第十九章:8
「始まったようですね」
涼しげな声がそう告げた。麗花が振り向くと――振り向かずともわかっていたが――山高帽をかぶった伊達男が一人立っていた。
「いよいよ要を落としますか」
「ジョセフ、おとなしくしていろといったはず」
「もちろんおとなしくしていますよ。けれども見学するぐらいはかまわないでしょう、皇帝」
「ま、好きにするがいいさ」
皇帝はさして興味がなさそうだった。ジョセフがどうしようとも。それよりも今起きていることの方がよっぽど刺激的であるのだという風である。
「南の、『千里眼』のところに姉上を行かせたのですか」
「別に本当の姉でもないでしょう」
麗花はもう何かを言う気も失せた。
「しかし、肝心の『千里眼』は破壊されたのでは。そんな状態で奴ら、抵抗してくるでしょうか」
「それでも何をしてくるか分からないからね。アニエスでは役不足だろうが、万が一ということもある」
「そうかといって、西の方にはグループBから選んでおいて、南にグループAを配置するというのはどうなんだ」
皇帝の端末には、一人の巨漢が映し出されている――スキンヘッドの、浅黒い肌の男だ。厚手の迷彩服を着ているが、服の上からでも異常に発達した筋肉の具合が分かる。
「この彼よりは、私の方が戦力になると思うのですが?」
「あなたは謹慎中よ、ジョセフ・ブルーム。勝手な行動を取ったのだから、少しは反省してもらわなければ」
「ほう、まるで組織の長であるかのようなことをおっしゃる。我々は別に、あなたに忠誠を誓っているわけではないのですがね」
「そんなことは百も承知。けれども、彼らにはもうあなたの存在は知られている。少なくとも、あなたのステッキに対する術を整えてはいると考える方が自然でしょう。ならば」
「なるほど、対策を取られていない者を行かせる方がよいということか」
皇帝は一人納得したような風に言う。
「一見するとまともだな。しかし麗花、ならばこの男にはそれなりの価値はあるのか」
「火力をそろえてあるところならば、火力に特化した者を行かせる方が宜しいでしょう」
西の方に目を向ける。ここからでは、何の変哲もない光景だが、あの空の下ではどれほどの喧噪であるのか。
「少なくとも、あの本部を潰すほどの力はあるはずなので」
時を経ず、午後十時。
一人の男が西辺に降り立った。
最初にそれを見たのは『黄龍』の若い黒服だった。
私服兵が市街地で苦戦しているという報を受け、さらに黒服を何人か差し向けても、その得体の知れないものに押されているということを訊いてはいた。すでに多くの黒服たちは戦闘服に着替え、バートラッセルの元に走っている。
彼自身も黒服を脱ぎ戦闘服を着てはいたものの、彼の任務は本部の守りだった。
今夜はいつもと違う。そういう雰囲気は嫌でも伝わってきた。それはほかの黒服たちがそうしているから、ということだけではない。戦時には兵として、戦場に出ていた。その戦場の空気と、今夜の空気は同じである。
しかしその空気自体は、今までも何度もあったことだ。それこそヒューイの時、その前だってこの《西辺》では珍しくもないことだ。
だが、それにしても目の前の光景は異様だった。
「お前、『黄龍』か」
身の丈は、二メートルはゆうに越えているだろう。腕周りが女の胴ほどもありそうな、バカでかい筋肉の塊めいた男が立ちはだかっている。視界に収まりきらないような、異様な図体。人のものとは思えない金属めいた身体。
男は野太い声で、もう一度発する。
「『黄龍』だな、お前」
太い腕が手にするそれが、目の前に差しだされる。男が持っている砲身のような銃は、対物用ライフルだ。普通は装甲車やトラックを相手にするような代物である。人が一人で持つのもやっとな砲を、男は片手で軽々と持ち上げている。ライフルどころか、この男にとっては拳銃であるかのようだ。そいつを今、俺は突きつけられている。ぽっかりと暗い孔を見せつけられている。
「こ、この--」
彼が発した瞬間、暗い洞穴の奥で光が弾けた。
それが彼の見た最後の光景。次には砲身から吐き出された12・7ミリ弾が、彼の胸から上の部分を吹っ飛ばした。
「バートラッセルと連絡は?」
黒服たちが慌ただしく部屋に入ってくるのに、鉄鬼はすぐにそう訊いた。
「第四ブロックで、何者かと交戦していると。先ほどそういう連絡は受けたのだが」
「こちらには何とも。連絡は途絶えたままです」
年若い男がそう答える。普段身にまとっている背広は脱ぎ捨て、今は黒に近い緑の戦闘服を着込み、防弾ベストを着用している。手には小銃。黒服が黒服を脱ぐときなど滅多になく、それ以外のもの、たとえば軍服を着るときはそれすなわち緊急事態ということだ。
「一個小隊では足りない、ということで援軍を差し向けたのだがな」
バートラッセルからは、何の音沙汰もない。ということは、それはもう絶望的といっていいかもしれない。敵を排除出来ていれば、あの律儀な男はすぐに連絡を寄越すはずだから。
鉄鬼自身、援護に向かってやってもいいのだが、それも出来なくなった。鉄鬼は壁にかかっているショットガンを取り、ポンプを一回引く。旧型だが、個人的には一番扱いやすいベネリM3だ。
「それで、こっちの敵は?」
「今は本部から5キロ地点です。が、徐々に押されていて……」
「敵は一人なんだろう」
「それはそうですが。一人の意味合いが違います」
「なるほどな」
ショットガンに散弾が装填される。それで通じるかどうかは、心許ないが。
「武装は」
「対物ライフルをひとつ。あとは奴自身の肉体といったところでしょうか」
「そいつは規格外だな」
ショットシェルの帯を体に巻き付け、鉄鬼は部屋を出る。黒服もそれに続いた。
「それと、レイチェル大人はどこに?」
「いまは南との境、第六ブロックに」
「そうか。ならばこのこと、レイチェル大人の耳には決して入れるな。第六ブロックの連中にはそのまま待機し、たとえあの方が動こうとしてもかならず阻止するように伝えておけ」
「し、しかしあの方のことですから、何があっても駆けつけるのでは。それに、あの方を押さえつけようなんて」
「ならば駆けつけられる前に始末するしかないだろう」
鉄鬼は歩きながら、シェルを詰める。通常の散弾ではない、猛獣を仕留めるためのスラッグ弾だ。
「たとえ敵が機械だろうとな」
轟音がした。
砲声が空気を揺るがし、その振動が耳に届く頃には、車が一つ吹っ飛ぶところだった。粉塵をあげ、煙を上げ、車の屋根が反り返り、車体がばらばらばらに砕け散る。車の陰にいた黒服兵ごと吹き飛ばす。
次弾。対物ライフルから大口径の弾丸が吐き出される。重たい塊が地面に突き刺さり、黒服二人の体を貫く。きっちり上半身と下半身を分けて兵が吹っ飛び、貫通した銃弾はアスファルトをめくりあげた。
「これはまた随分と」
鉄鬼はビルの陰に潜みながら様子をうかがう。数キロ離れた場所にいる、その機械を見た。
報告通り、大口径のライフルを片手で操っている。目測では身の丈は2メートル以上はある。体格は鉄鬼と良い勝負だ。だが鉄鬼にバレットを片手で振り回してぶっ放すなんて芸当は出来ない。
男の行く手には何台か車が停められている。バリケード代わりに黒服たちが集めたものだ。それらを盾にして男に一斉射撃を加える、今は軍服を着込んでいる黒服たち。
だが。男にはそれが通じていないようだ。射撃は、確かに男に注がれている。男はそれらを、ものともせず避けるそぶりもしないで、銃撃を受けたまま進んでくるのだ。銃弾を受けてもかすり傷一つ負わない。
男がライフルを向けた。
号砲。バレットが火を噴く。正面の車が吹っ飛び、爆炎をあげた。炎に混じって、兵たちの千切れた手足が舞い上がる。
二度、三度と、男は銃撃。目の前の車を次々と吹っ飛ばしてゆく。黒服たちの体は紙切れのように舞い上がり、肉塊と化してゆく。その肉片が、こちらの方まで飛んでくる。
「あいつは今までに何発撃った」
死んだものを哀れむのは一番後だ。鉄鬼は隣の黒服に聞いた。
「もう五発は撃ったでしょうね」
若いこの黒服は青ざめた顔をして言う。こうした光景に、慣れていないということはないだろうが。それでも異様に映るのだろうか。
一瞬、空気が鋭く波打った。
次に、爆音。すぐ傍で。鉄鬼たちの脇を通過した銃弾がビルの正面ゲートを吹っ飛ばした。ちょうど入り口に潜んでいた黒服が巻き添えを食らう。上半身が千切れ、腰から下の部分だけがその場に残った。
「弾倉は換えたのか」
「換えたようには見えませんでしたが」
「ならば、あと五発ほどか」
鉄鬼は男の方を見据えてひとりごちる。バレットライフルの装弾は十発、薬室に弾を込めていたとしたら全部で十一発撃つことが出来る。今、六発目を撃ったのだから、あと五発で一度換えるはずだ。
「兵を引かせろ。例のものは準備できているか」
「何とか。弾は一発しかないのですが」
「十分だ」
鉄鬼はショットガンを担ぎ上げた。
「奴がリロードするタイミングで、合図する。合図したら、先に伝えた通りにしろ」
「承知。しかし鉄鬼大人、それではあなたがあまりに危険では」
「危険など」
轟、と頭上を通過した。重い塊がビルに飛び込む。中にいた黒服たちの身体を貫き、肉片と化した身体が飛び散る。
「危険など承知の上だ。奴のあれを止めないことにはどうしようもないだろう」
今撃ったのだから、残りは四発だ。鉄鬼は身を屈め、ビルの壁づたいに移動を始めた。
男との距離は、二キロほどに迫っている。遠いようで近い距離だ。間にはバリケード代わりの車が何台か停まっている。
そのうち一つ、陰に飛び込み様子をうかがう。
砲声がした。男が撃った弾が、手近な車を吹っ飛ばした。陰に潜んでいた黒服二人が爆風に飲まれた。
(車ごと撃たれたりしたら--)
黒服たちが徐々に撤退している。しかし、男がそれを許すことはなく、退く一団にむけて発砲。三、四人ほどまた吹っ飛んだ。
(三発)
遠方から黒服たちが応戦する。軽機関銃の速射を浴びせるが、男はものともしない。銃弾は確かに男に当たっているのだ。しかし、それだけでかすり傷すら負わせることがない。
また砲撃。バレットを撃つ。ビルの壁に着弾し、壁が崩れる。
(二発)
鉄鬼はもう少しだけにじり寄る。車から車に、身を低く保ちながら移動する。自らの巨体を小さくまとめるようにして。
男は悠々と歩いてくる。黒服たちはまだ銃撃を加えている。男は忌々しげにもう一度発砲する。
(あと一)
知らず、ショットガンを握る手に力がこもる。チャンスは一度だ。一度で決めなければならない。
どうと腹に響く音がした。
男が最後の一発を撃ったのだと、確認した。
「今!」
インカムに向かって怒鳴る。
それと同時。ビルの方から一つ、黒い物体が投げ込まれた。それは男の足下に届き、届くと同時に炸裂。まばゆい光を放つ。
男が一瞬、狼狽するように後ずさる。
それを確認し、鉄鬼は飛び出した。男の右方、車の陰から。
男がこちらに気づく。ライフルの弾倉を換えようとする。
鉄鬼、ショットガンを撃った。スラッグ弾が吐き出され、男が持つライフルそのものを狙い撃つ。塊の弾丸が長い銃身を拉ぎ、砕け散る。
すかさず次弾。今度は男の顔面めがけて。スラッグ弾が男の頭に突き立つのに、男がのけぞった。
連続撃つ、二度、三度と。男の身体に次々と弾がめり込む。男が二歩、三歩後ずさる。それでも膝は決して折らない。
ショットガンがやがて弾切れを告げる。鉄鬼は次のシェルを詰め込もうとした。
そのとき、男は巨体に似合わぬ俊敏な動きでつっこんできた。
男の肩が、胴に当たる。鉄鬼はこらえようにも、こらえきれず、吹っ飛ばされた。後方三メートルほども飛ばされる。
立ち上がりショットガンを構える。が、銃身は今の衝撃で半ばからひん曲がってしまっていた。これでは使い物にならないーー
「人が気持ちよくしてるってのに、何をうるさい蠅がよ」
男が発した。英語だが、やたらと訛りのある英語だ。濁声のひどい発音だった。
「おまけにこいつ。こういう銃ってのは高いもんだぜ。銃まで支給されるわけじゃなくて、これは自腹だったってのによ。どうしてくれるんだ、もう使えねえじゃねえかよ」
そういってバレットライフルを投げ捨てる。スラッグ弾を打ち込まれた銃身は、さすがに原型をとどめていなく砕けてしまっている。だというのに、一番多く打ち込んだはずの男の身体には傷らしい傷一つない。
「あんた、東の者か」
「だったら何だってんだ? お前、確か黄龍の二番手だったな。レイチェル・リーはどこにいる」
「答えると思ってか」
後ろで黒服たちが集まってくるのが分かった。鉄鬼は右手で制し、それ以上近づかないようにと暗に告げた。どうせこの男には火器は効かない。
「無理矢理口を割るって方法も、ないわけじゃないんだが?」
男が拳を作る。その拳を前に。ボクシングスタイルをとった。
鉄鬼は低く腰を落とす。組み付く体勢だ。これがどれほど有効か分からないが。
男が動いた。軽くステップを踏みながら、巨体が迫ってくる。
鉄鬼は脚に力をこめた。一気に、飛び込む。山が二つ、ぶつかり合った。