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監獄街  作者: 俊衛門
291/349

第十七章:10

 午前二時を過ぎた頃だった。

 いつもならば《西辺》の中心部、第3ブロックでは、まだまだ人通りが多く、この辺りは《東辺》に続いて眠らぬ地区とされていた。

「疑わしきは罰せよ、という精神は文明社会では歓迎されない」

 しかし今は違う。この場所にも、少し外れたところの通りにも、誰もいない。連日の通り魔の影響だろうが、だからこそ今この場では、男の声がよく響く。流暢な英語、こんな場には当然ふさわしくないような明るい口調でもって。

「しかし、この街にはふさわしい。それだけで十分、罰するに足る。あなたにはほんの少しだけこの街の空気がなじまなかったということですよ、お嬢さんマドモアゼル

 きざったらしい物言いは気に入らない。けれどもそれを気にしている場合でもない。その男の足元に転がる骸の数々が雄弁に語っているのだから。

 《西辺》の見回り隊に抜擢されたのは、『黄龍』の中でも手練れ、それなりの精鋭なはずである。その精鋭たち、いずれも頭蓋を一撃で割られ、脳髄と血肉をぶちまけさせて果てている。路上に積もった雪に血潮をしみこませ、足元には赤い氷の層が出来てしまっている。

 しかし下手人――目の前の男には、返り血めいたものはかかっていない。上等そうなシルクのスーツに身を包み、ステッキをついた十九世紀的ファッション。山高帽をかぶったその男はまだ二十代前半といったところであるようだった。

「あなたが、やったの?」

 扈蝶は乾ききった喉を無理やりに動かす。なんとか絞り出す声も、今にも消えそうだった。

 見回り隊は毎夜送り込んでいる。この日は定期巡回の戻りが遅く、連絡も取れなかったので様子を見に行ったのだ。その先にあったのは、路地裏に折り重なる、撲殺死体の数々とその中心に佇む男が一人。これだけのことを仕出かすのには、どれほどの時間がかかったのだろうか。おそらく、この男にとってはとるに足らないことだったかもしれない。そう感じさせるような口ぶりである。

「降りかかる火の粉を払うことは、それはそれで致し方ないことですよ。大人しくしていれば良いものを、無粋に嗅ぎまわる連中がいるとあれば、多少は痛めつけるのもやむを得ないでしょう」

 男はきざったらしい所作で、帽子をちょっと持ち上げて見せた。鮮やか過ぎるほどの金髪だった。長い髪を首の後ろで束ねており、その髪色も相まって一見すると女のような優美さを湛えた線をしている。

 そんな華奢ともいえる男に、隊が全滅させられたなど。殴り殺すなんて手口だから、もっとごつい男を想像していたのだ。それが――

「想像していたのと違う、と?」

 男がいきなり、こっちの言うことを言い当ててくるのに、扈蝶は少なからず動揺した。

「な、何を」

「いえ、私を目の前にされた方は、大抵同じような反応を示されるものです。もっとも人を見かけで判断することは感心しませんね。そんなようでは足下をすくわれますよ、こんな風に」

 いきなり男が踏み込んできた。

 扈蝶は慌てて銃を構える。発砲。シグザウエルが火を噴いた。

 銃弾が弾かれた。男がステッキで防いだのだ。そのまま扈蝶の間合いまで詰め寄り、ステッキを水平に振り抜いた。

 とっさに受け止める――銃身で。鉄の砕けた音とともに銃身がひしゃげた。

 男がステッキを振りかぶる。

 扈蝶、すぐに飛び退く。鼻先三寸をステッキの先端が通り過ぎる。

「ほう」

 男はステッキを突きつけて、感心したように声を上げた。

「なかなかよい反応ですね。さすがにレイチェル・リーの側近ともなればただでは転ばないか」

 そんなことを口にしていながらも、余裕綽々という風情である。男はステッキを右手の先で回転させながら近づいてくる。

 扈蝶は銃を投げ捨てた。すぐさまコートを脱ぎ捨て、サーベルを抜く。両手に刃を持ち、切っ先を向けた。

「無用な戦闘は避けるように」

 レイチェルの言葉が脳裏をよぎった。もちろんそれにつもりもないし、出来ることならば自らも戦いを避けたいところではある。

 だが。

「逃げられない相手にどうするか、って聞いとけばよかった」

 そう呟く。逃げようにも、男のスピードはこちらが反応するのがやっとというぐらいだった。ここで逃げようとすれば、男はすぐに追いつくことだろう。扈蝶には、それを振り切る自信はない。

(多少痛めつけて、その隙に逃げるより他ない――)

 そう思っていると。

 男が飛び込んできた。

 まっすぐ向かい、まっすぐステッキを突き出す―ー扈蝶の顔面を貫くように。

 避ける、扈蝶。身を翻し、転身。男の肩口、死角にもぐり込み、体を転回しながら撫で切った。サーベルの先が男のスーツをわずかに切る。

「はっ!」

 しかし、浅い。男がステッキを水平に叩きつけた。

 そのまま縦横に振り抜く――二度、三度、ステッキを回し、ステッキを突き出す、それを扈蝶はやっとの思いでかわす。

 一歩大きく引いた。ステッキの間合いの外まで。男が前に出てくる、それにあわせて扈蝶は飛び込む。

「はあぁっ!」

 渾身振り抜いた。男の首めがけて水平に切る。

 がきん、と案外堅い音。男がステッキで斬撃を受け止める。

「なかなかよい筋だ」

 男はステッキを扈蝶の首に押し当て、足を払う。呆気なく扈蝶は空中に投げ出されて尻もちをついてしまう。

「しかし、惜しい」

 男がステッキを振り下ろした。仰向けに倒れた扈蝶に向けて。

 すんでのところで扈蝶は飛び起きる。ステッキが空振りして地面を叩く。雪を舞い上げ、アスファルトに亀裂を走らせる。

「身体性、技の熟達度、それなりではありますが、やはりそれなり。所詮はただの人間ということでしょうか」

「戦っている最中に喋られると」

 低く、扈蝶は構えをとった。まさしく地を這う獣のごとくに。

「さすがにムカつきます」

 扈蝶は右のサーベルを脇に構え、左のサーベルはそのまま左肩に担ぐ。両の刀を肩と脇に、完全に隠した格好となる。

 男が徐々に間を詰めて来る。ステッキの先をフェンシングのように揺らして、一歩、二歩と歩み寄ってくる。

 突如、男が踏み込む。

 ステッキのフルスイング――斜めに打ち込む。扈蝶は避けつつ右刀で斬りつける。

 刃を返し、さらに左。

 ステッキがくるりと回転した。空中で8の字を描くように回り、勢いづいたそれが打ち込まれる。

 水平打ち。

 扈蝶の眼前、ステッキの先端。あわてて身をそらす、先端が鼻先に触れる。

 出血。

 触れた瞬間に鼻血が吹き出る。扈蝶は十分に距離を取り、ステッキの間合いから逃れ、すぐに鼻血を拭う。

(かすっただけでもこの衝撃……)

 扈蝶は何とかして血を止めようと、右の肘で鼻を押さえる。鼻がふさがれば呼吸が出来なくなるので、何とかして止まってほしいのであるが。

「終わりですか? まだまだ踊り足りない」

 男は悠々と歩いてきて、間を詰めてくる。扈蝶は二つのサーベルを突きだして、せめて迎撃の体勢をとるより他無い。

 二歩、三歩、近づく。男はただ歩いている、扈蝶はそれに伴って後ずさる。知っていた、後ずさるということはそれは相手に気圧されているのであって、つまりこの時点で扈蝶は負けている。

(だからといって――)

 だからといって、このまま何もせずにいては、無駄に命を散らすだけだ。自分の使命はなにか、生きて報告することだ。勝つことではない。一瞬、一瞬だけ逃れるきっかけがあれば。

 男が踏み込む。急激に接近、勢いのままステッキを打ち付ける。

 扈蝶はタイミングを見計らい上に飛び上がる。男の背丈を飛び越えるほどの跳躍、空中で身を翻し、男の背後に着地。そのまま振り向くことなく走った。視界に入る仲間の躯や諸々はとりあえずは無視して、この場を離れることを選択する。死んだもの、やられたものへの哀悼と助けられなかった悔恨はあとでいくらでもやればいい、今は自分のなすべきことをしなければならない。

 走り、建物の路地に入った。

「今度は鬼ごっこですか」

 頭上から声――上を向く。その瞬間に陰が降りてくる。危険を感じて身を引く、扈蝶の鼻先をステッキの先端が通過する。

「女性は追われるもの、そしてそれを追うもの。それが世の倣い。とはいえ、少しも語らうことなく逃げるのはね」

 男はステッキを指先でくるりと回した。

「夜はまだ明けない、分かり合うには十分すぎる時間。ならばもう少しだけでも」

 ぴたりとステッキの先をつきつける。そうされるだけで、扈蝶は全く動くことが出来なくなる。動けばそのまま突くのだという意思表示であるかのようで、事実そうさせると予感させるに足る圧力を感じた。 

 彼我の距離が五メートル以上も離れているのだというのに、それが問題にもならないと思える程の。

(勝てない――)

 真にそう感じる。そしてその予感はおそらくは正しい。自らの感覚、身体に耳を澄ませ続けるのが武術家の性、その感覚が勝てぬと言っているのだ。

 男が間合いを詰める。

 水平に打ち込む――ステッキの先端が目に飛び込む。

 扈蝶が身を引いて避ける、避けると同時に切りつける。二本同時、右から斜めに切り上げる。左刀の切っ先が山高帽のつばを切る。

 転身、身を翻して斬撃。体の回転で刃に勢いを乗せる。男は難なく斬撃を避ける。

 踏み込んだ。どちらとも無く。

 打ち出す――ステッキの正面打ち。扈蝶身を開いて避ける――先端が肩をかすめる。少し触れただけでも骨が軋み上がる衝撃が襲った。

 声をあげる。痛みが意識を弾き飛ばす。

 だが、止まらない。サーベルを手の内で回転、連続で切りつけた。それらすべてを男はステッキの先でいなし、はじき返す。寸分違わぬ正確な捌きの前に、扈蝶は切り崩せず、ただ無為に刃を打ち据えるのみ。

「よい太刀筋です」

 しかも男は笑みを浮かべてさえいる。こちらの攻撃などまるで意に介さないとでもいうようにだ。

「やはり、惜しい」

 男がステッキを脇に構える。そこから水平に振り抜く。最速の打撃が伸びる――扈蝶のこめかみを打ち据える。

 反射的に動いた。左のサーベルで打ち込みを防ぐ――衝撃を殺しきれず、細身の刃が折れ砕ける。

 すぐさま扈蝶は後退。それを追かけるように、男が踏み込む。

 刺突。正確無比な突きが扈蝶の顔面を打つ――寸でのところで刺突を避ける。扈蝶の頬の肉を尖った先端が削いだ。

(まずい)

 焦っていた。さっきから逃げようとはしているのだが、ステッキの打撃が思いの外早く、抜け出せないでいる。かといってこのままやりあってもいけない、どれほど防いでもいずれはやられる。

 ならばどうすれば良いか――。

 男がステッキを斜めに打ち出した。

 今度は扈蝶、前に踏み込む。残ったサーベルを逆手に取り、男の懐に飛び込んだ。

 肩をかすめた。骨に響く衝撃、直撃すればそのまま死に至るような打撃である。

 多少の犠牲は覚悟の上。

(今――!)

 思い切り踏み込み、扈蝶はサーベルを振り抜いた。男の首を刈る要領で、体当たり気味に切りつけた。

 いきなり男は左拳を突き出す。突き上げるようなボディーブローが、扈蝶の水月に刺さった。内臓ごと打ち込まれる心地、たまらず扈蝶崩れ落ちる。

 男が振りかぶる。ひざまづく格好になった扈蝶に向けて一気に振り下ろす。

 あわてて避ける、扈蝶――横に飛び、打撃を避けた。

 そのまま扈蝶、思い切り距離を取る。ステッキの間合いからさらに遠く。男から十メートルも離れ、そのまま路地に駆け込んだ。男は追ってこない。

 腹を押さえ、扈蝶は走った。

 じんじんと下腹に痛みを抱える。男の蹴りは耐衝撃性の防刃ベストを着ていても、ほとんど意味をなさないようだった。打ち込まれた肩も相当なダメージを食っているのだろう、左腕が全く動かない。

 尋常ではない、あの男の動きや力は普通の人間とはまた違うものであるような気がした。そもそも銃弾をはじき返した時点で、それはもう人間業ではない。

(やはり、機械)

 孔翔虎、孔飛慈が見た目は普通の人間だったように、あの男も何か特殊な技術で機械化されているのだろう。

 ただ、それがどの程度のものかまでは分からない。機械と手を合わせたことなどないが、身体の一部のみにとどまるのか、それとも全身くまなくなのか。生身の部分を攻撃すれば少しは勝機も見えてくるだろうが、しかし今は情報が少なすぎる。

 角を曲がった。

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