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監獄街  作者: 俊衛門
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第十九章:10

 ひどい有様だと思った。

「一体何がどうなってるですか……」

 リーシェンはひとりごちるが、そのように言ったところで目の前の相手は何も答えない。いつもならば、リーシェンが口を開けば必ずおちょくるか憎まれ口を叩くかするはずの、その男。黄は地面に伏し、伏したまま動かないでいた。その手には小型の無線機が握られており、それも踏みつぶされたように破壊されている。

 報せを聞いてすぐに駆け付けた。地下で暴れている奴がいる、ということだ。ただし、彰はリーシェンに戻れとは言わなかった。むしろ、逃げろ。あるいはそこから動くなと。リーシェンの身を慮ってのことなのか、あるいは足手まといになるからという意味なのか分からないが、ともかくリーシェンは彰の命に従わずに地下への入り口を目指した。

 その入り口付近で、これである。黄と他の見張りたちが、身体を何かで貫かれて絶命している。あまり抵抗したあとがないから、敵は相当な手練れだろう。

 今もその辺にいるのだろうか――

 思わず身構えたが、しかし今は静かなものだ。かといって誰が潜んでいないとも限らないので、前後左右に銃口を向けながらリーシェンは辺りを警戒する。地下までの入り口は、歩けばすぐであるが、すぐにはつけそうもない速度でゆっくりと歩を進めた。黄の身体の脇を過ぎるとき、一瞬だけ胸の内に悲哀が浮かぶが、すぐにそれは掻き消える。黄には悪いが、今はその死体を埋葬してやることも出来ない。

 そうしてビルの前にたどり着いた。廃ビルだが、奥に地下への入り口がある。リーシェンは足を踏み入れた。

「おい、お前」

 いきなり声。北京語だ。リーシェンはすぐに構えて銃をそちらに向ける。

 暗がりの中から、一人の男が歩いてきた。

「お前、南の蛇か」

 そう語りかける、男はこの寒い中異様な風体をしている。タンクトップにぼろぼろのジーンズ、足元は裸足であった。素肌を晒したその腕は細く長く、だがそれは決して頼りない感じではなく無駄なく筋肉がついた、靱性を備えた鞭を思わせる腕である。

「だ、誰です」

 声が震えてしまったが、しかしリーシェンは銃を構え銃口の先を男の胴につけた。頭につけると外される可能性がある、ゆえに的の大きい胴に狙いを定める。

 男は銃の存在などまるで気にせず歩いてきた。

「動く、動くな! 撃つよ、本気で撃つよ!」

 吠えながら、リーシェンは後ずさる。男はハンドポケットのまま、散歩でもするみたいに悠然と歩いてくる。

 引き金を引いた。

 銃身が跳ね上がる、10連射。小銃をフルオートで引き金引きっぱなしで撃ちこむ。

 視界から男が消えた。

 途端、手元に衝撃を得た。

 リーシェンの身体に合わない大型のライフル、その銃身に男の蹴り足がめり込んでいた。一瞬で距離を詰め、蹴りを放ったのだと知る――背筋が凍りつく。

 拳銃に手を伸ばす。

 それより先に男の手が伸びる。左手でリーシェンの肩を、右手でリーシェンの頭を掴み、締め上げられる。万力のような力が細い肩と小さな頭にかかる。リーシェンは痛みのあまり拳銃を取り落した。

「いきなりじゃねえか、ご挨拶だな。ギャングってのはこれだからよ」

 ぎりぎりと音がする。骨が締め付けられる音が。まるで神経そのものを掴まれているみたいな痛み、リーシェンは声なき悲鳴を上げる。

「なあ、お前んとこに女がいるんだろ」

 男は何かを言うが、もはやリーシェンはそれに対して応える余裕はない。

「何とか言えよ、おい。このクソチビ」

 ただ、違う。こいつは少なくとも黄たちをやった奴ではない。そういう確信はあった。黄を貫いた奴は、技術で殺すというタイプ。しかしこいつは腕力でねじ伏せる輩、まったく殺しの種類が違う。

 複数だ、複数の奴らが狙っているのだ。この『OROCHI』を、雪久や彰、ユジンたちを--

「はっ、もういいや、お前」

 思考はここまでだった。

 男はリーシェンの頭を持ったまま、思い切り上に引き抜いた。首の腱が切れる音を聞いたのを最後に、リーシェンの意識は永遠に途絶えた。


 何度倒れてしまおうかと思ったことか。事実倒れても良かったのだ。もはや身体を支えることが難しくなってきているのだから。

 金はそれでも立っていた。

 折れた両腕はだらりと垂らし。地面につきそうなほどになっている。左足は浮かせ、ほとんど右の機械脚一本で身体を支えている。

 佐間吉之助は近づいてくる。灰色がかった袴には血が飛び散り、紺の地下足袋は黒く染まる。しかし、上半身には返り血はなく、上衣も乱れていない。悠然と構えもとらず、ただ歩いてくるのみ。

 しかしそれでも、慎重さを失わない歩だった。いとも簡単に間を詰めてしまえばいいものを、そうすることを躊躇っているかのようでもある。

 驚いている。そう見えた。この男は無表情ならがらに、不可解さをその表に宿しているようだった。驚き、あるいは辟易し、もしくは感心しているのかもしれない。鉄面皮な表情を崩さないまでも、ここまで食い下がる金に手を焼いているかのような戸惑いの色が見て取れる。

(見たかよ、小僧)

 声にならないので、心の内でつぶやいた。佐間を見てにやりとし、それを目の当たりにして佐間はますます怪訝そうな表情をする。

 金が飛び込んだ。

 ほとんど右足一本で跳躍ーー勢いのまま上段に蹴る。機械脚が佐間の顔面に伸びる。

 佐間、転身。身を返し、蹴りを避ける。

 機械脚が空を切る。

 佐間はそのまま回転。身を返す勢いのまま裏拳を放つ。金の胴に刺さる、たまらず金は身体を折る。

 だが倒れず。踏み堪え、左足で蹴りつけた。横蹴り。佐間の胴に伸びる。佐間は難なくそれを打ち払い、払いながら中段突き。金の水月に刺さった。 

 痛みがあった。痛みが臓物に響き、身体が倒れろ命じた。できれば金もそうしたかった。

 だがそんなわけにはいかない。

「はぁ!」

 前蹴り。機械脚が唸る。佐間は身を引く、佐間の眼前を通過する。

 金は蹴り足を変化。前蹴りを戻さずそのまま横蹴りに移行。今度こそ佐間の顔面を捉える。

 しかし、またも空振り。佐間は背を返すように避け、避ける体の勢いを使い後ろ回し蹴り。

 金の胸に刺さる。胸骨が砕ける音を聞く。

 思い切り飛び下がった。佐間の間合いの外側まで。佐間は追ってこない。様子をうかがうように構えを崩さずに立っている。

 倒れぬことを、訝しんでいるようだった。佐間は金が、意地でも倒れないことを理解しかねているのだろう。

 だがそんなこと、金にとっては特別なことではない。

(血を吐こうが、内臓潰れようが……)

 じり、と近づく。金はもう構えすらない、身をさらすように背を丸めている。

 佐間もまた近づく、半歩分。互いにわずかににじり寄るそれが、確実に死に近づく合図となる。

 倒れるわけがない。腕が無くとも最大の武器、まだ両の脚がある。脚が無くとも命はある。命を擲ってもなお、成海の南側を統べるものとしての矜持がある。そしていずれは南だけではない、この街を掌握するという意は、決して死なないのだ。

(機械が何だ、それがどうした)

 この街で、難民ではない生き方を選んだのならば、やるべきことは一つしかない。路上でくたばるのが嫌ならば、ここで成すべきは一つ。

 俺はまだやれる、やれるうちは死なない。倒れるわけがない。わけがないんだ!

「あああっ!」

 走った。頭から突っ込むように。

 飛び上がる、佐間、右脚を転回。回し蹴り。

 金もまた蹴り脚を振り上げる。機械脚。互いの右足が交錯。十字にかち合う。

 弾かれたのは佐間の方。一瞬だけバランスを崩した。

 すかさず金、機械脚をかい込み横蹴り。確実に佐間の胴を捉える。佐間の、細い骨格の感触を得る。

 佐間が初めて苦悶の表情を浮かべる。身を折り、たたらを踏む。

 蹴り上げた。

 機械脚ーー佐間の顔面を捉える。

 その蹴りが、佐間の身体を通り抜けた、かのように見えた。

 途端、背筋が粟立つ。後ろに気配を得る。 

 金の背後に、佐間が立っている。ちょうど死角となるところ、金の肩口。

 蹴りが通り抜けたと思ったのは、佐間が身を返し、瞬時に金の背後に回り込んだからだ。だからそんな錯覚を得たのだ。

 向き直る、まもなく。佐間の蹴りが炸裂。金の右腰、機械と生身の接合部に突き刺さった。

 めり、と骨の潰れる音がした。地下足袋の足刀が腰骨を踏み砕き、骨が肉を突き破るのを見た。関節付近の金属とバネが飛び出、股関節付近の赤黒い肉が露わになる。外れかかった右脚が急に重たい塊と感じられたとき。金は崩れ落ちていた。

 もう一度放つ必要はなかった。すでに支えを失った金の身体はなすすべなく路に崩れ落ち、その後は二度と立ち上がることはなかったのだから。

「この……」

 脚は見事なまでに砕けている。右足は股関節からほとんど外れているような状態。鉄の脚は、もはや鉄そのものでしかなく、金自身とつないでいた神経は断裂していた。

 佐間は金を見下ろしていた。金は後ずさろうとしたが、身体が動かない。だからせめて目だけはそらすことなく、金は佐間を睨み続けた。最後の瞬間までも、こいつを見続けてやる。身が砕けても、それでも俺は負けてはやらない。

「さっさと殺れよ」

 佐間は何一つ躊躇しなかった。左足をかい込み、金の顔面に強烈な一打を浴びせた。衝撃を味わい、首の骨が折れ砕ける音を聞き、そして次には目の前が暗くなった。

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