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監獄街  作者: 俊衛門
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第十九章:3

 港といっても、粗末な船着き場程度のものである。《南辺》に停留する船が、漁船以上のサイズのものであった試しなどない。

 だが、目の前にあるその船は、少なくとも貨物船といったら通るぐらいだろう。いくつかのコンテナが積み込まれ、大きさとしては中級の船舶だった。

 そこに連れてこられてから、2時間ほどは経っていた。その間、省吾は燕と供に倉庫で待たされている。

「ここで待っていろ、とはいったけどよ」

 燕は苛立ちを隠さず、しきりに時計を眺めている。そろそろ夜十一時にはなろうとしていた。

「何だってこんなに遅いんだ。船はもう来てるってのに」

「他の監察官を待っているって話だったが……」

 省吾は身をすくめた。ドラム缶に薪を突っ込んで燃やして、その炎で暖をとってはいる。が、ちっとも暖まる気配がない。何せ外は雪がちらついているぐらいだ、こんな火では倉庫内の冷たい空気を暖めるには遠い。

「他の連中って、そんなにいるんか? マフィア連中にだいぶ消されたって話だったけど」

「全滅したわけじゃなければ、それなりにはいるのだろう。どれほどかわからないけど」

「とりあえず、こんなクソ寒い倉庫ん中で待つ意味なんてないよね」

 燕はドラム缶に手が触れそうな位置にまで接近している。手をすりあわせて、肩を振るわせながら、10秒おきぐらいに時計を見ていた。

 省吾は火から離れた場所に座っている。立っていると、右足からしびれてくる心地がするのだ。正確にはふくらはぎ、義足との境目。体重が直にかかるのが良くないのか、重心の置き場も考えなければすぐに右足に疲労が溜まってしまう。

「なんだかもう、埒が明かない」

 燕の苛立ちはピークに達したようだった。

「ちょっと見てくる」

「そう急くな、燕」

「悠長なこと言ってられるな、省吾。ここにゃ俺たちを殺したくてうずうずしている連中がそこら中にいやがんだ。出発は早いに越したことはない、遅くなればなるほど危険は増すんだぜ」

「まあ待て、待てったら」

 燕が勝手に出ていこうとするのに、しかたなく省吾は立ち上がった。ナイフと長脇差を腰に帯びるのを忘れない。

 二人して外に出ると、相変わらず船は停留したままだった。誰かが行き来したという風でもない。

 それどころか人の気配がない。監察官の生き残りか、あるいはハンドラーの手の者か、いずれがいてもいいようなものだ。

「さっきから、静かだな」

 燕もその異様な雰囲気を感じ取っているようだった。物音一つなく、聞こえるのは二人の雪道を擦る足音ぐらいのものだ。

 と、船のすぐそばで人が立っているのを見る。闇に紛れているので誰かはわからないが、燕はその人影に声をかけた。

「なあ、遅すぎねえかあんたら。いつまで待たせるつもり――」

 そこまで言って、立ち止まった。

 ほぼ同時に、省吾もその場で足を止める。

 何か違和感を覚えた。潮の匂いとはちがう、鉄味を帯びた匂いがしたのだ。雪のせいか、外気の匂いなどほとんど感じられない、その中にあってでもはっきりと感じ取れる。

 それは靴の裏が捉える地面の質感が変わったことも大きかった。しめった雪の層を踏みしめる心地から、何かぬかるみを帯びた場所に足を踏み入れたという感触。水気を含んだ雪であっても、こんなにぬめる感触にはならない。

 省吾は足下を見る。

 ぬかるみの正体は、雪だ。ただし、色づいている。真っ白な地面が、ある場所を境に赤黒く染まっている。

 人影が動いた。二、三歩こちらに近づき、ようやくその人物を確認する事ができた。

 女だ。小柄な女、まだ少女とも言えそうな容姿である。無邪気そうな微笑を浮かべていた。

 季節感などまるで感じられない薄手のチュニック、やけに足にぴったりとした七分丈の短いレギンスを穿いている。そんな季節はずれな服装が包む、あまりに華奢な手足。まるで洗練された彫刻でも目にしているような心地にさせる。

 そんな、幼いとも言える女の手にあったもの、それを見て二人して戦慄する。女が持っていたものは、斧であった。その体つきには似合わない、やたらと大型の斧。その刃先は血に濡れている。

「な、何だお前」

 燕は慄きながら訊く。女の背後には躯が転がっていた。スーツ姿の男どもが倒れ伏し、そのどれもが首を飛ばされている。首はどこかとあたりを見渡せば、はるか後方に転がっているのを見た。

「残っているのは一人、って聞いていたんだけど」

 黒縁の眼鏡の下で、女はやたらといい笑顔を作って言った。

「二人? って聞いていないんだけど、何だろう、あなたたちって監察官? それともアブドゥルの残党かしら」

 ひゅん、と女は斧を振り切る。刃についた血が飛び散った。

「まあどっちでもいいんだけどね。ここにいるってことは、この連中の仲間だろうし。まあ、仲間じゃなくても構わないんだけども」

「お、おい省吾。この女、なんか……」

 燕が後ずさった。はっきりと嫌悪を顔に浮かべている。それはもちろん省吾も同じことであるが、それでも何とかその場に踏みとどまっていた。

「貴様、『マフィア』の手の者か」

 さりげなく省吾は右半身に切り、右手を腰にやった。長脇差の柄に触れ、抜刀の姿勢を取る。

「麗花にね、ここで網張っていれば必ずくるって言われたから。だからちょっと遊んでたんだけど、ぜんぜん張り合いないの。でも、あなたはちょっと違う感じね?」

「麗花だと」

 脳裏に、かつての師とうり二つな女の顔がよみがえる。同時に右足が疼くような心地がした。

「あ、そっか。その足、あなたが麗花の言ってた人ね。話は聞いてるわ、あなたが孔翔虎をヤったんでしょ。たかが人間風情が、大したもんだって、皇帝が」

「それは、光栄だ。とでも言っておけばいいのか」

「有名だからね、あなた。じゃああなたが監察官の最後の一人ってことで」

 女は期待に満ちた表情を見せる。何か新しいおもちゃでも手に入れた子供のように目を輝かせているのだ。

「じゃあさ、あなたは違うよね? こんな奴らみたいに、簡単に死んだりしなさそうだし。どうせだから、ぱっぱと終わらせてあげる」

 女はそう言うと、斧を頭上に掲げた。

 その瞬間。女が持つ、斧が長くなった。柄の部分が伸張し、手斧は瞬時に長柄の武器になった。

 ハルバード。戦斧などとも呼ばれる。槍の代わりに、その穂先に斧を据えたポールウェポン。中世の騎士の武器だ。

「何だあの得物。長くなったぞ」

 燕は薄気味悪そうに呻く。

「下がってろ、燕」

 腰を低く落とす。右腰に差した長脇差を逆手に握る。

 一瞬の間。

 女が駆けた。ハルバードを振りかぶり、振り下ろす。

 省吾、前へ。地を滑るように歩を繰り出す。

 斧の先が省吾の肩口をかすめる。 

 踏み込む。同時に抜刀。長脇差を横一閃切りつけた。

 衝突。ハルバードの長柄に阻まれる。刃とポールが十字に噛み合う。

 すぐさま省吾、左手でナイフを抜く。抜くと同時に突き刺す、女の心臓めがけて。

 刃先が女の胴に触れた。

 しかし手応えは無い。ナイフが刺さるよりも早く、女は間合いの外へと逃げていた。一歩で三歩分も退いて。

「んー、中々いいとは思うけどね。反応とかは」

 女はどこか物足りないような顔をしている。

「でも何というか、月並み? そんなに驚くほどでもないかな? ねえ、あなた調子悪いの?」

 省吾は応えず、努めて冷静に構えを取る。だが内心焦っていた。調子が悪いという女の言葉に、本心を言い当てられた気がした。

(踏み込みが甘い……)

 右足の初動が遅れる。こちらから動こうとした瞬間に生じる違和感が、踏み込みを浅くさせていた。右足の異物感、どうしても右半身をひきずるような感覚になってしまう。

 再び、女が迫る。ハルバードを横薙に切った。

 ぎりぎりかわす――省吾の胸元を刃が通過する。先端部分がコートの端を切り裂いた。

 長柄を回転。女はすかさず突き込む。三連。さらに戦斧を縦横に切りつける。手中で長柄をしごき、回転させ、突きと斬撃を織り交ぜての攻撃。

 省吾が下がる。下がるより他無い。踏み込もうにも女の打ち込みには隙がない。間合いに入り込むこともできない。

 加えて、右足。ただの棒でしかない足は、歩きづらいというだけではない。踏み込むには両足が自由でなければならない、だというのに樫の義足はまるで地面に刺さるようだった。足が止まってしまう心地が。

 足が居着く、体が止まる。

 その分だけ、焦りが先走る。

「苦しそうね、あなた」

 やがて追いやられる。もうあと半歩、下がれば海の底というところまで追いつめられた。

「その足、慣れてないみたいだね? せめて機械だったら良かったのに。難民って大変よね、そんなものしかつけられないなんて」

 考えた。ここからどうするか。ナイフを投げるか、それとも決死の覚悟で組み付くか。

 迷っている暇はなかった。省吾は身を低くし、突進の姿勢を取る。

「こっち見ろ!」

 だが、そこに第三者の声が割り込む。それとほぼ同時に、女に何かが飛びかかった。人影だ。

 女が下がると、その人影が長い棒を振り回して女に殴りかかる。女の注意がそれた、その隙に省吾はその場を離れる。

 女が追う。

 ハルバードを横薙ぎに斬る。

 果たしてその人影は間合いの外に逃れた。思い切り退き、省吾の隣に並び立つ。

「悪い、燕」

 省吾が言うと、燕は険しい顔で唸る。

「やばいぞ、こいつ」

 燕は手に鉄パイプを持っている。身の丈ほどのパイプだ。倉庫にあったものだろうか。

 燕はそのまま槍の姿勢を取る。省吾もまた構えをとった。二人して、ハルバードの女に対する。

 突如、船上で衝撃音が響いた。

 爆音とも違うが、その衝撃音は断続的に続いている。何かがぶつかる音、落ちる音、様々。

「あらら、始まったかしら」

 女は余裕を露わに、そう言った。

「仲間がいるのか、貴様」

 船の外にいる連中は斬り殺されていた。ということは、船の中の連中も同じ目に遭わされているのだろう。つまりこの船の存在は、『マフィア』に気づかれているということか。

「んー、仲間っていうのも変かな。まあ船の奴もそうだけど、まだまだ一杯いるはずよ」

「一杯って何だよ」

 燕は半歩、前に出た。少しずつ間合いを縮める。

「うん、一杯。ここだけじゃなくて、南や西にもね」

「《南辺》に?」

「そうそう。今頃は、何って言ったっけ? まあ忘れたけどギャングどもヤりに出かけているはずよ」

 ギャング、《南辺》。そこまで聞けば、嫌でも思い当たる。

「貴様ら、『OROCHI』に何をしようっていうんだ」

「ああ、そんな名前だっけねえ」

 女はわざとらしく、すっとぼけたような声を出す。

「まあ、わかるでしょう。つまりはそういうことよ。ここと、ギャングどもと。両方ともつぶすってこと」


 血の匂いが充満していた。

「あんまり返事がないから、何かと思ったが」

 血の海、という表現は陳腐であるが、まさしくそうである。そこかしこに転がるのは、首が、あるいは胴体が切り離された死体ばかり。その死体の群に、一人の男がたたずんでいる。

「ハンドラー……か」

 男はうっそりとした声音で呼びかける。暗がりにあって、あまりはっきりと顔はわからない。だが、男の異様な風体だけは見て取れる。

 時代錯誤な中世のチェーンメイルに身を包み、皮のグローブで手を覆っている。手には、身の丈ほどもありそうなロングソード、その剣身は血で濡れていた。

「監察官の、飼い主か」

「だったらどうだというの」

 ハンドラーたることを、今更隠すつもりもなく。正直にそう答えた。帽子の鍔をちょっと持ち上げて、体は左半身に切り、いつでも動ける体勢を取る。

 ハンドラーがここに来たときは、すでに船の連中は息絶えていた。この船に乗っている者は、精鋭とは言わないまでもそれなりに手練れである。そんな連中が、中世ヨーロッパ風のなりをした男に全滅させられた――しかし、それほど驚きはしなかった。単なる人間ならばともかく、目の前の男は明らかに違う。

「『マフィア』ども、本気を出してきたか」

 ハンドラー、忌々しく唇を噛みしめる。男に対して一定の間合いを保ちながら、袖の下に隠した万力鎖をつかんだ。

「ここの船の奴らは全員死んだ。あとは貴様だけだ」

 ドイツ語訛りで男が呻く。ロングソードを晴眼に構え、腰を低く落とした格好で対峙した。

 唐突に仕掛けた。男は剣を突き出したそのままの格好で突進。刺突した。

 切っ先をかわし、間合いの外に逃げたハンドラーに対して、さらに横薙に斬る。

 避ける。飛び上がり、紙一重で斬撃をかわす。女の帽子の鍔に当たった。剣の圧で帽子が吹っ飛び、火傷まみれの顔がさらされる。

 また切り下ろす、斜めに。ロングソードが袈裟に切り込まれる。

 飛下がる。五歩以上もハンドラーは退いた。退くのとほぼ同時、万力鎖を投げた。

 一閃。剣が縦に切り裂く。

 先端の分胴が弾け飛ぶ。鎖をたぐり寄せると、分胴がきれいに真っ二つになっていた。

 さらに詰める。男はロングソードを突き刺す。

 投擲。

 もう一方の分胴を投げつけた。鎖が果たして、剣先にからみつく。すかさずハンドラーは引き込む。

 だが。男は力任せに剣を引っ張ると、鎖はあっけなく千切れて果てた。

 勢いづいた男が、剣を振りかぶり突進。横薙に斬りつける。

 かわす、紙一重。剣先がハンドラーの鼻先一寸を過ぎ去る。男は頭上で剣を旋回、再び叩きつける。斜めに切りつけた。

 首をひねってハンドラーは寸でのところで避けた。これも紙一重。

 走った。男の剣の間合いから逃れ、役立たずになった鎖を投げ捨てた。ついでにコートも脱ぎ捨てる。

「使うのは久しぶりだが……」

 コートの下に差していたのは、刀だ。二尺三寸の、無骨な拵えの軍刀。

 ハンドラーは素早くそれを抜いた。刃紋のない、肉厚の刀身。南蛮鉄の鈍い輝きを放つ。錆び付いてはいない。

 刀を右肩に担ぐ。八相の構え。変化の応ずるがままの位を取る。

 男はすぐさま剣を頭上に掲げた。切っ先を向け、低く腰を落とす。

 どちらからともない。両者踏み込んだ。剣先が交わり、衝突した。

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