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監獄街  作者: 俊衛門
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第十八章:4

 皇帝に呼び出されることは初めてのことではないが、その日指定された場所だけは麗花にとっては初めてだった。

 そこにたどり着いたときに、少なからず戸惑った。何せ目の前には扉らしきものはなく、来いと命じられたそこにはただの壁がある。何か隠し扉のようなものかと思ったが、壁は何度触っても壁のままだった。青黒く冷たい感触の壁。

 だが次の瞬間、目の前の壁が色を変える。群青が淡い色の青に、徐々に変化してゆくのだ。それとともに重苦しい色を為していた壁面が透けてゆき、その向こう側に何かを映し出してゆく。壁は徐々に透明度を増し、ついには何も遮ることのないガラスのようになる。そのガラスの向こう側に、安楽椅子とキャビネット、ワイングラス片手にくつろぐ人物を見やる。

「入ってきたまえ」

 その人物が声をかけた。麗花は一歩前にでる。壁のあったその場所には、すでに障害となるものは何もなく、麗花は難なく皇帝の傍まで近づくことが出来た。

「ここに来るのは初めてか」

「今のは一体」

 ふと麗花は背後を振り向くと、そこには入ってくるときと同じ厚い壁が塞いでいる。一分の隙間も無い。

「簡単なことだ。壁を構成する粒子密度を逓減させてやれば、最後には分子の幕になる。そうなればそれは傍目にも感覚的にも存在しないかのようになる。お前の長柄と原理は一緒だ」

「それにしても随分と大がかりな仕掛けを。それほどまでに秘密を通さなければならないことが、この部屋に?」

「あるとも。私のプライベートな時間は、誰にも明け渡したくないからね。それを守るために最新の技術をそそぎ込むことに、何の惜しみもない」

 冗談なのか本気なのか分からない皇帝の物言いに、麗花は嘆息する。そうして部屋を見回した。

 広い空間、その壁一面に海が広がっている。深いアクアブルーの、珊瑚の海だ。バーチャルリアリティで投影された疑似海中に、これまた3D映像の熱帯魚が泳ぎ回っている。麗花の目の前を仮想現実のクマノミの一団が通過した。

「殺伐とした戦場の空気にあっては、刺激にはなるが息抜きは出来ない。こういう場所も良いものだ。お前にも必要か? 麗花」

「私は、特に」

「そうか」

 皇帝は上等そうなワインを開けた。麗花は酒の種類に詳しくないが、皇帝は一本あたり数千ドルという酒しか口にしないことは知っていた。

「それで、お前がここに来たということは」

「はい」

 顔にぶつかってくるかのような魚の集団に顔を背け気味に、麗花は居住まいを正す。

「手筈が整いました」

「ご苦労なことだ」

 皇帝はグラスを置き、空中に指をかざした。何もない虚空をなぞると白い光の枠が生まれ、枠の中に文字列と写真が投影された。

 即席の3Dスクリーンである。まるでその空間だけ四角く切り取られたようになる。皇帝はスクリーンを、ついっと指でなぞると、スクリーンの文字列がスクロールするように上に流れてゆく。

「よくもまあ、ここまでの烏合の衆を集めたものだ」

「吟味を重ねた上での選出です。特に問題はないかと」

「何、お前の努力は認めているよ。しかしまあ、この選出はなかなかに」

 最初にブロンドの女が写つった。まだあどけなさを残した顔立ち、しかし完璧なほどに無表情、まるで人形のようである。

「アニエス・ブルーム。無愛想さじゃ、お前と良い勝負だな」

 次に画面を下に繰ると、山高帽をかぶった男の顔が映し出される。柔和な笑み、しかし細い瞼の下にある青い眼は、なにやら警戒するかのような光を宿している。

「ジョセフ・ブルーム。アニエスとは姉弟とあるが」

「同じプールで遺伝子を分け合った、故に姉弟と本人たちが自称しているに過ぎません」

「その理屈ならグループのものは皆兄弟ってことになるがな」

 さらに下に繰ると、東洋系の顔立ちの男に行き当たる。

「王春栄、拳法タイプか」

 不適な顔つき、少し薄笑いを浮かべた男がウィンドウ枠に収まっている。その顔のまま皇帝に謁見するものと決めていたような、狙い澄ました笑い方をしている。

「香港の支部で、グループAでの生き残りは彼一人でした」

「何だ、失敗したのか」

「いえ、生き残った同グループのものは彼一人の手によって殺害されています。支部でも預かりかねるということで、処分が検討されていたようですが」

「むしろ今回には持ってこいだな」

 皇帝は画面の中の王春栄と同じくに、愉悦そうに唇をゆがめた。

「グループAだけでは、ないようだな」

 次にスクロールしたのは、同じく東洋系の男。ただし、王春栄に比べれば大分若く、登録された身体データも王春栄よりも数段劣るものとなっている。

「グループB、沖縄支部。佐間吉之助」

 どこか達観したような目つきをしている。顔立ちは少年のようなのに、眼だけは老成しているのだ。

「躰道をインプット。遺伝因子は劣るものの、同支部のグループAのものよりも実力は上であるということです。現に沖縄支部のAタイプは、すべてこの男によって倒されています」

「なるほど、優秀というわけか」

「この男の力というよりも、単純にグループAが劣っていただけとも考えられます」

「ま、それはやってみれば分かることだ。佐間とかいう、こいつの力量なのか、技術が劣っているだけなのか。少なくともデータを見る限りでは、技術が特別低いとは思えないが」

 皇帝はそういいながら、下に下にとデータを繰る。一人、眼に止まる度に一人一人のデータを呼んでゆく。

「ほう、Cタイプもいるのか。中南米支部とあるが」

 最後の方のデータである。褐色肌の女の写真だった。世間ずれしていなさそうな、幼い顔立ちをきつい目つきで補おうとしている風で、ひどく睨みを効かせている。佐間とは対照的といえた。

「Cタイプなど、生身とほぼ変わらないだろうに。これはお前のセンスか?」

「本当は入れる予定などなかったのですが」

 麗花は皇帝が示すデータを見る。顔写真の下にはマリア・セナと表示されているが、個体名は今初めて知った。

「ただ、優れた個体集団というものは何かの条件で全滅する恐れがあります」

「それでバランス良く、ということか。それも良いが、まさか個人的な趣味嗜好ってわけじゃあるまいな」

 からかうような皇帝の云いを、麗花は鋭く一瞥する。

「それはどのような意味で仰っているのでしょうか」

「冗談だよ」

 皇帝は悪びれもなくそう言って、データを繰る。一番最後に表示された個人データを眼にするや、いぶかしむように眼を細める。

「話では、確かもう一人追加になるということだったが。こいつがそうなのか」

「彼は後ほど合流する予定です」

「しかしこいつは」

 考え込むように顎に手をやり、何事か発するべきかどうかと悩むようなそぶりをする。しばらくデータを凝視していたが、やはりどうにも納得できないという顔で麗花に訊いてくる。

「こいつは使い物になるのか」

「問題はありません」

 当然、皇帝がそう問いかけてくることも予想していたことだった。だから麗花は努めて冷静に返すことが出来た。

「すでにセルによる自己組織化が完了しております」

「お前がそう言うのならば、そうだろうが」

「お疑いで」

「セルそのものの性能など疑いようもない」

 皇帝が空間をひとなでする。データの枠組みがかき消えて、光の窓が空中に霧散する。まるで泡のように。

「大体は分かった。それでこのメンバーをどう使うつもりだ?」

「今回は性能テストも兼ねています。ギャングどもの各拠点に配置し、目標を制圧するその課程を観測。戦闘能力に加え、判断力と洞察力に優れた個体を選出し、開発チームにデータを渡す。そのためには最低一人一回は実戦投入させる予定です」

「このメンバーと、あと何だ。この最後に合流するであろう奴もか」

「例外はありません」

「おまえ自身もか?」

 皇帝は何か試すかのような言い方をする。果たして麗花の受け答えすらも観察しようとでもいうような物言いであった。

「私の処遇は、あなたが決めることではありませんか? 皇帝」

「私が決められることなど多くはないよ。それこそお前の処遇に口を出せるはずもない。ただ、お前があまりにも彼らを他人事のように語るからね」

「もちろん他人事とは思っていません。今回のことには多くのことが関わっていますので、そう一筋縄で行くことはない。あらゆる可能性を試す必要があります、それ故のテスト投入です。私自身も、そのテストに関わっている」

「そうかい、まあ好きにやってくれればいいさ」

 皇帝はおもむろに懐からタバコのケースを取り出した。一本、取り出して火をつける。

「麗花はタバコが嫌いか」

 麗花はタバコを見た瞬間、気に留めないようつとめたが、顔に出てしまったようだった。眉をひそめ、煙に当たらないようにと少し顔を背ける。

「私のことなど気にせずに」

「ああ、気にはしない。だがクローン体が嫌煙家というのもおかしな話だ」

 皇帝がくゆらせる紫煙がたなびく、その先に熱帯魚の一群がある。当然、バーチャルな存在である彼らには煙など何の影響もないことである。とはいえ、魚群に煙とは奇妙な光景ではあった。

「私の感覚は常人のそれよりも鋭くなるよう、設計されていますので」

「血のにおいにも敏感になればいいのだがな」

「あなたは何故、こんな毒物を?」

 皇帝の皮肉めいたジョークを、麗花は聞こえなかったふりをした。

「時代遅れ?」

「街のギャングが好んで吸うようなものです。今ではこのようなもの、誰も好き好んでたしなむ者はいないというのに」

「街のギャングと、我々で。何か根本的な違いでもあるのか? 麗花よ」

「立ち位置の違い、力の差。数えられる限りでは随分な違いかと」

「それらがどれほど積み重なろうが、基となる部分は同じだ。それは破落戸であるとか生業とする暴力の質ではない。明日には、今この瞬間でさえも死ぬ人間ということだけだ」

 さもそれが当たり前という風情であったので、妙な説得力があったが、それを理解するには少々戸惑いがあった。麗花が何も言わないでいると、皇帝は笑いながら吸い殻を投げ捨てた。

「お前にはまだ難しいかな。死ぬことが恐怖ではないお前にとっては」

「恐怖ならばあります。恐れを抱くことが戦士の必須条件なのですから。しかし死ぬことが恐怖ならば、益々もって理由がわかりかねます。自らの肉体を傷つけ続ける理由が」

「何も難しいことはない。死ぬから今、することをしている。刹那的でも快楽を得なければ、死んだ後には何も感じ取れない」

「死ねば、刹那の快楽を得たという事実すらも、消えてしまうというのにですか?」

「死んでゆく人間には、そういうものも必要なんだよ」

 理解することを求めていない風に言いながら、皇帝は新たにタバコをくわえた。先ほどの吸い殻はどうしたのかと床を見れば、すでにそれは跡形もなく消えていた。足下を皿状の機械が這い回っていて、おそらくそれが回収したのだろう。

「さて、ともかく面子が揃ったのならば」

 皇帝が向き直ると、麗花は居住まいを正した。皇帝の言うことの意図など、今は深く考えている暇はない。

「この街に潜り込んだネズミどもを始末してもらおうか」

「監察官をですか」

「まずはな」

 皇帝が空間をなでると、再びウィンドウが現れる。ちょうど皇帝の目の前に現れた画面にあるのは、成海の地図だった。

 皇帝が少しだけ画面をなでる。画面が拡大され、南辺の、それも港付近がクローズアップされた。

「3日後、船が入る。監察官の生き残りどもを回収しに、この成海に入る」

「どこでそんな情報を仕入れたのかと、訊いても無駄なことなのでしょうね」

 どのように訊いたとしてもきっとはぐらかされるのだろうと、そういう予感がした。そして皇帝の含むような笑いが、そうさせるのだろうという確信を生ませる。

「あとは、そうだな。せっかく挨拶もすませたところだ」

 今度は《西辺》の地図を拡大した。

「まずは西に行ってもらおうか」


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