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監獄街  作者: 俊衛門
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第十九章:11

 呼吸が重い、と感じる。

 喉から肺にかけてだ。息をするたびに重苦しいものが気道を這い上がってくる。というよりも、空気そのものがまるで重みを持っているかのようだ。苦しい息の下、それでも鉄鬼は立っている。

中国人チンクはそうするのが美徳なんかもしれんけどよ」

 一方で目の前の男は、まるでそのような気配はない。最初から最後まで何も変わらぬ風であり、実際そうなのだろう。鉄鬼とほぼ同じ体格ではあるが、身体のつくりそのものはやはり機械だけあって比べものにならない。

「死ぬ時間が速まるだけで、賢明たあ言えねえよな。なああんた、そういう趣味なんか? マゾ野郎にかまってやるほど暇じゃねえんだが」

「私も暇ではないよ」

 鉄鬼はわき腹を押さえる。そこが元凶だった。折れた肋骨が肉を突き出ている。ひょっとしたら肺にも刺さっているのかと思ったが、何とか息が吸えているのだからそれはないのだろう。しかし、やはり息はしにくい。

「お前を行かせないこと、そのことに精一杯でな」

「けっ、2、3回撫でてやったぐれえでダメになる奴が、行かせる行かせないだって議論になるかね」

 右ストレートを胴に一発、それ以外にこの男から受けたダメージは、右腰と左肩に一撃ずつだ。それが、こいつにとっては「撫でた」程度だということか。

 ふざけている。

 鉄鬼の身体がぐらりと傾いた。男はそれを見て背を向けた。

 その瞬間、鉄鬼が飛び込む。男の背中に向けて猛然とタックルをかます。腰から下に向けて全体重を乗せた。

 しかし、男は動かない。うるさそうに振り向いた。

「で?」

 鉄鬼は渾身の力を込めるが、男の身体は地面から生えているかのようだった。まるで動かせる気配がない。そうこうしているうちに男が鉄鬼の首根っこを掴み、投げ飛ばした。路上に投げ出されあわてて起きあがろうとした鉄鬼の首根っこを、男はさらに掴み上げる。100キロはある鉄鬼の身体を、片手でつり上げた。

「お前等は楽だよな? そういう風にとりあえず突っ込んでいきゃいいと思ってるし、こういう状況でも後先考えずに無茶すりゃ、まあ満足感が得られるだろうよ」

 男が言った、次の瞬間には鉄鬼は地面にたたきつけられていた。折れた骨にまともに響く、痛みが全身を包む。

「バカみてえに、何も考えずに、向かっていって、どうせ大したことも出来ねえのにって、それで結局死んでいくってどういう気持ちよ、なあ? 俺には分かんねえな、無駄なことばーっかで何にもねえような人生は」

「ああ、分からないだろうな」

 鉄鬼は――もう起きあがるような力もなかったが――それでも立ち上がろうとした。

 いきなりの衝撃。男が鉄鬼の肩を踏み抜いた。右の鎖骨から先のすべてを押しつぶされて、鉄鬼はまた路上に伏せさせられる。

「お前には、分からんことだ」

 無駄かもしれない、明らかに効果のないこと。腹を砕かれ、腕をつぶされ、抵抗の術など一つもない。それでもなお。

「分かりたいとも思わねえよ」

 男は、これ以上はつきあっていられないというように、うんざりというように首を振った。

 もちろん分かるなんて思っていない、こんな奴は。

(そっちに行くんじゃない・・・・・・)

 鉄鬼は懐に、無事な方の手を伸ばす。背広の裏側に、堅い感触を掴み取る。円筒形の物体を。  

 男は踵を返して本部の方に行こうとした。そうはさせじと鉄鬼が男の足首にすがりつく。男がすぐに振り向いて振り払おうとした瞬間、男は目を見張った。鉄鬼が手にしているものを見たから。

 鉄鬼は右手にダイナマイトを抱え、それを持ったまま右腕で男の脚を抱え込んでいる。導火線にはすでに火が周り、半分ほど燃えている。

 男はふりほどく力が強くなるが、鉄鬼は必死で食らいつく。

「この!」

 男が鉄鬼の腹を蹴飛ばした。すさまじい痛みが体内を突いた。臓物をやられたかもしれない、肺に骨が刺さったかもしれない。それでも離すことはない、離してたまるか。

 火がついた。

 閃光がほとばしり、目の前が白く染まり、すべてを飲み込む頃には鉄鬼の意識は途絶えていた。



 レイチェルの目の前には黒服が3人、入り口を固めている。

 そうされることは初めてではないが、以前との違いは今はこの3人がレイチェルに反旗を翻したというわけではないということ。ただし、レイチェルに反逆しているという点では似ていなくもない。

「どけ」

「ここを出してはいけないと、そういう命令ですから」

 中央に立つ、劉剣は黒服の中でも古参の方だ。髪に白いものが混じり始めている四五歳、しかし目の色は精力的で、この状況であってもその光が衰えることはない。今もレイチェルと対峙していて尚、鋭い光を湛えた目をしている。

「誰の命令だというの」

「鉄鬼大人です、レイチェル大人」

「私が命令を上書きする。そこをどけ」

「そういうわけにはゆきません」

 ヒューイに裏切られて、西を追いやられた後もレイチェルに付き従っていた男がだ。今まで命令に背いたことなどなかったこの男が、頑なにそれを拒んでいる。鉄鬼からどうこう言われたというだけでなく、自らの意志でもあるかのようだった。

「刃向かうか、劉剣」

「いくらあなたであっても、こればかりは」

「ならば、お前の息の根を止めてしまわなければならなくなる」

「命をなげうっても尚、ここを通すわけには行きません」

 議論はそれまでだった。

 軽く、レイチェルは突きを放った。劉剣が身体を折り曲げた、ところに膝蹴りを打つ。劉剣が崩れ落ちたのを見てレイチェルは部屋を出た。他の二人がレイチェルにつかみかかるが軽く投げ飛ばし、レイチェルは外に出た。

 西の方角。夜でもはっきりそれと分かる黒煙が一筋、二筋と昇っている。

 レイチェルはすぐに駆け出そうとした。

 しかしまたしても目の前に立ちはだかる。

「行ってはいけません」

 劉剣は腹を押さえながら、苦しい息の下から言った。立っているだけでもつらそうな、今にも崩れ落ちて転げ回りたいほどの痛みをかみ殺した表情をしている。

「お前に私を止める権利があるのか、劉剣」

「権利はありませんが、義務はあります。今あなたを行かせてはならない、だからそれを止める義務が」

「そんなことを言うならば、あんたを殺さなければならなくなる」

「それでも」

 本気の目をしていた。命を張ってでも、止めるという覚悟のにじみ出る目。それはある意味では、もっとも強い忠誠の表れなのかもしれない。だとしても。

「お前と議論している場合ではっ……!」

 レイチェルの言葉を、爆音が遮った。

 遠くで響いた。爆音というほどのものでもない、遠雷のような音だが、レイチェルにはそれが爆発であると気づいた。ちょうどそれが本部の方向から鳴ったことにも、気づいていた。

 劉剣もまたそれと気づいたらしく、新たに火の手が上がった方を向く。一筋の黒煙、その下にどれほどの人間がいるのか。どれほどの黒服たちが、部下が。

 レイチェルは唇をかみしめた。



「西は落ちたか」

 皇帝がつぶやいた。丁度佐間から報せを受け、その報せとは『STINGER』の長を殺害したという内容のものだった。

「存外にあっけないものだったな。あの二人を葬った勢力といえども」

「ただのギャングなどその程度のものでしょう」

 麗花は無感動のままそう応える。何の不思議もない、当たり前にすぎる結果だと思った。

「機械といえども、あの兄妹は旧来型ですから。それでも人が勝てる道理はありません、ましてや人が本来数年かけて修得する術をマインドセットされ、人が何年もかけてもたどり着けない身体を有しているとあれば」

「むしろ、過剰とも言える」

 ジョセフは西を見つめながら、涼やかな声でそう言う。

「あまりに力の差がありすぎれば、むやみに殺める必要もありますまい。必要もなければ、これほど戦力を投じることもなかったのでは? 慈悲をかけるのもまた、君臨するものの努めかと」

「よく言うわね。一番参加したい顔をしているあなたが」

 麗花が言うのに、ジョセフは肩をすくめた。そんな動作もいちいち演技がかって見える。

「それは、そうでしょう。あなた方から授かったこの身体を、試す場がないことは何とも寂しいこと。ここで待機を命じられて、しかし一番よく見える場所に立たされてはね」

「不満か?」 

 皇帝は、ジョセフの心の内がよく分かっている

かのようだった。おもしろいものでもみるように、笑みをたたえている。

「そうなるのもまた、人情というものですよ」

 ジョセフの顔は見えないが、口元が愉快そうに歪んでいた。

 それで慈悲がどうのとよく言えたものだ――

 ただし思っても顔に出ることはない。麗花は無表情を保っている。そもそも麗花にとって、表情を豊かにする意味などないのだから、表情に何かが現れるということがほぼ無い。

「あとは、問題の『千里眼』のみというところですか。確かそこには、我が姉上がいるはずでは」

「彼らを潰すのには、アニエス一人で十分。和馬雪久が『千里眼』が使えない以上は」

 麗花が言うのに、ジョセフは何かに気づいたように顔を上げた。

「それで、彼はどうするのですか。もう一人追加になるとかいう……」

「そちらには別の仕事をまかせている。『千里眼』ほどではないが、放っておけばそれなりに厄介な女を一人、始末させに」

「ほう、例の、最後の一人か。それは今どこにいる?」

 と、皇帝が聞く。

「市街にいます」

 麗花はその方角を見据えた。

「そろそろたどり着く頃でしょう」


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