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監獄街  作者: 俊衛門
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第十九章:12

 彰から連絡が来た。

 火急の、緊急事態だということだ。二十分で行くと返事したところ、十分で来いと返された。こんな会話以前もしたことがあるなと思いながらも、何とか急ぐとユジンは言い、通話を切った。

(無茶を言ってくれる)

 ユジンの住まいから駆けつけるのにはそれなりに時間がかかるものだ。どれほど急いでも、人の足では十分で着くことはない。それでも彰の切迫した声と、通話中に割り込んできた銃声やら悲鳴、それだけでどういう状況かは分かる。

 ひたすらに走った。棍を背負い、腰にナイフを装着し、閃光弾はあるだけズボンのポケットに突っ込んだ。それら装備のせいで幾分走りにくくはあったが、果たしてこれだけで足りるか分からない。少々不安ではあったが、しかし無いよりはマシだろうという程度。

 ここ最近、ユジンはアジトに泊まりっぱなしだった。言うまでもなく、いつことが始まってもいいように。玲南と会うため、出歩くことがあっても、基本的にはアジトに帰り家によることはない。

 今日はたまたまだった。家の様子を見た方がいいのではないか、とか何とか人に言われ、ユジン自身も家のことが気がかりだったので、今日だけ戻ったのだ。家の中に、盗まれるものなど何もないのだが、女は女で男には分からない諸々の準備というものがある。それらを取りに行くタイミングもほしかった。その人物に、あとのことは任せておけと言われたので、つい気がゆるんでしまったのだろう。

 その人物、ユジンに「任せろ」とのたまったその男の声に呼び止められた。

「ユジン!」

 アジトの入り口にさしかかったときだった。廃ビルの中から足を引きずり、杖をついた人影が出てくる。韓留賢の姿を認めると、ユジンは歩み寄った。

「韓留賢、あなたはここで何を」

「地上の見張りに立っていた。彰からは、中がどういう状況かって聞いて、下に行こうと思ったが、お前を出迎えるようにって言われてな」

「そう」

 地下通路への入り口は、廃墟の中にある。ギャングも難民たちも知らない入り口がある。ユジンは建物の中に入り、入り口へと向かった。

「どういう状況か分かる? 彰からはすぐに来て欲しいとしか言われていないけれど」

「機械だ。機械が単身乗り込んで来た。雪久はまだ無事みたいだが……」

「分かったわ」

 入り口は巧妙にカモフラージュされている。地面の一部が開くようになっていて、その上にはさりげなく瓦礫が敷かれている。ユジンはしゃがみ込み、瓦礫をかき分けた。

 そのユジンの背後、韓留賢はユジンの背中を見ながらひとまず下がった。下がり、一度杖を地面に置く。そうして足音を立てぬようにゆっくりと、しかし確かな足取りで、韓留賢はユジンの背中に近づいた。

 手には薬品をしみこませた布がある。後ろからユジンを羽交い締めにして、それを口に押し当てる。韓留賢の頭の中には一連の動作がすでにあった。

 一歩、あと半歩。

「韓留賢、いつ歩けるようになったの?」 

 ユジンが背中を向けたまま言った。

 その途端。振り向きざまユジンが棍で打ち払った。

 韓留賢は大きく飛び退く。三歩ほども跳び、距離を取った。

「いえ、歩けるようになったんじゃないわね。最初から歩けた、そうでしょ?」

 韓留賢は両足でしっかりと立っている。砕かれたはずの右足は何ともないかのようであった。

「……いつ気づいた」

 韓留賢はもはや、取り繕ったり誤魔化したりしようという気はないようだった。杖を拾い上げるが、それは身体を支えるためではなかった。細身の杖を晴眼に構え、剣のように構える。

「最初からね、ちょっとおかしいとは思っていたよ。足折られたっていうのに、ぜんぜん悲壮感とかないしあなた。けどそれだけじゃない。あなたが頻繁に連絡を取ってた、あれは誰?」

「前にもしゃべっただろ、女だって」

「どういう素性の女、とかは聞いていないわ。でも決定的だったのは、この間。あなたの足音を聞いてから」

 いいながらユジンは、さりげなく背中に左手を回す。ベルトに吊っているナイフの柄が指に触れ、次に閃光弾の先端が触れた。どちらともが、すぐに抜ける状態にある。

「誰もいないと思って油断したわね。私は身を隠していたから、誰も見ていないとあなたは踏んで。でも私は、あなたが走ってゆく足音を聞いた。杖をつかなきゃ歩けないあなたの足音をね!」

 苦い顔をしている、韓留賢。思い当たる節はあるようだった。

「気配もしないものだから、迂闊だったな」

 そういって韓留賢はますます渋面を濃くした。そんな顔をするんじゃない、そう思った。今まさに、ユジンこそがそんな気分なのだから。

「折れた足がどうやって治ったのかなんて聞くだけ野暮ってものね。下で暴れてるとかいう機械もあなたの仲間?」

「仲間ではないが、まあそんなところだ」

 すっと韓留賢が杖の先を下げた。様子を伺う無構えの位。そのまま一歩近づく。

「それで私をどうしよっていうの」

 一方のユジンは構えを崩さない。右で棍を保持し、左半身を引いている。少しずつ近づいてくる韓留賢の出方を伺い、韓留賢が近づくにつれて鼓動が早くなる。

「殺すつもり?」

「殺しはしない。ただお前には、俺と来てもらう」

 息をのみそうになるのをこらえた。それを聞かれたから、だからどうということではない。けれどもその一言で動揺したのだと思われるのも癪だった。

「来る? 何故」

「理由は言えない、が……」

 もう半歩近づけば間合いに近づく――ユジンの間だ。

「それを私が了承するとでも?」

「まあ、そうだろうな」

 韓留賢が一歩踏み入れた--間合いの内に。

 その瞬間にユジンが動いた。

 ナイフを抜き、抜きつけざま韓留賢に投げる。

 韓留賢が避けたのと同時にユジン、前に出る。棍を旋回、勢いをつけて横に叩きつける。先端が韓留賢の横面を捉えた、かのように見えた。

 しかし韓留賢、すでに逃れている。十歩ほども後ろに退いていた。棍はただ空を切るのみ。

「感心しないな、いきなりとは。力の行使の前に、対話も交えて。そんなことを言ってなかったか」

「それは通用しないってあんたの意見、今だけ賛同してあげる」

 ユジンはすぐに中段に取る。ぴたりと狙いを定めた、その先端は韓留賢の喉元に付けている。

「やめておけよ」

 韓留賢は杖を弄ぶように、くるりと手中で回した。

「お前に俺は倒せな--」

 言い終わらぬうちにユジンが飛びこむ。喉元めがけてまっすぐ棍を突き込んだ。

 韓留賢の姿が消える。どこへ、と目を凝らせば、背後に気配。振り向けば韓留賢が後ろにいる。

 杖が走る。韓留賢が横に薙いだそれを棍で受ける。細身の杖からは想像もつかない重たい衝撃を得る。

 次撃。韓留賢が鋭く打ち込む。ユジン、危なくかわす、かわしながら棍を掬い上げる。棍と杖がかち合い、しかしすぐに離れる。

 再び接近、両者。先端同士が交わった。

 互いに弾ける。木とグラスファイバーが乾いた音を立てた。

 棍を旋回。ユジンが両端を交互にたたきつけた。三度、四度と転回し、打ち据えるのを、韓留賢は杖を左右に捌き、棍の軌道を巧みに外す。棍をなやし、逸らし、棍を押さえつける。ユジンは幾度となく、棍を返しては打ちこみ、あるいは突く。だが攻撃の矛先をかわす韓留賢の杖捌きの前に、次第に焦りが募る。

(これじゃ埒が明かない――)

 ユジンは後ろに飛んだ。一度間合いを切って仕切り直す。

 すぐに韓留賢が距離を詰めようと近づいてくる。

 左手で閃光弾を抜く。素早く火を付け、投げつける。見慣れた白い光が弾けて煙が爆ぜ、視界を覆い尽くした。

 その隙にユジンは走る。地下への入り口へ。ここで韓留賢と争っていても仕方がない、今は一刻も早く下に行かなければ。

 気配を覚えた。

 背が粟立つ。

 背後。

 振り向いた、その瞬間。目の前に杖の先が映る。

 とっさに棍で防ぐ。その途端、何かとてつもなく重たい塊を受け止めた。ぶつかったそれは身体ごと持って行かれるような衝撃を有し、ユジンの体が文字通り吹っ飛ばされた。

 思わず棍を落としそうになる。それを何とかこらえる。後ろに跳び、体が崩れそうになるのをどうにかしてやり過ごす。

 煙が晴れた、そこに韓留賢が立っている。杖の先を突きつけて。

「一つ言っておくが、彰のそれ」

 と韓留賢、杖を肩に担いだ。

「もうそれは、通じないと思った方がいい。人ならばともかく」

 まるで自らは人ではないかのような言いぐさだ。事実そうなのだろう、脚が砕けて、それが治っているだけでなく動きの精度も上がっている。何から何まで、ユジンが知っている韓留賢とは違う。

「何者なのよ、あんた」

 今更すぎるような疑問を問いかけていた。

「何が目的でこんなことを? どうして私たちに近づいたの。あんたはどういう……」

 ひしひしと感じる、圧力と恐れ。目の前の男から逃げたいという欲、早く彰の元に行かなければならないという焦燥、そのためにはこいつを退けなければならない現実。そういうすべてが、ユジンを平静にはさせてくれない。ざわつく心に、浮き足立つ我が身に、冷静になれと命じる我自身が狼狽を隠せないというジレンマ。

「手荒な真似はしたくはなかったのだが、そうも言っていられなくなったな」

 韓留賢、ゆっくりと杖を振りかぶる。そこから先端を地面に打ち付けた。

 杖が縦に裂けた。韓留賢が握っている箇所を除いた杖本体が割れ、代わりに現れたのは細身の刃。

 仕込み杖だ。韓留賢が普段使っている苗刀よりは幾分短い。杖に仕込めるサイズとなれば、身幅も狭く重ねも薄い、いかにも頼りない風の刃である。

 しかし、そんなものでも今の韓留賢が持てば脅威だった。刀の切っ先を向けられるに、ユジンは戦慄する。

「殺しはしない。ただ無傷とはいかない。手足の腱を斬るか、血を流させて動けなくするか。お前が抵抗するならば、抵抗できない状態で連れてゆくしかないな。何、少々傷ついたとしても元には戻せる。しばらくの辛抱だ」

 韓留賢、そう口にするや一気に飛び込んだ。

 ユジンは棍を突き出す。互いの先端が交わった。

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