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監獄街  作者: 俊衛門
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第十九章:1

 ストリートギャングのようであり、しかし既存のギャングとは少し違う――『STINGER』にとっては、この《南辺》のどこでも庭である。縄張りに執着せず、いつでも、どこにでも行ける。攻撃は自在に、そして変形的に行うことが出来る。

 それが『STINGER』遊撃隊の強みである。

 だがこの日は、その強みが生かせなかった。

 通信が入ったのが三十分前だった。

「遊撃隊は?」

 玲南は走りながら、電話の向こうにいる連に訊く。連からの通信は大抵の場合は緊急事態だ。

「現在、二番隊まで交戦中。けれども持つかどうか分かりません。他の隊も駆けつけてはいますが」

 いつもよりも緊迫した声だった。よっぽどの事態ということだ。自然、玲南の駆ける足も早くなる。

「敵は? どこのギャングだ?」

「一人です。女が一人、装備は無く、徒手です」

「素手の奴に苦戦してんのかよ」

 大声出すと、口の中に雪が入り込んでくる。ここ数日雪は降り続いていたが、今日は何だか吹雪いているかのように荒れている。玲南は唾と一緒に、雪のかけらを吐き出した。

「おそらくは機械です。孔翔虎のような」

「分かったよ、とにかく急ぐから」

 玲南は電話を切った。

 路上の水っぽい雪に、何度も足をとられそうになる。角を曲がるたびに滑り、何とかバランスを保ちながら走った。

 五分ほどで、第二ブロックに辿り着く。どこで交戦しているかは、飛び交う怒声と悲鳴が教えてくれた。声のする方向に走る。

 いきなり何かに躓く。よく見ればそれは躯だった。遊撃隊のパーカーの同士、首が妙な方向にひん曲がっていて、手にしたクロスボウはぐしゃぐしゃに壊れている。

 角を曲がったところに、その下手人はいた。

 報告通り、女だ。このくそ寒い中、ハーフパンツとTシャツという出で立ちである。剥き出しの肌は褐色で、彫りの深い顔立ち。南米系の顔だ。

 女の周囲を遊撃隊が取り囲んでいる。パーカーたちが一斉に矢を射かけた。

 女が動いた。降り注ぐ矢をいとも簡単にかいくぐり、一気に先頭の隊士の目の前まで距離を詰めた。

 瞬間、女の右足がしなる。

 鞭のような高速の蹴り。それが隊士の横面をとらえる。まるで反応もできずに男が吹っ飛ばされる。ぐきりと嫌な音がした。

 すぐさま転身。女がとなりの男に向かう。男が矢を射るが、それよりも早く左足が唸った。首が砕かれ、吹き飛ばされる。

 背後より三射。クロスボウの矢が女の方に飛んだ。

 跳躍。女は一足飛びで矢の距離を縮める。

 それと同時に右蹴りを放つ。先頭の男を蹴り飛ばし、空中で身を回転させて今度は左、続けざまに右の後ろ回し。ものの三秒ほどで三人を屠る。

 小柄な影が飛び出す――連だ。両手に峨嵋刺を携え、女に飛びかかる。

 素早く女が振り向く。

 振り向きざま後ろ蹴り。連は危うくかわす。女はステップを踏み――足元の雪など全く意に介さないかのように――距離を詰め、連に襲いかかる。

 玲南が走った。走りながら縄標を投げつけた。女の鼻先を先端がかすめる。その隙に連が後退する。

「悪い、待たせた」

 玲南は連の隣に並び立つ。標を回収して左手に保持した。まだ動かせない利き腕の側を引き気味に構える。

「玲南、気をつけてください」

 連が唸る。左頬に生傷をこさえていた。今の後ろ蹴りによるものか。皮膚がめくれて、赤い肉をさらしている。

「カポエイラか」

 玲南は縄標を振り回した。そのまま投げれば十分届く距離だが、すぐにはできそうもない。あの女はそんな距離など、やすやすと飛び越えそうである。

「お前たちが、孔らを屠った、『STINGER』の」

 女が口を開いた。やはり、どこか南米系のなまりがある。

「お前、『マフィア』の手のモンか」

 それ以上近づけないもどかしさを抱えながら、玲南は怒鳴った。

 女は玲南の頭の先から足の先まで、じろじろと遠慮のない視線をくれる。女は、よく見れば玲南と同じぐらいの年に見えた。

「あんな連中と、私を一緒にするな。私はマリア・セレディア。孔翔虎のような鉄の塊とも、お前たちのようなもろい生身とも違う」

「はあん? お前だって鉄の塊だろ? 機械なんだから」

「腕もそれなりなら、頭もよくはないようだ」

「何だとこの野郎」

 あんまりな物言いに、思わずそうかみついた。

 だが、次の瞬間。マリアの姿が消えていた。

 否、目の前。玲南のわずか一メートル先にいる。わずか一秒で間合いに入ったのだ、縄標の間を飛び越えて。

「玲南!」

 連の声。

 裸足のつま先を見た。

 身を逸らす。鼻先をマリアの蹴りが通過する。皮一枚、鼻っ柱が砕けた。

 下がる、と同時にマリアが詰めた。

 回し蹴り。

 玲南の首をとらえる、よりも連が割り込む。マリアに体当たりしたことで蹴りの軌道がずれる。

 マリア、着地もせず、その場で逆足で蹴る。空中での回転蹴りが連の肩をとらえる。連の軽い身体が吹っ飛ぶ。

「この!」

 玲南が縄標を打ち込んだ。

 だがそれは空を突く。射るべき対象は、そこにはなかった。

 マリアの姿は上空にあった。まるで遊泳するように、頭を下にして、飛び上がっている。逆さまのマリアと目があった。

 次の瞬間、衝撃。上から。右肩に最大限の重みを受けた。鎖骨と肩関節、その先の肋骨までも砕く一撃。マリアの左足が肩にめり込んだ。

 声にならない声をあげ、玲南は膝から崩れ落ちた。

「あの兄妹も大したことはない。こんな奴らに苦戦したなんて」

 頭上からマリアの声が降ってきた。玲南は立ち上がろうとするが、どうにも脚が動かない。それどころか呼吸すらもままならない。

「所詮は鉄屑ということか」

 マリアが腕を振り上げた。

 だがすぐにマリアは後退する。一秒遅れでマリアのいた場所にクロスボウの矢が通過した。

「玲南!」

 連が叫んでいる。身を低く突進してくる。マリアに飛びかかる。

 回し蹴り。連の踵が空中で弧を描く。

 それに合わせてマリアが後ろ回し蹴りを返した。

 互いの蹴りが交錯し、しかし当然のごとく連の方が弾き飛ばされる。すぐさま連は起き上がり、峨嵋刺を投げた。

 マリアの手が空を撫でる。なんと、連が飛ばした峨嵋刺を空中でつかみ取った。そのまま握りつぶす。鉄の杭が折れ曲がる。

「何これ? こんなものでどうにかなるとでも思っているの?」

 連が慄くような顔になった。連の、そんな表情は初めて見たような気がした。

 マリアが蹴りを打つ。

 すんでのところで連がかわす。やはり紙一重。飛下がり、下がったところで周囲の遊撃隊から一斉射撃。

 しかし当たらない。いくら矢を撃ったところでマリアは難なくそれをかわしてしまう。まるでどこに何が飛んでくるのかわかっているかのように。

 玲南はようやく立ち上がった。

 右腕だけが、だらんと異様に長くなっている。鎖骨と肩関節が砕けてしまっているためだった。

 もはや右腕は使い物にならない。利き腕は完全につぶれてしまった。せっかく養生したのに、柄にもなく養生して何とか治そうとしたのに。まだ治る見込みだって十分あったのに。畜生、これで一生カタワだ。どうしてくれるんだ!

「てめえ!」

 無我夢中で走った。マリアに向けて、片手で縄標を打った。

 マリアがかわす。

 かわすと同時にこちらに向かってきた。

 跳び蹴り。縦の軌道のブラジリアン・キックを叩きつける。

 避ける、紙一重。玲南の鼻先を蹴り足が過ぎる。むろん、避けるだけでは終わらせない。 

 縄をたぐりよせる。その縄を脚に巻き付け、蹴りを放つ。縄がほどけ、標が蹴りの勢いのまま飛んでゆく。

 円錐がマリアの耳元を通過する。わずかに褐色の肌を傷つけた。

 またたぐりよせ、頭上で旋回。勢いづけて打ち込む。

 標がマリアの顔面に突き立つと思われた。

 しかし直前、マリアが標を受け止めた。正確には標をつかみ取ったというべきか。

「なっ」

 慌てて縄を引き寄せるが、マリアが標を握りしめているので引き寄せることができない。渾身の力を振り絞って引っ張るが、その努力もそれほどの効果はない。

 そも、片腕では大した力も出ない。逆に玲南の方が引き込まれそうになる。

「くだらない。所詮、機械の塊にはどうにかなっても、生身ができるのはこの程度か。これではあの方が出ることもない気がするが」

「ごちゃごちゃうっせんだよっ」

 玲南が縄を引っ張った。

 そのとき周囲から、矢が降りかかる。マリアは標を手放し、跳び下がる。地面に幾本もの矢が突き刺さった。

 よく見ればその矢は、孔兄妹を追いつめたときに使った対装甲板用の矢だ。矢の飛んできた方向を見やれば、隣のビルから別の遊撃隊たちが手を振っている。どうやら今駆けつけたとこらしい。

「玲南、下がって!」

 連が後ろから駆けてくる--峨嵋刺を擲った。難なくマリアは避けるが、しかしそれは囮。

 懐に入る。

 連が飛びかかった。そのまま蹴りを放つ。テッキョン式の踏みつけ蹴りではなく、つま先を叩きつける蹴り。その先端には刃がきらめく。

 衝突。連とマリア、双方の蹴りが交錯する。

 わずかに連の蹴りがとどく。刃の先がマリアの顔を傷つけた。

 転身。連は空中で身を翻して着地。着地とともに体当たり気味に峨嵋刺を突き刺す。

 果たして峨嵋刺の先が、マリアの脚に刺さった。

 思い切りそれをねじ込む。初めてマリアが苦痛そうに顔をゆがめる。マリアは連の首根っこをつかみ、無理矢理引きはがし、連を蹴り飛ばした。

 玲南は慌てて連のもとに駆け寄る。連は峨嵋刺を握りしめたまま地面に伏している。その峨嵋刺の先端にはマリアの抉った肉が付いていた。

「なかなかに堅いですが」

 連は立ち上がりながら言う。

「通らないわけではありません、私の刃」

 玲南はふとマリアの方をみた。峨嵋刺が刺さった太股の傷から、黒っぽい血のようなものが流れている。機械が血を流すというのもおかしな話だが。

「矢も残り少ない。ここは決めるよ」

 玲南の言葉に、連が頷いた。

 連が唐突に駆けた。まっすぐ、マリアのもとに。

 玲南もまた走る。マリアの背後に回り込んだ。

 標を打つ。

 マリアが振り向く。飛んでくる標を蹴り弾いた。

 マリアが背中を向けた瞬間、連が体当たりを食らわそうと突進していった。両手には峨嵋刺、体重を乗せて刺そうという気だ。

 すぐにマリアが向き直り、連を突き飛ばした。連は五メートルほど後ろに吹っ飛ばされる。

 矢が飛来した。遊撃隊の、対装甲用の矢だ。今度はより近い場所から一斉に射かけた。

 マリアの左足が躍った。四方から飛び来る矢をすべて蹴り飛ばし、弾く。まさしく脚は鞭となり、それそのものが生きているような動きを見せた。

(すばしっこい奴……)

 玲南はマリアと距離を置いて対峙する。その今いる距離が、ぎりぎり取ることのできる距離だった。標が届くか届かないかという間合い遊撃隊もまたクロスボウを向けたまま膠着している。

(やっぱり、あの脚を止めない限りは)

 玲南は意を決して走った。間合いの内側へと踏み入れ、縄を短く保持して身を低く、ただマリアの元に向かった。

 マリアが向き直る。

 走った。向かってくる玲南に向けて、蹴りを打つ。

 瞬間、玲南は身を屈めた。ほとんど地を這うような格好だった。身を屈めたことでマリアの蹴りが空振りする。玲南の頭上を通過する。

 それが狙い。

「てい!」

 標を投げた。マリアの蹴り脚に向けて。

 標が、マリアの脚にからみつく。マリアの表情に、初めて驚きの面が浮かぶ。

 跳躍した。玲南、マリアの頭上を飛び越える勢いで、高く跳ぶ。跳びながら縄の残りの部分を、マリアの首にかけた。

 着地、と同時に引っ張る。それによりマリアの左足と首を拘束する形となる。

「撃ぇ!」

 玲南は縄を引っ張りながらそう叫んだ。マリアを拘束できている、今のこの一瞬しかないのだと。

 遊撃隊の一斉射撃。通常の矢も対装甲矢も、すべて。四方八方から矢がせまり、しかしマリアは身動きがとれない。

 矢の群の中にマリアの姿が埋もれた。

 全身を貫かれたマリアの姿が現れるものと、そう思った。

 だが、そこにマリアの姿はなかった。

(何――)

 縄は引きちぎられていた。マリアのいた場所には、矢が転がっているか突き刺さっているかしているかで、忽然とその姿を消している。

「子供だましだな」 

 背後から声がする。ぞくりと背中が粟立つ。一気に汗が吹き出る。逃げねば、という思いと裏腹に、体中の筋肉が凍り付く。

「私にそんなものが効くと、思ったか」 

 振り向いた。それと同時か、あるいは少し早いぐらいだった。

 衝撃を得た。

 その衝撃が、体中を駆けめぐった。痛みとも違う、熱とも違うそれが激しく体を貫いた。

 最初に見たときには目を疑い、その次に絶望を味わう。そういう光景だった。マリアの右臑が玲南の胴をとらえ、その脚が肋骨を押しつぶして肉に埋まっている。骨は皮膚を飛び出し、それどころか少しだけ腸が見えている。 

 せり上がるものがあった。血か内臓か、それはわからない。腹の底から喉の奥まで一気に重苦しいものが駆け上がる。

 それを吐き出す間もなく、玲南は膝を折った。全身が真綿になったようだった。もはや痛みすら湧かない。

 マリアの前にひざまづく格好となる。倒れ込む直前、向こうから連が駆けてくるのを見る。

「連、ダメだ、来るな」

 そう言ったつもりだが、言葉になっていたかどうか。

「こいつは、ダメだ……」

 倒れる、直前。最後に目に映ったのは褐色の足指だった。

 また衝撃。

 暗転。


 駆けつける間もなかった。

 マリアがとどめを刺す瞬間、その瞬間を見た。倒れる玲南の顔面を、まるでサッカーボールみたいに蹴飛ばしたのを。玲南の体が跳ね上がり、うつ伏せに倒れるはずだった体は仰向けに倒れた。そのまま玲南はぴくりとも動かなくなった。

 その場に連は立ち止まる。マリアがこちらを見た。何かをしなければならないはずなのに、声の一つも出ない。

 マリアが近づいてくる。連は峨嵋刺を握ろうとする。だが手指に力が入らない。それどころか身がすくんでしまって、動くことができない。

 マリアは連を無視して過ぎ去り、そのまま遊撃隊の方に歩いてゆく。背後で矢を撃つ音がしたが、すぐに悲鳴が聞こえてきた。マリアが遊撃隊に襲いかかっているのだろうか。

 それでも、連は動くことができない。

「玲南、玲南、ああ……」

 うわ言のように、呟いた。玲南の首はあらぬ方向に曲がっており、顎が砕けている。赤黒い血を吐き、血の海に埋没している。目は閉じきらず、半開きのままどこかを眺めている。まるで愛しいものを見るような、どこか優しげな視線であるかのようで、しかしその目に光が灯ることは二度とない。

 遊撃隊の悲鳴が、ひときわ大きくなる。逃げる者にも、マリアは容赦なく襲いかかっているのだろう。助けに行かなければと思っても、玲南の躯を前にして、連はただ立ちすくんでいた。

 やがて悲鳴がすべて止んでもなお、連はそこに居続けた。

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