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監獄街  作者: 俊衛門
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第十九章:7

 どこか騒がしい夜だ、と思った。

 根拠などはないのだが、いつもと違う気配がした。腹の奥底がざわつくというか、何か肌に感じる風すらもちくちくと刺激してくる。どこか落ち着かない、じっとしていられない。それは今までだってそう感じたことは幾度もあったが、今夜はより真に迫っている感じがする。

 だからというわけではないが、黄はいつもよりも気が立っていた。いつもは適当にすませる歩哨も、今日だけは気を入れていた。

 アジトの見張りは、地下経路への入り口付近で行う。彰が急遽、廃墟跡にこの監視場を設け、黄はそこに立っている。入り口のあるビルの、2階と3階部分に、組員を常駐させるというもので、その歩哨は当番制であった。

 黄は今日がその当番だったのだ。

「異常はねえか、そっち」

 無線で連絡を取ると、ビルの外にいる、もう一人の歩哨の声が聞こえる。

「別に何もないけど――どうしたんだ、黄。10分おきに連絡なんてせんでも」

「いいから、何か違和感あればすぐに言えよ。野良猫一匹だって、報告するんだ」

「やけに気合い入ってんのな」

 今日の相棒は、つい最近加入したばかりの、ウイグル難民の少年だ。リーシェンとそう歳は変わらなかったはずである。銃もろくに撃てない、武術の心得など当然無い。しかし、所詮は難民、行き場などなければギャングになるしかない。こういう新参者も、いつのまにか増えていたりするものだ。

「見張りってのは、気を入れてやるもんだ。いいからちゃんと見てろ」

 自分の普段の行いを棚に上げて、黄はそう言った。通信を切って、がらにもなくAK小銃の弾倉を確認したり、ハンマーの作動確認をする。

 そうして外を見た。

 相変わらず夜の時間は人通りが少ない。それはいつものことではあるが、ここ最近の通り魔があってからさらにその傾向は強くなってきている。得体の知れない連中が、夜な夜な人を狩っているとなれば、身を守る術のない難民が出歩こうなどとは思わないだろう。

 だから今夜は、いつもと同じ静かな夜だ。だとすればこの胸騒ぎは何なのか。

 と、そのとき無線機から声がした。

「黄? なんか妙な奴が近づいてくる」

 小声で少年が話す。黄は反射的に時計を見た。十一時、そんな時間に誰が出歩こうというのか。

「そっちに行く」

 黄はそれだけ言って、ビルの階段を駆け下りた。あくまでも静かに、警戒しながらではあるが、外に出る。

 すぐに悲鳴が上がった。

 黄から二十メートルほど離れたところに人影を認める。小柄な、華奢な影が佇んでいるのが見える。髪の長い、女のようである。

 それに折り重なるように、もう一つの影。女にもたれかかったその影は、やがてゆっくりと崩れ落ちる。そのくずおれた方の影が、見張りの少年だと気づくのにさほど時間はかからなかった。

 女の手には刃が握られている。やけに細長い刃だ。剣といって差し支えは無いだろうが、その剣身は針のように細い。その剣から血がしたたり落ちている。

 女は少年の躯を見下ろし、続いて黄の方をみる。その両目が、猫のように赤い輝きを帯びている。

 撃った。黄はAK小銃を向け十連射ほど浴びせた。

 女の姿が見えなくなる。黄が放った銃弾が後ろのビル壁に突き刺さる。

 瞬間、背中に熱を感じた。

 熱は痛みに変わり、痛みは全身に広がった。黄が振り向くと、いつの間にか女が黄の背後に立っている。

 振り向く間もなかった。

 背中に熱が走った。灼熱感。それが背中と腹、同時に駆け抜けた。見れば背から腹、胴体を細長い剣身が貫いている。まるで現実味のない光景。

 その剣が引き抜かれる。

 銃を向けようとしたが、それも出来ず黄は崩れ落ちた。自分の体を保つことが出来ず、地面に倒れ伏した。

 銃を拾おうと手を伸ばした。

 その腕に、また細剣の刺突。今度は黄の肩から腋にかけて貫く。

 神経ごと焼き切るような痛み。それとともに腕が一切上がらなくなる。さらに背中と左腕を刺される。

 黄は力を振り絞り、懐の携帯電話に手を伸ばす。指先がボタンに触れる――何とか押す。しかしそれまでだった。

 すぐに目の前が暗くなっていった。




「黄から連絡が入った」

 イ・ヨウが扉を開けるなり言った。

 彰ははずみで立ち上がり、そのまま机の上に目をやる。整備途中で半ば分解されたグロック拳銃の部品が広がっている。

「何か言ってたか」

 黄は地上の見張りに立たせてある。そこから連絡が入ったということは、何か異常を察知してのことだ。

「何も。声だけは聞こえた。争った音も」

「そうか――」

 それ以上、彰は聞かない。もし襲撃を受けたら、最低限電話の通話ボタンは押すようにとは言ってある。物をしゃべることができなかったのならば、それはすでに襲撃を受けた後。そしておそらく、それが精一杯だった。そういうことなのだ。

「今、誰がいる」

 彰は素早く部品をかき集め、組み立ててゆく。焦ることなく、一つずつ確実に組むが、それでも逸る気は押さえられない。

「雪久は奥に。ユジンは外。韓留賢はわからない」

「雪久に知らせろ。ユジンと韓留賢に、すぐに戻るようにと。今残っている連中はすぐに集めて、銃を配備しろ」

「わかった」

 イ・ヨウはすでに小銃を手にしている。台湾製のコピーAKに銃剣を取り付け、ベルトにリボルヴァーを手挟み、左腰には手斧を吊っている。いつでも交戦できるという格好だ。

「それと、舞は」

 イ・ヨウが出て行こうとしたところに彰は聞いた。もどかしそうに振り向き、ほとんど叫ぶように答える。

「部屋にいるんじゃねえの、それがどうした」

「ならば舞に、絶対に外に出ないようにと伝えておいてくれ」

 彰は銃をすべて組み終えた。最後にスライドを引く。

「兵はどれぐらいだ?」

「ざっと4、50ほどだろうかな」

「ならばそれを全部、補給路に集めろ。その機械が入ってくる前に、全部の火力をぶつける。少しでも足止めするんだ。前線の指揮はお前に任せる、行け!」

 イ・ヨウはうなずくとそのまま駆けていった。

 彰は携帯電話を手にした。ユジンが駆けつけてきたところでどれほど対抗出来るわからないが、とにかく戦力は少しでも欲しい。

 電話をかける。が、いつまで経っても出ない。舌打ちしながら彰は、金に電話をかけた。同じ南辺ならば、駆けつけるのも早いはず、癪だがここは遊撃隊の援護を借りなければならない。

 しかしどういうことか、金にもかからなかった。何度コールを鳴らしても、出る気配がない。

 彰は携帯電話をベッドの上に放り投げた。

「こんな時に」

 一人毒づいたが、しかし次には嫌な予感がよぎる。上で何かがあったということは、金のところにももしかしたら何かがあったのかもしれない。

 静かな夜だ。しかし、騒がしい。こういう夜は何かが起きる。



 電話が鳴っているのには気づいていた。

「マフィア連中が動いているらしいってのは、聞いてたけどよお」

 だが電話に出るような余裕はない。目の前の男は、ただそこにいるだけで潰されそうな圧力を放っている。身長は自分よりも頭二つ分ほどは小さいだろうに。

 金は改めて問う。

「お前がここの頭か」

 男、というよりも声の調子だけならば少年のようである。編み笠で顔は見えないが、まだ大分若い。

「ずいぶんとすんなり入ってきたな、ここまで。護衛はどうしたんだ」

「あまり使えない護衛ならば、人形でも置いておいたらどうだ。準備運動にもならない」

 男の着物には、ところどころ血の痕が付いている。細身の袴を穿き、藍染の筒袖を身にまとい、足元は地下足袋といかにもこの街には不釣り合いな姿だ。こんな目立つ格好で道を歩いていれば、アジトにたどり着く前に誰かが的にかけてくるだろう。もし、アジトに近づくものがあれば、遊撃隊が気づくはず。ましてやここ--地下にまで降りようとすれば、排除されることは必至だ。

 だがそれをさせなかった。今こうして、地下のアジトにやすやすと入り込み、金と対峙している。ここまでの障害など、障害ではなかったのだ、この男にとっては。

 何故それが出来たのか、という疑問は不要。こいつが、この男が一人で遊撃隊も何も蹴散らし、侵入して今まさにここにいる。その事実のみが肝要である。

 男が編み笠を脱いだ。端正な顔立ちだ。やはり少年のように、線が細い。目つきはやたらと鋭く、その両眼だけみれば歴戦の猛者を思わせる。

「佐間吉之助」

「あ?」

「これから死ぬのだ、誰に屠られるのかぐらい知っておいた方がいいだろう」

「は、それはご丁寧に。お前が死んだら、じゃあ墓標に刻んでやるよ!」

 間を置かなかった。

 金は素早く腰からナイフを抜き、投げつけた。

 刃が佐間に届く。佐間が身をそらして避けた。

 しかしそれは囮。

「はっ!」

 間を詰める、と同時に金、右の蹴りを浴びせた。鉄の脚による回し蹴りが、佐間の側頭部を捉える。

 だがその蹴りは空を切った。

 上を見た。佐間の体は空中にあった。金の蹴りを飛び越え、ほとんど頭上を飛び越えるような高さまで跳躍している。宙にある佐間と目が合う。

 一瞬の止揚、後。佐間が空中で蹴りを放つ。金が後退するに、鼻先を足袋のつま先が通過する。

 二連。空中で佐間は、さらにもう一回転しながら蹴る。跳びながらの後ろ蹴りを、金は下がりながら避ける。

 佐間が着地。それと同時に金が蹴り込んだ。

 前蹴り。右の機械脚が槍のごとく突き出される。

 佐間が横に逃げるのに、金は蹴った足を戻さず回し蹴りに変化。佐間の顔面を打つ。

 しかし、空振り。佐間の姿が消えていた。

「それが精一杯か」

 声。今度は下から。佐間は地面に伏せるかのごとく、身を屈めている。

 蹴り一閃。佐間の低い横蹴りが金の軸足を払う。強烈な左の蹴りで金の足は払われ、金は転倒させられる。

 そこに、迫る。佐間の踏みつけ足。

 あわてて飛び起きる。コンマ何秒か遅れて佐間の踏みつけが地面を叩いた。

 金は後ずさり、入り口まで走る。階段を昇り、地上のカモフラージュの酒場に出た。

 店には遊撃隊の死体が転がっていた。すべて一撃の下にしとめられている。クロスボウを構えることも出来ずに蹴り殺されたのだろう。

 後ろから足音が迫ってくる。金は店を出た。

 路上に出ると、目の前がいきなり白くなった。 雪。外の景色は一変していた。路上も、背景も雪で覆われ、軽く吹き荒れている。

「逃げきれると思ってか」

 背後で声がする。佐間吉之助はまるで気負いもなく、そこに立っていた。外の景色がどうなろうと、全く関心はないようである。

「参る」

 そう、佐間が言った。次の瞬間、跳躍した。

 五歩の距離を一つ跳びで縮める。跳びながら佐間が蹴りを放った。

 跳び回し蹴りが金の眼前で弾ける。金は寸でのところで避ける。身を反らし、反らした勢いのまま右足を蹴り上げた。

 機械脚のつま先が佐間の額をかすめた。黒っぽい血が筋を引き、飛び散る。

 しかし佐間は下がらない。飛び込み、身を回転させ後ろ蹴りを放つ。ちょうど踏み込もうとした金の鼻先をかすめた。

 金が下がる。距離を取る。

 佐間は何でもない風にすたすたと歩いてくる。間合いを詰めることは何の苦でもないというように。間を詰められれば、必然金も動かざるをえない。

 動いた。

 踏み込むと同時、前蹴りを打つ。佐間がかわすとその蹴りを回し蹴りに変化させる。機械脚が三日月状に空間を薙いだ。

 瞬間、佐間が身を翻した。

 くるりと体を返して金の蹴りを避け、金の四角に潜り込む。金が振り返ったその瞬間、すさまじい衝撃を肩に受けた。

 ひしぐ音を聞いた。それが自分の骨から発せられていることは重々承知していた。すさまじい痛みを感じたが、それを上回る重圧がすぐそこまで迫っている。

「はっ」

 佐間が気勢を発した。身を回転させながら蹴りを打つ。佐間の踵の先が金の顔面に伸びる。

 金は身を屈め、屈めるとともに低空の蹴りを打った。佐間の足を払う。

 しかし、手応えはなく。佐間の姿は空中にあった。金の頭上を飛び越える。

 着地。すぐに佐間が間を詰めた。

 蹴り。双方に。金の機械脚と佐間の左脚が交錯。

 果たして金の蹴りが弾かれる。

 バランスを崩した金に、佐間が詰め寄った。

 右拳が突き出された。

 勢いづいた佐間の中段突きが金の胴に刺さる。骨を砕く衝動。肺腑がせり上がる心地がして、体内の空気が絞り出される。

 たまらず体を折った金に、さらに佐間が追い打ちをかける。次は左拳。

 右脚を跳ね上げる。金はほとんどやけっぱちな風に蹴りあげた。佐間が一瞬ひるんだ、その隙に飛び起き間を取った。

「ちょこまかとくそったれ」

 腹を押さえながら金は息を吐いた。今の一撃で肋骨が折れたようだった。打たれた肩も上がらない。当たり前だが、一撃の威力が違いすぎる。

 佐間はやはり悠然と間を詰めてくる。

 走る。なりふり構わずに逃げるが、佐間はすぐに間を詰めてくる。走るというよりも滑り寄るような歩でもって、佐間は追いついてきた。

 何かにつまづいた。金の足下、遊撃隊の隊士の躯が転がっている。手にはクロスボウ。固く握りしめた拳をほどき、クロスボウを奪い取って撃った。一射目が外れると二射三射と矢をつがえて撃つ。佐間はそれらを最小限の動きで避ける。

 矢が尽きた。

 同時に佐間が迫る。

 蹴り一閃。廻し蹴りが炸裂。咄嗟にクロスボウの本体を盾にして防いだ。地下足袋の先が金属の弓にめり込み、砕け散る。

 金はすぐさま脚を振り上げる。機械脚が半月状の軌道を描き佐間の首を刈る――佐間は難なく避ける。

 しかし、金は脚を下ろさず、そのまま振り上げる。

 振り下ろした。直上より最速の踵落としネリチャギを見舞う。豪速の脚が、佐間の脳天に降りかかった。

「はあああああっ!」

 瞬間、手応え。鉄と鉄がかみ合う音。

 機械の踵が佐間の肩を打った。一瞬だけ佐間の体が傾ぐ。その一瞬で十分だった。

 横蹴り。金は機械脚を佐間の顔面に叩きつけた。

 鉄のつま先が佐間の頬を打った、かのように見えた。

 しかしその時、佐間の姿がまた消えた。

 上、ではない。今度は下。佐間は四つん這いに近い格好で屈み込み、蹴りを避けている。その伏せた状態から佐間が蹴り返してきた。

 左。佐間の低空の蹴りが金の下腹に刺さる。たまらず金はバランスを崩す。

 崩れたところに佐間、立ち上がり前蹴り。

 鋭い音を聞く。佐間の蹴りが耳元をかすめる。同時に頬に痛み。焼けたコテでも押しつけられたような灼熱感。

 距離を取る。金はほとんど足下もおぼつかない。佐間はすぐに間を詰めてくるが、金は何とか間合いの外から逃げ出した。

 頬に手をやる--血。それとともに何かねとりとしたものが指に絡む。すぐそばには金のものとおぼしき、皮膚の一部が転がっていた。髭の一部がこびりついた皮一枚が雪の上にこびりつき、べっとりとした感触が白い路を汚している。

(くそったれ……)

 何一つ通用しない。これではいくら攻めたところで意味がないじゃないか。何が機械の脚だ、こういうところで役に立たなきゃしょうがないだろうに。

(くそったれくそったれくそったれ!)

 佐間がゆらりと動く。金は反射的に構えを取る。

 また近づいてくる。佐間はまるで変わる風でない。こちらにはもう抵抗する力がほとんど残っていないというのに。

 それでも金は抵抗する。機械脚を渾身蹴り上げた。

 佐間が身体を転回させた。それにより、金の蹴りは流れ、佐間の額をかすめる。すぐさま金は体を入れ替え左で蹴る。佐間は体をねじってぎりぎりの距離で金の蹴りを見切り、かわす。

 身を回転。一瞬だけ佐間が背中を見せた、と次には蹴りが飛んでくる。金がかわすのへ、続けざま裏拳が飛んできた。

 拳は金の鼻をかすめる。もぎとられたかのような衝撃、血が吹き出す。佐間は体をねじり、身を伏せさせながら低空の蹴りを繰り出す。金の腰の穿つ。

 金が体を折り曲げる。

 佐間が迫ってくる。もはや立ち向かう気力もない。

 それでもと、金は構えた。

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