第十九章:4
右から切り込む、長尺の斧。
ぎりぎりでかわす。省吾の首筋を戦斧の切っ先がなぞる。薄く傷が刻まれる、皮一枚。
思い切り下がる。戦斧の間合いから逃れる。
だが、思いの外足が動かない。右足がもつれるようだった。重い義足を引きずりながらでは、思ったような動きがとれない。必然、動きが鈍くなる。
女が間合いを詰めた。
刺突。ハルバードが猛然と突き込まれる。
そのとき横から影が割り込む。割り込みながら戦斧の先を弾き飛ばす。女がひるんだ、その隙に後退した。
省吾は一瞬だけ燕の方を見た。その顔はこわばり、大量の脂汗をかいている。それは省吾も同じことだった。背中が、冷たい。
女が踏み込んだ。
横薙に切り払う。戦斧がうなりをあげた。
二人して後退。戦斧が空振りした、その瞬間。省吾のが踏み込んだ。長柄の間、その懐。
「ていっ!」
長脇差で切りつける。右手一本で、袈裟切りに斬る。
かんっ、と小気味良い音。女は省吾の打ち込みを難なく防いだ。それも長柄ではない、戦斧の刃で。
全身が総毛立つ。こいつのハルバードは麗花の薙刀と同じなのだ。長柄が伸縮し、手斧としても使うことができる--
「はっ!」
女が払った。
斧の先が省吾の額を斬る。浅い。肉は斬られども、骨まで達してはいない。
女の後ろに燕が迫る。鉄パイプを渾身叩きつける。女は振り向くことなくそれを受ける。
再び袈裟切り。省吾が切りつけるそれを、女は斧の先で受け流した。燕は燕で鉄パイプを旋回させ、打ち付ける。省吾と燕、二人がかりで攻撃を仕掛けるも、女は片手で全ての攻撃を受け流し、弾き、いなしては受け止める。まるで防御も片手間であるかのように、女は軽くやってのける。
不意に、女は長柄を伸ばした。
旋回。ハルバードを横に薙ぐ。
省吾と燕、二人同時に飛び下がる。そのまま長柄の間の外へ。
「んー、ちょっと期待はずれ? 南辺でかなり鳴らしてたって聞いたのに、これじゃここに転がっている奴らに、ちょっと毛が生えた程度ね」
余裕のある奴ほど、余計な口を叩くもの。特に機械という奴はそうだ。戦っている最中にべらべらとくっちゃべりやがる。
とはいえ、今の省吾にそれを指摘する余裕は無かった。すでに息が切れている。
「あーあ、こんなんじゃ南に行った連中もすぐに終わっちゃうんだろうね。所詮、ギャングはギャングってこと? やんなっちゃう」
そういった、次の瞬間。女が突っ込んだ。
刺突。
分厚い刃が迫る。寸でのところ、燕は鉄パイプで防いだ。
しかし、勢いは殺せず。燕の体が吹っ飛ばされた。三メートルほども飛び、あえなく地面に叩きつけられる。
すぐに省吾が助け起こす。
「燕よ、ちょっと聞いてもいいか」
女が間を詰めた。もう一歩でハルバードの間合いである。
「あいつ、一人で相手できるか?」
「何言ってんだよ、無理だよ」
そうだよな、と言い掛けたとき、女が踏み込んだ。切り下ろされた戦斧を、二人は左右に飛んで避ける。
続けざま切り払う。ハルバードの切っ先が省吾の方に向いた。二連、三連と薙払う刃を、省吾はただ右に左にと身をねじり、後退しながら避けるより他無い。
ふとバランスを崩した。
右足。雪で足を取られる。義足が地面を捉え損ね、あっけなく省吾はその場に崩れ落ちる。
(しまった――)
立ち上がろうとしたとき、眼前に戦斧が迫る。切っ先が省吾の顔面に届く。
突如として目の前が白くなった。目映い光が視界一杯に弾け、遅れて白煙が爆ぜた。一瞬のうちに視界を奪われた省吾の襟首をつかむものがいた。
「こっち!」
燕は省吾を引っぱるのに、省吾はほとんど引きずられるように従う。女のいる場所からだいぶ離れた、倉庫の中まで引っ張られた。
「あんま使いたくないんだよ、閃光弾。貴重だから」
と、燕は黒い鉄球を持って言う。彰が作ったものではない、どうやらちゃんとした閃光弾のようである。
「ぼーっとしてんなよ、省吾。そんなにあいつらが気になるのか」
「いや、大丈夫だ」
省吾は構えを取り直した。
倉庫の外に、女の姿が。閃光弾の煙が晴れ、女がハルバードをこちらに向けるのが見えた。
燕はひとつ、ため息をついた。
「わーったよ、行けよ、省吾」
「え?」
「だから、さっさと行っちまえってんだ。気になるんだったらよ」
「しかし」
躊躇の言葉を口にしかけるも、燕はほとんど悲鳴に近い声でそれを打ち消した。
「うるっせえ。どうせそんな上の空じゃ、足手まといだ。ぶっ殺されるのがオチだ。だったらよ」
女がハルバードを腰の位置につけて、こちらに歩いてくる。間合いに入ればそのまま刺突出来るという風だ。
「だって、お前一人であいつ相手出来るのか?」
「出来るかって? 出来ねえよ! でも今のお前じゃ一人で相手してんのも同じだよ、まったく!」
燕が顎でしゃくった。倉庫の裏口側を示している。今のうちに行けということか。
「すまない」
省吾は踵を返して走った。
省吾が出て行ったのと同じぐらいのタイミングで、女が倉庫に入ってきた。
「あら。あの傷の坊やは?」
「お前なんざ」
鉄パイプを構え直す。槍と同じく、刺突の体をとった。体も低く取る。
「俺一人で十分だ」
「声、震えてるわよ? 無理しなくてもいいんじゃない?」
「うるさい」
間合い。両者の間が縮まった。
踏み込んだのは女の方。ハルバードを突き刺す。
燕が突き出す、鉄パイプと交錯する。鉄同士が擦れて火花が散る。互いに互いの切っ先を逸らし合い、燕の耳元を戦斧がかすめる。
体を入れ替え、横薙に払う。鉄パイプで女の横面を打ち込んだ。
衝撃。鉄パイプの打撃は、ハルバードの長柄に阻まれる。そのまま女は手中で長柄を滑らせ、刺突。まっすぐ燕の喉元に伸びる。
すぐに離れ、燕は刺突を免れる。そのまま思い切り後ろに下がり、十分な距離を取った。
「ふーん、まあ私はいいけどね? 結構、顔は好みだから、あなた。刻んじゃう前に楽しいことする?」
眼鏡のフレームを押し上げて、女は誘うような目を見せる。それは男を魅了するに足る、蠱惑的なものではあるが――
「女には、苦労しているものでね」
あいにく、今の燕にはひどく恐ろしいものにしか写らない。背筋が凍り付き、腹の底に溜まった重苦しいものをこらえるのに必死だった。
大体が、いつもそうだ。あの夜から、人生を狂わされたのは男じゃなく女の方だったのだ。毛も生えきらないガキにはめられ、男みたいな女にぶん殴られ、それが元で追放され、その後は変な女に拉致されて、さんざん女を抱いたはいいが、その後は省吾にのされた。ハンドラーも女、そいつについて行ったが為に、今また変な女が俺の前に立ちはだかって、たぶん今度こそ殺される。俺の人生、女のせいで狂いっぱなしじゃないか。
「畜生、ろくでもねえ。ろくでもねえよ、女なんて大嫌いだ!」
両者が同時に動いた。戦斧と鉄パイプが再び混じり合った。
横薙に払う刃は、鈍い鉄の色を成す。
諸刃が迫る――うなる鉄がハンドラーの首元に届く。
かわす――五分の見切り。首の皮一枚を切り、ロングソードが空振りする。
剣を旋回、男が敢然と突っ込む。斜めに切り上げた。一歩下がり、ハンドラーは間合いの外に逃げる。ロングソードの先端がハンドラーの前髪を散らした。
突っ込んだ。男が踏み込み、両断に切り込む。ハンドラーが避けるやいなや、それを横薙に変化させた。
首を飛ばす、よりも女は懐に潜り込む。ロングソードを持つ、男の手元向けて切り込んだ。
がつん、という手応え。男の、鉄の籠手に食い込んだ。
すかさず男が身を寄せる。ハンドラーの喉の剣の柄を押し当て、そのまま足をかけて転倒させた。
ハンドラーが倒れた、ところに剣。直下に向けて切り下ろす。寸でのところでハンドラー、立ち上がる。剣先が堅い甲板にめり込む。
飛下がった。間合いを切り、そのままハンドラーはコンテナの裏側に回る。船の上に偽装用としていくつも積み込まれた空のコンテナ。まさかこんなところで役に立とうとは。
女は刀を霞に構えた。
そうして刃を見る。銘は長光、二尺三寸の三式軍刀は堅牢この上ないのだが、今は刃先にわずかな刃こぼれを生じさせている。籠手を切ったときに出来たものだ。この程度の刃こぼれならば斬撃には影響はないだろうが。
(動き回らなければ、こちらの不利か)
もし、刃を受けようものならば、刀ごとこちらの身を斬られるだろう。それほどの勢いがあった。迂闊に踏み込めばそれこそ、すべてを持っていかれそうな剣の重みが。
上から殺気。すかさず飛び退く。
影が降り立つ。同時に剣檄。ロングソードが縦一文字に切り開いた。
ハンドラーは軍刀を水平に保持。そのまま刺突。男の首を狙う。
突き込んだ。
剣と刀が重なる。ハンドラーの刺突を、男は剣の腹で受け流す。バランスを崩した、ハンドラーに向けて切り込んだ。
横斬り。真一文字の斬撃。
ハンドラーが跳び下がる。ロングソードの一撃を危うくかわす。胸元を切っ先がかすめ、わずかに衣服を切る。
さらに連続。ロングソードを斜めに切り込んだ。手首で旋回し、風車のごとくに長い剣身が舞う。切り込まれるその都度、剣先を見切り、かわし、後退するハンドラー。ロングソードが周りのコンテナを切り刻む。分厚い鉄の外壁が、まるで紙であるかのように斬られてゆくのだ。
「逃げたところでつまらんぞ、ハンドラー」
男が追いつめる。女はただ下がる。それもいよいよ限界が来た。壁際まで追いやられ、ハンドラーはいよいよ逃げ場を失う。
「俺をやるなら、かかって来い。それとも、下知を飛ばすばっかりで、戦いは苦手か? ハンドラー」
言いながら男が切り込んだ。
同時にハンドラー、踏み込んだ。
剣の打ち込みに対して真っ向挑むかのように。踏み込みながら体を開いて男の側面に滑り込む。
剣が空を切る。
男の肩口に入り身で入る。男の死角にハンドラーは潜り込んだ。相手からは遠い、自分にとって近い間合いに。
切り込んだ。長光を袈裟に。肉厚の刀身が男の首を刈った。
手応え。刀が男の首に食い込む。
だが、浅い。肉を斬ったものの、骨まで達していない。わずかに皮一枚切っただけだった。渾身の力で切りつけたにも関わらず――
「せいっ」
男が乱暴に剣を振り抜く。ハンドラーはあわてて下がる。剣がハンドラーの額を切り裂いた。
男は首を押さえながらにやりとした。首から一筋、血が流れている。
その色は黒い。重油めいている。人の血ならぬ血。
「そういうことか」
その血を見れば、否が応でも合点がゆく。生身の人間ならば今の一撃で動脈を斬るに足る。機械ならばそもそも刃が通らない。しかし切り込めることは切り込めても、その流す血は人のそれではない、そして致命傷も与えられない、ということは。
男が切り込んだ。
斜めの軌道。ロングソードがうなりをあげて加速する。
踏み込む。身を低く、懐に潜り込む。
交差する、刃同士。さらに互いに剣を押しつけ合う。
刃が擦れた。
鍔同士がかち合う。衝撃が直に手元に来る。
いきなり男は、ロングソードの剣身をつかんだ。剣そのものをハンドラーの腕に絡ませると、杖術の動きのようにハンドラーの体を引き倒す。
そのまま組み伏せた。
(くそっ)
ハンドラーは何とか逃げようともがくが、男は全体重を乗せてそれを阻む。組み伏せながら剣を押しつけ、ハンドラーの首を斬ろうとした。
すばやく動いた。右腰に吊ったナイフを、ハンドラーは引き抜く。引き抜きざま男の首筋に突き立てた。
堅い手応え。首を貫くには至らない。それでも男は、少なからず狼狽した。
その隙に抜け出す。
自由になったハンドラーはそのまま切り込むこともなく、後ろに下がった。間合いを取り――それでもそんな間などやすやすと飛び越えてきそうであったが――晴眼に構え直す。
男はゆっくりと立ち上がる。ロングソードを右肩に担ぎ、重心を前に取る。
そのまま膠着する。互いに構えたまま、その構えを保持し、しかしそこから互いの出方を伺う。そんな間が続く。
やがてハンドラーが剣先を下げた。
男が一歩踏み出した。