第十七章:13
広間には主立った面々が集まっていた。雪久と彰、イ・ヨウと韓留賢、そしてユジン――それぞれが車座になっている。
「『黄龍』の奴がやられたってんだけどよ」
雪久は、ちょうどユジンの正面に座り込んでいる。あぐらをかいて、壁に寄りかかって、いかにも気だるい雰囲気であった。
「おそわれたのは、昨日の夜のことか。今更になってこっちに出てくるんだよ」
「扈蝶が手傷を負ったらしいから、その処置で遅くなったんだと」
彰は雪久の隣に座る。それが自然なポジションというようであった。
「扈蝶って誰だ?」
「お前の組み手の相手だろうが、覚えておけよ。なんか『千里眼』なしじゃ手も足も出なかったそうじゃんか」
「それ、どっから聞いた」
「本人から」
雪久は忌々しく舌打ちしたが、それ以上言い返すことはなかった。
「おそったのは、『マフィア』で間違いないの?」
今度はユジンが聞く。もっとも、聞く前から答えは分かっているようなものだ。
「機械だったらしいからな、そうだろう。何だか妙な武術使う奴だったみたいだ」
「やっぱり」
思わず呟いた言葉を、隣にいた韓留賢は律儀に拾い上げる。
「何がやっぱりなんだ」
「私もね、さっき危なかったのよ」
にわかに彰の目が鋭くなるのが分かった。問いつめてやろうというときに、彰はそういう目をするのだ。
「また単独行動したのか?」
「変な言い方しないで。玲南と会っていただけよ」
「そんなに仲良かったか? お前たち」
韓留賢は入り口付近に座っている。ギプスでがちがちに固めた右足を投げ出して、ほとんど寝っ転がるような風に壁に寄りかかっている。
「プライベートで会うほど」
「仲がいいとか悪いとかじゃないけど」
もっとも、同盟について話をしていたのでプライベートとは言い難いかもしれない。しれないが、それはそれとして。
「二人でいるとき、監視されていた」
「誰にだよ」
彰は身を乗り出して聞いている。
「誰かどうかなんて分かるわけないじゃない。けど、難民とは明らかに違う男に見られていた。とりあえずその場を退いたら、いなくなったけど」
「それで、その後は大丈夫だったのか?」
と、イ・ヨウ。韓留賢の隣に座っている。
「とりあえずはね。けどあいつ、見た感じだとただものじゃない。相当な手練れだと思うわ」
「その相当な手練れに」
雪久がさも面倒くさいという風情で口を開いた。
「お前はしっぽを巻いてのこのこかえって来たのか」
「交戦はなるべく避けた方がいい、って思っただけ」
以前ならば雪久に嫌みの一つでも言われたら、相当に落ち込んだことだろう。だが今のユジンは冷静に雪久と向き合うことが出来る気がする。やはり心境の変化か。
「あの場で始めるのは、周りに被害が及ぶし。相手の戦力も未知数だし。第一二人とも武器が無かったし」
「そいつが機械だったら、なお危ないところだった」
彰は得心したように言った。
「まあ、西の状況は分かった。それでこの後どうするかなんだけど」
「何がどうするか、だよ」
雪久はもはやさっさと終わらせて欲しいと思っているかのようである。
「だってその相手が機械だとして、こっちに迎撃の体勢が整っていなければ」
「銃だって少ないしな」
とイ・ヨウが言う。
「戦力となりうる一角は、この有様だし……」
彰がちらりと韓留賢を見た。言われなくとも分かっているというように、韓留賢が肩をすくめる。
「何より『千里眼』が使えない、というのは」
「おい、彰」
やおら鋭い声。雪久の機嫌が悪いときだ、そういう声は。
「俺は『千里眼』がなきゃ戦えないとか、そう言うことか? 今のは」
「機械ども相手にするんじゃ、分が悪い。そうだろう?」
そういう状態の雪久に意見出来るのは彰ぐらいのものである。ユジンは――おそらくこの場にいる誰もが――内心ひやひやしながらやりとりを見守る。
「ずいぶんなめてくれてんな、彰」
雪久の、明らかな喧嘩腰に、周囲が少なくとも浮き足だった。イ・ヨウなど腰を半分浮かせて飛びかかれる体まで取っている。いつでも取り押さえられるようにということだ。
「事実を述べたまでだろう、それをもってお前をどうこうと言うつもりはないよ。そう熱くなるな」
ただ彰だけは涼しい顔で、雪久の言を受け流す。流しておいてから全員に向き直った。
「とまあ、こういうことであまり状況は芳しくない。このままぶつかったら、その扈蝶を襲った機械一体にやられることだって考えられる、俺ら全員がね」
「また『黄龍』と組めないんかい」
イ・ヨウは腰を下ろしてから言った。
「もうあっちは大丈夫なんだろ?」
「この話をこっちに持ってきたということは」
彰はちらりと雪久を見た。雪久は腕を組んだまま面白くなさそうに天井付近に視線を漂わせている。
「協力を持ちかけているのかもしれない、レイチェルも。だから情報を共有しようと」
「それと」
ユジンが割ってはいるのに、全員がユジンの方を見た。
「それと、玲南にも」
「玲南が何だって?」
「いえ、今日は本当は、玲南とそういう話をしに行ったのよ。またその、組めないかって」
「ああ、『STINGER』か。確かにまだ同盟を破棄したわけじゃないからな。金にも」
彰が金の名を口にした途端、雪久が彰の方をにらみつけたのが分かった。目線だけそちらに寄越したので、当の彰には分からなかったようだが。
「金に、また遊撃隊を貸してもらえるか聞いてみるか。協力を仰げるかどうか」
「おい、彰よ」
雪久が、今度ははっきり怒調がこもった声で発する。
「あいつに、頭下げるってのかよ」
「お前が嫌だったら、俺が下げるよ。別に俺の頭ぐらい安いものだ」
「何だそりゃ、いつからこのチームはお前のものになったんだ。お前が頭下げりゃ、金は俺の頭飛び越して兵を貸すってことか」
「それは」
明らかに剣呑な空気を含んだ雪久の物言い。さすがに彰は無視しきれなくなったのか、うんざり気味に言った。
「なあ雪久、俺はお前に対して何か気に入らないことでもしたのか?」
「同盟はよ、俺がやったんだ。俺がまとめたことを、何でお前が話進めようとしてんだよ」
「いや、話聞いてたか? 奴ら、『マフィア』が来るってのに戦力も足りないから、それで」
「あんな奴に、協力を仰ぐだなんだってよ。何でこっちが下手に出る前提なんだ? お前は」
「下手にとかじゃなくて……なんかやけに絡むね」
彰はさすがに苛立っているようだった。
「大体さ、今こんな状況だよ。手を尽くせるところは手を尽くそうって、ただそれだけだよ」
「そうかい、それで俺を無視してことを進めても、まるで問題はないということか? 彰よ。この間の一件で、お前がここの長になったつもりでいたか」
「はぁ? 何でそうなるんだよ」
さすがの彰も、堪忍袋の緒が切れそうであった。これ以上はまずいと判断して、ユジンが割って入る。
「備えは」
ほとんど叫ぶような勢いで。
「備えは、できているとは言えないよ。武器も糧食も足りないし。まず補給を確保しないと」
今にもつかみかかりそうだった彰が、居住まいを正してこちらに向いた。雪久は相変わらず腕組みしたままである。
「俺たちの場合は地下のどこにでも移動はできる。いざとなればまた以前みたいに引っ越してしまうって手もあるけど」
「だがな、東の。『マフィア』連中がこの地下経路知らないなんてことはあるんかい」
イ・ヨウがそう訊いてくる。
「確かに、あの連中は戦前からここに巣食っている連中だ。だがこの地下経路は、当時の軍の機密で、地元の連中だって知っている奴は少ない。だからこそ俺らはここを根城にしたんだ」
「なら、奴らがそこを知っていた場合は」
韓留賢が口を挟んでくる。
「まるっきりありえない、ってことはないわよね。そうなるとやっぱり地下も安全とはいえないか……」
ふとユジンは思いついたことを口にしてみた。
「ねえ、この地下経路って《東辺》まで続いていたりするの?」
「まさか、それを使って奴らを急襲しようとかって言わないよね」
彰は呆れたように言った。
「正直言って、俺もこの地下に関しては全部は把握しきれていないんだ。まあ成海全体のの連絡経路なんだから、《東辺》にもおそらく延びているとは思うけど。けどそれが攻撃の優位になるとは」
「そうじゃなくて。東辺に急襲できればそれは最高だけど、逆のパターン。奴らが来るのに、何も馬鹿正直に地上から来るとは限らないんじゃない? 連中がこの地下の存在知っていれば、東辺から地下を伝って……」
「確かに、連中がここを知らないという保証はないな」
彰はしばらく考え込んでから、雪久に向き直った。
「どうする? ここを動くか、それとも留まるか。留まるなら、地下にも見張りを立てる必要があるな。あるいは地上までの脱出ルートとかも――」
「好きにしたらいいだろ」
雪久が投げやりな感じで言って、立ち上がった。そのまま広間を出ようとするのに、彰が慌てて呼び止める。
「お、おい何だよ。どこいくんだ」
「眠いから寝る。ここんとこまともに寝てねえからよ」
「は、いや寝るってこんな真っ昼間に……」
「どうせこれ以上議論したって、何も変わらねえよ。だったらちょっとで体力温存しといた方がいいだろ」
そう告げてさっさと出て行ってしまう雪久を、彰は追った。去り際に彰が振り向き、今日は解散すると告げるとほぼ同時に扉が閉まった。
「なんか、雪久」
イ・ヨウは雪久たちがいなくなったとともに大きく伸びをした。首だけユジンの方に向けて訊く。
「様子がおかしくねえか?」
「ん、まあ……疲れているんじゃない?」
「いや疲れとかそういうレベルじゃねえだろ。なんかやけに機嫌悪そうってか、悪いってか」
「嫉妬だろう」
と韓留賢が唐突に言う。
「なに、嫉妬?」
「彰に対して。機械とやり合っている時、あいつが取り仕切っていたからな。周りは皆、雪久より彰の方を頼りにしている。レイチェル・リーが彰のところに今回の話を持ってきたのだって、彰の方が話が分かると思ってのことだろう」
「そんなの、たまたまかもしれないじゃない」
「ほかにも、チームの連中はまず彰に話を通している。彰が実質、ここを束ねているのだと皆分かっているんだ。この間の一件、確かに孔飛慈を倒したのは雪久だが、作戦を練って、遊撃隊を説得させ、ヒューイを討ったのは彰の功績だろう。目に見える功績の多い方に、人はついていく」
「そんな。雪久だって、『OROCHI』を作って、ギャングを倒して、そういう今までの功績がある。あなたは後から来たから、そういうところは分からないかもしれないけど」
「無論、分かっているつもりだ。だがそれらすべて『千里眼』があったおかげだろう? 雪久の功績はすべてあの左眼によってもたらされた、しかし今はどうだ? まったく使えない状態らしいじゃないか」
言葉に詰まった。それはおそらく誰もが分かっていたけれども、あえて口にすることはなかったことだった。『千里眼』を使えない雪久は、少なくとも今まで通りではない。その後のことなど誰も分からないのだ。
「俺にはどっちでもいいんだがな」
韓留賢は腰を上げた。
「ただ、外部の敵にだけ気を払っていればいいというものじゃない。外に対するには、内輪のことも片づけなければな。それができるかどうか」
そう言い残して韓留賢は広間を出て行った。杖を突きながらではあったが、わりとしっかりした足取りで歩いてゆく、その足音が扉が閉まる音とともに途絶えた。
あとにはユジンとイ・ヨウだけが残された。
「あいつの言うことも、まあ分かるけどね」
イ・ヨウは肩をすくめ、足を投げ出した。まるで自室でくつろぐように体を伸ばして、ひとつ伸びをする。
「それでよ、ユジンはどっちにつく?」
「なに、どっちって」
「だからよ、もし雪久と彰、どっちか選ばなきゃならなくなったとしたら」
「馬鹿言わないでよ」
思いの外大声になってしまったのは仕方がない。そんなことは考えたくもないことだったから。
「たとえばの話だ。あの二人が仲違いしたとしたら、どっちかについてかなきゃしょうがないだろ。俺は人望ねえし、お前についてくって奴もいるだろうが、やっぱあの二人のうちどっちかじゃねえか?」
「あの二人が仲違いすることなんて絶対にあり得ない。今だって、雪久がちょっと気が立っているからってそんな話を」
「そんなこといってもよ。あの雪久だぜ? 彰はともかく、雪久って気に入らなきゃすぐに切るだろうに。仲間だろうが何だろうが」
はたと思いつく。燕のことだった。
あのとき、雪久は燕を粛正しようとしたのだ。敵に捕まったことが気に入らないということで。舞がかばって、彰と一悶着あって、燕はなんとか追放処分だけで済んだのだ――。
「まあ、今までは雪久が何をしようと、皆はそれについていくしか無かったけどよ。今はどうかね? 韓留賢の言うことじゃないけど、『千里眼』がないからな、今のあいつは」
だがもし、雪久と彰が袂を分かつようなことになったらどうか? 今までは雪久が暴走しようものなら、それを止めるのが彰だった。その彰が、いなくなれば。そうなれば雪久は――
「身の振り方考えた方が良いのかもしれないな、お前も俺も。機械と戦争だって前に、あんな調子じゃ」
「あんまり言うと、イ・ヨウ」
自分でも驚くほど冷たい声音でもって、ユジンは言う。
「いくらあなたでも、看過できなくなる、立場上。今は二人きりだからいいものの、皆のいる前でそんなことを口にしたら、二度としゃべれないように喉をえぐらなきゃならなくなるからね」
「女の言葉とも思えないね」
それほど恐れた様子もなくイ・ヨウは返事をした。
「分かってるって、お前の危惧するところは、《東辺》の奴らが迫っているってのに内部でもめ事があっちゃたまらない。そんなんじゃ奴らとことを構えようにも構えられない。だがな、ユジン」
イ・ヨウは腰を上げた。
「不安要素をじっくり解決してから、ことに備える。それは基本だけど、事態が逼迫してりゃそんなことも言ってられないんだぜ。このチームの主力となっていたのは『千里眼』、そいつが使えないとなりゃ雪久に対して、疑問の声だって上がりそうなもの。どっちにつくか、とか結構ほかの連中にしてみりゃ重要な問題だったりする」
「まるで雪久の価値が『千里眼』だけみたいな言い方するのね」
「お前や彰にとっちゃ、そうじゃないだろうけど。ほかの奴らはそうじゃないことの方が多い。もし、そうじゃない、『千里眼』の有無に関わらず雪久はここには必要なんだって思われるには、あいつ自身がそうなるよう振る舞うべきだった。そうじゃないだろ? それは分かるだろ? お前だって」
ユジンが黙っていると、イ・ヨウは肩をすくめた。
「そんな顔するなよ。俺は別にこのこと、誰にも言わない。雪久を裏切るような真似もしない。ただ今ある問題の一つとして、お前に言っておきたかっただけだ」
「いいわよ、別に」
何かを言いたいけれども、言いたいことが見つからないもどかしさを感じながら、ユジンはともかくそれだけ言った。
「じゃあ、ま。俺は行くから」
イ・ヨウはそう言って広間を立ち去る。あとにはユジン一人が残された。
(二人のうちどちらか……)
可能性はなくはないのかもしれない。彰はチームのことを考えているが、雪久はどうもそうではなく、考えていることは己のことばかりである。それでも、雪久の足りないところは彰が補って、そうしてこのチームは回っていた。もし、それができないとなれば。
だが、そんなことはいくら考えても答えが出るものでもなかった。ユジンは自分の考えを打ち消すように頭を振った。
(どうかしている)
部屋に戻ろうと思った。戻って、疲れた体を休めれば、そんな考えもなくなるだろうと。そうして広間を出てしばらく歩いたとき、ふと廊下の隅で話し声が聞こえた。
何かぼそぼそと、内緒話でもしているかのような声音だった。ユジンは何故かこっそり覗くように、曲がり角を陰に声のする方を見た。
韓留賢がいた。壁によりかかって、携帯電話でなにやら話している。話す内容はうまく聞き取れないが、どうも英語や広東語といってものではない。ドイツ語、フランス語、そういう方面の言語であるように聞こえた。
韓留賢は周りに聞こえないようにと、最大限の注意を払っているかのようだった。受話口を手で覆い隠して、誰かに聞こえないようにと周囲に眼を光らせている。あんまり見ているとユジンも見つかりそうだったので、早々に頭を引っ込めた。
(一体誰と?)
韓留賢には彼女がいるらしい。その女だろうか? だとしてもそんなひそひそ話をするようなことでもないだろう。話すことがあれば堂々と話せばいいものを。
韓留賢の声がうわずった、ように聞こえた。しかしそれも一瞬のこと、すぐに元のひそひそ声に戻る。そして韓留賢が何か短く発したと思うと、電話が折り畳まれる音がする。そのままどこかへと走り去る韓留賢の靴音がして、その音が遠ざかるのを聞いた。
ユジンは廊下の角から、再び韓留賢の居た場所をみる。そこにはもうだれもいなかった。
ユジンはきびすを返した。