第十九章:13
その光景を目の当たりにして、言葉を失った。
省吾の前に躯がいくつも転がっている。路上にあるのは、『STINGER』の遊撃隊達。首があらぬ方向にねじ曲がっていたり、胴体がぐにゃりとしていたりと、何か強い衝撃を受け絶命したと思われる躯。そんなものばかりがいくつも折り重なっている。
事実を確認するまでもない。つまり、ここを機械が通ったということだろう。港にいた奴とはまた違うタイプの機械が現れ、遊撃隊を襲ったということだ。あの戦斧の女が言った通りだ。南にも幾人か入り込んでいる。
省吾はふと、路の片隅にうずくまる影を見つける。
照明灯のポールに寄り添うようにして小柄な後ろ姿が、自らの肩を抱き抱えるようにしてしゃがんでいる。省吾はその人物に近づく。もっとも、近づく前から誰なのかは分かっていた。
「連か、無事か」
省吾が声をかけるも、応じない。もう一度、声をやや大きく呼びかける。ようやく連が振り向いた。
「……真田さん、ですか」
一言だけ発した、連の顔は漂白したように血の気が失せていた。以前はあった両目の鋭い光、それが今はなく、弱々しく潤んだ瞳で見上げてくる。今の連は年相応の、怯えた子供でしかない。
「連、これはどういうことだ。何があったんだ?」
省吾は連の肩を掴んだ。その肩も震えている。心底怯えているのだ、あの連が。
「機械が……」
連は無表情である。それだけならば冷静なようにも見えた。だがその実、目には恐怖の色を為していた。連は全くもって平常心を失っていた。
「機械か、その機械って今どこにいるんだ? 何だってこいつらがこんな一方的に」
やや語気を荒げて問いつめるが、連はそれ以上は何も応えない。
省吾は連を離して辺りを見渡す。と、路の片隅に遊撃隊のパーカーを着けていない躯を見つけた。その躯の元に駆け寄ると、すぐにそれが誰だか分かった。
確か、名前は玲南といったはずだ。あまり接点はなかったが、ユジンとつるんでいたような気がする。この女も、確か相当な実力であったと聞いていたが--女は首がねじ曲がっていた。ほぼ百八十度回っている。そして右肩が極端に下がり、腕が異様に長くなっている。鎖骨を砕かれたのだろう。左手には縄標が絡みついたままとなっていた。
玲南といい遊撃隊といい、ここを襲撃した機械は孔翔虎のような徒手空拳のタイプのようだ。南に入り込んでいる連中は、もっといるのだろうか。あの女、港にいた機械は西にも入り込んでいるかのようなことを言っていた。ならば全部でどれほどの数の機械が来ているのか。
省吾は、玲南の瞼を閉じてやった。
「ここを通った奴は、今どこにいるんだ、連」
省吾は連にそう問いかけるも、やはり応えない。どこを見ているのか分からないような視線を宙に漂わせるばかりだ。
省吾は舌打ちした。今はこの場にかまっていられる場合でもなさそうだ。
ふと足がうずくのを感じた。義足と生身の境目、いやもっと下だ。まるで切り離される前の足がそこに存在して、その無いはずの足が痛みを発してくるのだ。
(こいつが幻肢痛というものか……)
痛む幻を引きずりながら、省吾は再び駆け出した。
影が、躍っている。光の中に複数の影が。
薄暗闇だ。補給路を照らす光はわずかでしかない、目をこらさなければほとんど見えてこない空間。その狭い空間を、時折強い光が差す。ぱっ、ぱっ、と白い光が弾け、その光が弾ける度に影たちが現れる。駆け抜け、応戦する仲間たちの影だ。
断続的に声が鳴っている。どこからどう打っているのか分からない、反響する音は洪水となって空間を満たしている。そして怒号、または悲鳴。走り回る足音、しかしそれらを打ち消すのは圧倒的な銃声の音響だった。
その最中、飽和状態の音と光の中にあってその女の振る舞いは静かなものだ。
銃声の方向に女が顔を向ける。避けようとするでもなく、ただ歩いて行く。銃弾は女を避けて跳んでいるのではないかと錯覚するほど、まるで当たる気配がない。
閃光弾が弾けた。
剣を携えた女の影が浮かび上がる。
次に暗闇が支配し、また再び光が現れたときには女はそこにいなかった。銃声の方向から悲鳴が四つほど重なって聞こえた。
「九時、いや十時方向」
イ・ヨウが叫ぶ。自らも機関銃を向ける。今、彰とイ・ヨウは入り口を固めたバリケードの内側に籠もり、応戦している。
構成員たちはそれぞれ散り列車の上や中から銃撃を加える。閃光弾を投げ込みながら、女の足を止めてはいるが、しかし女はそんなことなどまるで障壁にならないらしい。銃撃を悠々と避け、闇に紛れて一人ずつ確実に仕留めている。
懐の携帯電話が頻繁に鳴っているのを、彰は無視した。防火壁の向こう側で雪久が抗議しているのが目に浮かんだ。きっと雪久は自分が仲間外れにされたとでも思っているのだろう、こっち側に来て戦うつもりでいる。
「弾は残っているか、イ・ヨウ」
彰はグロックを撃ちながら訊く。機関銃でも駄目なのだから、拳銃なんていくら撃っても仕方がない気がした。しかし、今は少しでもいい。何かの足しになりそうなことすべてを試したかった。「あと一ダースってところか。撃ち切れば終わりだな」
イ・ヨウの表情には、言葉ほどの深刻さはない。この男はいつも顔に出る方でもないが、今はもう諦めの境地なのだろうか。
「兵を引かせろ、イ・ヨウ。このまま粘っている意味はない」
「今更だねえ、彰。ここで引いても、奴は追ってくるぜ。それこそ、うちの大将も逃げ切れんぜ」
銃声が、少なくなってくる。段々と声がとぎれてゆく。奴はどこかと目を凝らせば、百メートル先に佇む細身のシルエットが確認できた。
イ・ヨウが発砲を止めた。弾切れのようだった。
機関銃を脇に押しやり、イ・ヨウは背負っていたランチャーを、彰に寄越した。
「俺が奴を引きつける」
そういって手斧を持つ。ずいぶんと手入れがされていない、錆が浮いた斧だ。そういえば孔翔虎たちとの一戦以来、イ・ヨウが新たな斧を持ったのを見たことがない。
「引きつけるって、どういうことだよ、お前。そんなものでどうにかなるとでも」
「思わない、がこいつであの細っこい剣を叩き折るぐらいはしてやれる。奴に切りかかるから、その時ねらってこいつをぶち込め」
イ・ヨウが手渡したグレネードランチャーは大分旧式だった。倉庫の隅に、長らく眠っていたものだ。
「射程ぎりぎりまで引きつけてから奴に切りかかる。それでーー」
「バカを言うな。お前まで巻き込まれるぞ」
銃声が近くなっていた。女はあと五百メートルの付近まで迫っていた。女が走れば、あっという間に距離を詰められるだろうが、それでも女は歩いてきている。
「俺は、いい」
イ・ヨウはその女の方を向いている。すでに走り出す体勢だ。
「それよりここで奴を倒しておかなきゃならねえだろうが」
「しかしーー」
彰が口に仕掛けた時には、イ・ヨウは走り出していた。
バリケードを飛び出し、一直線に走る。走りながら、イ・ヨウは斧を振りかぶる。
女がこちらを向く。イ・ヨウは身体ごと、斧で切りかかる。
切り結んだ。
イ・ヨウの斧を、女は受け止めた。なんとレイピアで受け止めている。細い、いかにも頼りない剣身で、分厚い刃を。
イ・ヨウが目を見張った。
女が剣を突きだした。
剣がイ・ヨウを深く貫いたのを、遠目に見た、その瞬間。反射的に彰は引き金を引いた。榴弾が女の足下に着弾。爆発。地下の空間内を粉塵と黒煙が満たした。
視界にあるもの何もかもが消え去った。銃声は止み、剣戟の音もかき消えた。彰は身を乗り出して煙の中を見渡そうと目を凝らす。
煙が晴れてくる。
人影が見える。細身の影。煙の中から歩いてくる姿、剣を提げ、悠々と歩いてくるその姿を確認する。
ーーそりゃ、そうだ。
こんな榴弾の一つで何の期待もしていなかった。空になったランチャーを投げ捨て、彰はグロックを発砲。一発、二発、立て続けに三発ーーそれぞれを女は首を傾けて避け、半身を開いてやり過ごし、最後の銃弾は剣で弾き返す。そこで弾切れとなった。
「そこを退きなさい」
目の前に、女が立って言った。涼やかな声と完璧な発音だった。まるで威圧するつもりのない平静さを湛えた声、威圧する意味など毛頭ないという風情の。
「そうすれば命は助ける」
「退いたら、何だってんだよ」
彰は防火扉に背を着けた。
懐の電話が、うるさいぐらいに震えている。雪久がまたわめいているのだろう。さっさと出せ、と。お断りだ、と彰はほくそ笑む。お前の言うことなんて聞いてやるものか、最後ぐらいは俺の好きにさせてもらうーー
懐に手を伸ばした。電話とは別にもう一つ仕込んだそれを掴む。
「もう一度、言う」
女がレイピアの先を向けた。
「そこを退きなさい」
「嫌だね」
そう言った瞬間、女の姿が消えた。
喉に衝撃を受けたーー女の姿は目の前にあるーーその右手の先から延びる銀色の刃が、まっすぐ自らを貫いてーーその刃に自らの血が伝う。
肉に沈む刃は冷たく、しかし徐々に熱く。灼けるように肉の中身をかき回される感触を得る。刺されたのだという理解より先に、灼熱を感じた。
ひゅっ、と空気が口元から漏れた。続き、喉元から何かがせり上がってくる。ねっとりとした感触、熱い何か。それは血だろうが、鉄の苦みはすでに感じられない。
女が剣を引こうとした。
その刃を彰は掴む。女が意外そうな顔をする。
女を見て、にやりとしてーーちゃんと笑えていたかどうかーー彰は手にしたそれを女に放った。紙に包んだ円筒状の爆薬、すでに導火線に火がついている。女が目を見張る、彰は最後に中指をおっ立ててやる。
そのすべてを飲み込む光が弾けた。
爆音がした。
防火扉が振動した。向こう側で、石の崩落する音。
その音を聞き雪久は扉を叩いた。何度も何度も拳を打ち付けたせいで、拳は血塗れになっていた。ベージュの外壁は血がこびりつき、声は枯れるほどに発してーーしかしどれほどそうしたとしても決して届かないだろうという虚しさがあった。
衝撃音が止む。扉の振動が消える。それにともない、雪久は拳を打ち付けるのを止める。
やがて静寂が戻ったとき、雪久は力なくその場に座り込んだ。
遠くを、を見つめていた。
「宮元さん、そろそろ」
孫龍福がせかしてくる。片腕は拳銃でふさがっているので、肩の先で舞をせっついた。
逃げ道まで行く、ということで舞は孫龍福に突き従って基地の奥まで行っていたが、しかし雪久や彰の姿が見えないことには逃げようにも逃げられずにいた。
そこに、爆音だった。遠くで、おそらくは入り口の方だ。そこで何があったのか、それが分からないほどこの街では素人でいるつもりはない。
彰。気づけばそうつぶやいた。意図せず漏れ出たその言葉は、すぐに爆音にかき消された。