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監獄街  作者: 俊衛門
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第十七章:12

 レイチェル・リーが報告を聞いたのは、その日の昼前だった。扈蝶の傷の状態を鑑みて、すぐにははなせないだろうと判断してのことだった。

 扈蝶は右の拳が完全につぶれ、左肩と右足の骨にひびが入っている。折れたサーベルが、扈蝶が倒れていた場所から大分離れた所で見つかった。サーベルとてそれほど脆いものではないはずだが、いとも簡単に折れ砕けたという印象だった。

 それでも、他の偵察隊の連中に比べたら、当たり前だが相当にマシな状態だ。何せ頭を割られないものはいない、すべての人間は頭蓋骨を砕かれ、あるいは陥没させられて、ひどいものは中身がこぼれ落ちてしまっている。扈蝶も、まともに食らっていたらそうなっていたのだろう。よっぽど必死に逃げ回って、どうにか骨折だけに留めたのだ。逃げて逃げて、そして逃げ切った。十分に、任を果たしてくれたと言える。

 にもかかわらず、扈蝶はひどく落ち込んでいる様子だった。

 扈蝶はベッドに寝かしつけられている。レイチェルが入ってきたとき身を起こそうとしたが、押し止めた。

「いいから、そのままで」

 レイチェルがそう言ってベッドの脇にいすを引き寄せて座った。鉄鬼はレイチェルの後ろに控え、室内にいた他の者はすべて退出するようにと告げる。全員が出て行ったのを見計らって、レイチェルは口を開いた。

「ご苦労だったね、扈蝶」

「しくじりました、申し訳在りません」

 扈蝶は目を伏せていた。まるで目を合わせる資格もないと思いこんでいるかのようでもある。

 レイチェルはかぶりを振った。

「お前の目的は、敵の正体を探ること。多少の犠牲は覚悟の上、それでもちゃんと相手を確認してきたんだ。気に病む必要などない」

 こんな言葉が慰めになるとも思えなかったが、今はそう言うしかない。すると扈蝶はシーツの裾を掴み、唇を噛みしめた。

「生きて帰ってこれたのは、相手の慈悲のようなもの。私はあいつに殺される手前でした、それにも関わらずあいつは私の命を奪わなかった。私は自力で生きたのではなく、敵に生かされて」

 扈蝶にとっては実際、それが恥辱なのだろう。生きてきたこと、生きて帰ったことを恥じているようでもある。

「あの男、おそらく機械ですが、あいつはこちらの意図などすべて見透かしていました。自分のことを好きにふれ回れ、そう言ったのです。最初からあいつはこっちの目的なんて分かった上で、その上で仲間を殺して、私を適当にあしらって……あいつの手の上で赤子みたいに転がされて、私は何も出来なくて……結局は情けで生かされて、帰ってきて、なんて」

 最後の方はしゃくりあげるような声になっていた。なんと声をかけてやって良いのか分からず、そのまま席を立とうとした。

「敵は」

 しかし扈蝶は、今度ははっきりとした声で言う。涙目の顔をあげて、レイチェルの方を見た。

「敵は白人です。ステッキを武器としています。

スーツ姿で、あまりこの街では見かけない身なりですからすぐに分かるはずです」

「そう」

 とレイチェルは一端腰を浮かせかかったのに、また座り直した。

「他の特徴は?」

「あとは、そうです、仏語を喋りました。お嬢さんマドモアゼルなどと、私に向かって」

 そんな風に呼ばれたことも屈辱的であると感じているように、扈蝶はシーツを握った手をさらに強く握り込んだ。

「仏語か……」

 レイチェルはしばらく考え込んだ後に、立ち上がった。

「分かったよ扈蝶、あんたの情報は無駄にはしない。必ず敵は討つ、だから今は休んでいなさい」

 気休めにもならない言葉だったが、とにかくレイチェルはそういい残して部屋を後にした。

 廊下をしばらく歩いた後に、後ろから着いてくる鉄鬼に訊いた。

「どう見る、鉄鬼」

「何とも分かりかねます」

 鉄鬼はやや歯切れの悪い調子で言う。

「ステッキ術というものは、欧州にはよくある武術のようですが……」

「それもそうだけれども、おそらく扈蝶の話。生かされたというのは気になるな。こっちがどう動こうとも、向こうにはまるで影響がないということか」

「相手は『マフィア』でしょうが、その態度はどういうことなのか」

 鉄鬼がそう言った後、しばらく二人は無言だった。廊下の端まで行き、エレベータに乗り込み、レイチェルの部屋に入ったところで、レイチェルが口を開いた。

「少なくとも、敵はこちらが偵察隊を放ったことも知っていたということだろうな」

「それは、そういうことでしょうな」

 鉄鬼にも、レイチェルの言わんとしていることが分かったようだった。口ごもるような曖昧な受け答えをする。

「こっちが何をしていても影響ない、にもかかわらず奴はこっちの手の者を無為に殺したということか。自分の一存で、生かしたり殺したりと、虫けらみたいに、と」

「お怒りはごもっともです。しかし」

「分かっている、鉄鬼。感情に任せてどうにかしようとかいうつもりはないよ。奴らにはそうするだけの力がある、その確認だ」

 とはいえ、内に沸き上がるものは本物だった。自分で押さえ込もうとしても、偵察部隊の全滅の有様を見、扈蝶の痛々しい姿を見せつけられた後では、冷静であろうとあえて努めなければならなかった。握りしめた拳の内側で、爪が皮膚に食い込むのも、意図してのことではない。勝手に沸いてくる激情がそうさせている。

「悔しいけど、総攻撃をかけて東に攻め入ろう、とはならない。今のままでは」

「兵力は、私服と黒服共々相当な削減となっています」

 激情は、レイチェルのみならず、鉄鬼にもそれはあるのだと見て取れる。押し殺した声はそういうことなのだろう、やるせない思いの現れ。そうしなければならぬ者の声音だ。

「その、扈蝶が会敵した相手が機械であるならば、あの兄妹をほふった兵力は少なくとも必要。相手をするならば銃と爆薬、そのどれもが足りていない状況です」

「しかも、孔兄妹の時とは単純に比べられない。扈蝶の相手をした奴がどれほどのものか分からないけど、あの二人よりは手練れであると考えた方がいいだろう」

「確かに一晩で数十人を片づけるとなれば……」

「それもそうだけど、機械だからね、相手は。性能が良くなっていると考えるのが自然だろう。単純に武術家としての腕はどっちが上か分からないけど」

「仰るとおりで」

「もっとも」

 レイチェルはつと立ち上がった。窓越しに西辺の街を見下ろすに、今はまだネオンの灯らない灰色の構造物群が並ぶばかりである。この街は昼間には眠り、夜は眠らないのだ。

「ステッキ術など、私の頃には無かったのに……」

「何か?」

「いや、別に」

 別に訊かれたところで何てことはないのだが、レイチェルはとにかく話をごまかしておいて言った。

「このことを、南に伝えて。雪久と金の所に」

「彼らにですか?」

 鉄鬼が意外そうな顔をした。

「どうした、不服か?」

「こちらの弱みをわざわざ晒すような真似をしなくとも」

「弱みなんて言ってられない。相手は『マフィア』だ、ヒューイの時以上に西と南で協力体制を敷かなければ太刀打ち出来ない。それに、向こうも同じように危機に直面している。情報の連携は密にした方が良い」

「こちらの手の内をさらけだすことに、なりかねませんが」

「すでにさらけだしている。それに、今回は向こうもやられている。自然、手を取り合わなければならなくなる」

 鉄鬼はしばらく思案するように、顎に手を当てた。ややあってから、了承の意を告げる。

「それと、こちらの状況。今後は偵察を行うことなく、陣容を整えることに専念して。”シルクロード”からも、また新たに武器を手に入れなければならないだろう」

「しかし、敵が機械ならばいくら銃をそろえても意味がないのでは」

「だからもっと強力なものを仕入れる。アラブの連中にどれだけふっかけられるか分からないけど、出来る限りのものは手に入れる。対戦車砲ぐらいは何とかなるだろう」

 ただし『マフィア』とことを構えることは伏せていた方が良いだろう。アラブの連中がそれを知って、すんなりと武器を手配してくれるとは限らない。

「それに、北も」

「北とは……」

 鉄鬼は困惑気味に答えた。

「金が手に入れた義足と装甲車、あの男が素直にその出所を教えてくれれば良かったけれども、金もよく分かっていないようだったからね。《北辺》に何人か派遣して、そちらの方面で武器が手に入らないか探って欲しい。いつまでも”シルクロード”頼みじゃ困るだろうし、うまく行けばもっと強力な武器が手に入る」

「それは、しかし。そんなに急なことで間に合うのでしょうか」

「可能性は当たってみるべきだよ。本当はもう少し落ち着いてからって思っていたけど、そうも言ってられないからね」

 鉄鬼は、もはやそれ以上いうことはないようだった。ただ頭を下げて、すべて心得たとばかりに言った。

「手筈を整えます」

「頼んだよ」

 レイチェルが言うと、鉄鬼は部屋を出ていった。

 ちょうど太陽が天頂にかかった頃だった。夜になるにはまだまだ先のことだが、これから動き出すには少しばかり遅いという時刻。これからことを成すには、夜が来るまでの間を刻一刻と気にし続けなければならない。

「間に合うか……」

 しかし、間に合わせなければならないのだ。そうでなければ、夜を越え、朝を迎えることなど出来ないのだから。

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