かべ、ユジンの方を見た。

「あんたか、蛇のとこの凄腕の女ってのは。以前に佐間が見たとか言ってたけど」

 上から下まで、値踏みするように、王春栄は見回す。その遠慮のない視線に、ユジンは体を覆い隠したい衝動に駆られる。

 背筋を駆け上がる悪寒があった。男の目は、すべて見透かしているかのような、そんな気味の悪さがある。それは省吾やレイチェル・リー、あるいは孔翔虎や孔飛慈を前にしたときとも違う。もっと得体の知れない何かを、この男は持っている。そういう確信めいたもの。

 王春栄は近づき、韓留賢の前に立つ。

「半端モンに、こいつの相手は手に余るだろうよ。どれ、俺がかわいがってやるから」

「待て王春栄。貴様は謹慎中の身だろう。それに、こいつは俺の獲物だ。お前の指図は――」

 そこまでだった。王春栄の左拳が韓留賢の胴に刺さり、それ以上口にすることができなかった。

 うめき、崩れ落ちる韓留賢の背中を王春栄は踏みつけた。

「あのよ、俺にそういう口聞いていいと思ってんの? お前なんか指先ひとつで殺せるし、実際そうしてやってもいいんだぜ。それをしない俺の慈悲、そのことだけで生き延びてるお前がよ、それこそ俺に指図するなんておこごましいだろうよ」

 韓留賢が見上げてくるその顔を、王春栄は軽く蹴飛ばした。ほとんど足の先で触るだけのような蹴りだったが、それだけで韓留賢の顔面は派手に跳ね上がる。そのまま動かなくなった。

「ほとんど生身のくせに、吠えるんじゃねえよ。分をわきまえてりゃ少しゃ長生きも出来らあな、なあ? あんたもそう思うだろ?」

 王春栄がこちらを向く。にやりとしてみせ、ユジンに親しげな風を装い、話しかけてくる。

「噂には聞いてたけどよ。あんた、孔翔虎らをヤったんだっけ?」

 その言葉には誤りがあるが、今のユジンにはそれを訂正する気も起きない。韓留賢とは明らかに違う、妙な圧を感じていた。

 男はリラックスしている。肩も腕も、なにもかも力の抜けきった体。それでいて軸のぶれない確かな足取り。完全に武を心得た者の体だ。

「凄腕の棍使いったって、やっぱり小娘は小娘だな。俺が怖いか? 青ざめた顔してまあ」

「誰が……」

 怖いものか、と言い返そうにも、喉が詰まってしまったように声が出ない。男の威圧感は、それらしく見せていなくとも内面からにじみ出ているような感がある。

「可哀想になあ、あんた。下の仲間はもう生きちゃいねえぜ。こいつと遊んでいるうちに、他の奴が全部蹴散らしちまった。もうお前を待つ奴は誰もいやしねえよ」

 王春栄、哀れむ気など更々ないかのように、呵々と笑う。

「けど、下の奴らは片づいたとしても、俺は何もすることねえんだぜ? 寂しくってよ、んで思い出したわけだ。蛇のギャングには、女の棍術遣いがいるってこと」

「見くびらないでよ」

 だが恐れは、徐々に薄らいでいった。目の前に現れた、新たな敵をどうするか。そういう心持ちになってくる。

「雪久たちが、そんな簡単にやられるわけない。あんただってそう、私をあんまりなめないことね」

「威勢がいいことだな。『千里眼』がいなきゃ所詮はただのゴミに過ぎねえ生身どもに、なにを期待しているんだか分からんが。ああそうだ、これ」

 と王春栄が思い出したように顔を自らの右手に向けた。そこでユジンは男が右手に何かを持っていることに気が付いた。相当に長く、地面にひきずっている。今まで韓留賢のことに気を取られていたのでそれが何なのか気にならなかった。

「地下だけじゃねえんだな、お前の仲間。上にもいくらかいてよ、暇だったんでちょっと遊んどいた。まあ暇つぶしにもならなかったけど」

 ずるり、とそれが地面とこすれる音がした。

 赤黒い物体。細長い何かが地面に伸びている。しかし王春栄が持っている部分は球体である。遊戯用のボールのような大きさの球体。

「それ、知ってる奴か? やるよ」

 王春栄がそれを放り投げた。

 血のにおいがした。

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